http://www.asyura2.com/15/hasan94/msg/767.html
Tweet |
「2000万人の貧困」
“学生の借金1兆円”が映すこの国の歪み(上)
奨学金理事長
「大学にさえ行けばいいなんて、イリュージョン」
2015年3月26日(木) 中川 雅之
日本学生支援機構の奨学金を受ける大学生は、2.6人に1人に膨れ上がっている。年間の貸与額は1兆円を雄に超える。卒業後、返済できずに破産する人も現れ、家計の教育投資はいびつさを増している。是正するためには何が必要なのか。日本学生支援機構の遠藤勝裕理事長に話を聞いた。
事前に厳しめの質問をお送りしていたので、実は取材を受けていただけないのではと思っていました。
遠藤:いや、そんなことはしませんよ。広報担当に私はいつも口を酸っぱくして、マスコミの皆さんから理事長にインタビューしたいと申し込みがあったら、いつでも出ていくと言っているんです。
(写真:陶山勉、以下同)
最近は特に奨学金の延滞額が増えたりしていることで、いろいろな報道がありますでしょう。この間も九州のほうで、奨学金が返せず自己破産を申請された方がいるようですね。そうしたことから「日本学生支援機構(JASSO)の奨学金の貸与を受けたら人生の終わり」とでも言わんばかりの報道も、実際に目にします。
奨学金はもはや社会インフラ
でもね。そういう報道が蔓延してしまうと、「家が貧しいが奨学金を受けて大学へ行きたい」というような人が奨学金を受けなくなり、結局は人材の芽を摘むことになる。我々はそうしたイメージに負けずに、「教育の機会均等」の価値を訴えていかなくてはいけない。意欲があって、能力があって、ただ親の経済力がない。そういう子供たちのための制度であることを、しっかりと伝えていかなくてはと思っています。
日本学生支援機構は、日本最大の奨学金貸与団体です。2014年度の事業費総額は、予算ベースで1兆1745億円。そのほとんどの財源は元をたどれば公的資金です。今、大学生の2.6人に1人がその奨学金を受けている。この現状をどう捉えていらっしゃいますか。
遠藤:具体的な人数でいきますと、毎年、専門学校から大学院まで約140万人が高等教育機関で教育を受けています。新規に毎年、毎年、奨学金の貸与を受ける子たちが45万人ぐらいです。そしてご指摘のとおり、およそ2.6人に1人が私どもの奨学金を受けています。
これだけ多くの人が奨学金を受けていることを考えれば、これはもはや日本の社会の根底を支える重要なインフラとして位置づけられます。
逆に言えばそれだけ責任も重くなっているし、社会的に大きな影響力を持ちます。先ほどのような問題は確かにあります。完璧でございますなんて、私はとても言えない。直すべきことはたくさんあります。
返還不要の「給付」が望ましい
課題とはどんなものですか。
遠藤:私はJASSOの理事長ですが、経済同友会にも参加しまして、そこでは一貫して教育関係の活動をしています。リーマンショック後にそこで提言した内容とも重なってしまうんですが、奨学金制度の中で最も変えなくてはならないのは、現在の貸与型から給付型への移行です。経済力の弱い親、その子供たちを救うという観点からすれば、奨学金は給付型こそあるべき姿です。返さなくていいのですから。
国としてかけるお金が少なすぎる
そもそも日本は国として高等教育にかけるお金が少なすぎます。OECD加盟諸国の中で、GDP比で下から2番目です。一番下は韓国ですが、ブービーを競っているような場合ではない。
GDP比で見ると、これはご想像のとおり上のほうは北欧諸国が占めます。彼らは授業料は原則ただ、高等教育機関へ進む人間も少ない、高い消費税率と、条件が大きく違うのですぐに日本がマネできるわけではありませんが、何とか高等教育費の家計負担を軽減しなければならない。そのためには、返還義務が生じる「貸与」では不十分です。
この問題意識は文部科学省とも共有しているつもりです。しかしながら国の財政状況がこういう流れですから、一足飛びに給付型奨学金制度の創設には行かず、「所得連動返還型奨学金制度」を導入しました。一定の年収になるまでは返還しなくていいという制度ですね。これが一種の貧困対策になるのはお分かりいただけるでしょう。
ただ、あくまでこれは給付型へ移行する途中過程の姿です。給付型を目指すべきというベースは変わりません。
選別するしかない
給付型にいけばいくほど返還金がなくなるわけですから、当然制度を回すのが難しくなります。対象人数か額を減らさない限り、財源を圧迫していきます。大学進学率が上昇する中でどう両立させるのですか。
遠藤:それこそ、非常に重要な論点です。今、専門学校を含めた高等教育進学率は55%を超え、60%近くまでになっています。その中で大学生の学力低下が問題となっています。
ご質問にひらたくお答えしてしまえば、給付型では確かに今のように誰でも彼でも対象にするというわけにはいきません。高等教育で勉強する非常に優秀な能力がありながら、親の経済力により高等教育機関での教育を受ける機会がない子供たちを救済するといった目的を追求しなければなりません。要するに選別するんです。
今の1種(利子なしの貸与)と2種(利子ありの貸与)にも成績基準がありますが、これは高校段階での成績を基にしています。でもこれは、例えば進学校の成績と進学校でない成績とかを区別していない。どの高校でも、その中で平均3以上とか、3.5以上とかにしているわけです。
つまり平均的な高校生であれば、高等教育機関にいけばもう誰でも2種の奨学金は受けられる状況です。これでは、本当の意味で優秀な学生を選定するのは難しい。
だから例えば、センター試験など同一基準で一定レベル以上、上位何%以上とか、そんな成績基準が当然なければいけないということです。予算レベルは落とすべきではありません。この何年かは1兆2000億前後で来ていますが、この規模は維持して、その財源が有効に使われるような仕組みにしていかないといけないということです。
先ほどの未返納問題の本質というのは、高等教育がいわゆる本人の「稼ぐ力」に連動しにくくなってきていることにあると感じています。雇用の非正規化、精神的な問題など要因はさまざまだと思いますが、そうした現実には問題を感じていますか。
誰も彼も大学に行くのが人生ではない
遠藤:また同友会の話になって恐縮ですが、提言の中にこういう一節をつくっています。「誰でも彼でもが高等教育に進むのが人生の選択であろうか」とね。人にはそれぞれ持っている能力があり、それを生かした選択をすべきです。
ところが、今はまず高等教育に行きたいというような話になってしまっています。お聞きになりたいのは、高等教育のレベルに達しない人も奨学金を借りて卒業していくから、ふさわしい職業につけない。だから返還もろもろの問題を生じさせているということですよね。否定しません。それは一面の真実だと思います。
ただ私が理事長として常に頭においているのは、教育の機会均等です。これは憲法第26条、教育基本法の第4条に定められていて、日本学生支援機構法の第3条には「憲法と教育基本法の精神を業務目的として反映せよ」となっています。私にできるのは、JASSOの持つ奨学金貸与機能をいかに有効に使うか、ということなのです。
ここまで「広がってしまった」
高等教育とその後の所得が必ずしも連動していないからといって、ここまで制度的に広がってしまっています。その中で「あなたたちは高等教育を受ける資格はないから奨学金の対象外」とすぐにはできません。
そこから出てくるもろもろの問題というのは当然あります。要返還者の数が400万人にも達していますから、仮に延滞率を「不良債権比率」とみて、メガバンククラスの優良な金融機関と同じ3〜4%としてもそれだけで12万人になるわけです。そこに対してどういうセーフティーネットをつくっていくかということも私どもの課題になってきます。
奨学金頼みの大学経営
もう1つね、「じゃあやめちまえ」とできない構造的な理由があります。そちらの視点は「貧困の連鎖」の防止ということだと思いますが、学校の経営問題もあります。奨学金は生徒の懐を経由して学費になるので、大学経営を間接的に支えているのです。
私どもの奨学金規模は、国立学校が受け取る運営費交付金を上回ります。それ以上に大切なのが私立大で、例えば1年間に一番大きい私立に対して私どもは、200億円も貸与している格好になります。奨学金制度がなくなったら、一番はじめに学生が困りますが、ほぼ同時に学校経営が立ち行かなくなる。
ここまで大きく育ててしまった制度は、冒頭申し上げたように社会的な重要なインフラとしてこの日本の社会に組み込まれてしまっている。これを今そっくり外してしまったら、大混乱が起きる。原理原則は、今の貸与の仕方はおかしくて給付型になっていくべきです。ですが、その混乱を少しでも小さくするような対応を我々はやっているわけなのです。
大学は多すぎる?
そもそも大学が多すぎるという批判は強くあります。大学設置の許認可も問題になりますが、ご意見はありますか。
遠藤:それは私の立場でお答えすることではありません。文科省ですよね。
分かりました。ではより直接的にお尋ねしてしまいますが、家計を圧迫するほどの支出をするほど、高等教育は本当にみんなに必要でしょうか。
遠藤:そのご質問には、本音では本当に答えにくいのです。ただ、こういうお答えではどうでしょう。
多くの方が大きなイリュージョン(幻想)の中で生きているのだと思います。いい会社に入れば、子供は幸せである。そのためにはいい大学に入らないと。だから、みんながみんな大学に入ろうとする。もしくは親が入れようとする。
親は誰でも子供の幸せを願います。しっかりした社会人に育っていって欲しい。だから教育する。それは当たり前です。でも、大学に行くことが本人のいい暮らし、幸せな生活に結びつくかといえば、現実は必ずしもそうではない。そうではないけれども、幻想の中から出て行くことができない。
例えば手に職を持つとかITスキルを磨くであるとか、今だって現実に、高等教育を受けなくても収入を得ている人はたくさんいます。発想の豊かさなどで生きていくことだって、本当はできるんです。でもそうした現実ではなく、大学に行くことがいい収入を得る最善の道であるという幻想からぬけられない。その歪みが今起きている問題なのだと思います。
大学の教育機能、能力開発機能にも大きな問題があります。
遠藤:そうですね。我々も、奨学金の貸与を受けて高等教育を受けた以上は、そこに伴う学生としての義務というものもこれからは強調していかなければいけないと思っています。返還義務を果たすだけではなくて、きちんと奨学金の貸与を受けて成長するという責務です。
「4年間何をしていたのか」
自分自身をレベルアップする。「大学を卒業したけれども職が無い」という人は増えていると思いますが、それは「社会が悪い」となりがちです。景気変動で揺れが大きい新卒一括採用に対する批判もあります。
その面が無いとは言いませんが、じゃああなたはその4年間、あるいは大学院までの6年間で何をしていたのかと。自分で一生懸命レベルアップしたのかと。学校側もそれで学費を得ているのだから、奨学金を受けている生徒に十分なサポートをして欲しい。そうしたことをもっと求めていかなくてはいけません。
大学の先生方に私はよく申し上げるのですが、進学率が55%ということは、残りの45%は社会人として働いているわけです。ざっくりとですけどね。奨学金の原資は税金です。国民の負担です。同じ世代の45%の仲間たちが汗水垂らして働いて収めた税金の上に、学生があぐらをかいていいのかと。そういうことをやはり奨学生は忘れてはならないと思います。
奨学金返還の延滞率を大学別に公表するという方針を出されています。
遠藤:2016年度からと話していますが、まだ現実問題としてそれがどういう意味を持つかというのを、各学校は経営として認識していないと思います。
衝撃的だと思いますが。
遠藤:していないと思うんですよ。というのは、これは大変なことだと認識していたら、もっともっと我々に協力して、延滞率低下のために学校として行動しなければいけないですよね。延滞率が高いということは、就職率が悪いということにつながってしまう。それは「この学校を出ても稼げない」という話になり、経営に関わる問題のはずです。でも動きは鈍い。
東大より医学部より延滞が少ない学校
遠藤:少し話が変わりますが、今我々のところで一番延滞率が低いところはどこだと思いますか。
どこでしょう。東京大学ですか、それとも医科系?
遠藤:いえ、高等専門学校です。高等専門学校の子供たちは5年間必死に勉強して、手に職をつけて、社会に巣立って引っ張りだこになります。ですから延滞しない。もちろんその中で会社が不幸にして業績不振になって失業するとか、そういうのはありえます。でもそうしたケースはセーフティーネットがありますからね。
雇用のミスマッチが深刻化した背景には、進学率上昇によるホワイトカラー志向と、あとは1億総中流の中で培ってきた親世代の影響が指摘されます。
遠藤:私は1945年生まれですが、自分のときの大学進学率は20%を切っていました。私は板橋第一中という区立の中学校ですけれども、40人ちょっとのクラスメイトのうち12人が中学で就職していました。
引け目が育てた「せめて大学に」
そういう時代からその後、進学率が上がっていったと言っても、例えば東京オリンピックの1964年から第1次オイルショックまでの間の進学率というのはまだ30%前後ですよ。つまり、「1億総中流」を支えた企業戦士の人たちは、7〜8割は大卒ではないですよ。
日本が戦後の復興から成長、発展していく過程の中で、大学進学するのは限られたエリートのような時代があったわけです。その世代では高等教育を受けられなかった引け目のようなものが、多くの人にある。自分の子供には高い教育をという流れで進むうちに、今のように「せめて大学だけは出てちょうだいよ」という価値観が一般的になったのだと思います。
でもどうなんでしょうか。感覚的ですが今の子供らは、上の世代ほど大学に行くことに価値を見出していないように思います。そのせいか、親の過大な期待に子供が適応できなくて、家庭に問題が起きるケースがあるように思います。
何のために大学に?
大学進学に実際は価値を感じていない、あるいは価値があるはずだと信じているだけの人たちによって、イリュージョンが作り上げられています。これをどうにかしなくてはいけない。何のために大学に行くのかという当たり前の問いが、なされていないのです。
例えばアメリカでは大学生の4割が25歳以上の成人であり、大学生の3分の1が働きながら大学に通っています。さらに言えば、こうした人の中で若い時期にはそれほど勉強しなかった人も少なくない。一度社会に出て、勉強や学問、研究の必要性を実感した後からでも改めて大学に進学してもいい。高等教育を欲する動機がなければ、授業も無用の長物です。
特に大企業を中心に、学歴偏重の採用がされていると多くの人が思っていると思います。この功罪についてはいかがでしょうか。
遠藤:同友会のほうで一番力を入れているのは「どういう人材を求めているのか」を、家庭にもっともっと浸透させないといけないということです。私もいろんな企業トップに会いますがみんな「大学の名前で人材は採用していませんよ」と言います。表向きの発言に聞こえるかもしれませんが、実際に通年採用なんかは多くの企業で当たり前になっています。多くの社長さんが「いいやつがいればすぐ採る」と言いますしね。
「東大、何人取れた?」はやめよ
問題は、その「いい奴」の中身を伝えられていないのです。だから「結局は学歴」という風に学生も保護者も思う。そうじゃなくて「うちはやる気とまじめさのほうが学歴より重要」とか「大学で何を学んだかが重要」とか、なんでもいいんですが「これが採用のときの一番見るポイントだよ」ということを伝えなきゃいけません。それが無いから、学生がそれに合う能力開発に懸命にならない。
ああ、でも思い出しましたけど経営者も懲りてないな。企業経営者はさっき言ったような態度だけど、実際採用にあたる人事担当課長さんなんかに聞くと、経営者に「何だ君、東大は何人しか採れなかったのかね」とか言われるらしいですね。結局、それが評価軸なんでしょう。これはやめないとどうしようもない。
選抜の方法自体も、そのメッセージが伝わるように変わらないといけない気がします
日銀が「得意分野」について聞くわけ
遠藤:自分が居たから言うわけじゃないですけど、変な話、日銀はペーパーテストが一切ないのです。全て面接です。私なんかも最後の役員面接までに3回か4回か。それだけ。今もそのはずです。
もちろん基礎的な学力については面接のときに確かめられますけれど、一番大事なことは4年間何をしてきたか。何を勉強してきたか、ということです。
僕も何回も採用担当官やりました。人事から何を言われるかと言うと「相手の学生の一番得意分野について聞いてください」と。なぜか分かりますか? 落とす場合も、得意分野で答えられなければ言い訳のしようが無いからです。学生自信が納得する。実力が無かったんだと。何だかわからないけれども落ちた、というようなことだけはしないでくれとね。
なるほど。
遠藤:でも時々とんでもないのがいてね。日銀だってのに「得意は日本文学です」なんていうのが出てくると……。何を聞けばいいかこちらが分からない(笑)。でもあるときの新入行員で、東京工業大学の河川工学なんていうのがいました。しかも女の子なんです。この子は誰がどうやって採用試験をやったんだろうかと思いましたよ。河川工学の知見を確かめられる質問って何ですか(笑)。でも、非常に優秀だったですね。
「今の公教育は異常。異常を拡大するな」
“学生の借金1兆円”が映すこの国の歪み(下)
2015年3月30日(月) 中川 雅之
学生の2.6人に1人が受けるようになり、いびつさが露わになった奨学金。それが示すのは公教育の機能不全と、拡大する金利リスクだ。日本学生支援機構の遠藤勝裕・理事長へのインタビュー後編。(前回記事はこちら)
国立大文系の授業料は1980年頃に約18万円。それが2013年には53万5800円とほぼ3倍、私立文系でも約30万円が約73万円と2.4倍になりました。多くの家計が奨学金を当てにしなければならないほどに、教育費は膨張しています。
(写真:陶山勉、以下同)
遠藤:親の世代と費用が大きく変わっています。それを予想して資金計画を立てていればいいですけど、さすがになかなかそうもいかない。今、年収が500万〜600万円、もしくは700万円と、平均水準を大きく上回っていても、どの家計も教育費でめちゃくちゃ苦しいですよね。
年収で生活の苦しさは語れない
というよりも、年収水準では全く測れないわけです。例えば地方で年収400万円と東京で年収500万円なら、物価などが全然違うわけですから、一概には言えませんが500万円の方が恐らく暮らしぶりは貧しいですよね。でも、じゃあ地方に住むのがいいかと言えば、地方は疲弊しているし、そこの親の経済力では、東京の大学に行かせて子供の学費と仕送りを負担するのは大変です。すると、地方の子供から高等教育の機会が失われてしまう。
高校無償化の議論があった時に、政治家が所得制限で910万円とか、900万円とか言っていましたが、正直言って「何を言っているのだろう」と思いましたよ。この人たちはサラリーマンをやっていないから、こんなことを言うのだと。東京でサラリーマンをやっていたら、900万円だろうが1000万円だろうが、子供を2人抱えていたら大変だと。子供の教育費のためにたばこをやめたなんていう仲間は、私の周りにもいっぱいいますよ。
義務教育や高校でも実際には家計負担が重く、親の所得格差がそのまま子供の学力格差になるということが指摘されています。
遠藤:そうですね。現在、公立小中学校の授業料はタダですね。所得制限がありますが高校も無償化でタダ。ですからそういう意味では、初等、中等教育段階では学校の先生の給料も含めて、かなり国のお金はかけられているのです。義務教育負担で文部科学省の予算は毎年何兆円とあります。
学力は高まっているのか
ただ大きな問題は、そこでどれだけ子供の学力が高まっているかということです。高校の話になってしまいますが、経済同友会で提言を出した時に高校の教科書も全部チェックしました。久しぶりに読んでみたら、3年間でこれをきっちりと本当に勉強したら、社会にそのまま通用すると思いました。誰でもそう思うと思います。
つまり学ぶ機会は今、相当程度保障されているんです。なのに、家計は教育にもっとお金を使おうとするわけですね。
塾代や受験料を助成する自治体
私も東京で子供を育てていますが、この「貧困」の取材を通じて初めて知って、大変驚いたことがあります。東京都には「受験生チャレンジ支援貸付事業」というものがありますね。一定水準以下の低所得世帯の中学3年生や高校3年生を対象に、学習塾代や受験料を貸し付け、見事合格、入学すれば返済を免除する仕組みです。現実問題として、これが必要なのは理解できます。あるべきだとも思います。でもこれは裏面から見ると「義務教育課程では十分ではない」と行政が自ら宣言しているようなものです。
遠藤:大変重要なご指摘だと思います。本当に大事なのは、教育にお金がかからなくなることではないですよ。それも大事なのですが、公で保障された期間にしっかりと学力を身に付けられることです。それができなければ何年学んでも意味がない。公立の小中学校のレベルアップ、ここからスタートしていく。もう一度「公教育とは何か」という原点に戻らなければなりません。
公教育の充実に投資を
小中学校段階での公教育が充実されれば、無駄にお金をかけなくても済む人が増えるでしょう。日本の再生ということでいくと、その原点に戻るべきだと思いますね。今の状態が異常だという前提でいかないと、異常の拡大になってしまう。取材テーマは「貧困の連鎖」だと思いますが、それを防ぐためには小中学校段階の教育のレベルアップをもう一度、声を大にしてやらないといけないと思います。
でも一方で、幸いなことに今、東京都も含めて公立学校への回帰というものはがんがんやっています。変な話ですけれども、経済的に苦しい親が増え、私立学校に小中学校段階から入れられなくなったために、公立学校に求められるものが高まってきたのかもしれません。逆説的ですけどね。
私立で進む人材同質化
開成高校など有名私立のトップ校も、入学者が同質化してきて苦悩していると聞きます。
遠藤:そういう話は耳にはします。もちろん全員がそうではないと思うので、誤解があってはいけないと思いますが、麻布だ、武蔵だ、開成だというところに行かせられる親というのは、みんな教育レベルも高くて、年収レベルも高くて、画一的な子供たちだけが集まってくると。
親の笑顔が見たいから、という理由で勉強する子供も多くなっているように思います。それは本当の勉強なのかなと思うのです。
私立の話でなくなってしまいますが、僕は去年、ある都立の中等教育学校の入学式で挨拶をしました。都立の中等学校をつくったというのは、私立の都立版をつくるのではなくて、公立学校の授業料で、中学段階からハイレベルの教育を受けられる場を提供するというのが趣旨です。だから、我々もそれはいいのではないですかということでサポートしているのですけれどもね。
でもそしたら、そこで生徒が「ママ」なんて手を振るような感じでね。親もそれはうれしそうな笑顔ですよ。うまく言えないんですがハイレベルの中等教育が、小学校の延長線上かと。あれはショックでしたね。
これから教育費を負担していく身としては、少なくとも「地元の公立中学は荒れているから、別に教育熱心でもないが、私立に娘を行かせざるを得ない」とか、そういうのだけでも回避したいですね。
遠藤:絶対そこは直していかなければいけません。東京都の公立中学校の一番の間違いは、中学校の学校選択制だと思っています。これは大問題でして、公立の中学校でありながら公平不公平の問題が出てきてしまう。
親は自分の子さえいいと思われるところに通わせればいいと思うかもしれませんが、行けない人はどうすればいいのか。中学校の段階までは地域と密着していなければいけないと思います。
話が変わりますが、奨学金には金融という側面があります。日本銀行ご出身の理事長から見て、金融的な観点から課題などはありますか。
遠藤:私は30年日本銀行に勤めていて、その後、兜町で証券会社の社長などをやっていたのですけれども、基本的に中央銀行の役割というのはインフレ抑制なのです。インフレにするのではなくて、インフレ抑制なのです(笑)。
(笑)。
最も心配なのは金利リスク
遠藤:経済的弱者をより弱者にしないための政策というのが、インフレ抑制です。そういう問題意識でずっと私は日本銀行で働いてきたんです。私を理事長にしたのは、簡単に言えば文科省の人なわけですが、日本銀行出身の私がなぜ引っ張られたかというと、そういう面があるのではないでしょうか。
もちろん実務的な理由もあります。奨学金事業というのは、調達リスク、金利リスク、そうしたリスク想定ができなければいけません。法的な面での債権管理をどうするかというのもあります。少し考えれば当たり前ですが、金融的な枠組みでものを考えることができる人間でないと、なかなかマネジメントできません。これは4年間やってきてよく分かりました。
それでね、私が今心配しているのは金利リスクです。リスク管理はいろいろなシミュレーションをしなければなりません。で、それをこの機構でもやるわけですが、今の低金利情勢というのは異常です。しかしその異常な金利を前提にして、今の2種(利子あり貸与)の金利構造というのはでき上がっています。
それが仮に1%上がったらどうするのか、2%になったらどうするのか。そういうことでやっています。でも、これは仮の話ですが、将来例えば貸与型の奨学金で、返済期間10年、20年で年利5%だとか、6%なんてなったら、貸与型の奨学金はできません。でもできないとなったら、お話ししたように(前回記事)学生も大学も大混乱する。そこまでいくと本当に破綻への道だなという感じですよね。
大げさに言えば国家的なリスク要因だということですか。
遠藤:金利リスクが現実になってしまった場合、何をするかといったら、国家財政で何千億円を投入して、例えば市場金利が6%の時に貸与金利は2%に抑えるとか、そういうふうにしないといけません。当機構にも民間調達がありますから、民間調達金利が6%、7%になったら、その金利差については財政投入すると。奨学金制度を維持するのであれば、そうせざるを得ない。でもそれは、国家財政を圧迫します。そうした問題提起も、私の役割なのです。
優秀層に原資の半分、困窮層に半分
もし仮に、今の事業規模である1兆円超を自由に、もちろん教育の目的でお使いになれるとしたら、どのように使いますか。
遠藤:半分の5000億円は、年収制限を無くした給付型奨学金ですね。成績の上位者に対して、明確なメリットを提供して、学習意欲をかき立てるのです。それを実現するためには統一テストの実現なども必要ですが、ともかく、優秀な人材に適切な教育を与えるために半分を使います。
韓国の学生を見ていると、変な大学へ行くようだったら手に職を付ける専門学校へ行きたいと言うんですよね。あそこもものすごい学歴社会だというイメージがありますが、就職率がものすごく悪いですから、手に職を付けたいというニーズが強いわけです。
日本もそういう意味では、これからの奨学金制度の充実ということで考えると、社会に出てから何を学んだかというのが明確に分かるようなところにもっと奨学金のウエートをかけていくことも必要かもしれません。奨学金は公的な資金が原資ですから、それを有効に生かすという観点からは、考えた方がいいと思います。
で、残りの半分は弱者救済ですね。同じく給付型でやりますが、親の年収が400万円以下だとか、両親がいないだとかそんな子供を対象にします。で、こちらに対しても成績基準はより厳しく持っていきたいと思います。
公的資金を有効に
より投資効率を重視するということですか。
遠藤:現実には、申し上げたように社会インフラとしての役割があります(前回記事)。でも先ほどのご質問は「遠藤さんも(膨れ上がってしまった奨学金という現状から離れて)フェアな白紙状態でやりたいでしょう」という好意的な質問と理解しましたよ(笑)。
本来は国の競争力の付加価値を高めるために、国の税金でやっているわけですから、どこかで効率を考えなければいけません。お金をどう使うのが有効なのかということは考えねばなりません。
その結果として、大学の数が減り大学生も減りますか?
遠藤:それは政治の世界から言ったら、絶対にタブーの世界に入ってしまうのですよ。現実には今55%の進学率で来てしまっている専門学校以上の、いわゆる今の高等教育をどう制度としてきっちりと運営していくかということになってくると思います。
本当に白紙で、別の組織で仕事ができれば一番理想ですよね。しかしながら、現在の日本の奨学金制度を考えれば、この枠組みの中でしっかりマネジメントしないわけにはいきません。
日本では基本的に、教育は個々の家庭の問題と考える傾向があるように感じます。
遠藤:結局は、金をどういうふうに教育部門に投入するか、ということです。全額ではないでしょうが、奨学金が家計を経由して学費に使われることを考えれば、授業料を直接学校に入れるということもあります。それもあるし、僕が提言したいのは、企業のできることとして、返還金の給料天引きです。
企業独自の給付型奨学金制度の充実、創設も有効です。それと同時に当機構に対する協力として、給与天引きができないかと。我々としては延滞がなくなるのがもちろんありがたい。人材は社会の資産であって、教育はそれを支える基礎的な仕組みです。技術的には簡単なはずですし。ここまで広がってしまった奨学金について、もっと家計以外も関わっていいのではないかと思います。
日本に格差はある
それにしても奨学金という1つの切り口から、日本の社会のいろいろな問題点が浮き彫りになる印象があります。
遠藤:今年の初め、年頭の職員向けあいさつで経済学者のトマ・ピケティ氏の話をしました。ピケティというフランスの経済学者がいると。格差の問題をずっと論じている。ピケティの理論がそのまま日本にすぐ当てはまるかどうかは分からないけれども、これから恐らくピケティは日本のマスコミでも相当騒がれるであろうと。
その通りでした(笑)。
遠藤:現実に格差は日本に存在する。存在すればするほど学生支援機構の役割は重要になるということを言いました。そこでもう1つ改めて日本学生支援機構の名前について話したんです。
奨学金は公的サービス
略称の「Jasso」は「Japan Student Service Organization」の頭文字です。でも日本名を直訳すれば、支援機構ですから「サービス」ではなくて「サポート」ではないのかと思いませんか。わざわざ「サービス」にしたのには意味があるんです。名称は設立時に有識者に集まってもらって決めたんですが、有識者というのもすごいんですよ。座長はドナルド・キーンさんでした。
「Student Service」というのには、我々はパブリックサーバント(公僕)であるという認識が込められています。親方日の丸ではなく、公的サービスを提供しているのだと。今日の取材を受けて私も改めて思ったのは、我々のサービスが何を提供しているのかと言えば、記者さんが言われた通り「貧困の連鎖の防止」でもあるわけです。だからこそ、様々な問題が分かるのではないでしょうか。
高等教育がそのまま付加価値への投資になった時代がありました。我々はそれをサポートしていた。しかし時代が移り、サービスの役割も変わってきたのでしょう。
だから先ほどの「1兆円あったら、遠藤さん、どうする」という質問は良かったですね(笑)。日本の将来のために、本当に優秀な学生をより優秀にするインセンティブを与える。それから、親の貧しい人たちを救うためにも使う。パブリックサーバントとしての役割が鮮明になります。
このコラムについて
2000万人の貧困
日本を貧困が蝕んでいる。月に10.2万円未満で生活する人は日本に2000万人超と、後期高齢者よりも多い。これ以上見て見ぬふりを続ければ、国力の衰退を招き、ひいてはあなたの生活も脅かされる。
日経ビジネス3月23日号に掲載した特集には収められなかったエピソードやインタビューを通じて、複雑なこの問題を少しでも多面的に理解していただければ幸いだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150325/279151/?ST=print
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。