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築地の鮪仲卸「樋長」の8代目、飯田統一郎社長
80年の歴史終える築地市場 江戸時代から続く魚河岸プライド
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151221-00000001-pseven-life
週刊ポスト2016年1月1・8日号
明け前から、築地市場は食のプロフェッショナルたちで活気づく。ターレと呼ばれる運搬車両が縦横無尽に駆け回り、卸売業者や仲卸業者らでごった返す中、魚が荷台にのせられて行き交う。
日本の台所とも称される築地市場は、水産物と青果物を取り扱う総合市場だ。敷地は、東京ドーム5個分の約23万平方メートル。内部は卸売業者売場、仲卸業者売場、冷蔵庫施設など様々なブロックに分かれている。
1日当たりの入場者数は4万人超。約1万9000台の車両が出入りする場内には、日本だけでなく、世界各国から水産物や青果物が集まる。特に水産物の年間取扱量は45万トン。金額にして4350億円(2014年実績)と世界最大級の取引規模を誇る。
その歴史は江戸時代にさかのぼる。江戸幕府の開祖・徳川家康が大坂・佃村から漁師を呼び寄せ、魚を幕府に納めた後に余った魚を日本橋のたもとで売ることを許可したのが、築地市場の前身、日本橋魚河岸の始まりとされる。大正12年の関東大震災をきっかけに昭和10年、現在地に移転した。今も築地市場を「魚河岸」と呼ぶのは江戸時代の呼称の名残である。
水産物が私たちの食卓に届くまで、様々な種類の業者を介する。全国各地の水揚げ漁港などから集めた魚介を市場内でセリや入札にかけ、仲卸業者や売買参加者に販売するのが卸売業者だ。卸売業者には農林水産大臣の許可を得た者しかなれず、築地市場(水産物部)には7社が名を連ねる。このうち「大物」と呼ばれる鮪のセリを行なっているのは5社。彼らは真夜中の日付が変わる頃から準備に忙しく動き回る。
一面にドライアイスが気化したような真っ白い霞がたなびくのは、冷凍鮪のセリ場だ。セリを前に、仲卸業者の目利きたちが数百本もの鮪を真剣な表情で見つめている。時に、懐中電灯で照らしながら身質を丹念にチェックする。
朝5時半。セリの開始を告げる鐘が高らかに鳴り響く。リズミカルな身振りと威勢のよい掛け声を繰り出すセリ人に、仲卸業者たちが指で自分の値付けを示す。1本がセリ落とされるまでの時間は、わずか数秒。まさに一期一会の真剣勝負だ。
鮪は、魚の中でも特に個体差が激しいとされている。プロは、どうやって身質を見極めているのだろうか。文久元(1861)年に日本橋で創業した歴史を持つ鮪仲卸「樋長」の8代目、飯田統一郎社長が語る。
「形と張り、腹の厚さと脂の乗り具合、尻尾の身を掘って身の塩梅がいいかどうかなどを吟味します。しかし、見て触って判断できるのは7割程度。残りの3割は運と縁です。実際におろすまで本当の身の質はわからないというのが鮪なのです」
そして、飯田社長はこうも語る。
「お客様ごとに異なる鮪の好みを把握し、それぞれの希望にあう鮪と引き合わせるのが僕らの仕事。“仲人”みたいなものですね」
築地市場には「大物」だけでなく、あわびや活魚など高級種物に位置づけられる「特種物」、一夜干しといった「合物」、茹で蛸など様々な専門分野の仲卸業者の店が600軒以上ある。共通するのは、料理人らプロのために高品質の食材を取り揃える確かな目と経験だ。
築地市場は80年の歴史に幕を閉じ、移転先の豊洲で新市場として2016年11月7日に開場する。江戸時代から受け継がれる魚河岸プライドは新天地でも変わらない。
撮影■藤岡雅樹
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