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失業率が改善したのは、アベノミクスのおかげではない(写真:JIRI / Imasia)
アベノミクスで、失業率は低下していない 日本経済の構造変化を無視する「リフレ派」
http://toyokeizai.net/articles/-/61990
2015年03月02日 中原 圭介:経営コンサルタント、経済アナリスト 東洋経済
前回のコラム「なぜ日本は『米国の失敗』をまねるのかhttp://toyokeizai.net/articles/-/61349」の続編として、今回は、リフレ政策を支持する人々が強弁する「アベノミクスによって失業率が低下した」という見解が、いかに間違った見解であるのかを説明したいと思います。
■リフレ派は日本経済や社会の構造変化を故意に無視
リフレを支持する経済識者たちが、「アベノミクスの効果」としてこのようなことを言い出した当初、私は「アベノミクスの失敗を覆い隠すために、故意にそのような風説を言っているのだろう。まさか本気でそのようなことを言っているわけがない」と思っていました。そう思ったくらい滑稽な見解であったので、信じる人々も少ないだろうと考えていたのです。
ところが、リフレを支持する経済識者たちがメディアを通してこういった認識を広めた結果、それを信じている人々が少なからずいるということには、非常に驚いているところです。初めてこの連載で皮肉を言わせていただくと、まさに「風説を言ってでも、人々を信じさせたい」というリフレを支持する経済識者たちの「期待」が、まったく違う次元で半ばながら達成されたわけです。
彼らが「自説の誤り」を認めたくないために、確信的にそう言っているだけなら害は少ないのですが、それを信じる人々が少なからずいるという現状に至っては、日本の未来にとって笑って済ませられないことになってしまいます。国の経済政策が間違った方向に突き進んで行っても、一向に修正されなくなる可能性が高まってしまうからです。
「アベノミクスによって失業率が低下した」というデタラメな意見が言えるのは、日本経済や日本社会の基本的な構造変化を故意に無視しているからに他なりません。経済識者としては、それくらい矜持がない意見を言っているのです。
なぜなら、失業率の低下や有効求人倍率の上昇の背景には、少子高齢化に伴う労働力人口の減少という、誰もが知っている事実がはっきりと横たわっているからです。
■日本の労働力人口は減少、人手不足は当たり前
日本の生産年齢人口(15〜64歳)は、1995年の8726万人をピークに少しずつ減少してきましたが、2014年の段階ではそれが7784万人にまで減少しています。特に2012年から2014年の3年間は団塊世代が65歳に達するようになり、その減少幅が大幅に拡大しているのです。
生産年齢人口は1995年の8276万人をピークに2014年には7784万人まで減少
2012年の労働力人口が17万人の減少であるのに対して、2013年と2014年は117万人も減少し、2015年も同じくらい減少する見通しにあるわけです。
2013年の労働力人口が前年比で1.45%、2014年が1.48%減少しているのですから、人手不足になるのは当然のことと言えるでしょう。もともと日本の人口構造の推移からして、2012年以降は失業率が徐々に低下し、有効求人倍率が上昇するのはわかっていたわけです。
日本の基本的な構造変化に目を向ければ、「経済が好調ゆえに有効求人倍率が高くなった」というのは、間違った見解であるということが、簡単に判明してしまうのです。
一般の人々のなかにも「アベノミクスによって失業率が低下した」と信じてしまう人がいるのは、やはり、日本の経済構造の変化を無視するとともに、経済の権威を後ろ盾にした思考の停止が起こっていると考えられます(思考の停止については、2月2日の記事を参照)。
幅広い資料やデータを深く検証することなく、「クルーグマン(米プリンストン大学教授)が提唱するリフレの考え方は正しいに違いない」と信じ込んでしまっているのです。要するに、物事を俯瞰的に見ることをせずに、「景気が良くなる=失業率が低下する」というステレオタイプな見方しかできなくなっているわけです。
日本のリフレを支持する経済学者にとって、クルーグマンやバーナンキ(前FRB議長)は「絶対的な権威」であることは間違いありません。
こうした経済学者が権威を信奉するあまり、議論の際の説明で「クルーグマンは……といっている」「バーナンキによれば……である」「世界標準では……である」といった言い回しを多用するからです。
これは決して印象論ではなく、私自身が経験していることを言っているにすぎません。たとえば、前回の記事で述べたような事例について、「それでもインフレ目標は正しいのでしょうか?」と質問すると、答えに窮して「僕が薫陶を受けたポール・クルーグマンはそう言っていた」と言い出す始末なのです。
クルーグマンの言っていることが、現実に起こっていることと照らし合わせて、本当に正しいか否かについての議論を避けようとするわけです。
おそらく、彼らの著書や寄稿のなかでも、「クルーグマン(あるいはバーナンキ)はこう言っている → だから、自分の言うことも正しい」という論法が使われているのではないでしょうか。もはや、それが正しいかどうかはもはや重要ではなく、クルーグマン(あるいはバーナンキ)が言っているということが、一番重要だということなのでしょう。
ここ1〜2年でリフレを支持する対談相手のなかで、「クルーグマンは……といっている」「バーナンキによれば……である」「世界標準では……である」といった言い回しを使わなかった識者は、私の記憶が正しければ第一生命経済研究所の主席研究員である永濱利廣さんくらいでしょう。
永濱さんは「アベノミクスのすべてが正しいとは思わない。円安の悪影響が及ぶ弱者に対して再分配が必要である」としたうえで、「適正なドル円相場は102円である」とおっしゃっていました。著名なリフレの支持者のなかでは珍しく、現実をしっかりと認識しているエコノミストであると思った次第です。
■今の日本経済に適正な為替は1ドル90円台半ば
2月16日のコラム「なぜインフレよりもデフレがいいのかhttp://toyokeizai.net/articles/-/60752」でも触れましたように、私がこれまで一貫して主張してきたのは、日本の経済構造の変化に合わせて、行き過ぎた円高や、行き過ぎた円安の水準は変わるはずであるということです。
「21世紀型インフレ」が始まる前の2000年代初めであれば、私は適正なドル円相場は120円くらいだと言っていたかもしれませんが、いまや日本経済の構造変化に伴って、行き過ぎた円安は弱者に悪影響が偏る性格を持ってしまっています。
そのように考えると、国民全体にとっても、企業全体にとっても、国家財政にとっても、「三方一両損」ではないですが、ドル円相場は90円台半ばくらいが適正ではないかと思っています。そして、そういったことを考慮に入れながら、経済政策や金融政策は決めていかなければならないと強く願っているわけです。
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