【第44回】 2016年1月7日 野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問] 日本の利益となる輸入価格下落がなぜ成長につながらないのか 日本経済に最も大きな利益をもたらすのは、資源や国際商品の価格が下落することだ 新年は波乱の幕開けとなった。株式市場は、昨年の夏以来の大きな変動となった。これは、世界経済が大きな不確実に直面していることの反映だ。 ただし、変動は、アメリカ金融正常化後の新しい均衡を求めての市場の模索である。重要なのは、金融正常化によってもたらされる新しい動きを検出し、それを適切に活用することだ。以下では、日本にとっての最も重要な動きは、資源価格や商品価格の下落であること、それを経済成長に結び付けるには国内物価の引き下げが必要であることを指摘する。 資源・国際商品価格の下落は 日本にとって最大の利益 株価が今後どのように推移するかまったく予測ができないが、アメリカの金融正常化は投機の時代の終了を意味するので、株価に影響が及ばないはずはない。今後、ニューノーマル(新しい均衡)に向けての模索が続けられることになるだろう。 ただし、株価の下落は、経済のムードには影響しても、実体経済に直接の影響を及ぼすことは少ないだろう。株価の下落は、これまでバブルで膨らんでいた株価が正常な水準に戻りつつあることを示すものだ。これは、とりわけ中国の株価について言えることである。 アメリカの金融正常化が引き起こす動きの中で、日本経済に最も大きな利益をもたらすのは、資源や国際商品に対する投機が縮小し、これらの価格が下落することだ。 これまで、金融緩和によって投機資金が供給された結果、資源や国際商品に対する投機が増加し、その価格が実需によって正当化されるよりかなり高い水準になっていた。 ところが、金利が引き上げられると、レバレッジ投資で投資額を膨らますための短期資金の調達が困難になり、投機が減少する。このため、資源価格や国際商品価格が下落する。 この影響は、日本の輸入価格にはっきりと表れている。 交易条件が大幅に改善 輸入価格下落は明らかにプラス 契約通貨ベースの輸入物価指数の総平均を見ると、図表1のとおりだ。アメリカがQE3の終了を宣言した2014年の秋から急激に低下したことが分かる。 15年11月の輸入物価指数総平均の対前年比は、19.0%減となった。こうなった最大の原因は、石油・石炭・天然ガスの価格低下(42.9%低下)だが、それだけではない。 金属・同製品も23.0%と大幅に値下がりした。上昇したのは、繊維品(1.9%上昇)と輸送用機器(1.1%上昇)のみで、その他はすべて下落した。 価格はいまだに底を打ったとは見えない。今後も、新しい均衡を求めての調整が続くだろう。 ◆図表1:輸入物価指数の推移 (資料)日本銀行 なお、1月3日にサウジアラビアとイラクが国交断絶をしたことで、原油価格が反騰するのではないかとの見方がある。 ただし、つぎの諸点を考えれば、大幅な上昇はないだろう。第1は、これまで述べた投機資金の減少だ。第2は、世界的な経済成長の低下(とくに中国の経済成長の低下)による実需の低迷である。そして第3は、価格が上昇したとしても、シェールオイルの増産で価格が抑えられることである。 輸入価格が下落する半面で、輸出価格はあまり大きな下落を示していない(図表2)。日本の輸出は工業製品であるため、投機の対象にはなっていなかったからである。 ◆図表2:輸出物価指数の推移 (資料)日本銀行 このような輸出入価格の変化は、日本に対して明らかにプラスの影響を与える。それは、交易条件の改善によって表される。 ここで交易条件は、輸入価格/輸出価格によって与えられる。この推移を図表3に示す。 契約通貨ベースの輸出入価格で計算した交易条件は、14年の秋頃から顕著に上昇した。それまでに比べて1割以上上昇という大きな改善だ。 ◆図表3:交易条件の推移 (注)交易条件指数=輸出物価指数/輸入物価指数(契約通貨ベース) (資料)日本銀行のデータを用いて算出 交易条件が改善したのに 賃金が上らないのはなぜか? 交易条件の改善は、本来であれば、賃金を上昇させるはずだ。 それを理解するために、住民が1人しかいない島国を考えてみよう。その人は島にあるヤシの実を採集し、それを輸出して、外国から衣服を輸入するとする。もし衣服の値段が半分になれば、いままでと同数のヤシの輸出によって、2倍の量の衣服を得ることができる。これが彼にとっての賃金であるわけだから、賃金が上がったことになる。 しかし、現実の経済では、必ずしもこのとおりのことが生じない。上に見たように交易条件は1割上がっているのだから、賃金がかなり上がってもよいのだが、現実にはほとんど上がっていないのだ。 その理由はいくつかある。第1は、国民の全員が輸出産業の従業員ではないことだ。だから、交易条件改善の効果は「薄められる」。 第2は、現実の経済活動では、さまざまな生産要素が用いられるから、賃金だけが利益を受けるわけにはいかない。貿易に従事しているのは企業だから、交易条件改善の利益の大部分は、企業の利益になって、賃金という形では払い出されない。企業の利益は、配当されるか、内部留保の増加になる。後者は株価の上昇を通じて株式保有者の所得となる。 同様のメカニズムは、円安に関しても生じている。この連載の第39回で述べたように、円安で製造業大企業の利益は増加した。しかし、人件費は増加しておらず、利益は主として内部留保となり、株価を上げて、資産所得者の所得を増大させた。 他方で、円安によって物価や原材料費が上昇するので、労働者の賃金所得や零細企業の利益は増加しない。 資源価格や国際商品価格の下落も、企業の原材料費を減らすだけで、賃金上昇には回されない可能性がある。 つまり、交易条件の改善は、確かに日本を豊かにしているのであるが、その利益は主として資産保有者に帰属し、労働者には帰属しないことになる。 ところが、資産保有者の消費性向は低いために消費が増大することにはならず、資産の蓄積をもたらすだけの結果に終わる。他方で、労働者の所得が悩むために、彼らの消費が伸び悩む。この結果、経済全体の消費が伸び悩み、GDPが伸び悩む。 結局のところ、交易条件の改善が経済成長につながらない。 必要なのは国内物価の引き下げ それが実質賃金を上昇させる 円安による原材料価格の上昇も、すべては消費者物価に転嫁されているわけではない。これについての分析は、『期待バブル崩壊』(第5章の2、ダイヤモンド社、2014年)で行なった。 そこで示したように、原材料価格上昇の約3割は消費者物価に転嫁されているが、残り7割は、転嫁されずに企業の負担になっている。 資源・商品価格の下落による輸入価格の下落は、これと逆方向のものであるが、同じメカニズムが働いていると考えられる。 円安の場合と同じく3割程度が消費者物価に転嫁されるとすれば、輸出物価がほぼ不変で輸入物価が年間ほぼ2割低下しているのだから、消費者物価を2%程度下げる効果があるはずだ。その理由はつぎのとおり。日本の年間輸入額はほぼ95兆円なので、その2割は19兆円。その3割は5.7兆円。これは、最終家計消費支出の2%にあたる。 しかし、現実には、それほどの低下は生じていない。これから見ると、輸入価格上昇の場合に比べて、下落の場合には製品価格への転嫁率が低いようだ。価格引き上げの場合は売り上げの減少を招く危険があるため、抑え気味になるのだろう(ガソリン税の影響で、原油価格の下落がガソリン価格に反映されにくいという事情もある)。 現在企業の業績が好調なのは、このように交易条件の改善による利益の部分が大きいと考えられる。この消費者への還元は、賃金を上げることによってではなく、製品価格の低下によって行なうべきだ。 つまり、現在の日本において必要とされるのは、日本銀行が望んでいるような物価の上昇ではなく、物価の引き下げである。それが賃金の実質値を引き上げるのだ。 なお、企業の内部留保が増えてそれが賃金に分配されないことが問題であるのなら、現政権が行なっているように賃金決定過程に介入し、賃金を上昇させるべきだとの意見があるかもしれない。 しかし、いま述べたように、賃金の引き上げでなく、物価の引き下げが必要だ。 また、政府が春闘に介入しても、経済全体の賃金は上がらない。賃金を下げているのは、春闘には関係のない零細中小企業だからである。 輸入価格の下落によって GDP600兆円目標が実現する? 安倍晋三政権は、2020年にGDPを600兆円にするとしている。この問題と、上で述べた問題との関連について触れておこう。 15年7〜9月期のGDPは年率で約500兆円なので、かなりの成長が必要だが、単純に計算すれば、今後、名目成長率3%が実現できれば、600兆円は達成できる。 ところで、輸入物価の下落は、GDPデフレーターを上昇させる(輸入はGDPの計算で控除項目だからである)。したがって、名目GDPを増加させる。そこで、輸入物価の下落によって600兆円目標が達成できるとの考えがある。 しかし、輸入物価の低下が今後も現在のような率で続くとは考えられない。現在生じているのは、金融正常化に伴う物価水準の訂正だと考えるべきだろう。そうであれば、輸入物価の低下によって3%の名目成長率を実現することはできない。 また、輸入物価の下落がGDPデフレーターを引き上げるのは、国内物価に転嫁される前の現象である。完全に転嫁されれば、国内物価を引き下げることになるから、GDPデフレーターに与える影響はゼロになる。上の効果は、一時的なものにすぎない。 また、人々の生活にとって重要なのは、名目値でなく、実質値である。資源価格下落の効果は、実体経済に与える影響を考えるべきだ。ここでは水準の低下も大きな意味を持つ。 仮に交易条件の改善が物価の下落を通じて実質消費の増加につながれば、実質成長を引き上げることができる。そのような経済構造の構築を目指すべきだ。http://diamond.jp/articles/-/84243
過去最大の一般会計歳出、削減進まず(大前研一) 【日本】経済統計のブレ GDP増減逆転は2000年以降6回 日経新聞は、「経済統計なぜブレる」と題する記事を掲載しました。これは7-9月期のGDP伸び率が速報値のマイナスから改定値でプラスに転じたことを受け、閣僚の間でも経済統計の精度が再び論点になっていると紹介。サンプル調査である出荷統計、法人企業統計は、精度を高めるにも予算などで限界があるほか、個人消費もネット通販や外国人消費の拡大といった経済構造の変化で見えにくくなっているとし、改善と変化のいたちごっこの中、より良い物差しを探す作業は続くとしています。 これだけ速報値と確定値が違ってくると、どれが本当かわからず、経済判断ができなくなってしまいます。2000年以降、6回もプラス、マイナスが逆転してしまっている状況です。最近の動向を見ると、なんとなく政権の意向が反映されているのではないかという気がします。今までの統計のズレは皆が素直に受け入れていましたが、今回はやはりアベノミクスで2%インフレだとして、無理に上の方の数字を使っているのではないかという疑念が晴れないわけです。 もう少しずれない数字で経済を見ていく必要があり、最終的にはGDP全体ではなく、電気使用量など経済活動にリンクするような、ブレない数字を使うべきでしょう。中国はそうしたことで水や電気の使用量を参考にしていますが、日本でもそうしたことが必要になると思えるほど、大きくブレることが増えてきているのです。 その政府は企業に賃上げを望んでいますが、日経新聞社の調査結果によると、過去最大規模に膨らんだ内部留保の活用先について、「M&A」と「株主還元」という回答が、いずれも44.8%に達しました。一方、「賃上げ」など従業員への還元は14.5%に留まり、官民対話などを通じて企業に賃上げを求める政府の意向と一致していない現状が示されました。 麻生氏が守銭奴と呼んだ354兆円もの内部留保は、株主に対する配当と、M&Aをやっていくときのためのものです。もともと、政府の要望がずれているので、こうした回答になるのは当たり前と言えます。「賃上げ」や「設備投資」は経費の中に入ってくるものなので、政府の要請に「違和感を感じる」という回答が多いのも当たり前だと思います。 【日本】一般会計の歳出総額96兆7218億円 歳出減進まず 政府は24日、2016年度予算案を閣議決定しました。それによると、国の予算の基本的規模を示す一般会計の歳出総額は、96兆7218億円と、4年連続で過去最高を更新しました。安倍首相が掲げる1億総活躍社会の実現に向けた関連政策により社会保障費が膨らむことなどが要因で、歳出の切り込みはほぼ手付かず、財政健全化に課題を残した形です。 税収が増えたことをチャンスとして国家債務を減らしていくという当たり前のことを今回はやらず、それをまた使ってしまい歳出減は全くなかったということです。理由は、参議院選挙があるからということですが、選挙はいつでもあるもので、その度にこうした大盤振る舞いをしていては困るのです。 日本の場合、長い間歳出が歳入よりも遥かに高いレベルを維持していて、そのことにより、対GDP比で見ると世界一の借金国となりました。しかし、それを埋めようという努力をいずれの政府もやってきていないのです。民主党政権になった時期もありましたが、その時もやっていないのです。このままでは国債暴落という状況にならざるをえません。 一般会計歳出の主要経費の推移を見ると、この25年の間に何が変わってきたかというと、社会保障費です。かつて1990年には11兆円だったものが、今は構造的に32兆円にまで増えています。地方交付税は15兆円で変わらずですが、国債費は14兆円だったものが23兆円に上っています。こうした項目にはあまり手がつけられず、真水の部分にはなかなか金が向かわないということになっています。 構造的に社会保障費を抑え込むやり方をしないと、にっちもさっちも行かなくなってくることは明らかでしょう。しかし、今回の予算編成を見る限り、安倍政権にはそうした危機感は全くないと言えます。 また、その国債ですが、日銀の統計によると、外国人が保有する日本国債と国庫短期証券の残高は9月末時点で101兆円と、前年同期比16.5%増加したことがわかりました。ヨーロッパなどで国債の利回りが低下したことを受けて、日本国債に資金を振り向ける動きが広がった形です。 日本の国債は日本人が持っているので、おかしくなってもすぐに売り逃げることはないと言われてきましたが、100兆円ともなると、売り浴びせる、空売りするということになれば大変なことになってきます。 主要機関の国債保有状況を見ると中央銀行が大きく買い増していますが、これは民間金融機関が持っていた国債を日銀が買い、民間金融機関にお金を渡したわけです。ただ、民間の金融機関から借りようという人が少ないので、その資金はうまく動いていないという状況です。一方で海外の保有がじりじりと増えてきていて、50兆円程度だったものが、いつの間にか100兆円にまでなってしまいました。この部分はいざという時逃げるのも早いので、非常に危ないと言えます。 【中国】人民元 IMF・SDR採用で対ドル3カ月ぶり安値 日経新聞は、「『強い元』を阻む現実」と題する記事を掲載しました。これはIMFが人民元をSDRに採用したことを受けて、人民元が一時、対ドルで約3ヵ月ぶりの安値をつけたと紹介。中国がグローバル市場の荒波にさらされ、アジア通貨危機のような急激な資本流出が起きれば、経済だけでなく政治にも大きなダメージを与え、外貨準備を使い強い元を維持すべきか、資本流出を覚悟で弱い元を許容すべきか、中国の悩みは深いと指摘しています。 人民元は私が昔から指摘しているように、自由化したら弱くなります。対米ドルの人民元相場は下手をすると1ドル8元、それでは止まらずに1ドル12元という水準まで行ってしまうと思います。中国は今の強い人民元が、急激に競争力を失わせているのです。人件費が上がって、元も上がるとなると産業界は耐えられないので、元は弱い方向に反転せざるをえないと思います。 講師紹介 ビジネス・ブレークスルー大学 資産形成力養成講座 学長 大前 研一 12月25日撮影のコンテンツを一部抜粋してご紹介しております。 詳しくはこちら その他の記事を読む 安値に突入する原油価格の行方(大前研一) http://www.ohmae.ac.jp/ex/asset/column/backnumber/20160106-2/ 【第100回】 2016年1月7日 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員] 「分配」を言い始めた首相の焦りに透けるアベノミクスの失敗 安倍首相は年頭会見で「成長と分配の好循環という新しい経済モデル」に言及した?Photo:首相官邸HP 「成長」一本やりだった首相の発言が微妙に変わってきているのをご存じだろうか。最近の演説に「分配」が登場する。4日の年頭会見でも「成長と分配の好循環という新しい経済モデルに挑戦していかなければならない」と語った。 ?アベノミクスはトリクルダウンの経済ではなかったか。ピラミッドの頂点にいる大企業が儲かれば、富はおのずと底辺にまで滴り落ちる。企業を利すれば賃金や設備投資が刺激され、好循環が起きる、という理屈だった。 ?トリクルダウンが起きていないことは、誰の目にも明らか。しびれを切らした首相は、財界に「賃上げしろ」「設備投資を増やせ」と言うようになった。利益を溜めこむな、吐き出せ、というわけだ。首相の言う「分配」とはこれなのか? 「政府が企業経営に口出しするのはいかがなものか」という冷ややかな視線を浴びながら、「携帯電話の通信料金が高すぎる」と業界を叱ったり、経団連・連合を交えた政労資協議会で経営側に春闘ベアや設備投資の積み増しを要請するなど、介入姿勢を鮮明にしている。 「正しい者の味方」を演ずる啓蒙的君主にも見えるが、権力者である首相のこうした振る舞いは、思うように政策が進まない「焦り」の現れではないか。 政府と財界はじゃれ合うばかり 経済の好循環は期待外れに ?小泉政権を継承したころから、安倍政権には新自由主義の流れをくむ「小さな政府」の色彩が濃かった。金融緩和によって成長を促すアベノミクスも、市場機能による好循環を目指すものだ。年間80兆円もの日銀マネーを市場にぶち込めば、インフレ期待が起き、経済は熱を帯びるはずだった。 ?残念ながら、物価も成長も上昇期待を裏切った。なぜか。賃金が上がらないから個人消費が振るわない。設備投資が湿ったままで波及効果が起きない。 ?安倍政権が期待した好循環は起きていない。財界にベアや投資を要請せざるをえないのは経済運営の見込み違いを現わしている。 ?儲かっている企業の納税を軽くしてやったのだから、人件費を上げるぐらいのことをしろ、というのが政府の言い分だろう。 ?そう言われても財界は面食らうばかりだ。経団連の役員はこう言う。 「安倍さんは、企業にとって一番仕事しやすい国にすると言って、外国より高い法人税を下げたのではなかったか。税を安くしたから賃上げを、というのでは話が違う」 ?経団連にとって法人税引き下げは企業の儲けを増やすためにある。上手に言えば「日本企業の国際競争力を高めるため」である。昨年度は円安で儲かったが、利益は永続するとは限らない。一時金ならともかく、固定費の増大につながる賃上げに応ずるのは難しい。そんなことを政府から求められるのでは「仕事しやすい国にはならない」というのが経団連の本音だろう。とはいえ首相とうまくやるには「お付き合い」は必要と考え、出せる企業は賃上げに応ずる構えだ。 ?政府と財界の摩擦は、「仲良しのじゃれ合い」に過ぎない。お代官様のような首相が、越後屋風情の経団連会長に、上から目線で指図しているように見えるが、実際は逆だ。越後屋がほしがる施策をお代官様が実行する関係である。 ?自民党が政権に復帰すると経団連は政治献金を再開した。企業の「社会貢献活動」だという。各党の政策を評価し、社会に有用と思う政党にカネを出す。そんな体裁をとって自民党にカネを出すのはいかにも越後屋だ。 護送船団方式は賞味期限切れ 大企業だけが儲かり格差が拡大 ?さりとて政策はカネだけで動いてはいない。脈々と続く経産省の産業政策がある。日本が誇る強い企業を育成・支援すること。経産省と経団連は一体となって国際競争力の強化に励んできた。経産官僚の第二の人生は大企業や業界団体への天下りであるところに両者の関係がにじみ出ている。 ?城山三郎が「官僚たちの夏」で描いたような業界育成に励む役人の姿は、高度成長のころまでは「国益」と合致していたかもしれない。経済に国境があり、強い企業は輸出で外貨を稼ぎ、国民経済を豊かにした。1980年代に資本規制が外され、現地生産や営業活動が海外でできるようになり、状況は変わった。冷戦が終わりヒト・モノ・カネが自由に飛び回る時代となり、企業は国民経済から解き放たれた。 ?アベノミクスで円安になっても国内経済は潤わないことがその証拠だ。国際展開する大企業は史上空前に利益を上げているが、日本国内に投資しない。投資は海外だ。儲かる市場に投資する。利益は膨らんでも従業員の給与は上げない。コスト増は国際競争力を低下させる。企業がグローバル化すれば、日本の労働者は中国やアジアの労働者と競争を強いられる。 ?経団連が政府の求めた労働法制の「改悪」も国際競争に追われる企業にとって必要な措置だった。生涯面倒を見なければならない正社員の数を減らし、賃金が安く、いつでも「雇い止め」できる非正規社員を増やす。デフレ下にリストラで人員を減らし、人の手当ては非正規で補う。その結果、日本の産業界は40%の働き手が非正規となった。 ?経済に「合成の誤謬」という言葉がある。 ?それぞれが最適選択として行った行為が、全体では悲惨な結果を招く、という現象だ。 ?企業として生き残るには、人件費を節約することは大事だ。正規社員を減らして請負や派遣に切り替えるのは合理的な措置だ。ところが皆がその方向に走ると、消費者の購買力が落ち、企業の売り上げが減る。それぞれの企業が最適選択した結果、国内市場が枯れてしまった。 ?加えて人口減。国内市場はますます狭まる。魅力のない市場には投資できない。海外市場で儲けた企業は海外で投資する。産業空洞化が日本で起きている。 貯金は増えても活力を失った産業 大企業の繁栄はもはや国民経済を潤さない ?20年にも及ぶリストラの連続で産業界は3つの過剰をほぼ解消した。設備の過剰・在庫の過剰・人員の過剰である。スリムになって企業の内部留保は350兆円に膨れ上がった。日本の産業は貯金は増えたが、活力を失った。 ?日本の企業が強かったのは経営者の能力が国際水準を超えていたからではないだろう。現場が強かった。まじめにモノづくりに励み、創意工夫が現場から起こり、工場と研究所が一体となってワイワイ・ガヤガヤやってアイディアを生み出した。 ?リストラは現場から活力を削ぎ、企業のイノベーションを鈍らせた。 ?気がつけば商品も技術も外国勢に後れを取った。いま大企業に流行るのがM&Aである。海外企業を買収する。「技術と時間を買う」そうだ。20年間、脇に置いていたイノベーションを取り戻すため。懐具合はいい。 ?買い取った企業をうまく経営できるかが課題、というが、投資も雇用も外国で発生する。新聞などで報じられる大企業の活躍も、国内経済を潤すことはない。しかも外国の投資銀行のいいお客になっている。 「日本を代表する企業を強くする」が国民経済を強くすることにつながらないことは21世紀になってはっきりした。 ?アメリカでは1993年に政権に就いた民主党のビル・クリントン大統領のもとで労務長官を務めたロバート・ライシュが「多国籍企業は国内に雇用を生む力は少ない。地場に根差した中小企業を強めることが国民経済に有益だ」と大企業寄りの政策を改める必要性を指摘した。この見立ては慧眼に値するが、現実はその方向に進まなかった。 ?多国籍企業は資金力にものをいわせ政治を買収している。議会でロビー活動を展開する一方で、政治献金の上限が外され、政策をカネで買う力を強めている。 ?TPPの舞台裏で多国籍企業が自らの利益に沿って政策を振りつけているように、米国の政治は経済強者の呪縛から抜け出すことは難しい。 ?経産省内閣とも言われる安倍政権は、財界や強い産業の要望に沿った政策を採用する。法人税減税、労働者の非正規化、TPP推進、原発再稼働、円安の推進。経産省が推進する大企業寄りの政策がてんこ盛りだ。 ?先にも述べたように、日本を代表する企業が儲ければ、国民経済が豊かになる、という構図は20世紀で終わった。競争と市場原理だけでは貧富の差が拡大するのは世界で実証済みだ。成長がすべての人を底上げする経済ではない。 政治が招いた豊かな社会の貧困問題 バラマキではない分配政策の知恵が問われる ?安倍首相が「分配」という言葉を使い始めたのは、彼なりに政策の空回りに気づいたからだろう。 ?アベノミクスが津々浦々に行き渡らないのは、タイムラグがあるからではない。構造に問題がある。強者優先の経済はトリクルダウンどころか、国内経済を疲弊させる。 ?ゼロ成長は皆が足踏みしているのではない。株や海外取引で儲ける人はますます利益を膨らまし、その対極で貧困を加速する。 ?子どもの貧困、母子家庭、独居老人、若年ホームレス、地方の疲弊。豊かな社会に隠れ見えにくい貧困が静かに拡大している。分配の問題が放置された結果である。 ?一人当たりのGDPで日本は世界ランキングで後退するばかりだが、394万円(2015年)は、決して低い額ではない。皆で分け合えばその半額でも十分な暮らしができる。 「皆が等しく貧しい時は成長で。貧しい中で少数だけ豊かな時は革命が。豊かな社会に潜む貧困は分配で解決できる」 ?経済学者の浜矩子は言う。 ?貧困問題は今や日本の大テーマである。不機嫌な空気が漂う底流に貧困がある。年金で暮らせないことに怯える中高年。非正規から這い上がることができない若者。国民年金の掛け金さえ払えない貧困予備軍が5人に1人はいるという。 ?昭和の日本は企業が「福祉」を担ってきた。終身雇用・年功賃金・企業内組合を3点セットにした日本的経営は非効率の代名詞のように言われたが、それなりに従業員の安心を支えていた。グローバル化と構造改革の掛け声とともに解体され、新しい「安心」は用意されていない。 ?昨年を代表する漢字は「安」だった。「安心」の安ではなく「不安」の安。 「この3年、経済中心にやってきました」と安倍首相は年頭で述べたが、本人はどれほど本気だっただろうか。経産省・経団連の神輿に乗って進めた結果が「豊かな社会の貧困問題」である。輪転機を回してお札を刷っても国内にカネは回らない。「賃上げ要請」で何とかしようという発想が政治の貧困を見せつけた。 ?地方の衰退に拍車がかかっている。田園まさに荒れんとす。目に見えない貧困が、これを見よとばかり、やがて社会問題になるだろう。今のような政治を続けていれば、自民党からも異論が噴き出すだろう。 ?新自由主義は、強い企業を元気にしても、国民経済を支え切れない。資本は海外に飛び立つことができても、政治には国境があり、有権者は国内にいる。 ?一億総活躍社会。名称はいただけないが、男女を問わず一人ひとりが居場所を見つけることができる社会には賛成だ。医療・介護・子育て・教育。誰もが必要とするサービスを公共が担えば、個人は能力を発揮できる。失敗を恐れず、リスクに挑戦できるセーフティーネットが一刻も早く必要なのだ。 ?産業政策も同じ。資本規制があったころのモデルを引きずった政策は根本から洗い直す時期に来た。多国籍企業は自分でたくましく生きてゆけばいい。雇用を生み、資金を国内で循環させる中小企業と地方に政策の軸足を移す。 ?バラマキでない分配政策への知恵が問われている。「分配」を口にした首相に、次の時代が現れている。 http://diamond.jp/articles/-/84242
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