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図1:半導体出荷高の地域別シェアと半導体業界誌の休廃刊
日本半導体、過去の繁栄から世界最下位へ没落 日本から半導体業界誌が消滅する意味
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150326-00010005-bjournal-bus_all
Business Journal 3月26日(木)6時2分配信
●「Electronic Journal」の廃刊
国内で紙媒体の半導体業界誌として唯一存続していた「Electronic Journal」(電子ジャーナル)が3月号を最後に廃刊となる。これとともに、出版元の電子ジャーナルは書籍販売やセミナーなど全事業を廃業するという。筆者はこのニュースに大きな衝撃を受けた。2008年10月以降、連載を続けてきた雑誌であり、特別な思い入れがあったからだ。
08年9月にリーマン・ショックが起きた。その頃、筆者はベンチャーを立ち上げようとしていたのだが、スポンサーが一斉に手を引いてしまったため、あっという間に無職無給に陥った。進退窮まり、電子ジャーナル代表取締役・編集長の木浦成俊氏に「何か仕事をさせてほしい」と懇願し、同誌への寄稿という仕事をもらうことができたのである。筆者にとっては初めての「毎月連載」であり、当時は「唯一の仕事」でもあったので、相当な決意で執筆に取り組んだ。
その後、09年11月から「JBpress」(日本ビジネスプレス)、10年11月から伊勢新聞の『半導体漫遊記』、10年12月から「WEB RONZA」(朝日新聞社)、12年1月からメールマガジン、14年2月から「日経テクノロジーOnline」(日経BP社)の『大喜利』、そして15年1月から本連載と、次々と執筆依頼を受け、連載を掛け持ちするようになったが、それには「Electronic Journal」の連載を続けてきた実績が大きな糧となっている。
筆者の執筆する記事の中では、同誌が最も半導体の専門的な内容である。そのような内容について書くためには、最先端技術および業界動向をフォローしていなければならない。企業に属さないフリーのコンサルタント&ライターなので、かなり努力が必要だった。そのため、必要な情報を収集すること、そして同誌記事を書くということは、次第に仕事の中心線になっていったように思う。その同誌の廃刊は、筆者にとってどれほどインパクトが大きいことか、おわかりいただけるだろうか。
●半導体業界誌の消滅
次に、日本半導体業界にとっての同誌廃刊の意味を考えてみる。日本にはかつて4つの半導体業界誌が存在したが、その動向を日本の半導体出荷高シェアとともに見てみよう(以下図)。
※詳細図表は本文冒頭の【詳細図表はこちら】リンクを参照
日本半導体の世界シェアは1970年から80年にかけて増大し、86年には米国を抜き、88年には世界シェア50%を超えて黄金時代を迎える。しかし、その後日本のシェアは減少に転じ、95年には米国に逆転され、10年にはアジアにも抜かれ、直近の14年には11.2%にまで落ち込む。このままシェア低下が続くと、欧州にも抜かれて最下位になるかもしれない。
この日本半導体シェアに、4つの半導体業界誌の創刊と休廃刊を書き加えてみると、業界誌の運命は日本半導体産業の盛衰と軌を一にしていることが読み取れる。
半導体業界誌として最も有名だったのは、85年に創刊した「日経マイクロデバイス」(日経BP社)であろう。しかし、10年1月号をもって休刊となった。82年に創刊した「Semiconductor World」(プレスジャーナル)は、途中「Semiconductor FPD World」に名称を変えたが、10年3月に刊行終了となった。90年から産業タイムズ社が隔週で発行していた「半導体産業新聞」は、15年1月から名称を変えて「電子デバイス産業新聞」となり、名称から「半導体」が消えてしまった。
そして「Electronic Journal」も3月で廃刊になることが決まり、日本から紙媒体の半導体業界誌や新聞がすべて消滅する。つまり、半導体業界誌は、日本半導体産業の凋落とともに、消えていくことになってしまった。
ちなみに補足すると、10年1月で休刊となった「日経マイクロデバイス」の内容は、隔週発行の「日経エレクトロニクス」が引き継ぐとしていた。しかし、半導体の記事が散発的になった感は否めなかった。さらに「日経エレクトロニクス」は、15年2月から隔週ではなく月刊になる。これも日本の電機業界の衰退の影響を受けているといえるだろう。
●紙離れも業界誌消滅に拍車をかけた
半導体業界誌の消滅の背後には、このように日本半導体産業の凋落があるが、もう一つ、「紙離れ」という要因もある。図2に、日本の出版販売額と出版社数の推移を示す。日本の高度経済成長とともに、出版販売額も右肩上がりに成長してきた。ところが、96年に2.66兆円でピークアウトすると、その後は急速に低下する。出版社数もほぼ同じ時期の97年に4612社でピークアウトし、減少に転じる。つまり、97年以降、出版社が次々と倒産していくのである。
※詳細図表は本文冒頭の【詳細図表はこちら】リンクを参照
半導体業界誌の相次ぐ休廃刊は、この出版不況の流れの中で起きた出来事と捉えることができる。つまり、日本半導体産業は88年をピークに凋落し続け、出版業界は96年以降かつて経験したことのない不況に突入した結果、このダブルパンチに見舞われて、半導体業界誌は休廃刊を余儀なくされたといえる。
●出版不況の原因
少し話はそれるが、出版不況の原因についてここで考察しておきたい。問題は、なぜ出版業界が96〜97年にピークアウトしたかということである。新聞や雑誌等では、80年代から90年代にかけては、「テレビ等の各種メディアのせいで若者の活字離れが進んだ」「(高齢者を除く)日本の人口減少が原因だ」などの意見が取り沙汰されていた。
筆者は、これらの意見に賛同できない。少なくとも96年までは出版販売額が単調増加しているのである。この途中過程で「活字離れが進んでいる」とする根拠はない。
また、図3を見ると、80年以降、カラーテレビの世帯普及率は99%を超えている。したがって、テレビが出版不況の原因となったということも考えにくい。では、真の原因は何か。96〜97年頃に何が起きたのか。
※詳細図表は本文冒頭の【詳細図表はこちら】リンクを参照
再び図3を見ると、97年に携帯電話の普及率が40%を超える。また、PCおよびインターネットの普及率は、それぞれ30%および7%にすぎないが、その後どちらも急速に拡大していく。この背後には、95年に「Windows 95」が発売されたこと、96年に「Yahoo! JAPAN」がサービスインしたこと、99年にNTTドコモの「i-modeサービス」が始まったことなどがある。つまり、これまで紙の書籍や雑誌に頼っていた情報源が、携帯電話やインターネットなどの電子媒体に移行していった。この影響が顕著に表れ始めたのが、96〜97年であったのだろう。
このように、情報源が紙媒体から電子媒体に移行するパラダイム・シフトが起きた。にもかかわらず、96年まで右肩上がりに成長してきた日本出版業界は、電子出版への対応が遅れ、そのパラダイム・シフトに対応できなかった。これが出版不況を招いた最大の原因である。
●半導体産業と業界誌の行方
日本の半導体産業は凋落の一途をたどっているが、世界全体では、半導体産業は成長を続けている(図4)。その成長過程は3つの時代に分けられる。
※詳細図表は本文冒頭の【詳細図表はこちら】リンクを参照
(1)日米欧など先進国が牽引し、年率10〜15%で成長してきた95年までの時代。
(2)Windows 95の発売とともに、成長にブレーキがかかった95〜2000年までの時代。
(3)アジアの新興諸国が急成長し、再び、年率5〜7%で成長を始めた01年以降の時代。
新興諸国を中心とした経済発展とともに、今後も世界半導体市場は成長を続けるだろう。その過程で新たな技術が次々と登場し、また企業の統廃合なども起きるに違いない。このような最先端技術や業界動向の情報を伝えるために、業界誌の存在は欠かせない。しかしその媒体は、紙ではなくネットになった。ライターである筆者も、このパラダイム・シフトに駆逐されないように対応していかねばならない。
(文=湯之上隆/微細加工研究所所長)
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