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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第118回 東日本大震災から4年が過ぎ…
http://wjn.jp/article/detail/7511755/
週刊実話 2015年4月2日 特大号
2015年3月11日、1万5891名の方が亡くなり、2584名の方が行方不明のままである東日本大震災から、4年の歳月が過ぎた。
今年2月時点でも、いまだに22万9000人の方々が、不自由な避難生活を余儀なくされている。
自力で住宅を再建できない被災者のために建設される「災害公営住宅」は、2万9900戸余りの計画に対し、今年1月末現在、完成は5582戸。まだ19%しか完成していない。
また、日本政府は岩手、宮城、福島の三県で、計573カ所の防潮堤を建設することを計画している。
本稿執筆時点では、完成が8%、建設中が55%である。すなわち、37%が未着工なのだ。
筆者は先日、仙台を訪問し、東北建設業協会連合会主催《がんばろう!東北 東日本大震災の教訓を生かそう「東北からのメッセージ」》において、講演の講師を務めさせて頂いた。
講演後の懇親会で、多くの地元の土木・建設業の経営者とお話しさせて頂いたのだが、確かに人手不足は人手不足であった。とはいえ、最大の問題は「人手がいない」ではなく、「事業にムラがあること」である。
その一つ目は、短期的な「ムラ」だ。1年という短期で見ても、復興関連事業のムラが激しく、一つの事業が終了した時点で、下手をすると“人余り”になってしまう状況とのことである。
結果、企業は思い切って人手を増員することができない。
事業を発注する自治体側も、土木・建設企業側の「仕事が途切れない形」で、計画を構築、推進していく必要があると考える。こと「東北復興」に関しては、指名競争入札はもちろんのこと「談合」を認めても構わないのではないか。
現在の東北において重要なのは、公共事業の「効率化」でも「予算削減」でもなく、「早期の復興」だ。
自治体側と業者側が“相談”した上で、仕事がしばらくは途切れない形でリソースを割り振るのである。そうすることで、復興事業の需要と供給能力のバランスが最適化され、人手不足は相当に解消するだろう。
また、二つ目は長期的な「ムラ」だ。
現在は、災害公営住宅や防潮堤建設の仕事が多い。つまりは「需要>供給能力」のインフレギャップ状態になっているが、やはり「復興事業が終わった後」を心配する経営者が少なくないのである。
本来、本問題を解決するための「国土強靭化」であるはずなのだが、安倍晋三政権が強靭化政策に熱心であるとは到底思えない。何しろ、別に安倍政権によって公共事業費が増やされたという状況ではないのだ。
日本の公共事業費は'98年に約15兆円でピークを打ち、その後は容赦なく削減されてきた。2011年には実に5.3兆円にまで縮小してしまったのだが、翌'12年は復興事業もあったことで、7兆円に回復した。
ところが、2012年に発足した安倍政権は、'13年、'14年と公共事業費を別に大々的に増やしたわけではないのだ。公共事業費が安定的に増えていく状況にならなければ、事業者側が「将来不安」を持ち、本格的な人材雇用には乗り出さないだろう。
復興事業や東京五輪という「需要」が終了した後も、ある程度は事業が「安定的に増えていく」計画を政府が示さない限り、本格的な土木・建設事業の供給能力の回復は難しい。
特に、若年層の業界への参入を促し、現役世代の技能を継承しなければ、我が国は将来、土木・建設の供給能力が不足する“発展途上国”と化してしまう。
自然災害大国において、土木・建設サービスを「自国企業、自国人材では供給できない」状況になるなど、まさに亡国の道である。
日本国民は東日本大震災から4年が過ぎたにもかかわらず、いまだ復興が果たされていない今日、改めて「安全保障」「防災」「自然災害大国、日本」といったキーワードについて考えなければならない。
東日本大震災は、日本国を「人間」に喩えると、片腕を骨折したようなものであった。まだ復興が成し遂げられていない現状について、我々国民は、
「ギプスを付けたままの状態」
であると認識しなければならないのだ。
我が国は、一部の地域の衰退を放置しておいて構わない国ではない。繰り返しになるが、世界屈指の自然災害大国なのである。
筆者は東京都民だが、東京圏は首都直下型地震という脅威に晒されている。いざ、首都直下型地震が起きた際、首都圏の住人は、今度は「復興した東北の日本国民」に助けてもらわなければならないのだ。
そのためには、東北地方に十分な経済力が蓄積されていなければならない。ここでいう経済力とは、おカネの話ではなく、モノやサービスの供給能力という意味である。
東北地方に土木や建設の供給能力が存在していなければ、どれだけ東北の人々に「東京圏の被災地を助けたい」という気持ちがあったとしても、どうにもならない。
無論、話は何も東京圏とは限らない。大規模自然災害という非常事態が発生した際に、国民が「互いに助け合う」ことがなければ、この厳しい日本列島でわれわれ国民は生き延びることが不可能なのである。
この「国民が互いに助け合う気持ち」こそが、真の意味における「ナショナリズム」であると、筆者は信じている。
三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。
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