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特別座談会「アベノミクスと日本の現在」
出席者
□ 山崎 元:経済評論家、楽天証券経済研究所客員研究員
□ 北野 一:バークレイズ証券日本株チーフ・ストラテジスト
□ 河野龍太郎:BNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミスト
□ 村上 龍
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(第1回)
村上:山崎さんが最近のダイヤモンド・オンラインに「2015年、バブルは来る
か」という原稿を書かれていて、面白いと思ったのは「バブルが来るか」という表
現です。「今はバブルなのか」「バブルになるのか」「バブルはいつ弾けるのか」
という言い方はよくするけど、「バブルは来るか」というのは地震みたいでリアリ
ティがありました。現状、株価はバブルだと言えるのでしょうか。
山崎:現状がバブルだとはまだ思っていません。バブルの定義は、概ね、長期的に
は維持できないくらいの高い資産価格が大規模に続くことだと思いますが、現在の
株価が説明できないほど高いかというとそうではないと思う。PER16〜7倍とい
うと、株価1000円に対して60円ぐらいの利益がある。絶対値として高すぎる
ということはない。でもここからデフレ脱却に向けて、資産価格を上げようとして
いるわけです。そこに、いくつかの好条件が重なる可能性があります。
先ず、アメリカの景気が絶好調であること。加えて、原油価格が下がったというこ
と。まあ原油価格の下落にはいろいろな影響があって、必ずしもいいことばかりで
はないですけれども、特に日本にはトータルではプラスに働くはずの要因です。そ
こに、アベノミクス第2弾が加わる。端的にいって4月に消費税を上げたのが失敗
だったわけですが、その後始末をしながら、もう1回エンジンをふかそうとしてい
ます。やり方としては必ずしもいいと思えない面がありますが、日銀が公的年金の
持っている国債を買い、公的年金に株を買わせ、大規模に株を買う形での特殊な金
融緩和をしようとしているわけで、もう少し資産価格が高くなる可能性は十分にあ
る。
ただその高くなった資産価格というのはその後、日本成長率であるとか、アメリカ
の金融緩和が終わるとか、そういうことを考えると行き過ぎになる可能性がある。
経済と資産価格の循環を、時計のイメージで語ることが多いのですが、今は、アメ
リカが11時半から12時くらいの感じです。11時と1時を結ぶ線の上は資産価格が
高すぎで、5時と7時を結ぶ線の下は主にバブル崩壊後の株価などが低すぎる状態
のイメージです。現代の経済は、これが循環していて、どうしてもバブルまでいっ
てしまう。
その理由は、金融業が信用を拡大しすぎてしまうからで、そういうインセンティブ
が金融ビジネスの中にビルトインされているので、バブルに至らないで経済を維持
し続けるというのはどうやら難しい。そういうパターンを考えると、このまま景気
が頓挫するような形で終わる可能性がないわけではないのですが、1回バブルにい
ってしまうかも知れない。その場合でも、サブプライム問題の前とか80年代バブル
崩壊の規模のものにはならないと思いますが、そうして次の下落にサイクルに入っ
ていくのではないか。そんな可能性はあると思います。
そう考えると、株価が上がるとしても、2万円から先はあまり信用できない株価だ
な、とは思っています。ただ、現時点では、このへんでもう危ないよという賭けを
するか、それとも早売りしたいたちだけどもうひとつお祭りがあるよということに
賭けるかだとすると、少し後者の可能性があるという仮説を書いてみたわけです。
北野:バブルとは何かなのですが、まず、マネーが潤沢に供給されるからモノの値
段が上がる、というのはバブルではないと思っています。そんなことは起こらない
と思っているので。それよりも、むしろ僕らの頭の中に、循環論法が成立したとき
がバブルだと思います。上がるから買う。買うから上がる。上がるから買う…。下
もあります。下がるから売る。売るから下がる。下がるから売る。こういう循環論
法が成立するのがバブルだとすると、今、バブルの可能性があるのは下向きのバブ
ルだと思います。
BISのチーフエコノミストのヒュン・ソン・シンという人が、12月に書いたレポー
トが面白くて、ドル高が金融危機の引き金を引くのではないかというものでした。
なぜドル高が危険かというと、新興国の企業を中心に、ドル建て債務をかなり増や
している。残高でいうと1000兆円ぐらいあります。ドルが下がっているときに
は、債務は縮小するのでことなきを得るけれども、ドルが上がると、債務が膨らん
でしまう。バランスシートが悪化する。銀行が貸さなくなる。結果として世界経済
が縮小する。そういう仮説です。
今の原油安というのも、もちろん供給要因もあるけれども、需要要因もあるはずで
す。年に需要見通しを4回も下方修正している。原油安になったということを受け
て、日銀は緩和をするわけです。ECBもデフレは終わってないと言って緩和するの
ではないかと言われている。そういう中でドル高という期待が生まれる。緩和、ド
ル高、引き締め、需要の低迷、原油安。で、また緩和、ドル高……要するに日本銀
行は、デフレを脱却したいと思って追加緩和をしたのかもしれないけれど、結果的
には新たなデフレを生む。
今回の追加緩和そのものが、その輪がつながったという証拠だったのではないかと
いう見方もできる。そういう悪循環があると、原油価格というのは、コストから見
たら1バレル40ドルです、というのを突き抜けて下がる。新興国経済はむちゃく
ちゃになる。当然それは先進国に跳ね返ってくる。そういう循環がつながりつつあ
るのではないか、そういう下向きのバブルではないかと僕は思っています。
村上:そっちのほうが怖いですね。
北野:もちろんです。
河野:アメリカは相当な金融緩和状況が続いているので、実体に乖離して株なり不
動産なりが上がっていると思っています。日本の話から少し外れますが、資産価格
の話をするのであればアップサイドとダウンサイド、両方ありだなと思っています。
山崎さんがおっしゃるように、原油価格が下がっていること自体は、アメリカを含
めた先進国にとって、プラスです。原油価格の下落は、原油輸入国にとっては減税
と同じ効果があり、内需を押し上げます。一方で現象面では原油価格の下落がある
とインフレ率が下がっていく。インフレ率が落ち着いているので、中央銀行は金融
引き締めを急がなくていい、というロジックが広がってくる可能性がある。インフ
レは落ち着いている、減税効果もある、おまけに低金利が続くということになれば、
資産価格は上昇します。既に秋以降、こうした観測からアメリカを中心に株高が起
きているということはあると思います。
ただ、そもそもなぜ原油価格の下落が加速しているのか。我々がJMMで座談会を
やっていた15年前、原油価格は1バレル30ドルぐらいでした。それがこの10
年くらいは100ドルを越えるような状況が続き、2008年には一時、147ド
ルということもありました。基本的に中国をはじめ新興国で石油の需要が大きく増
えたので、原油価格の水準が30ドルから100ドルに変わった。ただどうやら2
011年初頭に中国は低所得国から中所得国への移行がほぼ完了し、高成長が終わ
った。そうすると以前のようなペースで石油需要の拡大は続かない。
2011年当時、私は原油価格は下がると思っていたのですが、そのときは下がら
なかったんですね。なぜ下がらなかったかというと、ひとつは日米欧、とりわけア
メリカのアグレッシブな金融緩和があったからなのですが、ついに2014年の1
0月にQE3のテーパリングが完了した。要は中国などで需要が落ちても、マネーの
力で価格が押し上げられていたのが、それがなくなり、本来の姿に戻ってきた。だ
とすると、ほかの資産にもこうした動きがあてはまるかもしれない。
まさに北野さんがおっしゃったことに対応するのですが、新興国からもっとお金が
出ていってもおかしくなかったのだけれど、アメリカが相当な金融緩和を行なって
いたからこそ、アメリカの低金利を嫌気したマネーが新興国市場とか原油市場とか
いろいろなところに流れ込んで価格を高値で支えていた。アメリカの政策転換で原
油が下がったのだとすると、新興国からもお金が出ていくし、さまざまなリスク資
産からもお金が出ていくということはあり得る。今後アメリカが政策金利を上げて
いくということになると、リスク資産の調整もあり得るのかなと思いました。
山崎:原油価格が下がることで、ロシアが大変なのではないかとか、ロシアは十分
な外貨準備があるけれども、ベネズエラやナイジェリアだとか相当あちこちで綻び
が出そうですね。あれこれ考えると、南米やアフリカに貸し込んでいる、あるいは
ロシアに債権を持っているという意味で、ヨーロッパの金融機関がもう一度火種に
なるのではないかという気もするのですが、ヨーロッパの金融機関に勤めている方
としてはどうですか。
河野:あり得ると思います。ただ確認しておきたいのは、10月以降の原油価格の
下落は多くの国で名目GDPを1%以上押し上げる効果があります。日本についてい
うと私の計算では1.5%名目GDPを押し上げます。ただし名目GDPを押し上げると
いっても実質成長率がそのまま高まるということではありません。減税されてもも
らった分だけお金を遣うわけではないのと一緒で、ガソリンの値段が下がっても浮
いたお金を全部遣うわけではありませんから。ただそれでも多くの先進国にとって、
トータルではプラスのはずです。
山崎:だから原油価格が下がるから株価も下がるというのはおかしい話ですね。
北野:ただ、原油価格が下がる原因をもう少し考える必要はあるんじゃないですか。
需要が弱いから下がるのであって、もちろんポジティブな要素はあるにせよ、世界
的に景気が鈍化しているから。アメリカは絶好調というけど、10月から利益はピ
ークアウトしているし、前年比で3%以上成長したのは2006年以降、1回もな
い。そんなに絶好調ですか、ということもあると僕は思います。
村上:北野さんのおっしゃるマイナスのバブルである可能性があるのだとすると、
それは安部政権が今後アベノミクスを推進していくうえでも何か影響を与えるので
しょうか。
北野:僕が思っているような悪循環が始まると、やはりアベノミクスはうまくいっ
てなかったんだな、というパーセプションにはなると思います。日本銀行がレジー
ムチェンジをして、物価目標を掲げてうまくいっているのだと思ってらっしゃるか
もしれないけど、何もしなくても今ぐらいにはなっていたんじゃないですか。外部
環境が悪くなると、結局何も効果はなかったんじゃないかという認識が広がると思
います。
村上:アベノミクスは勢いがなくなるということですか。
北野:そう思います。
河野:あるいはもっとやっちゃう。
北野:自分で自分の首をしめるようなことにもなりかねない。要するに金融政策が
為替レートに影響を与えるのだとすると、そのリスクはありますということです。
与えないのだとしたら、もともとそれはうまくいかない政策なんです。どっちに転
んでも厳しいのではないかと思います。
河野:私は2013年の終わり、もしくは2014年の初頭からアベノミクスはも
う破綻していると思っています。山崎さんが消費増税はやってはいけなかったとお
っしゃって、それは増税のあった4〜6月、7〜9月がマイナス成長になっている
からだと思うのですが、実は過去1年で、プラス成長になったのは、消費増税前の
駆け込み需要が起こった去年の1〜3月だけなんです。あとは2013年の10〜
12月からマイナス成長でした。
2013年の7〜9月まではアベノミクスの効果はあったかもしれません。中央銀
行ファイナンスによる大規模財政で成長を押し上げたかもしれないけれど、201
3年末には需要不足、スラック(余剰資源)がほとんどなくなっていた。そのこと
によって財政政策、金融政策の効果がほとんどなくなり、むしろ弊害のほうが大き
くなってしまいました。弊害は何かというと、たとえば追加補正を2014年の2
月に決めたけれど、建設労働者が足りないから公共投資ができない。民間の建設投
資もできない。あるいは労働集約的な産業、運輸業や小売業は人手が足りなくなり、
ビジネスが思うようにできなくなる。一種のクラウディングアウトが起きているの
で、アベノミクスの第2の矢はうまくいかなくなっている。
ここは議論の分かれるところですが、第1の矢について効果があったのだとするな
らば、金融緩和が円安を招いたということだと思いますが、円安になっても輸出が
増えない。むしろ2013年の終わりぐらいから消費は弱かったのですが、その理
由は円安によって家計部門の実質購買力が抑制されたからです。我々は消費増税前
の高い成長と、その後の反動減ばかりに気をとられていたけれども、実際には20
13年の終わりからアベノミクスの効果はなくなっていた。
山崎:第2の矢がどれだけ効果的なのかというのは、金融緩和に賛成の人も反対の
人も意見の分かれるところだと思います。ただ金融緩和に賛成の立場からいうと、
金融を緩和してもそれが中央銀行にブタ積みの状態で貯まるだけでは仕方がないの
で、需給ギャップを縮小する必要はある。ただそのやり方は適切ではなかったとい
うことでしょう。例えば公共事業に集めてしまうのはあまりうまいやり方ではなか
った。個人に広く購買力を与えればいいのだから、子ども手当でもやればいいんで
すよ。
減税でもよかったくらいのところで逆に増税してしまった。貨幣価値を下げて資産
価格を上げるということは、富裕層は儲かる。もうひとつ労働市場の最弱者層の雇
用は明らかに改善してきた。輸出は増えてないけれども、輸入品との競合で改善し
た分野もある。日本人の実質賃金を下げないと雇用は改善しない。中間層の実質所
得は明らかに落ちているわけです。でもそれはアベノミクスを始めたときからビル
トインされていた政策です。円安にして雇用を改善するというところまでは、そこ
そこうまくやってきたということ。
村上:安倍首相が「雇用が改善した」ということを批判するロジックとして、「正
社員が増えていない。増えたのは非正社員だけ」というのがありますが、山崎さん
のおっしゃっているのは、最弱者層は改善しているということですね。
山崎:バイトの時給はずいぶん上がっていますから。正規と非正規についていえば、
はっきり言って正社員の制度が悪すぎるんだと思います。雇うとクビにできない硬
直的なコストになるので、企業を経営する側からすると、人手不足でもできるだけ
非正規で間に合わせる。それで様子を見るのがうまい経営。一方ではそうやって経
営効率を上げてROEを上げろと言っている。ROEを上げろというのと賃上げをしろ
というのを両方言うというのは、ブレーキとアクセルを一度に踏んでいるような感
じがします。
ストーリーでいうと、富裕層にはお金を使ってくれ、と。失業してるような弱者層
には雇用を改善していく。中間層については生産性が賃金に反映されてこないと上
がっていかないわけだから、それは3本目の矢が飛んでくるとか、あるいは生産性
の改善というのはうまくいっても年間1%程度のものだから、そういうペースでし
か改善しないはずです。それなのに3%増税して、1年半後に2%増税するという
のは、不景気を予約しているようなもの。今回の増税の延期は適切だと思うが、1
年半後にやると決めてしまったのはリスク要因だと思います。
北野:アベノミクスという政策が2012年の11月からなのか、2013年の4
月からなのかはともかく、それがなくても、例えば有効求人倍率が今と同じになっ
ていた可能性は僕はあると思います。日本はほとんどアメリカと同じサイクルでし
か動いてないですから。アメリカと日本の株を相対価格で見たときに、日本の株価
は2011年より低いレベルで横ばっているわけですから、特別に日本の株だけが
買われたわけではない。それはアメリカも金融緩和をやっているからだろうという
声に対しては、まったくやっていないドイツとも株価的には同じなので、日本の政
策が効いたのかというのはきちんと検証してみないと分からない。最初の議論をき
ちんとやらないといけない。
河野:私も同じ立場で、安倍さんはある意味で運が良かったと思います。なぜかと
いうと、2012年の11月が循環的な景気の谷で、そこから回復が始まったんで
す。安倍さんが出現したから景気が良くなったのだと言いたい人がいるかもしれま
せんが、2012年5月から11月までの景気減速は世界的なものなので、安倍さ
んのおかげでアメリカや中国の景気が回復したというのは言い過ぎでしょう。
同時期に円安が始まったわけですが、私は当初、安倍さんが口先介入をしていたか
らかなと思っていたのですが、2012年秋というのはヨーロッパの債務危機が収
束して、それ以前のユーロ売り円買いのポジション調整が起きて円安に向かってい
た。あるいは2011年3月の東日本大震災にともなう原発停止による化石燃料の
輸入急増や、電機セクターの海外移転の増加で経常黒字が大幅に減少したというこ
とも円安の原因になっていた。回復が始まったこと自体はきわめて循環的な要因が
強かったと思います。
重要な点として、日本経済は2013年度に2.1%成長しているんです。私の計算
では日本の潜在成長率は0.3%なので7倍の成長ですが、その中身を分析すると、
半分は追加財政によるものです。4分の1は消費増税前の駆け込みの押し上げ。残
り4分の1が循環的な回復。私は金融緩和の効果というよりは、大規模財政の効果
だったのだろうと思います。大規模財政で成長が高まったらいいじゃないかと言わ
れるかもしれませんが、2012年度補正予算でどれだけ使ったかというと、10
兆7000億円、GDP2%強の資金を使って2%しか成長しなかった。これをうま
くいったと言っていいのか、というのが私の思いです。費用対効果でみたらまずい
政策ではないかと思います。
北野:河野さんと同じ意見です。ありがたい呪文を唱えたら病気が治ったとみんな
信じているけれども、呪文など唱えなくても治ったかもしれないという話です。そ
れぐらいのことは専門家と言われる人たちは河野さんのように分析して議論しない
と。
(つづく)
特別座談会「アベノミクスと日本の現在」(2)
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河野:金融緩和による円安効果はどう見てらっしゃいますか。
北野:2013年5月で切ると日本とアメリカの金利差のわりには、ずいぶん円が
安くなったなという面はあります。ただ、2013年5月から8月までの3ヶ月で、
アメリカの金利が1%上がりました。日米金利差も1%拡大しました。しかし為替
レートは103円から97円になりました。もしアベノミクスが非連続的な変化を
もたらすものならば、2013年5月から8月の間で、103円からたぶん120
円になってないといけない。それが横ばったということは、アベノミクス的な効果
は否定されたということだと思います。横ばいながら暴落していたというのが20
13年夏の出来事でした。
その後はずっと横ばいで、直近になってまた円安が進んだわけですが、これも金利
差から見ると正当化できないレベルまできている。ただこれに関しては、ひょっと
するとキャピタルフライト的なことが起こっているのかもしれない。アメリカの金
利が2013年より上がらず横ばいなのであれば、ドル円が急落するという形で調
整するかもしれないし、アメリカの金利が3%を超えるほど上がったとしたらドル
円レートはこのまま横ばいになる。そのどっちにもならないのだったら、ちょっと
悪い円安を考えざるを得ない。
なぜ悪い円安かというと、2013年の円安というのは、株でいうと銀行株と一緒
に上がっていったんです。円安になって、インフレ期待が出てきて、借り入れ需要
が増えて、銀行も恩恵を受ける。でも現在、銀行株は対TOPIXで最安値を更新して
います。株を見る限り、インフレ期待は生まれてないと思います。
山崎:アベノミクスのスタートをどこで見るかということですが、ひとつには解散
しますと言ったところ、もうひとつには渋る白川さんにインフレ目標を言わせて、
インフレ目標が2%なんだという期待をつくったところ。いわゆる異次元緩和とい
うのを発表したところではない。2%のインフレ目標というのはインフレ率が2%
になるまで金融緩和はやめませんということですから、先の金融緩和まで予約して
提出する効果があるので、それが円安につながる。物価は変動するとしても、2%
が目標ということは、物価が1%ちょっとまできてもまだゼロ金利のままだという
ことだから、将来に対する実質金利の期待値が変わるということです。
実質金利の期待値が変わるということは、やはり為替には強力な効果がある。イン
フレ目標付きで大規模な緩和をやったということですが、大規模な緩和というのは、
むしろインフレ目標を本気でやりますということの裏書きするような効果だった。
ただ銀行が持つ国債と日銀が持つ当座預金をとりかえっこする程度のことで、世の
中に直に大きな効果があるわけでもないし、あんなに大規模に買って出口があるの
かという声もありますが、入口でたいしたことが起きてないのだから、出口もたい
したことはないだろうなと思います。規模に驚いているだけではないか、と。
そういう意味で円安には、大規模緩和というより、インフレ目標が効いたのではな
いかと思います。
村上:前提として円安というのがいいものだというアナウンスメントがありますが、
貿易が赤字で輸出が増えないという中で、本当にいいことなんですか。
河野:私は悪いことだと思います。ただし理由が少し違っていて、2013年の終
わりか2014年初頭に経済が完全雇用に近づいた段階でむしろ円高のほうが望ま
しかったということです。円高がいいとか円安がいいというのは、貿易収支が赤字
か黒字かということとは関係ないです。もし経済に大きなスラックが残っているな
ら、円安によって、日本の商品が割安になって、輸出が増えれば、国内の生産が増
え、企業業績が良くなるだけではなく家計が受け取る雇用者所得も増えるので、全
体のパイが増える。多少円安によって輸入物価が上がっても、雇用者所得が増えて
いるから相殺できる。
けれども2013年の暮れから去年にかけては、円安になっても輸出は増えない、
輸出が増えないから生産も増えていない。一方で家計は円安で実質購買力が抑制さ
れている、だから消費が弱い。輸出企業の業績がいいといいますが、業績がいいの
は円安のせいではなくて、海外経済が好調だから儲かっているということ。確かに
海外で儲かった利益を日本に持ち帰るときに、円安によって換算上は膨らむという
効果はありますが、家計部門や圧倒的多数の内需セクターの実質所得を犠牲にした
もので、国全体ではプラスマイナスゼロです。
輸出企業が円安によって受けているメリットは、家計部門と内需セクターからの所
得の移転が起きているということで、むしろ所得分配や資源配分を歪めている。こ
のことを黒田さんがわかっていたら、消費増税の悪影響を、例えば量的緩和を手仕
舞いすることで円高に誘導し、輸入物価を押し下げることで、相殺することすらで
きた可能性があると思っています。消費増税で実質購買力が抑制されているところ
に、さらに円安で家計部門の実質購買力を下げてしまったというのが、私は201
4年夏の消費低迷の真犯人だと思っています。
北野:オーソドックスな説明は河野さんの話に尽きていると思います。為替レート
がどうなるかなんて誰にも予想できないことなので、当たった人にはいいけど当た
らなかった人には悪いという話なのですが(笑)、ミクロからいうと、2007年
は円安が進み、製造業の製造拠点の国内回帰が言われて、パナソニックが尼崎に工
場を作ったり、シャープが亀山工場を増設したり、いろいろやりました。そのとき
にサムソンはウオン高でしたから97年以来の大リストラをやりました。
その後リーマンショックが起こって急激な円高が起きると、その前に大幅な設備投
資をした企業は潰れるか潰れないかというレベルまでいきました。サムソンはひと
り勝ち。河野さんのいう資源配分の歪みがどう起こるか、それがいいほうに転ぶか
どうかにも関わってきます。
山崎:完全雇用ができた状態でさらに円安にする必要があるか、その円安は良くな
いことではないかということは、ある程度は言えると思います。ただその完全雇用
に達する前に、あるいは達した瞬間に、そこから円高に戻せばいいのかというと、
まず政策のプライオリティとしてはデフレを脱却することなので、デフレの脱却と
円安に持っていくというのは大まかにいって整合的です。
1ドル110円からは円安にしないで100円に戻したほうが良かったのか、12
0円への流れを維持することで良かったのかというと、政策的な順序としては12
0円のほうが良かったんじゃないでしょうかね。
北野:円安にするとかしないという議論を普通にやっていますが、それはできるの
かということも確認しておきたいと思います。私はできないと思っているので。
山崎:その点は確認が必要ですね。
河野:私が言いたかったのは、本来であれば円高が望ましかったところで、円安を
助長するような金融緩和をやってしまったことへの批判です。円高にできたとは思
ってません。
山崎:金融引き締めをすれば円高になったとは思いますよ。
河野:そういうことですね。
北野:同じようなことを、例えば2003年から2004年にかけて、1年半で3
5兆円も介入していても円高に進んだこともありますし、何とも言えないですね。
村上:山崎さんがおっしゃるデフレからの脱却が最優先というのは、ある程度コン
センサスがあるように思うのですが、
河野:私は最優先とは思っていません(笑)。
村上:幸せになれないのはデフレのせいになっているような気もするのですが、デ
フレというのは経済の停滞の原因なのか結果なのか、よくわからない。河野さんは
歴史的にみればそれほどひどいデフレではないとおっしゃっていますよね。
河野:それもあるのですが、2000年ぐらいにJMMで座談会をやったときは、資
産価格の下落とともに、金融部門が不良債権を抱えていて、デフレが問題だったの
は間違いないんです。でも多くの人が2000年代にデフレだと思っていた現象は、
実はデフレではない。今回のアベノミクスによるアグレッシブな金融緩和を用いた
円安政策の根っこには、2000年代半ば、日本人がデフレによってすっかり貧し
くなってしまったという認識があるわけですが、私はこの認識が間違っているのだ
と思っています。実際に分析すると、2000年代に物価は下がっていません。
ひとつだけ下がっているデータがあって、それはGDPデフレターなのですが、その
一番大きな理由は、中国をはじめ新興国ブームによって、彼らの旺盛な需要で原油
価格が相当上がった結果、日本から産油国に所得の移転が起こったからなんです。
さらに言うなら、2000年代半ばには円安にもなっていたので、もっと海外に所
得移転が進んでいた。我々が貧しくなった理由は資源高による輸入物価の上昇なの
であって、物価下落が引き起こしたわけではなかった。にもかかわらずそれをデフ
レが引き起こしたと思って今回の政策をやって、また実質購買力を下げてしまった。
なぜ2000年代半ばと同じ失敗を繰り返しているのか、というのが私のアベノミ
クスへの批判です。
北野:半分そうだと思うのですが、ただ所得移転で交易条件が悪化したというのは、
日本が得に悪化していて、ヨーロッパはそうでもないですよね。ということは、日
本は資源価格の上昇に対する対応にまずいところがあったんだと思うんです。
河野:私の分析では、ヨーロッパは当時ユーロ高だったので、原油価格の上昇をあ
る程度相殺できた。日本は円安だったので悪影響を増幅してしまった。あとヨーロ
ッパは資源価格の上昇を、輸出品に価格転嫁できたんです。日本はできていない。
山崎:資源高がダメージだったというのはその通りですが、1〜2%の物価上昇が
ノーマルだとしたときに、ゼロ近辺というのはやはりデフレですよね。2%の物価
上昇率がある状態で、実質金利をマイナスに落とせるような金融政策が使える状態
と、そうでない状態とでは、明らかに金融政策の効果が違う。例えば完全雇用を達
成しようとしたときに、使える手段が違うわけです。
河野:金融緩和の効果が限られるからデフレがまずいということですか。私が理解
できないのは、インフレ期待があれば不況は避けられるのかということです。例え
ば4月に増税すべきではなかったというのは、デフレだからですか。デフレから脱
却できてたんじゃないですか。
山崎:まだ脱却できていません。2%程度のインフレ率が継続した場合に、脱却で
きたと言えるんじゃないですか。
河野:2%のインフレ率が継続していれば、消費増税しても大丈夫だった?
山崎:大丈夫だった可能性はあります。しかし、完全雇用に十分近づく前に需要を
吸収したらデフレを脱却することはできない。
河野:デフレから脱却すると、景気に負のショックが加わっても不況になりにくい?
山崎:例えば金融緩和の効果を出しやすいので、不況になりにくいとは言えます。
北野:今の議論を整理すると、消費税を増税すると、景気にネガティブな影響を与
えるのは当たり前の話なんです。それに対して将来の財政再建がトレードオフの関
係にあるわけですけれども、山崎さんは財政問題をそれほど深刻視していないし、
河野さんは財政健全化のほうが重要だとたぶん思ってらっしゃる。そこでズレがあ
るので、消費税と景気の関係の議論というのはあまり意味がないと思うんです。
河野:私は4月に消費増税がなくても、2013年の10〜12月から需要不足が
ほとんど解消されていたので、需要不足が解消されれば、経済というのは潜在成長
を超えては大きく成長できない。日本の潜在成長率はほぼゼロですから、日本はこ
の1年、増税がなくてもゼロ成長だったんじゃないか。景気の先行きが心配だから
と言って今回増税を先送りしましたが、2017年4月も、潜在成長率はゼロに近
いわけだから、改善してることはないというのが私の認識です。
(つづく)
特別座談会「アベノミクスと日本の現在」(3)
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村上:北野さんがおっしゃった2007年のことですが、なぜか日本の電機メーカ
ーは、アップルとホンファイのようなことができなくて、その後莫大な利益を失い
ましたよね。日本の不況感の原因のひとつは、デフレとか増税というマクロなこと
のほかに、これまで日本をリードしてきたメーカーがあまり利益を出せなくなった
ことも大きいですよね。
山崎:大きいですね。新しいビジネス、元気な会社がなかなか出てこない。いちお
う楽天グループに勤めているので、いい会社もあるぞという話をしなければいけな
いかもしれませんが、全体としてはそういうことですね。ただ電機に関しては、産
業構造がいけてなかったという問題があります。電機の人たちの投資は、利益が出
たら投資する、みんなで一緒に投資する。だからお互いに叩かれる。小売、流通の
ほうでも、徹底的に価格を叩かれる。日本では大手家電といわれても世界ではそれ
ほど大きくないメーカーが、このマーケットのサイズのところにひしめいているわ
けですから、経営的には厳しかったですね。
河野:もちろん一番大きいのは経営判断のミスですが、当時の極端な円安というの
を実質ベースでみると1980年代半ば、プラザ合意以前以来の円安だったわけで、
その円安がなければ、ひょっとしたらソニーはファブレス企業になれたかもしれな
いし、ものづくりに自信がある企業は、ファウンドリーとかEMSになれたかもしれ
ないと思います。本当は人件費の高い日本では国内生産能力を増やしてはいけなか
ったはずなのに、相当な円安に動かされてしまった。
ドイツとの違いでいうと、ドイツは原油高でも価格転嫁ができるような付加価値の
高い製品をつくっている。日本の大きな問題は、輸出価格を引き上げることができ
ないことなんです。私が一貫して思っているのは、1970年代、ブレトンウッズ
体制が終わった頃から、日本の企業は円安で輸出するというスタンスを変えないと
いけなかったということです。ところがブレトンウッズ体制が崩壊し、新興国が割
安なレートでドルにペッグして大量に輸出するようになっても、同じ土俵で戦った
ので、人件費の高い日本企業は当然負ける。その典型が電機セクターだったのでは
ないかと思います。
マクロ政策と結びつけてお話ししたいのは、通貨安によって輸出を増やそうという
戦略自体が、すでに破綻している。今回のアベノミクスによる円安を通じた輸出主
導での回復は、それって昭和の発想じゃないの、という気がします。
北野:2007年の円安で企業がヘタをうった背景としては、あのときの円安が言
ってみればバブルだったからだと思うんです。当時、多くのエコノミストが言って
たのは、円キャリートレードで、円は永遠に安くなるということです。円が安くな
ると、円でお金を借りる人が増える。お金を借りる人が増えるとまた円安になる。
円安になることでまた安く調達できる。このサイクルはどうやって終わるのか。終
わらないから永遠に円安だというわけです。
もし企業経営者が同じことを思えば、永遠に円安なのだから日本で作ったほうが得
だというふうになる。でもそれはバブルだったわけです。もう1点、みんな同じタ
イミングで投資したというのはその通りだけれども、先日、日経の記者のインタビ
ューを受けてROEの話になって、「日本企業が目指すべき経営指標は何ですか」と
聞かれたんです。でも日本企業が同じROEの%を目指したら、みんな同じことをや
るに決まってるじゃないですかという話をしました。
同じことをやって失敗したのが歴史の教訓だとしたら、今やろうとしている政策な
どはまた同じことを強いることになる。いろいろな意味で何も学んでないという気
がします。為替政策しかり、企業経営のガバナンスの問題しかり。
村上:『カンブリア宮殿』をやっていて、最近、成功企業が小規模になっている気
がしてしかたないんです。もちろん大企業もあるのですが、何か小さな旗があちこ
ちで点々と振られていて、それが線にも面にもなってないような印象があります。
そういうアナウンスがあふれているので、それも幸福感が薄い原因なのかなと思い
ます。
河野:資源配分のゆがみという話をしましたが、既に1990年代の終わりから、
労働力の減少が続いています。生産年齢人口は10%近く減っている。いろいろな
理由で日本の企業は海外に工場を移転させていますが、多くの企業からすると、日
本は特に若年の雇用が減っているので、継続的に安価な雇用を確保できなくなって
いる。マクロ的に見ると、限られた労働力が、ものづくりからサービス、貿易財か
ら非貿易財の生産に移転しているんです。
ここで無理に円安政策なりで輸出を刺激しようとすると、本当は非製造業部門で生
まれつつある成長分野の芽を摘んでしまうことになると思います。輸出を刺激する
というのは既存の大きな企業を刺激しているということで、その結果、将来生まれ
てくるであろう内需セクターの成長分野の出現を邪魔している。そして2007年
のときのように輸出企業が国内に工場を戻すと、恩恵を受けていた輸出セクターも
過剰設備や過剰雇用を抱えることになってしまう。それは結局、経済の実力そのも
のを下げていることになるのではないか。
今回の円安というのは実質的には1973年に相当するこれほどの円安なのだけど、
今のところ安心しているのは、2007年の電機セクターのトラウマがあるので、
簡単には国内で工場を増やしていない。政府の意に反して民間が投資をしないこと
に、安心しています。学んでないのは政府だけという気がします。
山崎:新しいビジネスが出にくいということでいうと、若くて優秀な人が何を選ぶ
かと考えたときに、大きな組織を選んだほうが得である、人材の流動性があまりな
い中で、リスクをとることのコストが高すぎる。昔ある人が「東大を出ると社長に
なれない」という本を書いたのですが、東大を出るとわりといい職場に就職できて
有利な人生を歩むことができるから、リスクをとって起業しようという話にならな
い。
そういう意味ではアメリカは、リスクをとって失敗してもまた再チャレンジができ
る点が、雇用制度としても社会の雰囲気としてもいい。日本場合、よくベンチャー
に資金が回らないのがいけないのだということが言われますが、たぶん足りないの
は金ではなくて人だと思います。真に優秀な人たちがこぞってスタートアップに集
まってくるようなゲーム構造になっていない。お金については様々な金融機関がベ
ンチャー向けの資金を用意していて、少しでも有望な会社があると一斉に群がって
くるようなところがある。
村上:河野さんと山崎さんの話を合わせると、日本人の考え方にしろ企業経営にし
ろ、近代化から高度成長のころまでは最もよくマッチしていたものが、その後はず
っと合っていないということだったら、すごく暗い話になりますね。
北野:合ってないのはその通りだと思います。この20年間の構造変化でいうと、
株主構造がだいぶ変わったんです。ほとんど日本人どうしが持ち合っていたものが、
今は外国人が3割近くなっています。日本経営に欧米流を導入しましょうというこ
とが言われてきましたが、それが日本人の体に合ってないのではないかと思ってい
ます。その意味でマッチしてないんだと思います。
例えば東証1部と2部。2部のほうがROEは低いです。しかしこの20年の株価の
パフォーマンスを見ると圧倒的に2部のほうが高い。結果的に高くなるのはいいこ
とですが、果たしてROEみたいなものを目的にしてしまうことの弊害に、あまりに
無頓着なのではないか。それをさらに強化しようとしているのが今の状況なので、
もっと悪くなる可能性はあると思っています。
マッチしていないというのはその通りですが、なぜマッチしてないかというと、欧
米のやり方が唯一の正しい答えであるかのように受け止めてしまっていることでは
ないでしょうか。それぞれの体、歴史、文化に合った経営のやり方はあるし、一ツ
橋大学がCFO育成とか言っているけど、CFOなんて要らないんじゃないですか。番
頭さんがいればいいでしょう、と。信用できる番頭さんがいるほうがよほど日本企
業にはマッチしている、というような議論がなさすぎると思います。
村上:世界標準に合わせようとして、逆に合わなくなってしまったということです
ね。
北野:以前、ソニーの社長が文藝春秋に寄稿して、EVA経営でソニーはおかしくな
ったと書いてありましたが、そういうことがずっと起こっているんじゃないかと思
います。結果としてROEが高いことには賛成なのですが、それを目標とすると、余
計なものを全部省いていってしまうことになる。そのことのデメリットにもう少し
自覚的であるべきではないかと思います。
河野:ガバナンス構造が変わったことで、日本の企業が投資なり採用なり支出を抑
制したことが、マクロ経済に大きな抑制効果をもたらしたと思いますか。
北野:大きいかどうか程度はわかりませんが、抑制効果はあったと思います。これ
は大事なポイントで、「ファーム・コミットメント」というコリン・メイヤーとい
うイギリスの経済学者が書いたなかなかいい本があるのですが、彼はこう書いてい
ます。株主価値を目標とすることが、その企業及び業界に対して、悪影響を及ぼす
ことに自覚的であるべきだ、と。
それを読んで、神戸大学で経営学を教えておられた加護野忠男先生に、「コリン・
メイヤーはここまで書いておきながら、どうして株主価値を目標とすることが、国
民経済にも悪影響を与えると書かなかったんですか」とお聞きしました。 すると、
「それを書いたら、新古典派経済学者と全面戦争になりますからね」と。経営学者
と経済学者はここのところで棲み分けているところがありますね。
河野:会社は誰のものかというときに、株主のものだという答えは、経済学的には
自明のものではなくて、多くの国で法律的にそうなっているからなんですね。
村上:北野さんがおっしゃっていることはなかなか賃金が上がらない理由でもあり
ますね。
山崎:そうですね。いわゆるトリクルダウンは自然には起こらないし、まさにそれ
を起こさないようにガバナンス改革と言われるようなことをやっている。
北野:山崎さんが最初におっしゃった、ROEを上げると言って賃金も上げろという
のはおかしい、というのと同じことです。
山崎:コストを抑制して利益を出す。キャッシュがあればそれを賃金に回すよりも
自社株買いや配当に回して、自己資本をスリムにする。数値目標としてのROEをて
っとり早く達成するにはそういう話になりますよね。
北野:外国人に見せると「へー」となるのは、日本の社長の平均在任期間なんです。
4年以内の人が50%と、短いんです。それぐらいしかやらない人がROEを上げろ
と言われたら、コストカットしかやれることがない。相手を見て目標を与えてあげ
ないと。
河野:アベノミクスで一番評価しているのは、賃金を上げましょうと働きかけてい
ることです。ただここで悩ましいのは、株式保有構造が変わったというのはグロー
バルで起きていることなので、一国経済に悪影響があるとしても、うまく回避でき
るツールがあるのか、ということです。
北野:ただ資本コストは国によって違いますから、そこをきちんと理解せずに、適
当に7〜8%と言ってる国が一番ダメージを受けるんじゃないですか。河野さんが
言うように潜在成長率がほぼゼロの国に、なぜ他の国と同じ資本コストを要求して
くるの、ということを議論しなければならない。要はそこのところで事実上の金融
引き締めをやっているということではないですか。
山崎:賃上げするのがいいことかどうかというと、理屈の上ではそれは政府が言う
べきことではない、政府は完全雇用になるような環境を提供し、後は個々の企業に
任せるべきである、になるのだと思います。そういう意味では円高よりは円安のほ
うがいいと思うけれども、賃金が上がらない状態で物価上昇期待をつくるのは非常
に難しいので、首相がそんなことを言うのも仕方がないのかな、という気がします。
すべての組合を合わせたより安倍さんひとりのほうが役に立っちゃったりしますか
ら。
河野:為替の変動には両サイドありますよね。輸出をする人は円安になるとメリッ
トを受けるけど、輸入をする人はデメリットを受ける。為替に働きかけようとする
のは所得分配にも影響することなので、企業部門と労働者部門での所得分配が歪ん
でいるという認識をするならば、為替に働きかけることもそれとそんなに変わらな
いことだと思います。
北野:ROEを上げようとすることと賃金を上げようとすることを両立させようとす
ると、結局は売上高を増やせということになるんです。だったらストレートに売上
を増やせと言えばいいんです。でも売上高を増やせと言った瞬間にみんな思考停止
になってしまうんです。
山崎:少なくとも社外取締役を増やしたところで売上高は増えませんからね。
北野:本当はどうやったら全体として売上を増やせるかを議論しなければいけない
のですが、それに答えを持っている人はほとんどいないんじゃないですか。
河野:円安によって輸出を増やそうとすることと、低賃金労働によって輸出を増や
そうということは、結果的に同じことだと思っています。韓国と日本が典型的なの
ですが、両方とも低い輸出価格で大量に輸出しようとする。円安になると日本が有
利になって韓国は苦しくなる。韓国は人件費を削る。円高になったら、やはり日本
は安く輸出しようとするから賃金を削るしかない。結局、安い価格で輸出を増やそ
うとする戦略自体が、低い賃金の雇用をもたらしている。
北野:河野さんがおっしゃるような矛盾はあちこちに出てきている。売上高を増や
さないとそれらを解決できないんですよと言ったときに、みんなが頼るマジックワ
ードがイノベーションなんです。イノベーションを起こせばいいと言うんです。そ
う簡単に言うけど、どうやったらイノベーションを起こせるんですかというのを教
えてくれる専門家はほんとにいないんです。教科書にも最終的にイノベーションを
起こさないといけないと書いてあるけれども、それで責任を果たしたかのような書
き方をしている。
山崎:簡単に起こらないありがたいものだからそう言うんでしょう。
河野:でもアベノミクスの第3の矢の成長戦略もそういうことですよね。
北野:まさにそうです。
村上:イノベーションを僕はただの技術革新だと思っていたのですが、オムロンの
創業者の立石一真さんは、真のイノベーションとは、科学の発展と、技術の進歩、
それに社会、その3つが、相互に関係し合うような変化を生み出すことだと言って
るんです。実際、自動改札とか銀行のATMとかは社会を変えてしまったわけですが、
そう考えると、イノベーション、イノベーションといくら言っても、なかなか起こ
らないだろうなと思うんです。もちろんメーカーだけではないのでしょうが。
北野:東京マラソンもイノベーションと言われていますから(笑)。でも2000
年ぐらいももうみんな欲しいものはないなどと言っていましたが、それから何十億
台も売れるスマホが出できたりもしてますから。
村上:みんなアップルの名前も出しますよね。スティーブ・ジョブスが出てくれば
いいんだ、とか。
北野:どうやってイノベーションを起こせるかというと自分にも答えはないのです
が、イギリスのジョン・ケイという経済学者がイノベーションについて書いていま
す。それによるとイギリスが誇るイノベーションは3つあって、それはDNAの構造
を解明したこととコンピュータとペニシリンだ、と。本当にイギリスなのかという
疑問は別にして、この3つに共通するのは、生み出した組織というのはノンガバメ
ントで非営利だというんです。日本の処方箋というのは政府主導で株式会社化すれ
ばうまくいくというものじゃないですか。イノベーションというものを科学してな
い人の考えなんじゃないの、という気はします。
山崎:ビジネス的に有望な新しい組み合わせがイノベーションだとすると、およそ
イノベーションから一番遠いところにいる人たちが指導してあげようと言っている
のが日本的成長戦略の相当部分ですよね。ほっといてくれというか、何か分野を決
めて、STAP細胞みたいなものを作らないといけないんだと言って研究費をつける
ようなことをするよりは、優秀な人が自由にできるような環境を作ることが、新し
いビジネスをつくっていく上で大きいんだろうなという感じがします。
(つづく)
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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JMM [Japan Mail Media] No.828 Extra- Edition4
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【発行】村上龍事務所
【編集】村上龍
【発行部数】92,621部
【お問い合わせ】村上龍電子本製作所 http://ryumurakami.com/jmm/
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