04. 2015年2月08日 01:11:32
: jXbiWWJBCA
トリクルダウンはない? 江戸時代と比較する - 原田 泰
トリクルダウンという言葉がある。豊かな人々がもっと豊かになれば、やがてその豊かさが下にも落ちてきて貧しい人も豊かになれるという議論である。アベノミクスで株が上がれば、そのおこぼれは皆に回ってくる。円安で輸出大企業が利益を上げれば、それは労働者や下請けにも回ってくるという議論である。 だが、そんなものは自分のところに落ちてこないと、多くの人はトリクルダウンに懐疑的である。しかし、私は、トリクルダウンがないはずはないと思う。豊かな人がまず豊かになるのだから、それが所得分配を平等にすることはないが、理屈から言って、おこぼれがないはずはない。 トリクルダウンはある 豊かになった人は、そのより豊かになった部分を、貯蓄をするか消費をするかしかない。貯蓄は必ず投資されるはずだから、投資が増える。国内で投資が増えれば、必ず誰かを雇うはずである。雇用が増えれば、トリクルダウンがあったことになる。海外に投資したのでは、海外で雇用が増えるだけだから、日本国内にはトリクルダウンがない。しかし、海外ではトリクルダウンがあったはずだ。 こう言うと、多くの人は、海外でトリクルダウンがあっても仕方がないと怒るだろう。怒るのはもっともだが、日本は、海外投資を活発にして、投資収益で食べてゆくべきだという議論が盛んになされた時代もあった。GDP(国内総生産)ではなくて、GNI(国民総所得)が重要だという議論もあった。GDPは国内で生産されたものの合計、GNIは国民の得た所得の合計である。日本人が国外への投資によって得た所得は、GDPには入らないが、GNIには入る。だから、GDPではなくて、GNIが重要なのだという議論である。 この議論は、数年前に盛んになったと思うが、その時に、海外で投資をすれば国内の雇用は増えず、投資できる人々、すなわち、金持ちを利するものだから反対だという議論は聞かなかった。海外へのトリクルダウンに反対なら、GNI重視論にも反対すべきだったと私は思う。 投資をするのではなくて消費をすればどうか。消費すると言っても、同じものをさらに数多く買うことにはあまりならないので、豊かな人は、贅沢な車や時計や靴を買ったり、高級レストランに行ったりする。高いものを売っている人には、おこぼれがあるはずだ。売っている人は、特に豊かな訳ではないから、ここで必ずトリクルダウンとなっている。 [画像をブログで見る]CAIAIMAGE/TOM MERTON/GETTY IMAGES しかし、ここでもトリクルダウンが海外に漏れる。高級品は海外製品であることが多く、国内でおこぼれにあずかるのは、レストランを除けば、それを作っている人ではなくて、それを売っている人だけでしかない。 日本庭園、書画骨董…… 考えてみると、昔はトリクルダウンが日本国内で起きていた。豊かな人は、贅沢な家を建てたり、日本庭園を造ったり、書画骨董を集めたり、名家から嫁をもらったりした。海外にトリクルダウンが漏出しない。 昔の贅沢な家というのは、節のないヒノキの一枚板や、黒柿や花梨の瘤材などを使って、複雑な屋根を組み合わせて建てたものだ。おこぼれは国内の林業者や棟梁や職人に行く。今のように、金持ちにコンクリートの高級マンションでイタリア家具に囲まれるという暮らしをされてはおこぼれがない。日本庭園は維持費がとんでもなくかかるものだ。植木職人におこぼれが回る。 NHKの連続テレビ小説『花子とアン』の登場人物のモデルとなった柳原白蓮と結婚した九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門は、金のない名家の娘を嫁にして喜んでいた。これは日本だけのことではなく、アメリカでもそうだ。映画の『タイタニック』はイギリスの名家の娘がアメリカの富豪と婚約してアメリカに行くところから始まる。伯爵家の令嬢と結婚するには金がかかる。もっとも、書画骨董もだが、金のなくなった名家の財宝を買う訳だから、トリクルダウンではなく、トリクルアップということになる。 トリクルダウンに、何か悪いことがあるだろうか。普通の人々にお金が落ちてくる。 もちろん、封建時代なら、トリクルダウンと言っても、最初のお金は、大名が庶民を搾り上げて集めたものだ。尾張の藩主、徳川宗春は緊縮財政を進めていた将軍、徳川吉宗に反対して、「気分が滅入っては奉公ができない」「上のものの費えは下々の糧となる」と言って贅沢を奨励した。その結果、名古屋は繁栄したが、その費えの資金はどうしたのだろうか。 宗春は、尾張藩の御用金をつかった。御用金の減少を見て驚いた家老たちに裏切られて、宗春は将軍から隠居の上、蟄居を命ぜられた。宗春は庶民を搾り上げた訳ではないが、御用金が底をついた時には、搾り上げるしかなくなっていただろう。 庶民を貧しくし、その後に、贅沢をして庶民にお金を配られても、庶民としては嬉しくない。庶民にしてみれば、8時間労働でもう休もうと思っていたら、12時間働かされて、結局、同じ賃金をもらっただけということになる。 『貧乏物語』で有名な河上肇は、貧乏は金持ちが贅沢をするために庶民の労働時間を奪い、庶民のために必要な生活資材の生産が不十分になることで生じると考えていたようだ。しかし、今日の日本で、金持ちが贅沢をするから、庶民のために必要な生活資材の生産が不十分になるということは考えにくいだろう。 まず何よりも、今日の金持ちは、庶民を貧しくすることで金持ちになった訳ではない。親の財産を蕩尽するのなら、それは所得分配を平等にするのだから、むしろ良いことだ。株が上がったのは、異常な円高が是正されて、輸出企業のコスト構造が正常化し、これらの企業が雇用を伸ばし、利益を拡大すると予想されたからだ。 円安でも雇用が伸びていないというが、過去の円高では雇用が減っている。円高が続けば、さらに雇用が減っていただろう。雇用が維持できると思えただけで株が上がってもおかしくない。株価の上昇は、だれも貧しくしている訳ではない。 私は、トリクルダウンが認識できないのは、おこぼれが海外に漏れるからで、それは日本が高級品を作れないからだと思う。作る技術はあるのだが、それを高級品として認知させる力がないからだ。個々の職人やデザイナーは才能があると思うのだが、それを総合的にプロデュースする知の力が弱いのだ。 日本の企業は、全世界の時刻を認識して即座に時間を修正する時計を20万円で売っている。時刻も正確に示せない機械式時計が何百万円でも売れるなら、この時計は少なくとも200万円で売るべきだ。東南アジアで知られている日本の女優は、『おしん』以来生まれていない。これで日本の化粧品が海外で売れるはずがない。所得分配が重要だと叫ぶインテリがいても良いが、高級品をプロデュースできるインテリがもう少しいても良いのではないだろうか。 【関連記事】 大流行の「格差論」をどう読むか ピケティの議論は狭すぎる 子どもの貧困」を社会的投資の観点から考える 世界の問題解決に参加しない日本 日本のリベラルが考えるべき8つのこと 誤った認識で3本の矢を狂わせるな http://blogos.com/article/104902/
|