【第24回】 2016年1月8日 岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授] 日本でベーシックインカムは成り立つか 欧州で起きつつある ベーシックインカムのブーム いま注目を集めるフィンランドのベーシックインカム導入。日本も導入すべきか、否か ?先月、フィンランドが今年からベーシックインカム(政府が国民に最低限の生活を送るのに必要な額の現金を支給する最低所得補償の制度)を導入し、540万の全国民に月額800ユーロ(約10万円)を支給するというニュースが流れました。
?実際には、まず予備調査を行った上で、その結果を踏まえて今年11月までに最終決定が行なわれるようですが、本当に導入される場合は、現在フィンランド国民に提供されている様々な社会保障サービスが廃止され、このベーシックインカムに一本化されることになります。 ?ちなみに、一般的にベーシックインカムのメリットとしては以下の3つの点が言われています。 ・所得が増えてもベーシックインカムの受給額は減少しないので、低所得者が頑張って所得を増やすと公的支援が減少してしまい貧困状態から抜け出せないという“貧困の罠”を避けることができる ・年金や生活保護などの社会保障支出をベーシックインカムに一元化することで、行政の無駄を削減できる ・ベーシックインカムで最低限の生活が保証されれば、企業年金など福利厚生の水準が低い非正規雇用の仕事にも就きやすくなるので、雇用情勢の改善に役立つ(実際、フィンランドの失業率は約10%と過去15年で最悪の水準にある) ?このようなメリットがあるからこそ、欧州ではベーシックインカムがちょっとしたブームになってきた感があります。 ?実際、フィンランド以外でも、オランダ第4の都市ユトレヒトでは今年から試験的に導入することを決めています。また、ドイツのベルリンでは、2014年から民間人がクラウドファンディングを活用して、抽選で選ばれた人たちに月額1000ユーロを1年間与えるという“マイ・ベーシックインカム・プロジェクト”が行なわれています。更には、スイスではベーシックインカムの導入の可否について今年2月に国民投票が行なわれる予定です。 日本では実行できるのか? 厳しい財源の問題 ?となると、日本でもベーシックインカムを導入すべきという意見が出ておかしくありませんし、実際に経済学者の中でもそうした主張を始めている人もいます。 ?確かに行革の観点からは大きなメリットがありそうです。日本の社会保障は、年金、医療、介護、生活保護、保育と縦割りになっており、それぞれの分野に大きな既得権益が存在する他、政府や自治体には膨大な数の職員がいるので、社会保障をベーシックインカムに一元化できれば、かなりの行革となることは間違いありません。 ?しかし、財源の面からはかなり厳しいと言わざるをえません。例えば、年金生活世帯(夫婦2人)の平均消費支出は約24万円/月なので、毎月12万円を全国民にベーシックインカムとして支給すると仮定したら、なんと年間で173兆円の財源が必要となります。社会保障給付費(年金、医療、介護・福祉などの合計)が117兆円であることを考えると、とても賄えません。 ?ちなみに、フィンランドでも、毎月800ユーロを全国民に給付したら年間520億ユーロが必要となり、今年のフィンランド政府の歳入490億ユーロよりも多くなってしまうので無理だ、と批判されています。 ?そこでフィンランドでは、全国民ではなく大人にのみベーシックインカムを給付するという構想もあるようですが、その場合には、例えば夫婦2人の世帯ならば問題ないけど、3人の子を持つシングルマザーの世帯は悲惨なことになるので、こうしたアプローチは現実的ではないでしょう。 ?即ち、財源の問題からベーシックインカムの導入は難しいという結論にならざるを得ません。 働く意欲が落ちる、は本当? 労働インセンティブの問題 ?ただ、ベーシックインカムについて考える場合、財源よりも憂慮すべき問題があります。それは労働インセンティブへの影響です。ベーシックインカムで最低限の生活に必要な収入が保証されたら、働く意欲が落ちるのではと考えるのが自然だからです。 ?しかし、2014〜15年のドイツ・ベルリンでの実験、更には1970年代にカナダのある町で行なわれた実験からは、ベーシックインカムの支給は労働インセンティブを落とさないという結果が報告されています。ドイツで実験プロジェクトを行なっている主催者は、将来的にデジタル化が多くの仕事を人間から奪う可能性が大きい中で、将来不安に苛まれることなく安心して生活でき、学校に通って新たなスキルを身につけることもできるなど、メリットが大きいと主張しています。 ?だからこそ、フィンランドでも、ベーシックインカム導入賛成論者は、ベーシックインカムは労働インセンティブに影響を及ぼさないと主張しているのですが、それが日本にも当てはまるかとなると、ちょっと微妙ではないでしょうか。 ?というのは、フィンランドはもともと積極的労働政策を展開している国だからです。具体的には、企業は従業員の解雇を容易にできる一方で、職業訓練や失業手当などにより、労働者はスキルアップと転職を行なえるようにしています。労働者の権利は守りながらも、転職は当たり前だし働かざるもの食うべからずという、流動性が高く競争的な労働市場を作ることで、生産性の低い産業から生産性の高い産業への雇用のシフトを後押ししているのです。 ?こうした労働市場には、ベーシックインカムの仕組みはよくフィットするはずです。最低限の生活が保証されれば、流動性が高い労働市場の中で自分の将来にあった動きを取りやすくなるからです。 ?一方で、日本の労働市場は非常に硬直的です。未だに大企業は新卒一括採用、終身雇用に拘り、正規雇用と非正規雇用では給与水準も福利厚生も大きく異なり、また人生のステージに応じて正規と非正規を行ったり来たりすることも困難です。更に言えば、職業訓練の機会も、企業が主に正規雇用に提供するOJTか、ハローワークなどの公的機関が提供するベーシックな内容のものくらいしかなく、スキルアップを通じた転職が難しい国と言わざるを得ません。 ?このように硬直的な労働市場では、多少頑張っても低賃金の状況から脱することはなかなか難しいと多くの人が思ってしまっているので、そこでベーシックインカムを導入したら、低賃金の人ほど働くインセンティブを失うことになりかねないのではないでしょうか。 やはり労働市場の改革が不可欠 ?私は基本的にはベーシックインカムの考え方に賛成です。日本の社会保障は縦割りがひどく、その中で既得権益やら天下りやら膨大な人員を抱えていることを考えると、社会保障サービス全体をもっと簡素化して、無駄をできるだけ省くことは不可欠だからです。 ?それでも、ベーシックインカムの導入を目指すべきかと問われたら、労働市場改革がほとんど進まずに労働市場が硬直的な中では、労働インセンティブの観点から悪影響の方が大きくなると考えられるので、反対と言わざるを得ません。 ?こう考えると、労働市場の改革は経済・産業・企業・個人とあらゆる主体の生産性を高めるために不可欠ですが、同時にベーシックインカムを巡る考察から分かるのは、財政再建に必須の社会保障サービスの簡素化・効率化を進めるためにも不可欠だということです。 ?安倍政権はおそらく今年夏の参院選までは大きな改革は進められないと思いますが、それでも、労働市場の改革を早く経済政策の最優先課題にすべきではないでしょうか。 http://diamond.jp/articles/-/84311
【第35回】 2016年1月8日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 児童扶養手当の「まとめ支給」に隠された恐るべき貧困への罠 2015年12月24日、政府予算案で児童扶養手当の増額が決定された。ひとり親家庭の一部しか対象にならず、金額も十分とはいえず、しかも政府予算案では「不正受給対策の強化」がセットにされている。 福祉給付、特に現金給付を増額するのは、容易なことではない。増額以外の方法で、「優しさ」「絆」「民間の力」といった精神論によるのでもなく、厳しい状況にある人々を経済的に助ける方法は何もないのだろうか? 低所得層向け給付の問題点を 鮮やかに浮かび上がらせた記事群 児童扶養手当の増額が決定されても、ひとり親家庭の家計は改善しないままだ 年明け早々の2016年1月4日、通常開会が開会された。審議の大きな柱の一つは、2016年度予算案だ。軽減税率・TPPと国内農業に対する補助金など、論点は数多いが、遅くとも年度内には成立すると見られている。前回レポートした児童扶養手当の増額も、予算案全体の中で議論されることになる。 政府予算案には、ひとり親家庭を対象とした児童扶養手当の36年ぶりの増額が盛り込まれた。しかしながら増額幅は「充分」とはいえない上、ひとり親世帯に対する「不正受給対策の強化」がセットにされようとしている。児童扶養手当の「不正受給」とは、事実上、ほぼ「事実婚の疑い」。成立する予算案から「不正受給対策の強化」が削除され、金銭的にも時間的にも精神的にも余裕のない「ひとり親」たちと子どもたちが、プライバシーの詮索で現在以上に苦しめられないことを願うばかりだ。 さて、この政府予算案が発表された3日後の2015年12月27日、児童扶養手当をテーマとした記事が、朝日新聞の1面・2面に掲載された。デジタル版では、児童扶養手当を受給している世帯の収入が不安定であることの問題点を浮き彫りにした「ひとり親 波打つ収入、綱渡り 児童扶養手当4ヵ月ごと」、2013年9月に起こった関東地方の母親による女子中学生殺害事件を、母親の収入状態の変動から検証した「強制退去の日に娘殺害 収入波打つ中、借金重ね生活破綻」、低所得世帯への現金給付を「渡し方」に着目して経済的破綻を防ぐ方法を提示した「(視点)低所得世帯への公的手当、毎月支給が有効策」の3本となっている。いずれも、錦光山雅子記者の手になるものだ。ひとり親家庭が、貧困の上に数多くの問題を積み重ねてしまう構図が、背景とともに浮かび上がってくる記事に、私は強い衝撃を受けた。 ひとり親家庭へのダブルパンチ 収入の低さと激しい波 最初の記事では、大阪府で中学生の息子と暮らす30代女性の暮らしぶりが描かれている。2014年、体調不良で失職したままの女性の収入源は、元夫からの月額5万円の養育費・月額1万円の児童手当・月額4万2000円の児童扶養手当。月あたりの収入は10万2000円。同じ家族構成に対する大阪市の生活保護費は、家賃補助を含めて約20万円。「持ち家に住んでいる」などの理由で住居費負担がないのであれば、「月あたり10万2000円」は「暮らせないわけではないけれど、苦しい」という金額であろう。 ところが記事によると、児童扶養手当の支給日直前の1週間を、母と息子は「ほぼ豆腐と米飯の食事でしのいで」、支給日前日の所持金は数百円。「待ちに待った、児童扶養手当の支給日」、約17万円が振り込まれると、外に出て親子で「串揚げを食べた」。同じ日、「電気、水道、ガス、ネット、NHK、携帯、学校給食費や教材費。滞納していた公共料金を一気に」支払うと、「手当の半分が消え」、「手当で一息つくものの、長くは続かない」。 なぜ、ここまで苦しい生活になってしまうのか。児童手当が4ヵ月に1回(2・6・10月)、児童扶養手当も4ヵ月に1回(4・8・12月)のまとめ支給だからだ。記事には、母親の月ごとの収入の激しい変動が、グラフで示されている。4ヵ月分の児童扶養手当が支給される月には22万円、手当支給のない月は5万円。同記事によれば、家計相談員養成講座の講師は 「収入が極めて少ないので、手当なしには生計が成り立たない。何らかの事情で滞納が生じ、その解消を数ヵ月おきの手当に一度頼ると、その分後で生活費にしわ寄せが来て、また滞納を繰り返すようになる」 と語り、また九州地方で困窮者の家計再生事業を展開する生協「グリーンコープ連合」の乗務理事は、 「家計を支えるための公的手当がまとめ支給であるがゆえに、公共料金などの滞納とまとめ払いを繰り返す不健全な家計運営を余儀なくされている」 と、公的手当を受けている低所得世帯に現れがちな「自転車操業」のメカニズムを、原因とともに指摘している。 県営住宅を家賃滞納によって強制退去となる日にシングルマザーが中学2年生の娘を殺してしまった関東地方の事件で、追いつめられていく母親の姿を家計から浮き彫りにした2本目の記事にも、母親の収入のグラフが示されている。冬休み明けでパート収入が減り手当支給もない2013年1月、および児童手当4ヶ月分4万円が支給される2013年2月、中学に入学する娘の制服などの費用を工面するために厳しいやりくりを強いられた母親は、「ヤミ金」から借り入れてしまい、返済に苦しんだあげく、経済破綻に追い込まれ、娘殺しの悲劇へとつながっていく。その構図を、一枚のグラフがありありと語っている。 3本目の記事では「公的手当を毎月支給とする」という解決策が専門家の知見とともに紹介され、「貧困は様々な要因が絡み合う。支給回数の増加ですべては解決できないが、収入の波を低くし、消費のムラも抑えられる。受給者全体の破綻リスクも減るはず」と結ばれている。 個別事例とともに示される「母親の財布・口座の中のお金の変動」というグラフは、母親の心理状態の揺れとともに問題の背景を説得的に語る。さらに、ほとんどコストのかからない具体的解決策の提案。 「見事だ」と唸るしかない一連の記事を執筆した錦光山雅子記者は、なぜ、どのように、この記事を生み出したのだろうか? 子どもの貧困に データからのアプローチでできることは? 錦光山雅子氏 (きんこうざん・まさこ) 1998年、朝日新聞入社、山形、石川、秋田の総局を経て、東京本社地域報道部、科学医療部、特別報道部。2012年〜13年、フルブライトジャーナリストプログラムで、ハーバード公衆衛生大学院に研究留学。 Photo by Yoshiko Miwa 「貧困の問題は数年前から関心あったのですが、本格的に取材したことはありませんでした。ですが、2015年2月、川崎市でシングルマザー家庭の中学1年の男の子が殺された事件で、公表されたお母さんのコメントを受けた反響を取材していた際に、強い問題意識を持つようになりました。お母さんの外見やふるまいが、批判の的になっていました。ですが、こうしたイメージを、自分の理解できる範囲の「ものさし」、つまり規範で批評し、『親が悪い』と終わらせるではなく、行動や思考パターンを客観的に分析する必要があるのでは? と思いました」(錦光山さん) 貧困状態にある人々、特にシングルマザーに対して、「清く正しく、貧しく」を要求する人々は多い。「貧すれば鈍す」ということわざがある通り、貧しさの中で清く正しくあることは難しいのが自然なのだが。 「その直後の3月、母子家庭の貧困に関する日弁連のシンポジウムで、藤原千沙さん(法政大学大原社会問題研究所准教授)が、『現在、年に3回となっている児童扶養手当の支給頻度をもっと増やすことなら、すぐできる対策。年金でさえ年に6回です』と語っておられるのを聞いて、衝撃を受けました。ちょうど翌4月から、『特別報道部』に異動することになっていました。いわゆる調査報道に取り組む部署です。『これなら、腰を据えて調査ができる』と思いました」(錦光山さん) だからといって、最初から明確に「手当」の問題に取りかかると決めていたわけではなかった。錦光山さんも、試行錯誤することになった。 「異動してしばらく、何を取材すればいいかはっきりさせられない時期が続きました。しかし、異動3ヶ月目の2015年6月、米国で調査報道に関わる記者・編集者の組織・IRE(Investigative Reporters & Editors)の全国大会に参加したのがきっかけで、目的を明確にすることができたのです。調査報道といっても、いわゆる『権力とカネ』『不正』といった、従来からある告発型のテーマにとどまらず、日常の中に埋もれている、可視化されていない『不条理』を明らかにするという報道も一分野として確立されていました。パートナーに殺される女性の事件データや当事者の証言を調査報道で蓄積し、離婚が簡単にできない地域の規範の問題や、加害者への罰則が甘い州法の実態などを浮き彫りにしていった連載記事が、2015年のピューリッツァー賞を受賞するなど、可視化されていない不条理をデータから明らかにしていく手法が、一分野として確立され、きちんと評価を受けていました。自分のやるべきことは、そういう不条理だと思いました。悪者はいないけれど、不利益をこうむっている人がいるという問題に取り組もうと」(錦光山さん) 3月に聞いた藤原氏の児童扶養手当の話が、6月の米国で細い線になった。 「帰国してまもなく、関東地方の母親による女子中学生殺害事件の公判が開かれ、殺害までの経緯が載った新聞記事を読んだこともきっかけになりました。同僚や上司に大会の内容を報告するとともに児童扶養手当の話もプレゼンして、そこから取材がスタートしました」(錦光山さん) かくして、細い線に矢じりがつき、矢印になった。 それからの錦光山さんは中学生殺害事件の公判資料や行政資料を入手して読み込んだ。ばらばらの情報を拾い出し、時系列に整理したカレンダーを作った。そのデータを公的手当の支給日のタイミングと照らし合わせていくと、いろいろなことが浮かび上がってきた。 「少なくとも事件の3年近く前から、母親が滞納家賃を、手当の支給月にまとめ払いしていたことが分かりました。手当の支給月の滞納料金のまとめ払いは『偶数月払い』と言われ、支援者の間では、家計破綻のサインと言われている行動です。さらにヤミ金の取り立てに追われるような時期に入ると、手当の支給日を挟んで、『豊』と『貧』の状態の差がさらに激しくなり、同時に行動に色濃く表れるようになっていました。 象徴的だったのが、児童扶養手当が支給された2013年4月です。この手当の支給日は通常、11日なのですが、この月の5日、母親は『1万円でも2万円でもいいから貸してほしいという気持ちで』役所に生活保護の相談に行っています。手当まであと数日、という、一番苦しい時期です。しかし手当支給からほどない17日には、滞納家賃を2カ月分払っている。ほかにも、因果関係とまでは言いきれませんが、現金が手元にあるかないかで、行動がドラスチックに変わる事例が目につきました。いったい、これは何からもたらされるのだろうか、と」(錦光山さん) こうした取材と並行し、藤原氏を始め、女性の貧困と社会政策、家計分析を研究テーマとしている研究者らからも話を聞いた。「なぜこういう経済行動になるのか」を理解するために、行動経済学者にも教えを請うた。大竹文雄氏(大阪大学教授)は3本目の記事にコメントを寄せた宇南山卓氏(一橋大学准教授)の論文を紹介した。宇南山氏は、年金の支給頻度が年4回から現行の年6回へと変化したときの消費動向の変動を実証研究した研究者である。 「同時に、大竹教授が紹介してくれたのが、『欠乏の行動経済学(原題:Scarcity)』という本です。時間やお金に乏しい状態の人たちが起こす行動や思考のパターンを一般向けに解説している優れた本です。その中で、著者は、年に数回しか収入が入らないインドの農民を対象にした研究結果など、支給頻度と期限に関する知見を紹介し、『一度にまとまった金を受け取る農民は、前半は豊かだが、最終的に欠乏するというサイクルに入る』と指摘、『長い期限はトラブルのもとだ』と警告しています。これを児童扶養手当の支給頻度にあてはめると、一度に20万円近い額が振り込まれ、4ヵ月という長いスパンで均等に使っていくというのは、誰にとっても難しいということが言えます。解決策として著者は言います。『裕福の後、欠乏というサイクルを立つ方法の一つは、一時的に裕福になった後、だんだん欠乏するような時期が続くようにするのではなく、ほどほどによい時期が長く続くように、支払いを小分けにするのだ』と。大竹教授や宇南山准教授の助言や論文も、これに裏打ちされていて、これだ、と思いました」(錦光山さん) 細くフニャフニャだった矢印は、少しずつ太くなり、矢印の方向性も定まっていった。 「迷いながら、寄り道しながら取材していたんですけど、取材すればするほど『やっぱり、これはおかしい』と。すごく皮肉なんですけど、公的給付の『渡し方』のせいで、貧困から抜け出せなくなるきっかけが出来てしまうんです。たかが支給頻度、とナメてはいけないと確信しました」(錦光山さん) 最初の「前例」になった記事 そして「子どもの貧困」解決に向けて しかし、錦光山さんがたどりついた「公的手当を受けている低所得層の家計をデータによって可視化する」は、「新聞紙面」あるいは「新聞社」の中で、どこに位置づけられるべきなのだろうか? この視点を得た当時、錦光山さんは、信頼できる同僚らに意義は認められたものの、「それってニュース?」という反応もあったそうだ。しかし、最初は「何を言ってるんだろう?」という感じだった同僚たちも、だんだん理解してくれるようになったということだ。 「貧困を、当事者の思いのこもった言葉やストーリーで語ろうとするのではなく、ただただデータと知見とエビデンスで語っていくタイプの報道、私は読んだことがなかった。だから、雛形を探し当てるのに時間がかかった感じですけれど、『こういうテーマこそ、これから求められる部分だ』と実感しました。勉強して蓄積して、やっていかなくてはと、強く感じています」(錦光山さん) 子どもの貧困は喫緊の課題であり、早急な解決が必要だ。このことを否定する人は、多くないだろう。でも「現状はどうなのか」「どう解決すればよいのか」を明らかにするためには、データの収集・分析・検討が必須だ。現在、貧困問題に関する政府の公的調査では、性別ごとのデータも充分に収集されていない。しかし、公開されている手当額やゴシップ記事からも収集できそうなデータに、想像力を働かせ、知見を集め、あるいは知見への道を示してくれる人々に接触し、論理的な推論の積み重ねを加えていくだけで、これだけの実態や背景が、解決への具体的な提案とともに明らかになる。錦光山さんのたどったプロセスには、データからのアプローチの醍醐味が凝縮されているように思える。でも、解決はまだまだこれからだ。 「子どもの貧困がどのように問題なのか、どう解決されるべきかについて、現在は『学力の確保が大切』『文化資本格差の解決も重要』『多様なロールモデルの提示』という意見が多いように思われます。もちろん、学力も文化資本もロールモデルも大切です。でも、子どもの貧困の背景には、大人の家計破綻、大人の就労の問題があります。シングルマザーの場合には、女性の置かれている地位の問題もあります。いずれにしても、お金の問題です。そこに切り込まなくては……と思います」(錦光山さん) そういう錦光山さんは、2歳の男の子の母親でもある。母親になって以後、子どもが被害に遭うニュースが身につまされるようになり、虐待死のニュースで1週間ほどウツっぽくなったこともあるそうだ。 「子どもの貧困を解決するために、給付も含めて全体の所得水準を上げるのが最優先であることに、反論される方はあまりいないと思います。でも具体的な施策になると『各論反対』の方がたくさんです。児童扶養手当も、今回、2番目の子に対して5000円上げるのが精一杯なのが現状です。でも児童扶養手当の『渡し方』、支給頻度を変えるだけで出来る改善もあります。万能薬ではありませんが、コストがかからず、今すぐ出来て、効果の高い施策です。これからも、お金のない中で暮らして行かざるを得ない人たちの収入を安定させ、家計を改善し、子どもの貧困を解決していくために、施策を実施する自治体のヒントになる記事を提供していきたいですね」(錦光山さん)
http://diamond.jp/articles/-/84310
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