http://www.asyura2.com/15/hasan103/msg/850.html
Tweet |
〔PHOTO〕ふとんで年越しプロジェクト2015
「ふとんで年を越したい…」 急増する「見えない貧困」、恐怖の年末年始がやってきた
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47106
2015年12月28日(月) 大西連 現代ビジネス
文/大西連(NPO法人「もやい」理事長)
「このままだと年を越せないかもしれません……」
岸田さん(仮名)はそうつぶやくと、大きなため息をついてうつむいた。僕は彼にかける言葉を探しながら、なんともなしに通りを行き交う人々を眺めていた。駅に向かう人々の表情は師走のせわしさに追い立てられながらも、どこか明るく、喜びに満ちているようにも見える。
2014年12月30日。池袋。岸田さんは待ち合わせ時間ピッタリに駅前のコーヒーショップにあらわれた。数日前、Facebook経由で彼から「相談したい」との連絡が入り、この日、急遽会うことにしたのだ。
待ち合わせにあらわれた彼は、ダウンのコートにジーンズ。それにちょっとオシャレなショートブーツ。大きなボストンバッグを持ってはいるが、とても生活困窮している人には見えない。むしろ、隣のテーブルで談笑している男子大学生のほうがよっぽどみすぼらしく見えるくらいだ。
岸田さんは35歳。数ヵ月前まで中部地方の工場で派遣社員として働いていたが、雇止めにあい寮を出て上京。家族はすでに死別しており天涯孤独。寮を出たときには30万円ほどの貯金はあったが、無職で住所不定の状態ではアパートは借りられず、新宿や池袋のネットカフェに寝泊まりしながら仕事を探した。
幸運にも仕事は見つかったが、前回と同じく派遣の仕事で、データ入力の事務。週4日(時給1,000円ほど)で手取りは月約14万円。ただ、ネットカフェ生活はお金がかかる。ネカフェ代にコインシャワー、コインランドリーにコインロッカー、自炊もできないので食費もかさむ……。これだけでは足りないので、日雇いの仕事があればする。
それでも何とか生活はできていた。ところが、思わぬトラブルが彼を襲ったのだ。
「その日は何だかとても疲れていて、一杯だけと思って缶ビールを買ってきたんです。自分ではビール一杯くらいで酔っぱらうなんて思ってはいなかったんですけど、トイレに行った際に個室に上着を忘れてきてしまったんです。
自分のネカフェのブースに戻ってからしばらくして気が付いてすぐに戻ったんですがすでに盗まれていて。急いで店員を呼んで調べてもらったんですが、結局、犯人はわからず。上着のポケットにいれていた財布ごと盗まれてしまったんです……」
現金は念のために分散して持ち歩いていたというが、その日暮らしのギリギリの日々を送っていた岸田さんにとっては大打撃だった。くしくも、年末に入って仕事は長めの休業のため収入は入らない。日雇いの仕事を探したものの、こちらも年末年始はほとんど見つからなかった。
「それで、急いでネットで相談先を探したんです。そうしたら、ここの連絡先をみつけて……」
岸田さんには今晩帰る家がなく、泊まる場所がない。しかし、いわゆる「ホームレス」ではない。野宿したこともなければ、自分が野宿しなければならない状況になるとは思ってもいなかっただろう。
いま日本では、「ホームレス」が6841人(2014年厚労省ホームレス概数調査)いるとされている。しかし、ここで言う「ホームレス」とは、昼間に目視で確認できる人、すなわち、駅や公園、河川敷などにテントや小屋を建てているなどの「ホームレス」の人のことである。
そういった、いわゆる「ホームレス」の人以外にも、ネットカフェやサウナなどで寝泊まりしたり、知人宅を転々しているなど、安定した住居をもたない「ホームレス状態」の人が近年増加している。その実数は明らかになってはいないが、少なくとも1万人以上は「ホームレス状態」にある人が存在するだろう、とも言われている。
背景には、岸田さんのようになんとか首の皮一枚でつながっていた人でも、ひょんなきっかけから、容易に貧困に、生活困窮に、寝泊まりする場所を失ってしまう可能性があること、そして、岸田さんのような働き方、生き方をせざるを得ない人が増加していることがあげられるだろう。
■「年越し派遣村」から7年
「年越し派遣村」を覚えているだろうか。
今からさかのぼること7年前の2008年11月におきた「リーマンショック」を発端とした世界的不況において、日本でも自動車や電機メーカーなどの製造業において、いわゆる「派遣切り」と呼ばれる、派遣労働者の大規模な解雇・雇い止めが発生した。
「年越し派遣村」は、「派遣切り」によって、仕事と住まいを失って(派遣の寮を追い出されるなど)、路頭に迷ってしまった人を支援するために、2008年の暮れから2009年にかけて、NPOや労働組合のメンバーが中心となり、日比谷公園でおこなわれた支援活動である。
そして、約500人の住まいを失った派遣労働者などの生活困窮者が相談に訪れ、国も厚労省の講堂を開放するなどの措置が取られた。
また、2009年から2010年に関しては、民間の支援団体ではなく、東京都が「公設派遣村」を国立オリンピック記念青少年総合センターに開設し、同じく約500人が相談に訪れた。
2008年〜2009年、2009年〜2010年の年末年始には、「年越し派遣村」という形で、官民での支援活動がおこなわれた(残念ながら2010年以降は公的な取り組みはおこなわれていない)。
しかし、民間のレベルでいうと、年末年始に関しては、各地で炊き出しや夜回り、相談会やシェルターの開設など、さまざまな越冬・越年の活動をおこなっている。通年での支援活動だけでなく、この年末年始の時期に特別にこのような取り組みをおこなっているのは一体どうしてなのだろうか。
■年末年始は「仕事」も「窓口」も開いていない
年末年始は多くの会社では休業期間に入る。正社員などの安定した仕事をしている場合は、ただ休みに入るだけなのかもしれないが、例えば、時給制の仕事や、日給制の仕事などの場合は、休業期間が長くなればなるほど、それはそのまま給料が減ってしまうことを意味してしまう。
加えて、給料の入金方法が日払いや週払いである場合は、「仕事がないこと=入金がなくなってしまうこと」につながってしまう。貯金等をできている状況であれば何とか正月明けまでしのげるかもしれないが、もし手元に残っていなかったり、急な出費に見舞われてしまったり、岸田さんのように予期せぬ出来事が起こってしまったりすると、たちまち、資金もなくなってしまう可能性がある。
もちろん、こういった生活困窮状態になってしまったら、社会保障制度の利用を検討することはできるし、通常であれば公的な窓口にいって、その利用を申請することは可能だ。実際に、生活保護をはじめ、日本では一定程度のセーフティネットは整備されている。
【参照】
・生活保護制度について(厚労省HPより)
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/
・生活困窮者自立支援制度について(厚労省HPより)
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000059425.html
これらの制度は、いつ・誰が・どのような理由で生活に困っても支援を受けることができるように、各自治体に常設の窓口が存在する。
しかし、多くの自治体ではそれらの窓口が開いているのは、平日は9時〜17時(12時〜13時は昼休み)のみ、土日と祝日などは、「閉庁」といって休みに入る。そして、年末年始は、年によって違うもののおおむね1週間ほど窓口が閉まってしまうため、そういった支援制度が利用できなくなってしまうのだ。
年末年始だけでなくゴールデンウイークなども大型連休として閉庁期間が長いのは長いのだが、同じ連休でも年末年始は時期的に極寒なので、野宿することは厳しい。なので、年末年始は支援のニーズが結果的に高くなってしまうのだ。
こうした事態を想定して、全国各地では長いところでは30年以上も前から、さまざまな民間のレベルでの支援活動がおこなわれている。東京だと新宿・渋谷・池袋・山谷地域などでは、民間の支援団体が炊き出しや夜回り、医療相談などの活動を「越年」「越冬」としておこなっている。
しかし、いずれも手弁当でボランティア中心の活動でもあり、民間でできる支援に限界があるのも事実である。
〔PHOTO〕ふとんで年越しプロジェクト2015
■必要な支援を整備するためにできること
ここで、冒頭の岸田さんの話に戻ろう。岸田さんと会った2014年の年末年始には「年越し派遣村」のような活動はおこなわれていなかったし、行政の窓口は完全に閉鎖されていた。
都内の各地ではホームレス支援団体等によるさまざまな活動はあるものの、野宿経験のない彼は、支援者やほかの野宿者とともに屋外で暖かくして過ごす「野営」という形での寝泊まりは難しい。
そんな人でも利用できる支援を、ということで、都内のホームレス支援や生活困窮者支援に携わる団体・個人で、「ふとんで年越しプロジェクト」というプロジェクトを、2013年の年末から開始した。
2013年〜2014年の年末年始では約20名、2014年〜2015年の年末年始では約30名に対して、個室のシェルターを提供し、医療、生活相談等の支援をおこなった。岸田さんはこの日のうちに「ふとんで年越しプロジェクト」のシェルターに入所することが決定し、無事にふとんで年を越すことができたのである。
「ふとんで年越しプロジェクト」は、あくまで年末年始の短期的なプロジェクトであり、各地の支援団体のボランティアメンバーによって活動が成立している。そして、シェルター開設に関する費用等はクラウドファンディングなどの寄付によって成り立っている。3年目を迎える2015年〜2016年の年末年始も「ふとんで年越しプロジェクト」を始動する。ぜひ、ご支援を賜りたい。
ふとんで年越しプロジェクト2015 〜誰もが暖かく年を越せるように〜
https://motion-gallery.net/projects/futon-toshikoshi2015
とはいえ、この「ふとんで年越しプロジェクト」で支援できる人は、東京で生活困窮する人の、ホームレス状態の人の、本当にごく一部でしかない。限られた資金や人的なリソースで、それこそ手弁当で支えられる範囲は非常に限られているのは事実だ。
昨年は岸田さんを支援できたものの、岸田さんと同じような状況の人は都内だけでも何十人も、場合によっては何百人も(それ以上かもしれない)いるだろう。
■支援団体が国や自治体に求めていること
「ふとんで年越しプロジェクト」では、12月に国に対して以下の要望をおこなった。
1. 「年末年始」の閉庁期間中に、各自治体に生活保護申請を受け付ける窓口を設け、申請権を侵害することなく適切な対応をおこなうこと。
2. 上記閉庁期間中に、生活困窮者及び生活保護申請者に対し、必要に応じて、宿泊場所や食事の提供、またはその費用の給付・貸付等を適切に、かつ速やかにおこなうこと。
3. 生活困窮者が上記閉庁期間中に、1及び2の施策を利用できるように、情報発信・広報の活動をおこない、その利用を促進すること。
4. 上記1及び2の事項が適切におこなわれるように、各自治体への周知徹底をおこなうこと。
このうちの、1に関しては、2014年より、東京都は各区に通知を発出し、閉庁期間中でも婚姻届け等と同じように夜間休日窓口等で生活保護の申請を受理することを求めている。
しかし、2に関しては、現状ではなかなか対策が取られていないのが実情だ。私たちの要望の内容は実はこの3年間かわっていない。国は「年末年始に対策をおこなうかどうかは各自治体が判断すること」と言い、自治体は「自分たちだけでは独自の取り組みをおこなうことはできない」と言う。
もちろん、閉庁期間中に窓口を開設し、支援のメニューを利用できるようにすることは、職員の体制、資金等、簡単なことではないだろう。
一方で、とはいえ、2008年〜2009年の年末年始、2009年〜2010年の年末年始には「年越し派遣村」として、国と自治体が特別な対策をおこなったのは事実である。
そして、2015年4月からは各自治体に柔軟な運用がおこなえるように制度設計されている「生活困窮者自立支援制度」がスタートし、自治体の独自の取り組みはおこないやすい状況は整いつつある。
そう、すでにやるかやらないかは、各自治体の判断に任されている。そして、すこし雑な言い方をすれば、それはすなわち、私たち一人ひとりに、世論に、社会の要請によって支援を整えていくことはできる、ということだ。
■「見えない貧困」は拡大している
「本当にここに泊まっていいんですか?」
シェルターのドアを開けるなり、岸田さんはためらいの表情で振り返った。年末年始の緊急シェルターはビジネスホテルを借り上げたもので、個室で、暖房があり、清潔なベッドにテレビも備え付けられている。
ホテル借り上げは費用がかかるのがネックではあるが、「ふとんで年越しプロジェクト」では、できるだけ良い環境の宿泊場所を用意することにこだわっている。
「なんだか、ふとんで寝るのは本当に久しぶりな気がして……」
その時の岸田さんの何とも言えない表情を、僕は忘れることができない。彼は結局、年明けまでの5日間、シェルターに宿泊した。1年経った今も派遣社員として働いていることはかわらない。しかし、ネットカフェからではなくアパートから出勤している。
岸田さんのように民間の支援につながる人は残念ながら稀だ。彼もネットカフェで財布を盗まれなかったとしたら、もしかしたら、相談に来ることはなかったかもしれない。
「ホームレス状態」の人たちは、一見、「ホームレス」には見えないし、生活困窮していることが傍目にはわからない。また、本人たちも自覚していないかもしれない。そういった「見えない貧困」は統計にも反映されなければ、支援団体がアクセスすることもままならない。
日本のホームレス支援、生活困窮者支援は、もしかしたら、新しいフェーズを迎えている。たくさんの岸田さんが社会のなかに、街のなかに存在し、そして、「見えない貧困」は拡大している。
今夜、ベッドに入る際に、寒空のなかで年を越す1万人のことを想像してほしい。ネットカフェやファミレス、サウナなどで正月をむかえる人たちのことを考えてほしい。そして、私たちの活動にぜひ注目してもらえたら幸いである。
大西連(おおにし・れん)
1987年東京生まれ。認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。新宿ごはんプラス共同代表。生活困窮者への相談支援活動に携わりながら、日本国内の貧困問題、生活保護や社会保障制度について、現場からの声を発信、政策提言している。近著に『すぐそばにある「貧困」』(ポプラ社)。Twitter:@ohnishiren
6人に1人が貧困――。著書『すぐそばにある「貧困」』は、生活に困窮してしまった人たちの人生や支援現場での葛藤をありのままに描いた衝撃のノンフィクションだ。
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民103掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。