http://www.asyura2.com/15/hasan93/msg/745.html
Tweet |
ギャンブル依存症536万人説!? 生活を賭けたらもはや娯楽ではない(上)
http://diamond.jp/articles/-/67235?page=4
2015年2月21日 降旗 学 [ノンフィクションライター] ダイヤモンド・オンライン
『ギャンブル依存症 回復の道』と題され、上下二回にわたって掲載された記事は、依存症から立ち直った人たちへのインタビュー他で構成されている。
紹介されているのは、奈良県大和高田市にある『セレニティーパークジャパン』という施設だ。ギャンブル依存から抜け出したい人たちが集う施設である。二〇一一年四月の開設以来、施設は約三〇〇人を受け入れてきたそうだ。現在も、二〇人近い人が近くの民家で「共同生活」をしながら施設に通っているとのことだ。
厚生労働省の研究班の調査によると、ギャンブル依存症の疑いがある人は、国内に五三六万人ほどもいるそうだ。この五三六万人がどういう数字かというと、横浜市と大阪市の人口を足した数に相当する。すごいね、横浜市民と大阪市民の全員に依存症の疑いがあることになる。
依存症を克服するための専門の医療機関も増えているそうだ。国立病院機構久里浜医療センターは二〇一三年に、北里大学東病院は昨年、ギャンブル依存症の「専門外来」を開設した(久里浜医療センターは依存症研究の全国拠点に指定される)。
依存症者の自助グループは全国に一四七団体あり、二〇〇八年と比べて倍増した。セレニティーパークジャパンにような専門施設も全国十施設以上を数えるまでになった。疑いのある五三六万人といい、ギャンブル依存症は、もはや他人事と思えるレベルを超えているということだ。
岡山県精神科医療センターの橋本望医師が三三〇人の患者の傾向を調べたところ、ギャンブルを始めたのは平均で二一・一歳。初めて借金をしたのが三一・一歳、治療開始年齢は平均で四一・一歳だった。
十年ごとに変化があることがわかるが、すると、成人してパチンコやスロット、競馬などのギャンブルを覚え、当初は趣味の域だったのだろうが、やがてのめり込み生活費の全てをギャンブルに注ぎ込む。でも、それでも足りずに金を借りる。その金もギャンブルの資金だ。そんな生活が十年続き、ともすれば依存症のせいで家族すらも失い、初めて自分の過ちに気づく。それが四一歳……、ということか。
「ギャンブルは薬物やアルコールと違い、体調には変化が現れにくいため、病気と気づくのに時間がかかる」(橋本医師)
朝日新聞は、さきのセレニティーパークジャパンに、二年前にやってきた四四歳男性の話を訊いている。その男性は、二六歳のとき、夫婦関係がうまくいかず離婚した。仕事も行き詰まり、ストレスが溜まる。捌け口はパチンコだったそうだ。
「パチンコ台に座っているときだけ、嫌なことを忘れられた」
数ヵ月で貯金を使い果たし、消費者金融を利用した。債務は、十数年で一〇〇〇万円を超え、しかし返済のほとんどは家族らを頼ったという。ついにはヤミ金に手を出してしまい、職場まで取り立てが来たそうだ。仕事を辞めて車上生活を送っていたとき、医師に「依存症」と診断され、施設を訪れた。
◇
ギャンブル依存症536万人説!?生活を賭けたらもはや娯楽ではない(下)
http://diamond.jp/articles/-/67297
2015年2月21日 降旗 学 [ノンフィクションライター] ダイヤモンド・オンライン
施設の利用料は月二〇万円だから決して安いとは言えない。スタッフは精神保健福祉の資格を持ち、医師と連係して症状の改善状況を観察する。その男性は共同生活に戸惑い、ふて腐れてもいたそうだ。だが、周囲が声をかけてきた。
「オレも借金で大変だったんですよ」
「つらくないっすか」
共同生活者は、いずれもが依存症で苦しんできた人たちだ。互いの苦しみがわかるから、助け合おうという気持ちが芽生えるのだろう。
ある日の講義で、ギャンブルで失ったものを書き出した。
「家族」「友人」「信頼」
書き出しているうちに感情が込みあげ、声をあげて泣いたそうだ。そして、かつて迷惑をかけた元妻と家族、元同僚らに謝りに行った。
「自分の現状を受け入れ、人生を見直していくうちに気持ちが楽になった。ギャンブルがなくても生活できる自信が少しずつ生まれてきた」
私は、麻雀以外のギャンブルをやらない。というか、パチンコも競馬も、やったことがない。麻雀も、気づけばもう十五年近く牌も握っていない。打ちたくてもメンツが揃わないから、年に一回か二回、プレステで打つくらいだ。恥ずかしい。
だから、ギャンブル依存症というものがどういうものかを私は知らない。
ただ、思うに、依存症というのは、罪悪感のないことを言うのだろうとは思う。まずいな、借金した金でパチンコやってたらまずいよな、と思っているあいだはまだ依存症とは呼べないような気がする。女房にすまないと思い、後ろめたさがあるうちは、足抜けしたい気持ちも垣間見られるからだ。
だが、借りた金をギャンブルに注ぎ込むことに悪びれもしなくなったら、それが依存症だ。自分の稼ぎだけでは足りず、金を借りてでもやりたい、やらなければ眠れないといった状態を言うのだろう。
四、五年前、『リカバリーサポートセンター』という、パチンコ依存症の人たちを救済するNPOを設立した人を取材した。力武一郎さんという方だが、彼は、パチンコ店の経営者だった。パチンコ店の経営者が、パチンコ依存症の人たちを救う組織をつくったのである。
パチンコ店とは言っても、力武氏が経営する施設にはボーリング場とサウナがあり、託児所を兼ねた保育園まで運営している。保育園をつくったのは、真夏にパチンコに興じているあいだに、車に置いた赤ん坊が熱中症で死亡したニュースを見たとき、うちの客にそんなことがあってはならないと思い、急ぎ設立したものだ。取材時のパチンコ台とスロット台の数はあわせて五六〇台。それでも規模は中規模になるらしい。
母親にどうしてもと泣きつかれ、力武氏は大学を卒業すると郷里の大分市に戻り、父親の経営するパチンコ店で働き始めた。父親の後を継ぎ、会社を任されたのが二〇〇一年のことだ。
その間、力武氏は鬱病を発症してもいる。理由は、パチンコ店経営という稼業が嫌いだったこと。また、彼の店は、地元暴力団組織への「みかじめ料」の支払いを拒んでいたこともあって、怖い筋の兄さん方の嫌がらせがひっきりなしだった。彼はその担当を任されていた。
トラブルは毎日のようにあったらしい。露骨な嫌がらせは警察沙汰になるからやらないが、兄さん方は店に来ては玉が出ないとクレームを付け、その際、袖口から彫り物の図柄を周囲に見せたりする。効果は絶大で、お客さんたちが怖がって店に来なくなるのだそうだ。
その後、営業の担当になったとき、人気が出ると踏んだ新台の選定を読み違え、一五〇〇万円ものの損失を出した。度重なるストレスが原因だったのだろうが、気がついたときには鬱と診断されていた。病院に行ったころには、どこで死のうか、どうやって死のうかと、毎日そればかりを考えるようになっていたらしい。
社長就任から間もなく、ホール内に「ご意見箱」を設置した。客の声を聞くための目安箱だが、設置早々にこんなハガキが投函された。
『苦しい借金生活から小さな幸せを取り戻したい。一日で年金を取られた。今日から水で食事。毎日何万円も取られる。借金もする。楽しくない。苦しい。貧しい人たちから金を取って経営者は笑ってよい生活をしているのでしょう』
文言は部分的に抜粋したものだが、殴り書きのような文字だった。ご意見箱には、もっと玉を出せと言ったクレームまがいの投書がほとんどだっただけに、この投書は力武氏の目を引いた。
常連客の自殺を知ったのも、同じころだ。借金苦を悩んでの自殺だったが、故人は縁者とのトラブルを抱えていた。親戚じゅうから金を借りまくり、その金をパチンコに注ぎ込んでいたからだ。
「ホールでは平日の朝から何百人もの人が遊んでいて、なかには失礼だけどお金を持っていそうにない人の姿もありました。でも、そういう人が毎日遊びに来る」
お金を持ってなさそうなのに、彼らはどうして毎日遊びに来られるのだろうと疑問に思ってはいたが、力武氏はそういった人たちに目を向けていなかったと言った。パチンコのために借金を背負い、パチンコのせいで死ぬ人がいたことが驚きであるとともに、許せないと思ったのだ。
パチンコは七割の人が負けるからくりになっている、と力武氏は明かす。
「本当のことを言ったほうがいい。七割が負けると知って、それでお客さんが来てくれなくなったらそれまでのことです。お客さんを騙してまで儲けようとは思いませんから」
大切なのは、七割の人が負ける、という事実だ。負けるために、借金をしてまでギャンブルに注ぎ込むのが依存症なのだ。たまに勝ったときの快感が忘れられないから。だから、また勝つつもりで注ぎ込む。一攫千金を狙い、負債などすぐにちゃらにできると思い込んでしまう。
常連客の自殺から、力武氏は初めて「ギャンブル依存症」という言葉を知り、調べていくと、横浜に日本で初めて『ワンデーサポート』という救援組織が立ち上がったことを知る。さっそく連絡を取り、ホールにワンデーサポートのポスターを貼ってみた。
すると、その年だけで三人の客がワンデーサポートに問い合わせた。
「パチンコ店は全国に一万五〇〇〇店あるんですよ。うちだけで三人のお客さんが相談の電話を入れたということは、単純計算すれば全国に四万五〇〇〇人もの人がギャンブル依存で悩んでいることになるじゃないですか。これは放置できる問題じゃなかった」
力武氏は、パチンコ業者が加盟している全日本遊技事業組合連合会や関連団体へ働きかけ、大分県の青年部会でもセミナーを開催した。が、当初の反応は決して芳しいものではなかったようだ。むしろ、拒絶に近い意見ばかりだったという。
ギャンブル依存症や自己破産は個人の問題で、パチンコ業者が関わる問題ではない――、という意見が圧倒的だった。冗談のようだが、中には、力武は何か新しい宗教でも始めるみたいだから近づくなという業者もいた。
力武氏は各方面を説いて周り、二〇〇三年には全日遊連に「ぱちんこ依存問題研究会」が発足。二〇〇店舗五六〇〇人を対象に全国規模の聞き取り調査が行なわれ、結果、約三割の人たちにギャンブル依存の傾向もしくは自覚があるとの結果を出した。
ホールを覗けばすぐにわかるのだそうだ。生活を賭け、玉を弾いている人は。
ワンデーサポート事務局から、沖縄に薬物依存問題に取り組む精神科医がいると教えられ、その医師らと力武氏はNPO法人『リカバリー・サポートセンター』を設立した。
基本的な取り組みは電話相談だが、家族からの問い合わせを受けつけ、本人が本気で依存症から脱却したい意思があるのなら、各都道府県にある福祉施設や医療機関あるいは相互扶助グループなどを当人の「依存度」にあわせ紹介している。設立から五年での相談件数は五〇〇〇件を超えた。
力武氏は言うのだ。人は誰でも、どんなにつらい状況に追い込まれても、出口さえ見えれば必ず立ち直れるのだと。依存症に陥った人たちは、出口が見えずに藻掻いているのかもしれない。彼らに出口のある場所を教えてやるのが、各地に設立された回復支援施設だ。
ギャンブルというのは、本来、娯楽でなければならない。
借金をし、家族を苦しめ、生活を賭けてまでのめりこむものを娯楽とは言わない。血走った目で取り組むものを、誰が娯楽と呼ぶだろう。娯楽とは、楽しいから娯楽なのだ。
七割が負けることを知り、七割も負けることを楽しめてこその賭け事でもある。
(文中一部敬称略)
参考記事:週刊文春2月5日号
朝日新聞1月9日10日付
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。