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短答直入
【第322回】 2015年1月30日 週刊ダイヤモンド編集部
A.T.カーニー 日本代表 岸田雅裕
「居心地の悪さ」を取り込む(上)
米国発の経営コンサルティング会社という業態が日本に上陸してから、すでに40年以上の月日が経つ。今も“ビッグ4”の一角を成す米A.T.カーニーは、顧客企業の現場にコンサルタントを常駐させるスタイルを取ることで、「オペレーション関係の仕事に強い」とされる。実際に同社には事業会社からの転身者が少なくない。岸田雅裕・日本代表に、最近の問題意識を聞いた。
――日本代表に就任して、もうすぐ1年。岸田さんは、古くて新しいテーマである“日本企業のグローバル化”について、どのように見ていますか。
きしだ・まさひろ/1961年、愛媛県生まれ。83年、東京大学経済学部を卒業後にパルコへ入社。事実上の創業者だった増田通二社長に師事する。9年勤めた後、日本総合研究所を経て米ニューヨーク大学スターン経営大学院でMBAを取得。米ブーズ・アレン&ハミルトン、独ローランド・ベルガー、米ブーズ&カンパニーを渡り歩き、米A.T.カーニーに参画する。14年1月、日本代表に就任。著書に『マーケティングマインドのみがき方』(東洋経済新報社)がある。
Photo by Shinichi Yokoyama
日本企業のグローバル化は、1990年代くらいまではあまり言われなかったと思います。というのも、例えば日本の自動車産業や電機産業などは世界の市場で成功していたからで、日本の産業界で真剣にグローバル化が検討されるようになってきたのは2000年代に入ってからです。それまで、先進国を中心に日本が世界で勝っていた産業が、とたんに負け始めたのです。
かつて、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)諸国の富裕層は、先進国仕様の製品またはグレードダウンした製品を買ってくれていました。ですが、彼らが経済的な力を付けていくにしたがって、中間層はその国の仕様に合った製品でないと買ってくれなくなりました。過去には、日本の競争相手と言えば、米国、欧州、韓国が中心でしたが、そこにBRICS諸国が加わったことで、価格面で厳しい競争を強いられるようになりました。
世界で進行するグローバル化の波を受けて、@市場が一気に広がり、Aそこに参加するプレーヤーの数が増えました。さらに、全世界的にICT(情報・通信技術)が発達したことにより、B製造業の世界でアナログからデジタルへの移行が加速したことがあります。アナログの時代は、過去の知見やノウハウなどはほとんど人間の内部に蓄積されていましたが、デジタルの時代には人間の外部に出て簡単にコピーされるようになりました。そのような潮流の変化を受けて、グローバル競争の中で日本の競争優位が下がってしまったのです。
――そのような潮流の中で、日本企業のマネジメントは、どのように変わっていく必要があるのですか。
日本企業の多くは、自分たちが進出した国や地域では日本人がマネジメントのトップに収まり、信頼できるローカルの社員をマネジャーに据えています。
その一方で、日本にある本社のマネジメントは“鎖国状態”にあり、基本的に日本人の男性で、かつ新卒採用された人たちに限定されています。意思決定をしている中心グループからは、外国人や中途採用者、女性などは除外されていることが多いのです。まずは、そこから変えたほうがよいと思います。
例えば、“出島”としての海外の出先で「どのような製品をどうやって作るか」というマーケティングはローカルが中心で行われていても、リソースの配分は日本の本社が決めている実態があります。その理由として、日本人同士で、日本語で話さないと細かい議論ができないということが挙げられますが、「多様性」を欠く状態を続けていたら、世界とのギャップはますます広がるばかりです。
日本企業のグローバル化を成功させるためには、いち早く日本の本社を多様性の持った組織に変えて、これまでは内輪の人たちでないと参加できなかった役員会に外国人を加えるなど「異なる価値観を持つ世界の人たちが入るという状態に慣れていく」ことが必要になってきます。これは、「多様な文化・背景を持つ人たちと混じり合って一緒に仕事をする」と言い換えてもよいです。
最初は英語を話すことに対する苦手意識もあるでしょうし、居心地が悪いと感じるはずです。しかしながら世界の現実に照らせば、もはやそのようなことを言っている場合ではありません。そして、さらに一歩進めて、本社のトップが「日本人であることの既得権益を手放す」という覚悟を決めるところまで行けば、日本企業は再び世界の市場で戦えるようになります。それはまた、世界で起きている経営人材の争奪戦に参加するという意味でも、大きな前進になります。イノベーションを生み出すのは、多様性に他ならないからです。
かくいう私の英語は、MBA(経営管理学修士)を取得していますが、流暢でありません(苦笑)。しかし、世界の共通言語はブロークン・イングリッシュだと割り切って、積極的にコミュニケーションする努力は続けてきました。
マッキンゼーとカーニーは
同じ母体から分かれて発展
――現在、日本で活動する外資系コンサルティング会社は、米マッキンゼー&カンパニーや米BCG(ボストンコンサルティンググループ)、米ベイン&カンパニーなど、たくさんあります。そもそも米国で発達した専業の経営コンサルティングという業態は、どのように発展してきたのですか。
実は、私は35歳という相対的に遅めの年齢で経営コンサルティングの世界に飛び込みましたので、個人的な興味から過去の歴史を調べたことがあります。
大きな流れで言えば、米国の経営コンサルティング会社のルーツは1933年に制定された「グラス・スティーガル法」(銀行法)にあります。銀行業務と証券業務を分離(情報の遮断)しなくてはならなくなり、それまでインサイダー情報を一手に握っていた銀行は、それを使って融資先に助言をすることができなくなりました。そこで、外部から財務諸表などを分析して助言を行う担い手として、専業の経営コンサルティングという業態が始まりました。当初は、経営管理と組織に関して、経営者に助言するという役割だったようです。
その後、第二次世界大戦(39年〜45年)が起きて、コンサルティングという業態は大きな発展を遂げました。いかに効率的な兵站(ロジスティックス)を実現するかなどの軍事的な諸問題を解決する上で、コンサルティングの出番が増えていったのです。戦後は、その分析能力を生かして、官民さまざまな分野に広がっていきました。米国経済が絶好調だった50年代に入ると、米国企業の海外展開を手伝う仕事が増える一方で、その脅威にさらされた欧州企業をサポートするなどしながら、国内外の政府の仕事なども手掛けてきました。
日本では、66年にBCGが東京オフィスを開設しています。マッキンゼーは71年、A.T.カーニーは72年でした。日本で、それまでほとんど馴染みがなかった経営コンサルティングという業態を知らしめた功労者は、マッキンゼー出身の大前研一さん(現ビジネス・ブレークスルー大学学長)や、BCG出身の堀紘一さん(現ドリュームインキュベータ会長)になるでしょう。日本で広く社会的な認知が進んだのは、80年代に入ってからだと思います。
>>短答直入 A.T.カーニー 日本代表 岸田 雅裕(下)に続きます。
A.T.カーニー 日本代表 岸田雅裕
「居心地の悪さ」を取り込む(下)
>>短答直入 A.T.カーニー 日本代表 岸田 雅裕(上)から続く
――岸田さんが代表を務める米A.T.カーニーは、発足当初はマッキンゼー&カンパニーと同じ会社だったと聞きます。
外資系コンサルティング会社ながら、A.T.カーニーの顧客は約90%が日本の大企業であることでも知られる。また、同社には、マッキンゼー&カンパニーで行われている有名な“Up or Out”(一定期間内に次のポジションに昇進するか、さもなくば退社)という考え方はなく、岸田代表は「“Progress or Out”(個人がコンサルタントとして成長し続けられるか、さもなくば退社)だ」と語る Photo by S.Y.
はい。少しややこしいのですが、26年にカーニー&マッキンゼーという経営コンサルティング会社が設立されました。この会社は、米シカゴ大学経営学部教授だったジェームズ・オスカー・マッキンゼーが設立した経営コンサルティング会社で、アンドリュー・トーマス・カーニーは同社初のパートナー(共同経営者)でした。組織的なものとしては、最も早い動きです。
そこから、2社に分かれます。35年にニューヨークへ移って米国企業の海外進出などを手伝っていたチームが後のマッキンゼー&カンパニーとなり、マービン・バウワーという実力者が大きく発展させていきました。一方で、シカゴに残って米国の製造業を中心に生産性向上や業務改善などの泥臭い仕事に取り組んでいたチームが、後のA.T.カーニーとして発展していきました。
そのような経緯があることから、CEO(最高経営責任者)に対する助言が主軸だったマッキンゼーは「戦略関係の仕事に強い」という評判になり、製造現場に入り込んでコンサルティング活動を続けたA.T.カーニーは「オペレーション関係の仕事に強い」という評価につながっていきました。
仕事は増えているが
陳腐化も進んでいる
――現在、A.T.カーニーが売りにしている“Tangible Results”(目に見える成果)とは、どのようなことを指しているのですか。
端的に言えば、PL(損益計算書)のいちばん下の項目である「当期純利益」(または当期純損失)で、50億円が250億円になるなどの具体的な成果を出すことです。また、例えば新製品の開発スピードを大幅に短縮できたり、新製品の開発数を増やしたりなどの目に見えるプロセス改善もあります。他にもいろいろありますが、私たちの仕事は「土台作りのお手伝い」であり、「変革の伴走者」となります。A.T.カーニーは、顧客に分厚いレポートを提出したら終わりではなく、顧客企業に常駐して対話を繰り返しながら、実際に顧客がアクションを起こすところまで関与していきます。今では「戦略の実行支援」という言葉はどこの会社でも使っていますが、私たちは昔からそういう方針でした。
――医師や弁護士と違って、経営コンサルタントには国家資格(ライセンス)が必要ありません。また、経営コンサルティング会社は、そこで働いている個人よりも先に、組織体の方が「プロフェッショナル集団である」という社会的な認定を受けているユニークな存在でもあります。
確かに、そういう面はあります。今日では、仕事は組織体の総力を発揮して引き受けてきました。実際、他の経営コンサルティング会社との競争は、組織力と組織力のぶつかり合いになっていました。言うなれば、団体戦ですね。
詳しい数字は言えないのですが、過去10年で、日本では約2倍の規模に成長しています。それは仕事が増えているという意味で、大手4社でもパートナーの数が増えていることを見ても、業界として成長していると言えます。A.T.カーニーとしては、それだけ顧客に支持されてきたという自負を持っていますが、一方では大きな危機感も抱いています。
――危機感とは、どのようなことを指しているのですか。日本では、企業戦略を担当する経営企画部から目の敵にされることもあるということですか。
海外とは異なり、日本では「社長などのトップに雇われる」というケースはそれほど多くありません。ですから、場合によっては、経営企画部の方から敵視されたり、挑戦的な議論をふっかけられたりすることもあります。私たちとしては、単に「使い倒してほしい」と考えているのですが(苦笑)。
危機感というのは、過去に私たちの売りだったロジカル・シンキング(論理的思考)のコモディティ化があります。例えば、まだMBAが珍しかった時代には、経営に「事実」と「論理」を持ち込み、海外に豊富なアクセスを持っている外資系経営コンサルティング会社には“情報の非対称性”がありました。
それがあるうちは、希少性が高かったのです。しかし、今ではMBA取得者は増えていますし、事業会社にも経営分析ツールやフレームワークを使いこなすコンサルタントのOBやOGがいます。例えば、実行支援では私たちばかりでなく、事業会社にも経験は蓄積されますし、PMI(買収後の統合)は何回か苦労すれば自分たちでできるようになります。中期経営計画の策定も、経験者が増えればコツは習得できます。私たち自身が陳腐化してしまったのです。
コンサルタントの働き方は
大きく変わる可能性がある
――そのような変化の中で、外資系コンサルティング会社は、どのような付加価値を出してサービスを提供していくのですか。
やはり、状況に合わせて私たち自身も大きく変わっていく必要があります。
先ほど情報の非対称性という直截な表現をしましたが、顧客が変化している中で、経営コンサルティング会社が半歩リードした付加価値を出せないことには雇われなくなってしまいます。そういう意味では、冒頭で述べた「居心地の悪さを取り込む」という必要性は私たちにも当てはまるのです(笑)。これまで以上に、個性を尊ぶ多様性を増すことがイノベーションにつながるからです。
A.T.カーニーは、経営コンサルティングという活動を通して日本の経済や社会をよりよい方向に持って行くためにインパクトのある仕事に取り組もうとしていますので、例えば建築家や音楽家やデザイナーなどまったく異なる分野のプロフェッショナルたちと“共創”していく可能性を模索しています。
この業界は、これまでMBA取得者などロジカル・シンキングができる人を大量生産してきましたが、これからは企業と企業の競争を指南するばかりではなく、「社会を変えたい」という熱い思いや志を持った個人(異能の人)をいかにして私たちの仲間に引き入れられるかが、鍵を握るようになると思います。
もしかしたら、近年では団体戦が主体だった経営コンサルティングという業態が、将来的にプロジェクトごとに必要な能力を持っている異能の人たちが集結して何か大きな仕事を成し遂げるなど、コンサルティング会社の在り方が変わったり、コンサルタントの働き方が変化したりする展開もあり得るという予感があります。そういう未来を想像すると、コラボレーションの組み合わせはいくらでも考えられますので、今からワクワクしています(笑)。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)
http://diamond.jp/articles/-/65963
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