近い将来、日本が少子高齢化社会になることはもはや逃れることのできない差し迫った現実であり、従来のような活力の向上が困難であろうことは誰にでも推測できる。
しかし、未曾有の大災害や戦争に巻き込まれない限り、いきなり日本の人口が激減して暗黒の世になるわけではない。
今生きている我々は古来、営々と築かれてきた素晴らしい日本の伝統と文化の灯火を受け継ぎ、益々明るくするか少なくとも持続するための工夫と努力が必要である。
今に生きる我々が「少子高齢化社会」の所為にして手を拱(こまぬ)き、この日本を取り返しのつかない虚弱な国家にしてしまう様な愚を犯してはならないと思う。
世界史にみる帝国の栄枯盛衰
歴史を紐解くと(私は限られた歴史書を断片的に読んだだけなのでこのように大見栄切って語る資格はないが、素人の感触からすると)カルタゴ、ローマ、ベネチアなど数え切れない多くの国々が繁栄を極めていたにもかかわらず、やがて衰亡あるいは消滅してしまった。
それらの原因は、荒っぽく言えば大きな歴史のうねりの節目で国家基盤を揺るがす歪への対応が後手・後手に回り、あるいは手を拱いて躊躇し、重大な現状の問題点を先送りしている間に修復不可能な領域に落ち込んでしまい、国家の生命力を喪ったのだろうと思う。
そこで、これらの国々の興亡から得られる教訓から日本の現状を分析し、今後生き延びて行くヒントを見出すきっかけとして、簡単におさらいしてみたい。
紀元前3世紀頃、北アフリカのカルタゴは商業都市として繁栄していた。同国の有能なハンニバル将軍率いるカルタゴ軍はイベリア半島からアルプスを越えて象の軍隊でローマを攻撃し壊滅的な打撃を与えたが、結果的にローマを攻め滅ぼすことができなかった。
その後ハンニバル将軍は長年イタリア半島南部を占領し、同地に自給自足の拠点を構築してカルタゴ本国の支援を待ってローマ侵攻の機会を窺(うかが)った。しかし、本国は積極的に支援しなかったため攻略を諦め北アフリカに引き揚げた。
そして逆にカルタゴ本国はローマ軍に攻められ、あえなく歴史から消滅してしまう。
ローマ帝国は小さなポリスから発展した。ハンニバルの攻撃に惨敗したが、市民は一致結束し危機に耐えて力をつけ、逆にカルタゴ本国の攻略に成功した。その後は次第に偉大な大帝国へと発展する。
帝国興隆の初期にはローマ市民自ら政治に積極的に参加し、あるいは幼少の頃から勇敢な兵士として鍛えられローマの安全保障と繁栄に貢献した。その気風は質実剛健であった。
中期には法制度が整い、軍事力が強化され、建築・土木技術・芸術など黄金の文化が花開き「世界の道はローマに通ずる」と言われる大帝国へと発展した。
しかし、爛熟した後期になるとローマ市民に市民としての誇りや責任感が喪失し、兵役を逃れ苦しい僻地での戦いには傭兵を多用した。
一方、市民は中央で遊興に明け暮れ、贅沢になり、収賄・脱税が横行、国家財政が破綻したうえ、手柄を立てた傭兵の台頭によって中央政権が乗っ取られ、市民のモラル低下と腐敗体質に歯止めがかからなくなって長く続いた豪華絢爛たるローマ帝国も衰亡してしまった。
次に地中海世界で名を挙げたのがベネチアである。ベネチアはカルタゴや現在の日本のような商業国であり、地中海貿易の要衝として栄えた。
当初はイタリア半島アドリア海沿岸に居留した民であった。折からモンゴル系フン族に追われたゲルマン民族の大移動に圧迫され、彼らの襲撃を受けるとラグーナ(湿地)に点在する小島に一時退避していたが、次第にラグーナを埋め立てて街を構築し、定住する。
このアドリア海に浮かぶ埋め立て都市は防衛のみならず、海運に便利であるうえ、地中海の要衝でもあったため、瞬く間に繁栄することとなる。
一方、貿易が盛んになるとその富を収奪しようと海賊が横行する。そのため、ベネチアはカルタゴと違って強力な海軍力を擁し、商船の護衛を強化した。
ベネチアは歴史上、海運・商業・軍事への貢献が大きい。例えば従来は小型木造船しか製造できなかった船にキールを採用した大型船の造船技術を発明し、現在の船の基本構造となっている。
その他銀行業、手工業が発展し、製鉄・冶金・宝石工芸品・ガラス工芸など近代技術の基礎が多く発明された。
しかし、この地中海における通商のハブとなったベネチア経由の貿易には多額の税金が課せられ、その回避が他国貿易業者の焦眉の急であった。
皮肉なことに、ベネチアが開発したキール式造船技術によって、従来にない大型船の開発が可能となったことがベネチア繁栄の歴史を大きく傾けた。
そして遂にポルトガルの冒険家バスコ・ダ・ガマがそのキール式大型船に乗り、喜望峰航路を開拓したことで、大量・安価に輸送できる喜望峰回りの東洋貿易ルートが確立したため、従来ハブ機能を果たしていたベネチア経由の貿易が衰退してしまった。
これら歴史上繁栄を極めた国々の衰亡の足跡を辿ると、国家繁栄の根幹をなす基盤に変化が顕在化しているにもかかわらず(既得権益を持つ先見性のない有力者の抵抗に抗しきれず)当時の為政者をはじめ国民がその問題点を先送りして「今までうまくことが進んでいたのだから、しばらく様子を見よう」とするか、最悪なのは「現状維持」と言い逃れして大切な機会を逃してしまうことであると思う。
今まで順調に進んでいたことが急に失速を始めたとき、リーダーはその原因を解明し、その改善・改革には蛮勇とも言える決断と実行力が不可欠である。
日本が直面している問題点
さて、前述した特徴的な国家の興亡を見た時、今日本が直面している大きな変化は主に次の3点が挙げられるだろう。
(1)日本が人類史上、類を見ない少子高齢化社会に突入していること
(2)近隣国の急激な軍事力増大と我が国への恫喝が顕在化していること
(3)技術・情報・物資・民族の流動化が激しくなって多様な価値観を持つ国民の声に流され(選挙を意識して長期的洞察からすればより重要なことも蔑ろにして)確固たる信念と勇気に欠けるリーダーが多く、政治・経済が世界的に不安的化していること
(2)と(3)はともに今の日本を取り巻く安全保障上、非常に不穏な状況を呈しており、その危険が現実に生起した時、リーダーは「前例のないことじゃから・・・!」や「想定外の出来事だ・・・!」など惚けたことを言っている暇はない。
日本が今日のように平和と繁栄を享受して来たのは先達の叡知と努力の賜物であることは論を俟たないが、さらに幸運にも四周を軍事面で障害となる海に囲まれていることと有能で勤勉な労働力が豊富であったことだ。
科学技術の発達によって、海を越える手段が多岐・大量かつ高速になって、軍事力の発揮は容易になったとは言えるが、我が国の四周を囲んでいる海は今でもやはり大きな防壁となっており、日本の防衛上は有利である。
(2)と(3)の項目は多くの論客が深く洞察されて素晴らしい説が巷に溢れており、筆者も関連する拙文を書いているので、本論では(1)に重点をおいて論考を試みたい。
少子高齢化社会を克服する日本社会の再構築
まず、日本の人口構成の推移を見てみよう。右に1950年から50年間隔の日本人口ピラミッドを示した。
この図からここでは労働力人口を20歳から65歳と仮定して抽出し、それ以下の年齢を未就労人口、それ以上を高齢者人口とするとその各構成ゾーンの人口は、図2の労働力人口と被扶養者人口の推移の通りである(次ページ)。
この図から分かるように、1950年頃には未就労人口は多かったが、高齢者人口は非常に少ない。しかし、1950年に比べると2000年の労働力人口が2倍に増加している一方、高齢者人口は約5倍になっている。
さらに2050年の予想を見ると、労働力人口が2000年の6割に減少し高齢者人口が約2倍(1950年の実に12倍)近く増加している。また、未就労人口は1950年から半分以下、2000年からは3分の2以下に減少している。
ここに紹介した50年ごとの人口構成を大雑把に見ると、日本が今後50年ほどの間の大きな問題は高齢者人口の急激な増加にあると言えよう。
この図2から2050年には労働力人口1人分で1人の高齢者と0.5人の未就労者を支えなければならないことが分かる。その中身を少し考えてみる。
若い未就労者は一般的に学費や生活費は必要ではあるが、1950年当時(高学歴社会でなく、教育費も低かった)と比べても出費上に極端な変化はない。そして、その年代ゾーンの人は若くて健康上も安定しているので医療費は少なくて済む。
一方、高齢者人口は極端に増加しているうえ、何よりも健康上問題を抱える人が多く、医療・介護に多額の費用と関係施設・人材が必要であり、国家の重大な懸案事項となっている。
この問題を改善するため、余裕有る女性の職場進出に加え高齢者と定義する人口を減らして労働力人口を増やすことを提案したい。
「高齢者と定義する人口を減らす」などと書くと暴論と非難されるかもしれないが、1つの方法として労働力人口を前期高齢者65〜75歳も労働力人口に加えて20歳〜75歳に引き上げること(図2に示した2050年Aのグラフ参照)だ。
単に定義年齢を10歳引き上げるだけであるが、このことによって多くの高齢者の気持ちは若返り、自分で出来る仕事を見つけ毎日前向きに生きる姿勢が出てくるのではないかと期待する。
また、1950年当時と違い国民の栄養状態や住環境も改善されているので可能だと思う。
国家としてもこの高齢者の労働力活用のための支援をすると、彼らが稼ぐことで税収に貢献するだけでなく、マインドが向上して病気も少なくなり、結果として財政を圧迫する医療費軽減にもつながっていくと思う。
さらに、昨今は各種職場で機械化・自動化・知能化が進み、半世紀前には若くて強靱な肉体でなければ就労出来なかった労働・作業にも機械が広範な援助をしてくれる。
過疎地対策
次の問題点として地方の農山漁村の人口が減少、特に若年層が激減して義務教育が成り立たなくなるとともに取り残された老人の生活基盤も崩壊しつつあることが挙げられよう。
過疎地においては、宅地が広域に分散し、通学路は遠く、就学児童も極端に少なくなっているため、子供を育てようと望んでも、義務教育を受けるためのハードルが高く、加えて収入源となる労働需要が極めて限定される二重苦となっている。
さらに、高齢者の状況を見ると一人暮らしの比率が高く、生活必需品の調達や医療機関への通院さえままならない状況もある。このように生活が成り立ち難い状況では、人口流出に歯止めがかからないのは当たり前である。
極端な過疎地は(少し厳しい言い方になるが)1950年以前の△型人口ピラミッド時代の主に第1次産業対応型集落が主で現在の各種社会システムとの不整合が生じており、人体に例えるなら、骨肉が痩せ細ったうえ、血流も滞って壊死状態に近づいていくようなものである。
この状態は政府も当然認識していて、それ救うために地方への多額の支援をしていることはよく承知している。しかし、その効果は対処療法的であり、限界を越えているのではないか? まして将来を見ると成り立たないのではないかと思う。
これを回復するには居住環境を大胆にスクラップアンドビルドする抜本的改革の必要性があると思う。すなわち、広域に分散した過疎を改めて新街区(クラスタータウン)の構築が不可欠だと思う。
私事で申し訳ないが、私が幼少の時代は団塊世代初期のため、小さな村でも小中学校の教室には児童が溢れていた。私は昭和21年生まれで1学級26人であったが、1年下の下級生からは毎年約50人規模に膨らんだと記憶している。
その小さな村に4つの小学校と3つの中学校があった。従って村全体の小中学校の児童・生徒数は合計約1000人程度だったと思う。この程度の児童数が集まれば学習・体育・遊び・郊外活動など義務教育を行う学校としての機能は成り立ち活気も出てくると思う。私はこのような長閑な山村で幼少期を過ごしていた。
しかし、最近送られてきた村の便りによると、村全体の小中学校の児童・生徒数は(平成14年当時)167人とのことである。私が住んでいた頃の村の人口は約5000人であったが、今は若者の流出と高齢化が進み村民全体で(1950年頃の約半数の)2500人くらいである。当然小学校・中学校は各々1校に統廃合されている。
さらに、この現状を子細に見ると小さな児童が遠い村外れから登校するのは容易ではない。昔はせいぜい2キロ以内で全員徒歩通学であったが、統廃合されると6〜8キロも離れた場所から通学することになり通学バスがいる。台風や大雪などの荒天、夕方遅くなって暗くなると遠路通学は危険でもある。
このような環境の中で若い人たちに子供を育て、将来への夢や希望が薄れていくのは致し方ない現実だ。
この問題点を改善するため何よりも重要な「日本人育成」のため、全国津々浦々まで質の高い義務教育の充実をいかに図るかが緊要であると思う。すなわち、親が安心して子供を通学させられる良い環境を構築する必要がある。
そのため、現在広域に分散している過疎地を長期計画で新街区に改造してはどうかと思う。少なくとも5000人程度の町村住民の居住区を役所・学校・病院等公共施設を中心に“その地域の安全で住み心地の良い場所を選んで”半径約2〜3キロ以内に集約し、田畑・山林・漁港など遠方への仕事には車で往復する。
言わば局所的に人口密度を上げることでコミュニティを活性化するわけである。
図1から2050年頃の人口ピラミッドから義務教育修学人数は概ね8%程度であるから、5000人の町村では400人程度の児童生徒数が見込めるのではないか?
それによって、役所・学校・病院・商店等々へのアクセスも容易で児童生徒や高齢者のみならずすべての住民が自分の故郷で安心して暮らせるのではないかと思う。また、人が集まれば新たな事業も展開できインフラ整備も容易である。
これは私の生まれた故郷の過去と現在をイメージしての思いつきであるが、何かほかにも良い方法があれば、日本の政治経済に活力がある今の内に次世代への計画立案と投資を大胆に行うべきだと思う。
加えて高齢者対策上、改善すべき着目点の1つは「寝たきり老人」になる確率が加齢と共に増加することだ。
この「寝たきり老人」の増加は国家としての財政負担が大きくなるのはもちろんだが、何よりも本人にとって残り少ない人生を「寝たきり」のまま閉じる不幸は余りにも残酷だと思う。
私自身その圏内に入っているので他人事ではない。私は将来、例え一時「寝たきり」となっても再起して限定された病院や自宅内の狭い空間であっても自分の意志による行動領域を確保して「生き甲斐」と「費用負担の軽減」の一石二鳥を追求したいと思う。
最近は車椅子や介護ロボットなど便利な器材がいろいろあるが、自力歩行を回復させる概念が見あたらない。
そこで、天井に走行レールを施して、要介護者を天井から吊って該当者の脚力の不足を補うと共に病室のベッドからトイレ、風呂、リハビリ室、治療室、外出用車椅子置き場などに独力で移動できるシステムを構築すればどうか?と考えている。
この方法によれば、体重の支持点が重心より上部に有るため歩行に際して転倒を防止でき、目的地へはリモコンによって天井レールのポイントを切り替えていけるし、点滴器具なども吊下げ可能で同行持参でき安全である。
この方法は、器材の屋内床面の設置スペースも省け、高度な技術を駆使した高額な装置ではない事も魅力だと自画自賛している。そして高齢者は『負担を強いられる』と考えるのではなく、「自助努力で豊かな老後を勝ち取る」と考えるべきだと思う。
(参照:歩行補助及びリハビリ用介護システムH14.5.1公開特許:篠田)
まとめ
国家にとって危機管理ができない人物がトップの座につくことの不幸は計りしれない。
20年前の1月17日、阪神淡路大震災が発生、甚大な被害をもたらした。その時、総理大臣の対応の不手際が問われたが「なにせ初めてのことじゃけん・・?」とかの迷言はあまりにも有名で日本民族として世界に大恥をかいた。
また、4年前の3月11日には東日本大震災が発生、福島原子力発電所の壊滅的な打撃も加わって、阪神淡路大震災を上回る未曾有の大災害となったが、この時の総理大臣も「想定外の震災だ!」とか言ったと伝え聞いている。
言っちゃ悪いが、総理たるスーパーマンは国家が非常の時、日本国のすべての責任を最終的に支える人物として存在している。
日本国にとって深刻かつ重大な事案すべてが「初めてのこと」であり「想定外」の連続であって、有能な部下でさえ右往左往する事態に至ったとしても、総理は混沌とした状況の中にあって少ない情報で至短時間内に考えを纏め、判断し、決心し、最適と思う当面の処置を下して、それに敢然と立ち向かい国家と国民をいかなる危険からも守らなければならない。
短時間での判断にはミスもあろうが、情報が集まり次第、適度な結節でより良い方向へと修正を加えてゆくのは当然のことである。
私ごとき凡庸な一国民でさえこの時発した一言はスーパーマンたる総理が絶対に口にすべきことでないと心得ていた。それにもかかわらず軽く口にしたのである・・・まさに「失望した!」の一言であった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43266
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