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人口減に歯止めをかけるべく、2010年から街づくり活動を行っていた。当時の資料は津波で流されたが、記憶を頼りに計画を練った(撮影/編集部・齋藤麻紀子)
「復興が他より1年早い」女川町 秘訣は“ATM”?〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151224-00000000-sasahi-soci
AERA 2015年12月28日―2016年1月4日合併号より抜粋
「民主主義」は何も政治だけの話ではない。身近な暮らしの中で、どうやって一人ひとりの声を形にするか。それを考えることが民主主義だ。さまざまな場面で、民主主義を実践する人たちがいる。
大きな曲線を描くダイナミックな屋根と、どこか懐かしい木のにおい。2015年3月、4年ぶりに開業したJR女川駅の駅舎は、世界的建築家の坂茂氏が手掛けた。
海までまっすぐに延びるプロムナードには、レストランなど暮らしを支える商業施設が12月下旬にオープンする。新しい駅に、新しい店。約5年前、約15メートルの波にのまれた宮城県女川町は、いま様変わりしている。町外の復興関係者は言う。
「他の街より、復興のスピードが1年早い」
女川には住民参加型の街づくりが根付いている。取材して感じたのは、よく「パス」が通るということだ。
例えば、あるメディアの企画で「震災前の街を模型で復元する」という提案があった。「女川でもできないか」とある町民が相談を受けたが、「民間では実現が難しい」と判断し、役場にパスした。
パスを受けたのは、財務省から出向する城井恒さん(39)。霞が関では民間からパスを受けることはなく驚いたが、内容を確認し、役場内の担当に再度パス。女川に根付く文化をこう説明する。
「よく“ATM”されちゃうんです」
あとは任せた、の略。それぞれの役割に合わせて仕事を任せることを、女川ではこう言う。
「組織を超えた信頼関係があるからできる」と、城井さん。
行政と民間など、セクターを超えたATMもよく見られる。
行政がつくるべき町の復興計画も、女川の場合、その原案は民間の団体が作った。震災後、行政はインフラ整備などに翻弄されたが、仕事を失った事業者には時間があったから、民間が自主的に作成したのだという。震災から2カ月半後には、80ページにも及ぶ計画書を作り、行政にATMした。
なぜ、こんなに風通しがいいのか。そもそも町がコンパクトだ。人口は7千人弱。平成の大合併もしておらず、地域間の壁もない。
何より大きかったのは、リーダーの一声だ。震災後、商工会の会長が事業者を集めて言った。
「今後、還暦以上は街づくりに口を出すな」
年長者が口を出せば、未来を担う若者が動きづらくなる。60歳以上の人間は、30代、40代に道を譲り、同時に「顧問」として後方支援しようと伝えた。町外から事業所を移した厨勝義さん(37)は、町をこう表現する。
「町の主要ポジションは、年齢順ではなく、機能別に決まっている。だから動きやすい」
重要な決定は、町長から町民に直接伝えることも徹底した。
ただ、一方的な説明にならないよう、1回に集める人数はせいぜい40人程度に。これまで行った住民向け説明会はのべ180回。同じ内容の説明会を、36もの場で行ったこともある。
街づくりの会議は、町民参加型。以前から住民主体で行っていたイルミネーションイベントを、商店街でやりたいという意見や、地元の鍋料理「女川鍋」を振る舞うイベントも継続したいという要望が出た。
「町の基本方針は、行政が示す。でも町の使い方は、使い手と一緒に作る。街づくりは町全体がチームなので、行政なら『女川チーム・行政担当』と認識することが大切です」(須田町長)
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