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大前研一:ピケティの主張は的外れ、日本経済の問題は「低欲望社会」に尽きる
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150218-00000000-fukkou-bus_all
nikkei BPnet 2月18日(水)8時2分配信
経済的不平等、つまり格差問題を扱った『21世紀の資本』が話題となっている。著者であるフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は昨年春以来、世界的に有名になったが、昨年12月にみすず書房から訳書が出た日本でも注目されている。
■外国の先生の主張をありがたがる日本人の悪い癖
世界でベストセラーとなっている『21世紀の資本』の著者トマ・ピケティ氏は1月29日からの4日間の来日で、講演の質疑応答やパネル討論などを通じ、日本の税制や労働市場の改革などの議論に一石を投じた、と新聞などは報じている。
確かに、膨大な資産や所得のデータを集めて分析した『21世紀の資本』は力作である。しかし、私は正直言って、日本人が彼の主張を持ち上げていることに疑問を感じる。
ピケティ本に限らず、最近話題の経済分析本に共通するのは、日本の事例に当てはまらない分析を、外国の先生が主張しているからという理由だけでありがたがることだ。そうした悪い癖が出るそもそもの理由は、日本人は日本の経済の実態がどのくらい世界の状況からずれているのかを知らないからだ。日本の経済学者は外国の文献を読むことが多く、自国の経済実態の分析ができていないからだ。
ここで「近年話題の経済分析の著作」をご覧いただきたい。
■資本家ではなく資産家がますます豊かになるという指摘
まず、『21世紀の資本』である。ピケティ氏の主張は、日本を含め世界で富や所得の集中が進んで、格差が拡大しているというものだ。その解決策として、資産に対してグローバルな累進課税を行うことを提案している。また、「経済知識の民主化」をして、一般人が経済問題の議論に加わることができるようにすべきだとも言っている。
結局のところ、彼の思想は旧来の左翼思想に近い。経済成長よりも再分配政策を重視するのが『21世紀の資本』の基本姿勢である。それは産業革命以降、顕著となった資本家による富の収奪に対して分配を求める労働者たちを思想的に支援した社会主義思想の21世紀版、と見ることができる。
マルクス・レーニン主義ではそもそも富が偏在しないように計画し、共産していこう、という結論になったし、多くの自由主義国では所得向上、すなわち労働分配率を高める、という解決策が採用された。
その後、カネ余りの世の中で資産の生み出す富が経済成長を上回る国が多くなったので、ピケティ論文では現代は資本家ではなく資産家がますます豊かになる、という新しい格差に焦点を当てたところが目新しい、と言えば言える。
■「21世紀の資本論」という左翼思想の亡霊を見る思い
しかし、彼の「解決策」が資産に対する累進課税というのは世界的にも類例のない。相続や所得に関する異常な累進課税を経験している日本から見ると全くピンと来ない。
普通、資産に関してフラット課税をすると、すでに著しい負担の不均衡が発生する。資産100万円の人が1%の税を払えば1万円だが、100億円の人は1億円毎年納税することになる。累進制ではこれが毎年3億円とか4億円ということになる。資産を形成する過程で日本のように累進制の所得税や相続税を払っている場合、これは公平な税制とは言えない。
唯一問題となるのは起業した場合のキャピタルゲイン税が日本では長い間10%という特例で低く抑えられてきたことだろう。いまは20%となっているので、起業を奨励しようという政策でやっているので、学者の机上の空論よりもむしろ政策が正しいかどうか、という議論で結論を出した方がいいだろう。
いずれにしても、ピケティが資産のフラット課税を提案していたら、私の古くからの提言と同じなので諸手をあげて賛成なのだが、ここに累進制を持ち出したところでまさに「21世紀の資本論」という左翼思想の亡霊を見る思いがする。
■『House of Debt』も学者の頭で考えた呑気な提案
もう一つの注目されている本が、米国のアティフ・ミアン氏とアミール・サフィ氏による著書『House of Debt』(ハウス・オブ・デット=借金漬けの家)だ。
この本では、中低所得層の借金増加が経済の不安定を招くと主張されている。具体的には、米国のサブプライムローン問題を例に、住宅価格の下落により、高額な住宅ローンを抱えた消費者は消費を厳しく切り詰めることで、より不況が深刻になることを立証している。
こうした現象を防ぐために、住宅価格の下落時に、貸し手は返済額の減額を認め、上昇時には価格の上昇分を得る仕組み「責任抵当の分担」を提唱している。ミアン氏とサフィ氏の提案は妙に理屈っぽく、あまり現実的な気がしないのだが、それでも欧米を中心に話題となっている。
そもそも月々の返済を生活の第一優先に考えている人々にとって、外部環境の変化で返済額が上下する、というのでは逆に生活そのものの設計に狂いが生じる。これまた、学者の頭で考えた呑気な提案である。
■両書ともその指摘は日本に当てはまらない
実は、『21世紀の資本』『ハウス・オブ・デット』という二つのベストセラーが説いていることは、両方ともその指摘は日本に当てはまらない。
まず、『21世紀の資本』は資産の増加を問題にしているが、バブル崩壊以降、日本では資産の増加がほとんど起きていない。米国のように資産が10%以上のペースで伸びていれば、格差は拡大するだろう。
しかし、日本では資産はコンマ数%しか伸びておらず、一般の人はもちろんのこと、資産家でさえ株をあまり持っていない。そんな日本で「株や土地などの資産が問題だ」という指摘は的外れだろう。むしろこの20年間は不動産などの資産価値が大幅に下がり、定期預金などの資産も0.1%くらいでしか増えていない。円高の時にはドル換算した資産は上がったが、それは計算上のものだけだった。
『ハウス・オブ・デット』に至っては、そもそも借金をしなくなった日本で、借金増加の悪影響を語る意味がない。
いくら世界的なベストセラーだからといって、日本経済の「け」の字も知らない人が来て、一般論として持論を無理矢理日本に当てはめた話をしていくことに、日本人も異議を唱えるようにならなければならない。ヘンにありがたがる必要はないのだ。
■日本は「低欲望社会」であることこそが問題
私が考える日本経済の現状と問題点は、「低欲望社会」ということに尽きる。
日本は個人金融資産1600兆円、企業内部留保320兆円を抱えているが、それらがまるで使われていない。歴史的な低金利でも借金をしようとしない。「フラット35」が1%に接近しても借金して家を建てよう、という人はいない。このような国は世界中にない。普通は金利が5%を下回ってくれば借金して家を建てようとするし、金利が上がれば貯金をしよう、とする。
ところが、金利がほとんどつかなくても貯金は増えており、銀行の貸し出しは減っているのだ。この異常な状況は世界のどこにも見られない日本独特の現象で、このことをピケティも、日本の学者もわかっていない。
お金があっても使わない日本企業と日本人。お金が余りに余っている日本で、アベノミクスはさらに(「第1の矢」で)お金をいやが上にも注入するという愚を犯している。
この「低欲望社会」の原因を究明し、野心と欲望を国民が持つようにすることこそ、日本の経済学者に課せられた課題だ。外国の原書を読んで紹介するだけの「輸入学者」には無理な注文であるが、21世紀の日本経済は日本人の心理分析から進めるしかない(拙著『心理経済学』(講談社)参照)。
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