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【第3回】 2015年2月20日 松元 崇 [第一生命経済研究所特別顧問]
「日本のピケティ」?
戦前の超格差社会に挑んだ高橋是清
ピケティ『21世紀の資本』が
どうにも腑に落ちない
最近ベストセラーになっているトマ・ピケティの『21世紀の資本』のメッセージは、資本収益率が成長率よりも高いので、資本を持つ富める者はますます富み、資本を持たない者はますます貧しくなる。そのようにして出来上がる格差社会を資産課税によって是正してやる必要があるというものである。
日本の場合も、国民所得に対する民間資本の割合は6倍にもなって、格差社会化が進んでいると指摘されている。しかしながら、日本の実態には、このピケティの指摘からはどうにも腑に落ちないものがある。
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出所と時系列データ:http://piketty.pse.ens.fr/capital21c を参照
まずは、上の2つのグラフをご覧いただきたい。図1は、ピケティの本からのもので、わが国の民間資本の対国民所得比が1990年に7倍になり、その後1993年までに6倍に低下し、以降ほぼ横ばいになっていることが示されている。これが格差を生む背景にあるのだとすれば、わが国のそれは1990年に諸外国の約2倍の水準に達した後、1993年にかけてやや解消し、その後ほぼ同水準で推移するうちにイタリアが超えていき、2010年にはフランスが近づいてきているということになる。
それが実態だろうか。実は、この動きを内閣府が発表している日本の国富の推移(図2)と較べてみると、この動きの大きな部分が土地価格の変動(キャピタルゲイン)によっていることがわかる(注1)。土地の価格上昇は、資本収益率が成長率を上回った結果の集積としてもたらされるものではない。土地から将来期待される収益が上昇し、それを現在価値に割り戻したものとして価格が上昇するのである。そこには、資本収益率と成長率の格差は全く登場しない。
(注1)図2によれば、1990年に3500兆円だった国富は、同年の国民所得347兆円の約10倍だった。ピケティの推計による7倍との違いは、ピケティが主に用いた課税資料において固定資産税評価額の改訂が追い付かなかったことによるものであろう。
ピケティは、当時の日本の状況についてバブルだったとして、その部分を除いても長期的トレンドとして民間資本の対国民所得比が1970年時点の3倍から2010年の6倍に上昇していることが明らかだとしている。しかしながら、長期トレンドにおける民間資本の増大も、そのかなりの部分は土地の値上がり(キャピタルゲイン)である。
そして、その値上がりはバブル期の土地価格上昇と同じメカニズムによるもので、資本収益率が成長率を上回った結果の集積によってもたらされたものではない(注2)。そもそも、バブルははじけてみて初めてバブルだったことを皆が理解する。筆者は、1993年、バブルの結果経営破綻に至った住専を担当(大蔵省[当時]銀行局金融会社室長)したが、バブル時には多くのエコノミストが、「日本の土地価格の上昇は日本の力強い成長によって土地の期待収益率が上昇したのだ」「日本経済が新たな発展段階に入ったのだ」と説明していた。それは、長期的なトレンドによる土地の期待収益率の上昇と同じメカニズムであった。
(注2)土地の価格上昇(キャピタルゲイン)は、一国の産業構造の高度化によって、土地からの将来の期待収益が増えることによって生ずる。すなわち、日本が農業社会から産業社会に、産業社会の中でも軽工業中心から重化学工業中心に、さらにはサービス産業中心にと発展していく中で、土地が生み出すと期待される将来収益が上昇し、その現在価値として土地価格が上昇していくのである。
農地として毎年10の収益しか生まなかった土地が工場用地となって、毎年100の収益を生むようになる。さらに、商業用地として毎年120の収益を生むようになる。そして、同じ工業用地と言ってもイノベーションによって150の収益を生むようになるといった形で、土地価格が上昇していくのである。
農業社会は基本的にゼロ成長
資本が積み上がらない社会だった
ピケティは、19世紀の極端な格差社会に戻ってはならないとして、当時の状況をわかりやすく理解できる実例として、バルザックの小説『ゴリオ爺さん』のエピソードなどを紹介している。そこで出てくるのが、パリの富裕層が土地や国債からの収入(レント)の上に裕福な暮らしをしていたという話である。
しかしながら、当時の富裕層の資産が資本収益率が成長率よりも高いことから生まれたかについては、キャピタルゲインの場合と同様の疑問がある。というのは、パリの富裕層が享受していた土地からの収入は、その土地の使用価値に見合ったものとして決定されていたのであり、そこにも収益率と成長率の格差といった話は登場しないからである。その点は、ピケティが西暦のはじめから長い期間にわたって、資本収益率が成長率を上回っていた中で格差社会が形成されてきたとする点についても、同じである。
どういうことかと言うと、かつての農業社会は基本的にゼロ成長だった(注3)。そこにおいては、土地の生産性、すなわち期待収益率の差によって差額地代が発生する。それは、かつて英国の経済学者リカードが解明したことであったが、キャピタルゲインの発生(将来の期待収益率が上昇し、その現在との差によって発生する)と同様のメカニズムなのである。
そもそも成長率がゼロだとすれば、資本収益率(レント)がそれよりも高いのは当たり前だが、だからと言って資本が積み上がっていくといったことはなかった。ピケティの理論に従って、資本収益率が成長率よりも高いことによって資本が積み上がり、格差社会化が進行するとすれば、ゼロ成長が永く続いた時期の農業社会はとめどもなく格差社会になっていったはずであるが、そもそもゼロ成長の経済の下では資本が積み上がっていくということ自体がなかった。そのような農業社会は、それなりに安定していた。
わが国の平安時代や江戸時代も、長期にわたって安定した平穏な社会が続いたのである。資本収益率が成長率よりも高いことは、格差を生む背景ではあり得ても、格差を生むメカニズムそのものではなかったというべきであろう。
(注3)農業社会においては、三圃制の導入や換金作物の導入というような生産性を向上させる技術革新が行われたのは例外的な場合で、ほとんどの期間の農業では単純再生産が行われるゼロ成長の世界であった。
産業革命以降の資本蓄積と格差社会化
経営者の才覚で収益が大きく変化
それが産業革命以降、様相が一変する。農業社会では見られなかった資本の蓄積が行われるようになり、格差社会化が進むようになった。それは、産業革命が資本や科学技術の活用によるイノベーションを土台とする競争社会を生んだからである。そこでは、経営者のやり方次第で収益が大きく左右される。経営者のやり方次第で企業は発展もし、倒産もするようになった。
かつての農業社会においては、地主の経営のやり方次第でお米がたくさん収穫されたり、されなかったりといったことはなかった。収穫を左右するのは基本的にその年の天候と、実際に農作業に従事する農業者の丹精の込め方であった。そこには、まじめに働けば社会的に大きな格差が生じていく構造的な要因は存在していなかった。
ところが、産業革命後の競争社会では、経営者の才覚によって収益が大きく変化するという、社会を格差社会化していく要因が存在するようになったのである。そして、そのような社会だからこそ、ピケティの本が売れるのだと言えよう。
今日、米国にスーパー経営者が現れたのも、米国で経営のイノベーションが行われたからである。どのようなイノベーションかというと、経済がグローバル化し、生産がモジュール化する中で、世界を股にかけて、またM&Aによって既存の企業の枠を超えて自由に経営資源を組み合わせ、それによって高収益を実現するというものである。
それまで横ばいだったトップ10%の所得シェアが上昇し出したのは、1980年からであるが、それはちょうど筆者が米国のスタンフォード・ビジネススクールで米国の経営を学んでいた頃であった。当時、「もはや米国の時代は終わった」と言われていたのをよく覚えている。それを新たな米国流の経営が変えた、米国を復活させたのである。
ただ、そのような経営が可能なのは、従業員の雇用を気にせずにM&Aができるといった非情とも言える経営手法を許す環境が、米国には存在するからである。従業員の雇用を守る慣行の下にある日本企業には、そのような米国流の新たな経営戦略をとることは難しく、低いROAに甘んじざるを得ないというのが、今日の状況と言えよう。米国のような形で、富める者がますます富むということにはなっていないのである。
そのような日米間の違いは、何らかの公式によって説明できるものではない。 ピケティも、富める者がますます富むというメカニズムを説明する公式(β〔資本/所得比率〕=s〔貯蓄率〕/g〔成長率〕)は、蓄積可能な資本にだけ適用されるものだとしており、米国のスーパー経営者の高収益やキャピタルゲインの説明には使えないことを前提にしている。
そもそもピケティは、資本収益率が成長率よりも高いことは論理必然的なことではなく、歴史的な事実だとしている(注4)。そのようなピケティの本は、経済学の理論書というよりは歴史書として読むべきであろう。そして、そのように読んだ場合にも、歴史的なデータに照らして、今日現にいずれの国でも多かれ少なかれ格差社会化が進んでいること、それにどう対処するかが大きな問題になってきていることを、ピケティは我々の前に突きつけているのである。
(注4)ピケティが資本収益率という場合の「資本」には、住宅などの生産に関係ない資産が多く含まれている。そのようなピケティの「資本」の収益率を生産の増大を示す「成長率」と理論的に関係付けることには、そもそも無理がある。
戦前の深刻な格差社会出現に対して
資産課税を提唱していた高橋是清
そこで、ピケティが提唱しているのが、グローバルな形での資産課税というわけである。となると、歴史を振り返ることをテーマとしている本シリーズとしては、ここで高橋是清に登場してもらうこととしたい。というのは、高橋が戦前の日本における格差社会の出現に対して資産課税を提唱していたからである。
当時の日本の格差社会は極めて深刻なものだったが、それはピケティの言うような資本収益率が成長率よりも高いことから生じたものではなかった。それは、「大正の天佑」と言われた第1次世界大戦を境に、わが国で急速な工業化が進み、都市部の繁栄と農村部の相対的な貧困化がもたらされたことによって生じたものであった。
それに、世界大恐慌の中での国際的な農産物価格の大幅な下落、昭和初期の凶作が重なった。そこで、かつてのテレビドラマ『おしん』が描き出したような、娘を身売りせざるを得ない悲惨な農村の姿が出現したのである。そして、そういった農村から徴兵された者が多かった陸軍において、青年将校たちが「世直しが必要だ」「昭和維新が必要だ」との強い「信念」を抱くようになり、満洲事変や高橋蔵相などを暗殺した2.26事件といった暴走になっていったのである。
当時、どれだけの格差社会になっていたかは、河上肇の「貧乏物語」が幅広く読まれ、マルクス主義が学生の間で大きな影響力を持つようになっていたこと、それに対抗すべく政府が1925年に治安維持法を制定したことなどから、うかがうことができよう。
担税力が増えた都市部にあまり課税せず
疲弊する農村部に重い負担を強いた矛盾
そのような格差社会化に対処すべく、窮乏化する農村部に財源を与えて自立させようと、大正9年(1920年)5月、原内閣の大蔵大臣だった高橋が打ち出したのが、国税の地租を地方に委譲し、その代わりに国税に一般財産税を創設するという案であった。第一次世界大戦を境にわが国が、それまでの農業国から工業国になったことによって都市の担税力が増大したのに、税制は農業国のままだった。明治6年に導入された地租(江戸時代の年貢制度を引き継いだもの)が、大黒柱となっていた。
それは、担税力が著しく増加した都市部にはあまり課税せず、疲弊していく農村部に重い負担を強いるものであった。第一次世界大戦中に工業生産が5倍以上に、国民総生産が3倍になり、都市部の担税力が大きく伸びたことを全く反映していなかった。そこで高橋は、地租委譲によって農村部の窮乏化に対処するとともに一般財産税の導入で都市部に担税力に見合った税負担を求められるようにしようとしたのである。
しかしながら、この高橋の一般財産税案は、それと一体となっていた地租委譲についての技術的な問題などもあって、実現しなかった。農村の疲弊の問題に対しては、高橋が2.26事件で暗殺された4年後の昭和15年(1940年)、今日の地方交付税につながる地方分与税制度が導入された。当時の既存税制の抜本的な見直しの中で対応されたのである。(拙著『山縣有朋の挫折』P228-256、281-286参照)。
高橋是清が暗殺された2.26事件のほんの1週間前に総選挙があったことは、あまり知られていない。その総選挙では、軍部を応援する政友会が大敗し、高橋是清を擁して軍部を抑えるための挙国一致内閣を模索しようとする民政党が躍進していた。そのように、農村の疲弊という格差社会化を背景とした軍国主義化の危機に直面していた当時の日本で総理にと目されていた高橋は、働くことを第一に考えていた政治家であった。
昭和8年の講演では、「できるだけ資本に対する報酬を少なくして(中略)直接生産に従事する人々の報酬を厚くする」のが適当だと述べていた(『経済論』高橋是清、中公クラシックス、P433-434)。戦後70年の節目の年にあたり、そのような高橋が暗殺されていなければ、日本があのように道を誤ることもなかったのではないかと思うと、まことに残念である。
最後に、ピケティは格差を大きくしないための方策として、成長率を高めることを重視していることについて触れておきたい。わが国では、成長率がゼロになるのが歴史の必然だ(『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫)という説も有力に行われているが、ピケティの歴史の見方は正反対なのである。筆者も全く同意見である。
筆者は、ミクロ的に1人1人の国民が、その持てる能力を十全に発揮できるようにすることが、マクロ的な成長にもつながると考えている。GDPというが、抽象的なGDPがあるわけではない。1人1人の国民が創り出す付加価値が全て積み上がったものが、一国のGDPである。
とすると、1人1人の国民がより高い付加価値を生み出せるようにすることが、一国の成長にもつながる。そのためには、大学卒業時の最初の就職に失敗しても再チャレンジが容易にできるようにしていくことや、被用者が大きなリスクなしにより自分に合った仕事に転職できるような柔軟な雇用制度にしていくことが、大切である。
大きな中間層の活力を引き出せるか?
「高橋是清」という先人に注目せよ
ピケティも指摘しているように、大きな中間層が登場している今日の社会においては、その大きな中間層に属する人々の活力を引き出すような構造改革が重要である。離婚して子どもを抱えたお母さんの相対的貧困率が高く、ゆえに子育てや子どもの教育費負担に苦しむというようなことでは、日本の未来に活力は生まれてこない。子どもたちも含め、全ての国民の活力を引き出していけるような社会を目指すのが、筆者もその立案に関与したアベノミクスの成長戦略でなければならないと考えている(注5)。
(注5)そのような成長戦略の原型を、平成21年の「安心社会実現会議」(麻生内閣)の報告書に見ることができる。
今日の日本においては、3代相続が行われればどんな大きな財産も大半がなくなってしまう。相続財産額が3億円を超えると50%の限界税率が課されるからである。それは、ピケティからしてもかなり理想的な税制が行われている状況と言えよう。
日本では、高い相続税のために資産家が海外に資産を移してしまい、成長を阻害するといった議論も行われていた。要は、グローバル化する経済の中で、日本も格差社会化の問題に正面から向き合いながら、いかにわが国の成長を促進するような仕組みを構築していくかである。我々は、資産課税といった税制も含めて、そのようなことに取り組んだ高橋是清という先人を持っているのである。
http://diamond.jp/articles/-/67161
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