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ナッツリターン事件が助長する論拠乏しき「同族経営性悪説」 「世襲はダメ」の一般化は無謀
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150129-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 1月29日(木)6時1分配信
「ナッツ・リターン」――この言葉はあまりにも有名になったので、今さら説明をするまでもないが、簡単に整理しておく。2014年12月5日、韓国・大韓航空の趙顕娥(チョ・ヒョンア)元副社長が、ニューヨークから韓国・仁川に向かう自社機内で、客室乗務員のマカデミアナッツの出し方が悪いとして激昂し、飛行機を引き返させた事件である。韓国中を巻き込む大問題に発展し、父の趙亮鎬(チョ・ヤンホ)・韓進グループ会長は同月12日、「私の教育が間違っていた」と謝罪した。
ファミリービジネス(同族企業)の財閥10社がGDPの70%を生み出すという独特の経済環境を有する韓国のこととはいえ、15年4月から「後継者・起業家育成クラス」を岡山商科大学経営学部で立ち上げ名物ゼミにしようとしている筆者にとって、大変考えさせられる後継者問題だった。この原稿執筆段階では、同事件に関する裁判が始まったばかりだが、今後も注視していきたい。
●ファミリービジネス最大の悩みは「後継者選び」
さて、経営者にとって最後の大仕事は後継者選びといわれるが、家族という要因が大きく関わるファミリービジネスにとっては、その悩みは極大化する。「ファミリービジネスの悩み=後継者選び」と言っても過言ではない。
「血は争えない」との言葉があるが、身体的特徴だけでなく、人間の性格や行動がDNA(遺伝子)に起因するところは大きい。この論からすると、経営者を親に持つ息子や娘は経営者に向いている、ということになる。しかし、会社を起こし一代で急成長させた経営者たちに話を聞くと、その人生を振り返る時、判で押したように「私は運が良かった」と口にする。その言葉を鵜呑みにすると、運が良かったことがすべてのように聞こえるが、謙遜していることを差し引いても、運がかなりの部分を占めているように思えてくる。
戦後、焼け野が原から出発したベンチャー企業だった本田技研工業(ホンダ)やソニーがグローバルにビジネスを展開する大企業に成長した背景には、高度経済成長というバックグラウンドがあったことは否めない。だが、本田宗一郎や井深大、盛田昭夫という両社の創業者たちを見ていると、ビッグチャンスを掴もうとする時や難局に直面した時など、重要なポイントで適切な意思決定を行い、すばやく行動に移している。偶然にも良いチャンスに恵まれることもあるが、それにできる限りアプローチする戦略や努力は能動的であり、決して受動的ではない。そのような思考、行動の集積によってもたらされた結果を「運が良かった」と表現しているのであれば、その人個人の性格や行動が反映されているといえよう。もちろん、遺伝子によるところは大きいかもしれないが、育った環境、仕事を始めてからのキャリアなどが経営者の人格形成に少なからぬ影響を及ぼしている。
立志伝中の大物経営者の半生などを見てみると、家が破産し小学校も卒業せず大阪へ丁稚奉公に出て、苦労し松下電器製作所(現パナソニック)を起こした松下幸之助のように、育ちがハングリーであったから、どのような苦労にも耐えて成功したというケースが少なくない。確かに、日本が貧しかった時代に育った経営者にはそういう人が多かった。さらに時代を遡れば、明治維新とは下級武士たちによる革命ともいえる。豊臣秀吉は貧しい農民から身を起こし、天下をとったからこそ、戦国時代に「下剋上」という言葉が生まれた。確かに、ハングリーであることが大事をやり遂げる上で大きな突進力になったといえよう。
●優れた経営者に共通する「欲」
では、金持ちであると経営者になれないのだろうか。そんなことはない。盛田は愛知県常滑に江戸時代(寛文5年=1665年)から続く造り酒屋の15代当主として生まれた。何不自由なく暮らし、小学校時代から番頭たちと一緒に、今でいうところの役員会議に出席していた。奇しくも、セコムの創業者である飯田亮の実家も同じく酒を扱う老舗の酒問屋(東京日本橋)である。飯田は5人男兄弟の末っ子だが、跡取りの長男をはじめ兄たちは全員が経営者になっている。父の口癖は「人に雇われる男だけにはなるな」だった。飯田兄弟は皆、その教えを忠実に守ったことになる。
これらの例だけでなく、多くの経営者を類型化してみると、貧しいか豊かに育ったかは経営者の条件を決定づける要因ではないことがわかる。付け加えるとすれば、大成した経営者には、ただならぬ貧乏人、ただならぬ金持ちの姿が垣間見られる。何がただならないのか。それは、ビジネスや経営に対する執着心の強さである。言い換えれば、業を企てる欲、すなわち「企業欲」だろうか。
筆者が飯田に「どのような人材が欲しいか」と尋ねたところ、次のように答えた。
「欲をむき出しにした野心的な人、そして、新しいビジョンをデザインできる人が本当に欲しい。でも、いい(新しい事業を創出できる)デザイナーが一向に見つからない。もっとも、デザインできる頭の良い人は自分でビジネスを起こしているかもしれない。おふくろには、『角を取りなさい』と散々叱られた。でも『角が取れたら、人間おしまいだよ』と口答えしたことがある。角がある人間がいいの。ずっと角を張りながらがんばっていると、少しずつ削られる。そこで削られまいとして、また一生懸命がんばる。そこにエネルギーが生まれる」
経営史に名を残すような優れた経営者は、良い意味で欲を持ち続けた。これが大切なのだ。欲というと、いかにも脂ぎった守銭奴のようなイメージを受けるが、単にそれだけでなない。企業を成り立たせるには、情熱や使命感のような企業精神に加えて、利益にこだわる営利精神だけでなく、事業を通して社会に貢献する市民精神が求められる。これらを総体とするものを経営者の欲と理解したほうがよさそうだ。
●「現代型帝王学」教授の要諦
近年、株主重視経営の名のもとに営利精神に偏る傾向が見られたが、08年秋に起こったリーマンショック以降、経営者のバランス感覚が強く求められるようになってきた。その意味でも、ハングリーであることが過度に美化される経営者論も現在の潮流には合っていないのではないだろうか。かといって、「経営者となるには、金持ちに生まれなくてはならない」と言っているわけではない。大切なのは、親がどのような仕事をしていた人であれ、経営者マインドを持っていたか否かである。サラリーマン社長にインタビューしていると、「父は商売をやっていました」「父は中小企業の経営者でした」「母子家庭だったので母が大黒柱になっていました」と小さい頃から、姿はそれぞれ違えど、リーダーの姿を見続け、その行動パターンをしっかり記憶にとどめている人が多いことに気づく。
父が経営者で富裕な家庭環境で何不自由なく育てられたとしても、父が家庭で経営者の姿を見せ、口がすっぱくなるほど経営哲学を語り続けていなければ、子弟は経営者マインドを記憶に留めることさえなく、豊かさだけを享受した平和ボケの大人に育つことだろう。
また、同じ富裕層でも、日本がまだ貧しかった頃に育った人と、豊かになった時代に育った人とは決定的に違う。それは、「自分たちより貧しい人がいる」「私は恵まれている」という認識である。貧しい人が周りにいて、その生活を目にしていれば、「私は幸せだ、その分がんばって人々のためにならなくてはいけない」と思うお坊ちゃん、お嬢様は少なくないことだろう。だが、高級住宅街に住み、富裕な家庭の子息が集う学校に通学し、セレブな雰囲気しか知らないで育つと、はたして庶民の苦しみはわかるのだろうか。それを実感できなくても、企業家としての欲を死守しながら私利私欲を捨て庶民のために貢献する「ノブレス・オブリージュ」【編註:富や権力には相応の義務が伴うとする考え方】のような精神が育まれるだろうか。そういった意識をしっかりと持って帝王学を教えないと、勘違いするバカ殿が誕生する危険性を秘めている。
経済が豊かになり、精神が劣化したといわれる現代の日本においては、平均以上に豊かな家庭で育った人にとっては、あまりにも誘惑が多い環境になってきているといえよう。それだけに、体系的にしっかりとした帝王学のカリキュラムを考えておかなくてはならない。
長田貴仁/岡山商科大学教授、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
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