01. 2015年3月30日 12:47:41
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http://diamond.jp/articles/-/69221 金融市場異論百出 2015年3月30日 加藤 出 [東短リサーチ代表取締役社長] 市場が混惑する二つの理由 日銀が陥ったワナと陰の標的 「日本銀行の説明はよく分からない」。そう語る市場参加者は国内外において非常に多い。 3月20日で就任から丸2年を迎えた黒田東彦・日本銀行総裁。市場との対話を見直すべき時期に差し掛かっている Photo:REUTERS/アフロ ?昨年10月に日銀は、原油価格の急落が国民のインフレ予想を低下させる恐れがあること、2015年の春闘にとって昨秋は大事な時期だったこと、以上2点の理由から「予防的措置」として追加緩和を決定した。
?現在の原油価格は10月時点より大幅に低い。しかし、黒田東彦総裁は「物価の基調に変化は見られない」としている。そして「2年程度を念頭にできるだけ早期にインフレ率を2%にする」と黒田総裁が宣言してからこの4月で2年が経過するが、現時点で追加緩和は必要ないとの判断を示している。 ?今年の春闘での賃上げ率は昨年を上回るものになる。それは先行き緩やかに物価上昇要因として働くが、その前に、消費者物価指数(生鮮食品を除く)が前年比でこの春にマイナスになり得ることを日銀も認めている。 ?これまで日銀関係者は、消費税引き上げによるインフレ率上昇であっても、「物価が上がるという経験」自体が人々のインフレ予想を押し上げると説明していた。だとすると、インフレ率がマイナスになったらそれが国民のインフレ予想を押し下げる恐れがありそうだが、それは重視されていない。 ?日銀と市場のコミュニケーションは昨年もかなりぎくしゃくしていた。民間エコノミストを対象にした「フォーキャスト調査」によると、昨年1月時点で87%ものエコノミストが日銀は7月までに追加緩和を行うと予想していた。インフレ率を2年で2%にするには追加緩和が必要なことに加えて、2度目の消費税引き上げを政府が決断するには7〜9月のGDPが重要だと考えられていたからだ。 ?しかし、昨年、生産や消費の指標が明確に失速を示し始めても、景気回復はしっかりしており、インフレ予想も上昇を続けていると日銀は主張し続けた。その結果、「日銀は本音では追加緩和を避けたいようだ」と受け止める人が増加し、年内の政策変更予想が大幅に後退した10月末に、日銀は追加緩和を決定した。 ?こうして振り返ると、どうせ追加緩和を行うなら、民間エコノミストが予想していた昨年7月までに決断する方が適切だったのではないかと思えてくる。 ?日銀の行動が読めない理由は、次の二つに集約できるだろう。 ?第一に、今の政策は「期待に働きかける経路」を重視している。皆が「インフレは2%になる」と信じればこの政策は成功するという。このため、経済指標が悪化し始めても、それを認めて率直に表現することができず、「うまくいっている」と言い続けなければならないワナに日銀は陥ってきた。 ?第二に、今の政策には「陰のターゲット」がある。円レートだ。日銀が円安誘導を狙ってきたことは明らかだが、国際社会ではそれを言ってはならない。昨年10月は一段の円安を実現することで輸出企業の収益を向上させ、春闘での賃上げにつなげようとした。 ?一方、今は十分な円安であり、これ以上の円安誘導は弊害もあるため、日銀は当面のところ様子見の姿勢を続けるつもりなのだろう。 「期待に働きかける政策のワナ」と「陰のターゲット」の要因で日銀の説明が分かりにくい状態が続くと、国債市場などが混乱するため危険である。「2年で2%」の「2年」が来る時期でもあり、日銀はここでコミュニケーション政策の整理をいったん行うべきだ。 (東短リサーチ代表取締役社長?加藤 出) http://www.dhbr.net/articles/-/3183 データが語る「失われなかった20年」スイスの研究者が覆す、日本の“常識” 2015年03月30日 琴坂 将広,ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハ,ゲオルグ・ブリント バックナンバー プロフィール 「失われた20年」。バブル崩壊以降、低成長を続ける日本経済は、このようにネガティブに表現されることがほとんどだ。だが、印象的な言葉ばかりが先行した結果、評価されるべき事実を見落としている可能性はないのだろうか。スイスのチューリッヒ大学・東アジア研究所のステファニア・ロッタンティ氏とゲオルグ・ブリント氏は、日本の「失われなかった20年」に着目した。本連載では、立命館大学の琴坂准教授との対話を通して、日本の常識を覆す新たな視座が提供される。連載は全4回。(翻訳協力/我妻佑美) いま、世界は日本経済に注目している 琴坂最近は、海外で日本経済や日本の経営を研究する研究者が減りつつあります。特に若手の研究者ではそれが顕著ではないでしょうか。そのようななかでなぜ、ロッタンティさんとブリントさんは日本経済や日本のビジネスに関心を持つようになったのでしょうか。 ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハ Stefania Lottanti von Mandach チューリッヒ大学 東アジア研究所 研究員 1996年、日本に留学。2000年、チューリッヒ大学日本学科と経営学を卒業したのち、経営コンサルティング会社に就職し、主にスイスとイギリスで活動。2006年、プライベートエクイティ会社に転職して、日本および韓国市場を担当。2010年、博士号を取得。2011年より現職。最近の研究は、日本のプライベートエクイティ市場、労働市場と流通制度を対象。
ロッタンティ1980年代、日本との激しい競争にさらされていたのが、日本に関心を持った最初のきっかけでした。また私自身、遠く離れた異文化の国を探検したいという想いがあり、それが日本への興味と結びついたことも理由の1つです。スイスから見ると日本は東の最果て、遠い異国ですからね。それからは、のめりこむように漢字を勉強しました。日本語の読み書きも学び、気がついてみると、未知のヴェールに包まれていた日本語文献を理解できるようになっていました。 大学卒業後は、日本とは無関係の経営コンサルタント会社に入社しました。しかし、不思議といいますか、驚いたことに、その会社は極めて日本的だったのです。西洋のマネジメント書に叙述されているような、典型的な日本企業の姿と類似していましたね。そこで日本的な経営への関心が再度高まったのを覚えています。 5年後にプライベート・エクイティ・ファンドへ転職してからは、日本語の読み書きができるということもあり、頻繁に日本へ出張する機会に恵まれました。そうしたなか、2010年にチューリッヒ大学に現代日本研究所が設立され、研究者の募集がありましたので応募して、異色ではありましたが、民間企業から大学にカムバックして現在に至ります。 琴坂ブリントさんも、ロッタンティさんと同じように実務経験がありますよね。私がドイツでコンサルタントをしていたときの同僚でもありますが、日本に興味を持ち始めたきっかけはどういったものなのでしょう。 ゲオルグ・ブリント Georg D. Blind チューリッヒ大学 東アジア研究所 研究員 スイスのザンクトガレン大学で経済学修士、フランスのHEC経営大学院で経営学修士を取得したのち、2004年、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。その後、2008年からの1年間、京都大学経営管理大学院で日本学術振興会の外国人特別研究員を務め、2010年より現職。2014年、ドイツのホーエンハイム大学で経済学博士号を取得。主な研究テーマは日本の起業活動、労働市場、経済学方法論。最近の論文に「Decades not lost, but won」(ステファニア・ロッタンティ・フォン・マンダッハと共著)がある。 ブリント大学時代、私は英語もフランス語もこれ以上教室で学んでも得るものが少ないと思いまして、欧州から遠く、勉強のチャレンジになる日本語を学んでみることにしました。その時の先生が、日本語を楽しく学ばせてくれて、とても素晴らしい先生でした。それが出発点だと思います。 在学中には、大阪ドイツ総領事館でのインターンシップをしました。その時の経験から強く感じたことが2つあります。1つは、日本はとても興味深い国で深く研究する価値があるということです。もう1つは、私の日本語が研究資料から情報を読み取るには満足できるレベルではないということでした。そのためもっとこの国を知りたいという気持ちがありながら、学びきれなかったという思いが残りました。 大学卒業後は、ドイツのマッキンゼー・アンド・カンパニーに就職して、数年間やりがいのある仕事に従事しましたが、ふたたびアカデミックな世界へ戻ることを決めました。幸いなことに日本政府の給費を受けられたため、京都大学の客員研究員として1年過ごすことができました。これが日本と経済という私の2つの興味が組み合わさるきっかけになりました。 マッキンゼーからオックスフォード大学に進んだ琴坂さんとは、非常によく似たキャリアだと言えますね。マッキンゼーを出た後に博士号を取得して大学に所属している研究者はあまりいませんよね。 琴坂そうですね、普通とは逆のキャリアパスですよね(笑)。さて、本題に入りましょう。ここからは、日本に対するお二人のお考えを聞かせてください。私がオックスフォード大学に在籍していた当時(2008年〜2013年)、日本企業の経営に関する西洋の関心が大きく低下しているという印象を受けました。この原因についてお二人はどうお考えですか。 ロッタンティバブルがはじけて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だった時代と比べると、日本に対する関心が薄れてきたのは確かです。中国の台頭とタイミングが重なったことも、その理由として挙げられると思います。皮肉なことですが、経営学的視点で見ると、日本企業の成功の源とされていた要因が、いまでは失敗の要因と考えられています。企業文化のあり方、年功序列、企業系列などはその代表例ですよね。 ブリントただ、日本企業に対する関心が薄れても、日本経済そのものに対しては、そこまで顕著な関心の低下は見られなかったと思います。たとえば、デフレ経験など、日本の金融政策はふたたび注目を浴びています。なぜなら、リーマンショックの後遺症によって、西洋諸国も類似の課題に直面し始めているからです。これらの分野では、日本は先駆者的存在になっており、多くの政策当事者や研究者が日本の過去の経験を参照しています。 次のページ 「失われた20年」という評価には疑問が残る 琴坂「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるような、まさに日本が光り輝いていた時代と比較すると、日本に対する見方はネガティヴにもなりました。なかでも「失われた20年」という言葉があり、日本経済はもはや成長も変化もしておらず、20年にも及ぶ停滞期間の中にあるという指摘がありますが、その点はいかがでしょうか。 ロッタンティ「視点」という言葉がキーワードになると考えています。なぜ日本のマネジメント手法が、これほどの短期間で「規範」から「問題ある」モデルへと変容したのか。唯一説明がつくとしたら、それは「失われた20年」という視点が定着したからではないでしょうか。 ブリント私たちは、そこに疑問を持ち、実際の数字と比較検証する必要性を感じたのです。つまり「失われた20年」という表現が象徴する視点が、現実の数字と本当に合致しているのかどうかを確かめてみたかったのです。 「失われた20年」という評価には疑問が残る 琴坂将広(ことさか・まさひろ) 立命館大学経営学部 国際経営学科 准教授 慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学時には、小売・ITの領域において3社を起業、4年間にわたり経営に携わる。 大学卒業後、2004年から、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に在籍。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定のプロジェクトに関わる。ハイテク、消費財、食品、エネルギー、物流、官公庁など多様な事業領域における国際経営の知見を広め、世界60ヵ国・200都市以上を訪れた。 2008年に同社退職後、オックスフォード大学大学院経営学研究科に進学し、2009年に優等修士号(経営研究)を取得。2013年に博士号(経営学)を取得し、同年に現職。専門は国際化戦略。 著書に『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)などがある。 琴坂なるほど。お二人の日本へ対するユニークな「視点」からみてみると、「失われた20年」も異なる解釈ができるかもしれませんね。そもそも「失われた20年」について疑問を抱いたきっかけを教えてください。 ロッタンティブリントさんと私は、ほぼ同時期に、それぞれ独自に「失われた20年」を再考するようになりました。当時、私は日本の雇用システムと雇用ポートフォリオに関する授業を担当していて、正規から非正規雇用へのシフトを、長期的発展を踏まえた数値から裏付けたいと考えていました。しかし、そこで辿りついた結果には正直なところ戸惑いを隠せませんでした。そこで、長期GDP成長率を調べていたブリントさんに、その数値を見てもらうことにしたのです。 ブリントそうでしたね。長期GDP成長率に注目した結果、実はあまり注目されていない事実に気がつきました。それは、過去20年間、欧州の先進国も日本と同様の低成長率を記録しているという事実です。しかし、誰も西洋の先進国の低成長に対して「失われた20年」などと呼んでいませんよね。 琴坂なるほど。日本の過去20年のGDP成長率が、欧米諸国に比較すればそこまで低くないというのは重要なポイントですね。しかし、ではなぜ「失われた20年」という視点が生まれ、今日に至るまで不安を煽る結果になっているのでしょうか。特に日本に帰国してから、私もなぜ日本人が自国経済にこれほどまでに悲観的なのかは疑問に感じています。 ブリントそれは、2つの比較が原因だと考えています。 1つ目は、バブル崩壊以前の日本との比較です。戦後の日本は、荒廃した産業を急速に立て直し、さらに驚異的速度の経済成長でアメリカを初めとする西洋経済圏に追いつきました。その時期と比較すれば、確かに過去20年の経済成長の停滞は著しい成長の継続を予想していた人々にとっては期待はずれだったでしょう。しかし、他国に追いつくまでの経済成長の速度と、追いついた後の経済成長の速度を直接比較するのは適切とは思えません。 2つ目として、これは頻繁に言及されますが、巨大な隣国、つまり中国との比較が挙げられます。しかし、国際貿易構造や一人あたりのGDPを見れば明らかなように、中国は、今現在でも急成長中の新興市場というポジションから抜け出つつある状況に過ぎません。成熟した現代の日本の経済成長速度との比較が適当とは言えないと考えています。 自国の過去や、隣国で起きている事情と比べるのはごく自然なことかもしれませんが、比較対象はもっと慎重に選ぶ必要があります。そうでなければ、間違った解釈が生まれるリスクがあるのです。 琴坂では、GDP成長率を比較する対象として、ふさわしい国はどこだと思いますか。 ブリント日本の場合、特に経済面ではアメリカと比べる傾向が強く見られますが、アメリカは最も不適切な比較対象と言っても過言ではないでしょう。アメリカは極めて自由主義的で、市場志向の強い経済が特徴です。尚且つこの20年間の成長の大部分は移民による人口増加がその要因なのです。 私は、ドイツに目を向けることを勧めます。ドイツは、日本と似た多くの特徴を持つ国と言えるからです。適度な自由主義経済で、近隣国に低コストのアウトソーシングが可能な環境であり、この15年間、移民の動きはあまりありませんでした。さらにこの20年間のドイツの平均GDP成長率は、日本のそれと極めて似ていることは注目すべき点です。 次のページ 「失われた20年」に労働市場は拡大していた 琴坂なるほど。不適切な比較によって、「失われた20年」という観念が後押しされてきた可能性は確かにありますね。ただ一方で、所得格差の広がりや労働市場が抱える諸問題などのように、日本ではそれ以外にも多くの要因を背景として「失われた20年」が議論されています。 ロッタンティその通りだと思います。学術文献を読んでも、あるいは日本人の同僚との会話でも、所得格差の広がりや労働市場の問題に関係するキーワードが幾度となく登場します。例えば、「フリーター」「格差社会」「労働の脱標準化」などです。 よく例に挙げられる、就職難で正社員として内定をもらえない大学院生は、まさしく、そうした苦難の体現者でしょう。職を失った正社員が、非正規の仕事しか見つけられないのもそうです。そのような個々の悲劇は枚挙にいとまがなく、深い悲しみすら覚えます。 しかし、ブリントさんが述べたように、私たちが経済学者としての責任を果たすためには、一歩引いた目線を持ち、様々な数字を分析しなければならないと考えています。私たちはそのようなプロセスを経て、議論すべき別のストーリーがあるという結論に至りました。 議論されて当然だと思われるのですが、日本には、これまでほとんど話題にすらならなかった事実があります。先ほどの「視点」の問題がその原因なのかもしれませんが、はっきりとした理由はまだ明言できません。 「失われた20年」に労働市場は拡大していた 琴坂興味深いですね。数値のような動かしようのない事実で議論を進めるのは、最もパワフルな方法だと思います。具体的には、どのような数値が見つかったのでしょうか。 ブリント私たちが今回分析した雇用に関する数値をご覧いただき、各自で判断してほしいところではありますが、まずは主要な分析結果を見ていきましょう。 ロッタンティこの図表は、この20年間のいわゆる非正規雇用の増加を示しています。非正規雇用率の増加は、私たちの予想した通りでした。ところが、その絶対数を確認したところ、非正規雇用の総計数が増加しているだけではなく、わずかな増加ではありますが、正規雇用の数も同様に増えていることが判明したのです。 写真を拡大 ブリントこれには大変驚かされました。日本では1995年以降、15〜64歳の人口が縮小し続けているので、就業ポスト数も当然減少していると予想していたからです。ところが、実際には正規雇用の数は減少していません。これは日本企業が正規雇用を「失われた20年」の間に増やし続けてきたということです。 ロッタンティさらに日本の企業は、この間非正規の社員を大幅に増やしました。約10万人の正規雇用と840万人の非正規雇用が新たに生まれたのです。 琴坂つまり、非正規雇用の比率が増加しているのは、正規雇用の数が減っているからではなく、非正規の雇用が大量に生まれたからということですね。しかし日本では、業務のアウトソーシングや産業構造改革の進行により、正規雇用が非正規雇用に取って代わられたという理解の方が一般的かと思いますが、その点はいかがでしょうか。 ロッタンティそういった事例はもちろん存在すると思います。もちろんこの数字は非正規雇用へのシフトを否定するものではありません。事実、いくつかの産業では、正規雇用から非正規雇用へのシフトがより顕著に現れているという研究結果もあります。 ブリントしかし、この数字が示すように、日本経済全体で捉えた場合、正規雇用が非正規雇用に取って代わられたというのは適切ではありません。多くの欧州諸国はこのような結果を喉から手がでるほど欲しいと感じるはずです。欧州の政治家であれば、これを人口減少社会における「驚くべき労働市場の拡大」と謳って大成功例として掲げるはずです。「失われた20年」というレッテルを貼ることなどとても考えられません。 スイスには正社員が存在しない 琴坂なるほど、おそらく正規雇用から非正規雇用へのシフトというのは一部の産業の議論で、日本経済全体で見れば正規雇用も非正規雇用も共に絶対数で拡大しており、とても「失われた20年」とはいえないという視点ですね。ちなみに、お二人が暮らすスイスではどのような状況ですか。高度に発展した小さな開放経済というイメージがありますが。 ブリントスイス労働法は、イギリスと並んで欧州で最もリベラルな法律です。基本的には、全員が非正社員であり、その契約は特別な条件なしでいつでも終了できます。つまり正社員が存在しません。正社員が存在しないので、正規と非正規の対立も起きようがありませんね(笑)。 ロッタンティ失業率がわずか3%ですから、そのシステムも悪い解決策とは言えないでしょうね。実際、非正規雇用とはいえ、多くの人がかなり頻繁に職を変えていくような不安定な状況ではありません。 また、スイスと日本の重要な違いは、スイスではすべての雇用において、会社と労働者が社会保険料を分担する義務が生じるということかと思います。日本の場合、非正規雇用に対する会社と労働者の社会保険料の適用は、一定の要件を満たした場合に限られるため負担が低く、それが雇用者が非正規雇用を選ぶインセンティブにもなっているかもしれません。 少なくとも、日本の人々が、世界で何が起こっているのかを客観的に理解するために、海外と正しい比較をすることは助けになると思います。 琴坂視点を相対数から絶対数へ変えることで新しい発見があるという指摘は、とても興味深いですね。またこうした議論をする際に、他国との比較を取り上げるという方法はとても新鮮でした。お二人の主張は、多くの日本人が抱える不安や懸念とまだ違いがあるように感じます。次回以降、その点を中心に議論したいと思います。 次回更新は、4月6日(月)を予定。
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