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ホンダエアクラフトカンパニーの工場内
奇跡づくしで常識破壊、ホンダジェットが離陸…利益ゼロで30年間開発続行の死闘
http://biz-journal.jp/2015/12/post_13116.html
2015.12.31 文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家 Business Journal
「実は、今日、『ホンダジェット』にFAA(米国連邦航空局)の型式証明がおりたんです。アトランタで証明書を受け取って、今、帰ってきたところです。ランチに同席できなくて、すみませんでした」
2015年12月8日、午後2時。
米ノースカロライナ州グリーンズボロにあるホンダエアクラフトカンパニー本社の応接室に現れた、同社長兼CEOの藤野道格氏は、インタビューの冒頭、こう切り出した。彼はこの日、午前のうちに、グリーンズボロから約500キロ離れたジョージア州アトランタにビジネス・ジェットで出向き、FAAから「ホンダジェット」の型式証明書を受けとって、トンボ帰りしてきたばかりだったのだ。
FAAの型式証明取得によって、「ホンダジェット」は、FAAの定める強度や性能、安全性、機能、信頼性など膨大な数の厳格な基準を満たしていると認められたことになる。この日、ホンダは、航空機研究開始から約30年を経て、ついに民間機市場に参入する正式な許可を得たのである。
自動車メーカーが航空機市場に参入する例は、世界的に見て、過去にほぼ例がない。藤野氏が、待ちに待った日だ。彼にとって、いや、ホンダにとって、特別な日といえる。「夢みたいな感じで、冗談半分に『ほっぺたをつねって』と言ったほどです」と言って、藤野氏は、興奮冷めやらぬ表情で、次のように続けた。
「飛行機業界で働く人間にとって、型式証明の取得というものは、一生に一回あるかないかの『ピーク・エクスペリエンス(至高体験)』です。今改めて振り返ってみると、飛行機設計者として今まで4機の飛行機を設計しましたが、認定プロセスすなわち型式証明の取得というプロセスを経験しなければ、本当の意味での航空人としての人生は、決してわからないと思います」
■ゼロからのスタート
1986年、ホンダは、極秘裏に航空機の研究を開始した。藤野氏は、84年にホンダに入社し、自動車エンジニアとして働いていた。86年の航空機研究開始当初から研究に携わり、97年、ホンダが航空機開発を公にした頃からは、プロジェクトのトップを務めてきた。
「既存の航空機メーカーでも、新しい飛行機をつくることはとても大変なことです。しかも、我々には飛行機の技術はまったくなく研究はゼロから。組織や会社もゼロから。そして、認定の基盤もゼロから。すべてがゼロからのスタートだったんです」(藤野氏)
この間、ホンダの航空機の研究開発は、打ち切りの危機が何度もあった。藤野氏自身、そのたびに、今度こそダメかと打ちのめされた。それでも、事業化、認定取得を目指し、逆風に耐え、まさに、地べたに這いつくばるようにして研究開発を続けてきた。
航空機産業は、ビジネスサイクルが、自動車産業とは比較にならないほど長い。一般的に、自動車の設計は、5〜6年スパンで行われるのに対し、飛行機の設計者は、自分の設計した飛行機を、一生に一機、飛ばすことができればいいとすらいわれる。そして、その飛行機の型式証明を取得して実用化するとなれば、まさに一生に一度の大仕事で誰にでも経験できるものではない。それほど、航空機の型式証明の取得は、並大抵のことではないのである。実際、FAAに持ち込まれる案件は、ほとんどが、既存の飛行機の一部改良や、胴体の延長といった派生型機の認定という。
「まったくの白紙からつくった飛行機について、型式証明のための認定作業をすることは、(アトランタの)FAAの方々にとっても、その多くが初めての経験だったようです」(藤野氏)
ホンダジェットが搭載するエンジン「HF120」は、13年にFAAの型式証明を取得し、ホンダジェットによって市場にデビューする新しいエンジンだ。
しかも、従来、航空機産業は、機体メーカーとエンジンメーカーは別々だが、「HF120」は、ホンダとGEが50%ずつ出資する合弁企業、GEホンダエアロエンジンズ製だ。機体とエンジンの両方を、一つの会社が手掛ける例も、これまた、世界にほぼ例がない。「HF120」の生産設備は、やはり13年にFAAの型式証明を取得したが、生産設備が新しくFAAの型式証明を取得するのは、実に23年ぶりのことだった。
ホンダが、どれほど困難なことを成し遂げたのか、いまさらながら驚かされる。
■優秀な人材の確保
藤野氏は、ホンダエアクラフト社の工場内を案内してくれた。以下のコメントは、いずれも藤野氏である。
「ここが、ファイナル・アセンブリー・ライン、つまり『ホンダジェット』の最終組み立て工程のラインです。現在、25機がライン上にあります」
壮観である。広い工場内の壁に沿って、25機の機体が、斜めにこちらを向いて整然と一列に並んでいる。真っ白い床と、白く下塗りされた機体に、天井のライトが反射して光っている。その天井もまた、梁まで真っ白だ。
「床は、オイルが落ちているとか、ボルトが転がっているとかがすぐわかるように、常にキレイにするようにしています」
よく知られることだが、ホンダ創業者の本田宗一郎は、「整理整頓の行き届かない工場からは、優れた製品は生まれない」として、工場の整理整頓や掃除を徹底した。そして、作業着は、汚れがわかるように「白」と決めた。ホンダエアクラフト社の真っ白な工場は、この宗一郎の思想に通じる。ホンダの四輪・二輪の工場の作業員は皆、真っ白の作業着を身に付けている。そして、ホンダエアクラフト社の従業員も全員、白い作業着を着ているのはいうまでもない。
続いて、顧客に飛行機を引き渡す「デリバリーセンター」に向かった。デリバリーセンターは、450万ドル(約5億4000万円)を支払って「ホンダジェット」を購入した顧客が、自らの飛行機と初対面する場である。
「新しい飛行機の引き渡しは、その人の人生にとって、おそらく一度か二度しかないことです。デリバリーセンターは、できるだけ、スペシャルな体験を演出できるように、というコンセプトでつくっています」
デリバリーセンターに入ると、真ん中のターンテーブルに、ピカピカのホンダジェットが載せられている。購入者は、その機体を、ガラス張りのエレベーターに乗って上から眺めることができる。
「デリバリーセンターをデザインするときには、どうしたらもっとも機体の見栄えがするか、たとえば壁のパネルの大きさや色までこだわって設計しました」
しかし、最新の機器が揃った工場やR&Dセンターの研究設備、豪華なデリバリーセンターをつくった理由は、顧客をもてなすためだけではない。
「会社をつくるには、まずチームメンバーが必要です。人材をリクルートし、社屋や工場を設計してつくり、飛行機を開発認定するための試験設備も整えないといけない。企業の全体基盤をつくることは、飛行機自体の設計や認定を得るのと同じくらい大変な仕事で、非常に重要なことだと思います」
なかでも難しかったのが、優秀な人材の確保だった。
「日本なら、たとえば『ホンダ』といえば、今ならそれなりの人がきてくれると思います。でも、航空機産業の本場米国で、日本のホンダが、実績のない航空機ビジネスに参入するといっても、なかなか優秀な人材は集まってはくれなかったです」
ホンダエアクラフト社を立ち上げた直後、藤野氏らは、空港の脇にあるハンガー(格納庫)の中に簡易な設計室をつくり、バラックのようなところで飛行機をつくっていた。そのようなところで採用面接したところで、優秀な人材が現在の安定したいい仕事を捨ててまで、ホンダの先の見えない航空機事業に転職する気には、なかなかなってくれなかっただろう。
「彼らに入社を決心してもらうためには、最初のうちはホンダジェットの実機を見てもらい、その飛行機の技術や魅力を自らアピールすることが必要でした。そして投資を少しずつ進めながら、先端の研究設備や工場、フライトシミュレーターなど、エンジニア達が我々の仕事自体にやりがいを感じるような会社の体制や設備を整えていきました。会社のコアは、人材です。そして、いろいろな観点から会社全体に魅力を感じてもらうことが、優秀な人材を集める上での最も重要なステップになると考えていたのです」
アメリカという航空大国で、ホンダが、未知の航空機産業に参入するには、数え切れないほどの多くの障壁があった。そして優秀な人材の確保という課題は、その一つだったのだ。
■常識からいってあり得ない話
デリバリーセンターでは、ターンテーブルに載せられたブルーの「ホンダジェット」を、改めて間近で眺めることができた。思わず、「美しいですね」と言うと、「ありがとうございます」と、藤野氏は、まるで自分のことを褒められたようなうれしそうな表情をみせた。
「ホンダジェット」の美しさには、いくつかの秘密がある。その一部を紹介してみよう。まず、なんといっても、主翼が美しい。「ホンダジェット」の外形の最大の特徴は、エンジンを主翼上に配置したところにあるのだが、その主翼の表面は、高級車のボンネットのように滑らかで、光沢があるのだ。一般的なビジネス・ジェットは、こうはいかない。主翼が光を受けると、たいてい凹凸によって反射光が乱れるからだ。触れば凹凸が感じられるし、リベットがたくさん打ちこまれているのが一般的である。私は、オハイオ州の「ホンダ・ヘリテイジ・センター・ミュージアム」に展示されているホンダジェットの胴体の表面も撫でてみたことがある。胴体も実に滑らかだった。なぜ、これほどまでに滑らかなのか。
「空気抵抗を少なくするために、表面はできるだけ滑らかなほうがいいんです。主翼のスキンは大きくて長いアルミの板から、NCマシン(数値制御工作機械)で一体で削り出しています」
私は、この言葉を、信じられない思いで聞いた。ホンダジェットの主翼は、片側約5メートルだ。それほどの大きさのものを削り出すとなれば、どれほどのコストや時間がかかるのか。車体をプレスで生産するのが一般的な自動車からすれば、耳を疑うような話である。
実際、これは、主翼の削り出しを決めた当時のビジネス・ジェットの業界の常識からいっても、あり得ない話だった。
「初めのうちはいくら話しても、みんな『信じられない』といいました。でも、私が一体削り出しのコンセプトを発案した当時、NCマシンのテクノロジーはどんどん進歩してきていたんです。何千というリベットを手作業で一本ずつ打つより、一気に一体で削ったほうが速いし、人のミスが入り込む可能性も少ない。当時のNCマシンの技術進化はすさまじく、10年単位で見れば、絶対に機械加工のほうがいいのではないかと思っていました。実際、いまや断然そうなっています」
翼の表面にまでこだわり、徹底的に空気抵抗を減らしたことから、ホンダジェットは、クラス最高のスピードを達成している。機体の抵抗が小さいことから、降下や着陸時に空気抵抗を増加して減速するために、機体最尾部が左右に開くタイプのスピードブレーキ(民間機には珍しい形態のスピードブレーキ)が搭載されている。
■ビジネス・ジェットの常識を逸脱
さらに、「ホンダジェット」の特徴の一つが、鋭い顔つきである。これは、コックピットを覆うウインドシールド(風防)が、三次元曲面でできていることとも関係している。戦闘機などを除けば、三次元曲面の風防を採用したビジネス・ジェットは「ホンダジェット」が初めてだ。
「最初は部品メーカーに『製作はできない』とまで言われました。飛行機の風防は、厚さで1インチほどありますから、それを三次元曲面にゆがみや誤差なく成型するのは、とても難しいんです。でも、サプライヤーと何回もトライしながらやっていくことで、成型プロセスをつくり上げました。もちろん美しいだけでなく、空力的にも優れています」
ほかにも、機体そのものは、多くの航空機の機体が、輪切りの部品をつなぎ合わせてつくられるのに対し、「ホンダジェット」の胴体は、メス型を用いて成型された左右2つの部品を中央部で接着してつくられる。
機体の筒状(一定断面)の部分と、複雑な三次元曲面をつくるノーズやテールなどは、素材は同じカーボンコンポジットを用いているが、構造様式は種類が異なる。その為、異なる構造様式の構造を一回で成形するには、圧力や温度などの複雑なコントロールが必要で、高い技術が求められる。ホンダは、その特許を取得した。
コックピットも、洗練されている。操縦桿の脇のセンターコンソールには2つのタッチスクリーン式のディスプレイが設置されているのだ。
「従来機では、機能のみが重視された設計でしたが、『ホンダジェット』では、クルマの運転席のように、機能性とともにそのインテリアデザインをも一体化しています。99年にそのアビオニクスのコンセプトを説明したときは、誰も相手にしてくれなかった。ただ一人、ガーミン(米GPSメーカー)の社長だけが『それは素晴らしい』と言ってくれて、一緒に開発してきたんです」
機体に、赤・青・黄・緑・シルバーというカラーバリエーションが用意されているのも、ビジネス・ジェットの慣習からみればまったく新しいものだった。
「クルマでは、購入者が好きな色を選びますよね。『ホンダジェット』も、その『色を選ぶ』という行為そのものも『購入する』体験の一部としたかったんです。『所有欲』や『オーナーシップ』を感じられる、スポーツカーのような飛行機をつくりたかったんです」
ホンダジェットの美しさは、技術を極限まで突き詰めて実現した「機能美」だ。その姿は、まるで、海面上に跳ね上がったイルカのように、有機的な美しさを備えている。
■「人間尊重」
インタビューの翌9日の18時半、カスタマーサービスセンターのハンガーには、従業員や行政、業界関係者、報道陣など約2000人が詰めかけた。ホンダジェットの型式認定取得を記念する式典が開催されたのである。
式典では、FAA長官のマイケル・ウェルタ氏から、藤野氏に「型式証明書」が手渡された。さらに、人気ミュージシャンで、いまや藤野氏の友人であり、自身もパイロットであるケニーGが祝福のためサプライズで登場し、サックス演奏で観客を沸かせた。
藤野氏は、93年頃、ホンダが初めて自前で開発したジェット機「MH‐02」を飛ばすために、ミシシッピ州の研究所で、昼も夜も、休日もなしに働き続け、息(Breath)ができなくなることもあったほどだったという。そんなとき、92年後半に発売された、ケニーGの「Breathless」というアルバムを見つけ、購入したと話して会場から笑いをとった。
藤野氏はケニーGに、「Breathless」のなかから「Morning」をリクエストした。
「僕の人生には、朝(Morning)なんてこないのではないかと思うこともあった」
藤野氏は、そう言うとステージ上でしばらく言葉を詰まらせ、涙を見せた。その瞬間、2000人の観衆は、割れんばかりのスタンディング・オベーションで応じた。会場全体が一体になった瞬間であった。ホンダは、30年を経て、その社史上、いや航空機史上に、歴史的なマイルストーンを築いた。2000人の大喝采を浴びる藤野氏を見ながら、私は、なぜホンダに、これほどのことができたのかと、考えざるを得なかった。
たとえば、巨大企業のトヨタに同じことができるかといえば、おそらく「否」ではないだろうか。「夢」とか、「宗一郎のスピリット」という言葉を使えば、それらしく聞こえるだろう。だが、現実は、それほど甘いものではなかったはずだ。ホームカントリーの日本ではなく、「アウェイ」の、それも米国という世界一の航空大国で、日本のいち自動車メーカーが航空機市場参入を成し遂げた背景には、より深く、重大な意味があるのではないか。
ホンダは、基本理念として、人間を丸ごと尊重する「人間尊重」を掲げる。さらに、「よそのマネはするな」「よそにないものをつくれ」という、宗一郎以来の社風がある。「技術の前に、すべての技術者は平等である」という言葉もあるように、「技術」と「個人」を尊重し、他社にはないものを開発することで、独自性を打ち出してきた。だからこそ、「HONDA」は、いまだに世界的に高いブランド力を誇る。
一方のトヨタは、トヨタウェイに「人間性尊重」を掲げる。ホンダの「人間尊重」に対して、「性」すなわち人間の「能力」を尊重するのだ。「人間」すなわち「個人」の「失敗も成功も含めて丸ごと尊重」するホンダに対し、トヨタは、「人間性」すなわち、人間の秘めたる可能性にかけて挑戦する「能力」を「尊重」する。それは、「人間性尊重」と並んで、トヨタウェイに掲げられる「知恵と改善」につながるものだ。
トヨタは「人間性尊重」を掲げ、いわば「組織の強さ」によって現在の地位を築いた。一方のホンダは、「人間尊重」を掲げ、いわば「個人の強さ」によってブランド力を築いてきた。それが、ホンダに「ホンダジェット」をつくることができた理由ともいえるのではないか。ホンダは、30年もの間、一円の利益もあげない航空機の研究開発を継続した。藤野氏はまた、それを担って走り続けた。任せたホンダの「人間尊重」の社風と、任せられ、やり切った藤野氏の「個人の強さ」が、「ホンダジェット」の実現につながったといえる。
宗一郎は、「1%の成功は99%の失敗の積み重ね」と語っていた。インタビューの最後に、藤野氏に、「成功ばかりではなかったでしょうね」と話を向けると、彼は、こう答えた。
「もちろん、失敗はいっぱいありますよ。記事に書かれているのは、僕の人生全体のうちの3分間か4分間、そんなイメージかもしれませんね」
「ホンダジェット」の型式認定取得は、始まりに過ぎない。ホンダの航空機事業は、30年間の長い助走を経て、いま、ようやく離陸したのである。
藤野氏のエビエーター(航空人)としての人生は、「ピーク・エクスペリエンス」を経て、新たな挑戦が始まったところだ。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)
- ホンダジェット、受注順調100機超 生産拡大も(朝日) てんさい(い) 2016/1/20 15:33:51
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