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深海探査艇「江戸っ子1号」
倒産危機から町工場のヒーローへ タブー破りな経営で職人の意識改革、画期的発明続々
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150215-00010003-bjournal-bus_all
Business Journal 2月15日(日)6時0分配信
2メートルを超す人型ロボット6体が、金属音を鳴り響かせて殴り合い、火花を散らし、バラバラになりながらもトーナメント形式で戦う。アニメではなく現実に行われた競技だ。昨年12月2日に日本テレビ系列で放送された『ロボット日本一決定戦! リアルロボットバトル』で準優勝し、ひときわ話題となったロボットがある。その名も「風神」。
巨体がまるで忍者のように素早く動き、的確なパンチを繰り出し必殺技も出す。アニメから飛び出したような「風神」の動きには、観客からも驚きの声が漏れていた。その「風神」をロボットクリエーターの網野梓氏とともに制作したのが、東京都墨田区にある町工場で金属加工メーカーの浜野製作所だ。
浜野製作所は2009年、早稲田大学や墨田区の中小企業との産学連携で電気自動車「HOKUSAI」を作り、一躍話題になった。さらに、13年には海洋研究開発機構や中小企業、大学などと共同開発し、世界初の深海約7800メートルの3D動画撮影に成功した深海探査艇「江戸っ子1号」も実現させた。「江戸っ子1号」は、海洋立国推進功労者として内閣総理大臣賞を受賞した。
浜野製作所は今や日本の中小企業、町工場のヒーローとして、テレビや新聞・雑誌でも取り上げられ、日本中から年間数百名の企業や大学の担当者が会社見学に訪れる存在だ。しかし、ここまで順風満帆だったわけではない。同社の二代目社長・浜野慶一氏が会社を引き継いだ時には、倒産寸前だったという。どうやって現在のような飛躍を可能にさせたのだろうか。
●町工場の概念覆す経営誕生のきっかけ
東京スカイツリーを望む墨田区にある浜野製作所を訪れると、その外観に驚く。町工場とは思えない真っ赤な塗装をされた建物なのだ。さらに浜野社長をはじめ社員全員が赤のジャンパー、会議室も赤基調のデザインと、見た目から町工場の概念を覆している。
「10年前にラーメン店に行った時、客が職人ばかりで店内がグレー一色だったのです。これに違和感を覚え、別の色を通信販売サイトで探してみたら赤の作業着を発見したので、早速注文しました」と浜野氏は笑う。
そして会社の外観の理由についても、その経緯をこう話す。
「かつて採用活動をした時、その当時は会社も小さく、人材募集に応募してくれる人もほとんどなかったのですが、唯一応募してくれた人が会社の前で立ち止まり、工場を覗き込み、そのまま帰ってしまったのです。楽しくなさそうに見えたのでしょう。その時、ワクワクが伝わる会社を作ろうと決めたのです」
今や外観だけでなく仕事でもワクワクを作り出している浜野製作所だが、浜野氏が社長を受け継いだのは1993年、28歳の時だった。初代社長の父親が、がんのために亡くなったのが契機だった。経理をしていた母親と職人2人、合計4人のスタートだった。
下請けで細々と事業を続けていては何も変わらないと、00年に新しい板金加工工場を作ろうと決断。借金をして新工場を建て始めた最中の6月、近隣で火事が発生し、工場が全焼してしまった。社長を受け継いで数年で倒産の危機が訪れたのだ。
人生最大の危機で浜野氏を支えたのは、現常務取締役の金岡裕之氏だった。窮状を知った金岡氏が手伝いに来てくれたのだ。満足に給料も払えなかったが、金岡氏は「俺は金のために来ているわけじゃない」と語り、浜野氏と二人三脚で会社の再建に全力を挙げた。粘り強く営業を重ねることで、納期の短い「短納期」の注文に活路を見いだし、経営も少しずつ軌道に乗っていくようになった。
●学生との交流が職人に意識改革をもたらす
それでも経営は安泰といえる状況ではなく、従来の町工場のスタイルからの脱却を模索していた浜野氏に大きな転機が訪れた。一橋大学教授であった関満博氏(現一橋大学名誉教授)との出会いである。ある勉強会で関氏と出会い親しくなると、関氏は自身のゼミ生を浜野製作所に連れてくるようになった。職人が学生と交流する様子を見て、浜野氏は閃いたという。
「職人さんたちは自分の世界に入り込み、自分の技術を教えたくない人が多いのです。よく“背中を見ろ”といわれますが、それほど伝え方がうまくないともいえます。しかし学生に一生懸命伝ようとしている姿を見ていると、会社が変わるきっかけになると感じたため、学生たちに浜野製作所でのインターンシップを提案しました」
浜野氏の提案を受けた学生たちは、他の大学の学生も連れてきて、インターンシップ学生は数十名の規模にもなったという。その結果、職人に大きな変化が訪れるようになる。それまで自分の世界に入り込んでいた職人が、何も知らない学生に教えることで伝える技術が向上し、技能の伝承に役立つようになった。いわば見えなかった技術の“見える化”が実現したのだ。
このインターンシップがきっかけとなり、産学連携への道筋が見え始めた。そして冒頭で紹介した産学連携による「HOKUSAI」や「江戸っ子1号」の開発につながった。学生という外部の新しい風によって会社を変えようとする浜野氏の大胆な決断が、浜野製作所を大きな飛躍に導いたといえる。
「新しいことに取り組もうとすると、『うちのような会社では無理だ』と以前は考えがちでした。しかし、産学連携プロジェクトの成功によって、『うちのような会社でもできる』という意識改革をもたらしました」
さらにワクワクした会社にさせるべく、子供に工作機械を体験してもらうための「アウトオブキッザニア」や、個人のものづくりから企業の製品開発まで支援する「ガレージスミダ」というプロジェクトもスタートさせた。いずれも自社の施設を一般に開放する企画だ。これらによって外部との交流が増えたことで職人たちの意識に変化が起き、さらにコミュニケーション能力が向上した。
このほか、浜野氏は会社を強くするための施策を次々に実現していった。職人の技術を共有すべく、従来の町工場の概念では考えられない「ジョブローテーション」も導入した。通常、溶接の職人ならば溶接一筋と長年同じ仕事をする「単能工」がほとんどだ。いつの間にか職人の仕事は誰も侵すことができない聖域となり、必然的に仕事が属人的となり秘匿されていく。しかし、それでは職人がいなくなると納期が守れなくなり、経営にも支障を与えかねない。
そこで浜野製作所では、これまでのタブーを打ち破り、週替わりのジョブローテーションを実施。お互いが技術を共有し、フォローし合える体制を整えることに成功した。これもインターンシップから培ったコミュニケーション能力の向上の賜物といえるだろう。
●ワーク・ライフ・ハピネスを実現した浜野製作所
浜野製作所が取り組んでいる経営改革は、そればかりではない。詳細は『実践 ワーク・ライフ・ハピネス2』(著:阿部重利・榎本恵一、監修:藤原直哉/万来舎)に記されている。同書では仕事を通じてハピネスを実現した会社の事例を豊富に紹介しているが、その一社として浜野製作所が取り上げられている。浜野氏は会社のオープン化を進め、経営の数字だけでなく工場までも開放している。その理由と効果が詳細にレポートされている。そして浜野製作所がなぜ日本の中小企業のヒーローとなったのか、その理由がわかるはずだ。
浜野製作所がある墨田区には、かつて中小企業が1万社あった。しかし、今では3000社に減り、5年後には500社減り、最盛期の4分の1になるといわれている。今こそ中小企業が知恵を働かせ、勝負していく時代だと浜野氏は語る。
「先日、過去の『プレジデント』(プレジデント社)で、ソニー創業者の盛田昭夫氏と本田技研工業創業者の本田宗一郎氏の対談を読んだのですが、今から30年前に『簡単な仕事は発展途上国に譲ってあげなさい。彼らが豊かになるために譲ってあげなさい。日本はアイデアで生きていきなさい』と語っていました。日本の現状を読まれていたかのようなお言葉でした。私はとても感動し、その通りだと思いました。私たち中小企業は、もっと知恵を働かせ、政府や行政に頼らず、自らの力で歩んでいかなければならないと思います」
浜野氏は自社だけでなく地域の中小企業の活性化を行うためのプロジェクトも実行委員長として推進している。普段見ることができない墨田区の町工場を一般に開放するという「スミファ」プロジェクトである。このプロジェクトによって3名しかいない町工場にも延べ100名以上が訪問し、そこから新しい仕事の依頼も舞い込んでいるという。
「無理だと思ったら何もできないのです。ちょっとしたアイデアや工夫で、『やればできる』という自信を持つことができるようになるのです」と、浜野氏は目を輝かせて語る。
最後に、浜野製作所が「ワーク・ライフ・ハピネス」を実現した会社であることを証明する、“ある出来事”を紹介しよう。
00年の火災から再起して15年目。浜野氏が出社し、いつものように朝礼を行っていたところ、社員全員が唐突に経営理念と行動指針を唱和し始めたという。浜野氏の長年の労をねぎらい、感謝の気持ちを表した行動だった。この社員のプレゼントに、浜野氏は深く感動したという。それ以来、毎朝、自主的に経営理念と行動指針を唱和するようになった。
これが「ワーク・ライフ・ハピネス」を実現した企業の姿である。働く者が会社を通じてより楽しく幸せになり、経営者もその姿を見て幸せを感じる。これは理想ではなく、すでに実現している企業があることを知ってほしい。それが閉塞感を突破する鍵となるはずだ。
鈴木領一/ビジネス・コーチ、ビジネス・プロデューサー
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