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なぜ人口2300人の離島が教育の最先端を行くようになったのか?(写真は本土と隠岐を結ぶ隠岐汽船)
日本最先端の「離島」に進化!海士町の秘密 教育で一歩先行く島はいかにして生まれたか
http://toyokeizai.net/articles/-/94864
2015年12月20日 小宮山 利恵子 :リクルート次世代教育研究院 院長 東洋経済
羽田から米子空港まで約1時間半。そこから隠岐島行きのフェリーが出る七類港まで車で約30分。さらに、フェリーに揺られること約3時間。東京から半日かかって到着したのは、人口2300人あまりの島根県隠岐郡海士町だ。
平成の市町村大合併の際に、「合併したら埋もれてしまう」と自立の道を歩むことを決断。しかし、町は当時100億円の借金を抱え、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。その海士町にいま、「新たな挑戦」が起きている。島を歩けば、他の地域と比べると多くのIターンの若者たちに出会う。しかも、海士町のその活気は子どもの教育にも影響しているという。いったい何が起こっているのか。
今年、海士町にある公立高校が文科省が指定するSGH(スーパーグローバルハイスクール)に選ばれてもいる。今回は、海士町訪問から見えてきたことをお伝えする。
■Iターンの大量受け入れと、島の人の葛藤
資源も何もなかった海士町が、平成の市町村合併の際に抱えていた借金、その額実に100億円。それを解決するべく、1999年にスタートしたのが、町の行政職員の意識改革を狙った「キンニャモニャの変」だ。
「キンニャモニャ」とは、隠岐民謡の「キンニャモニャ節」に由来するが、その意味については諸説ある。それまでの過去10年間、住民はその財政危機について何もできなかった。その「住民」にはもちろん職員も含まれている。そこで、「住民と一緒にこの町を盛り上げていこう」という職員のやる気が問われる意識改革となった。
その後、2002年に山内道雄氏が海士町長に初当選し、そこから改革が加速することになる。町唯一の港である菱浦港には、町民が気軽に集まれる場所をつくり、そこから情報を発信していく試みがなされた。2004年には、海士町が生き残れるかどうかの試金石となる2つの大きな改革が行われた。そのひとつが、行政改革だ。
山内道雄町長
町長、課長の給与をそれぞれ50%と30%カット。もうひとつは、その行政改革で浮いたお金で借金返済と並行して産業振興、具体的には新規事業を興すことに力を入れた。新規事業を進めるため、2004年から2006年の間に、農業・漁業関係者も含めると実に80数名が町で働くことになった。そのうち3分の2は海士町とは縁のない人だった。
新規事業にはCAS(Cells Alive System)を利用した農水産加工施設の整備、隠岐牛ブランドの確立などさまざまなものがある。中でも山内町長が挙げるのが、ナマコの輸出事業も行う民宿・但馬屋だ。
■島を盛り上げる「Iターン」人材
但馬屋を経営する宮崎雅也さんの経歴は面白い。一橋大学の学生時代に海士町の中学生がゼミを訪れ、同行していた町職員から乾燥ナマコの輸出の話を聞いて面白いと感じ、海士町にIターン。以来、民宿の仕事をしながら輸出も手がけているとのこと。
のどかな風景が広がる海士町
その宮崎さんの気概に一肌脱いだのが、海士町だ。2007年に乾燥ナマコの加工場を設けるべく、町長が議会に7000万円を投じるよう議案を提出した。当時は、多くの借金を抱えているにも関わらず、そのような大金を箱ものの工場建設に当てるなどとんでもないという議論が巻き起こったという。ただ、町長は、その工場を作ることで町の後継者、跡取りを作ることになると説いてまわり、その予算は通過。乾燥ナマコ加工工場ができた。
以来、「AMA ワゴン」として一橋大学の学生が年に5回海士町を訪れ、地元の小中高生と交流している。2009年には、そこに有力なメンバーも加わった。ソニーを退職して移住してきた岩本悠さん(現・島根県教育魅力化特命官)と、元トヨタ社員で株式会社巡の環(めぐりのわ)を立ち上げ、持続可能な地域づくりを行っている阿部裕志さんだ。
これまでに500名弱の人が海士町に移住し、中には家族と一緒に来た人もいる。島の人の「ヨソモノ」への意識はなかったのか?と思う人も多いのではないだろうか。
海士町は、古くは承久の乱により後鳥羽上皇が配流され受け入れた歴史があり、外の人を受け容れる土壌はあったという。ただ、そうは言っても、やはりアレルギー反応はあったと山内町長は言う。町長の両親自身もIターンだった。「前までは閉鎖的だったが、Iターンに来た人たちが一流企業の一線で働いていた人で、その職を投げ打ってまで海士町のために頑張ろうという人たちでした。その人たちの志の高さに、島の人が徐々に感化され、現在ではよい化学反応が起きています」
島の中でのよい化学反応は、教育においても起きている。隠岐諸島の中の島前地域は3島(知夫里島、中ノ島、西ノ島)からなり、唯一の高校は中ノ島・海士町にある隠岐島前(どうぜん)高校だ。生徒総数160名。島外の生徒が79名で全員が寮で生活している。そのうち、県外から来ている生徒が66名。その出身地は北海道から宮崎までと幅広い。
昨年の主に県外生徒向けの高校推薦入試倍率は、2.3倍。島根県内の倍率が約0.8倍、都内公立校の平均倍率が約1.45倍ということから考えると、かなりの難関だ。県外から入学したいという人が後を断たず、中学生の段階から家族とともに移住した子どももいるという。
なぜそれほど人気なのか?親の移住についてくる子どもがいるのも理由だが、それだけではない。そのひとつに、同校で行われている「高校魅力化プロジェクト」の影響が挙げられる。
■魅力化プロジェクトのすごい威力
同校は2008年まで、統廃合の危機に瀕していた。島根県では3年連続で1クラス21名を切ると統廃合の対象となるが、当時の島前高校は28名にまで減っていた。高校がなくなってしまうと子どもだけではなく、その親も一緒に島外に流出してしまうため、統廃合は避ける必要があったのだ。
そこで2008年に「魅力化の会」が結成され、どうしたら子どもたちに集まってもらえるか、構想を練った。その結果、2014年の春には、それまで1学年1クラスしかなかったものが全学年2クラス、1学年60名程度にまでなった。
そのプロジェクトで実際に行われたことは、次の2つだ。公立の塾を作ることと、島前高校の中に地域資源を活用した体験型・課題解決型の学習に特化したコースをつくることだ。
前者のきっかけは、島外に流出した子どもの調査だ。それまで島の子どもたちの半数以上が島外に流出していたが、どのような子どもたちが島外に出てしまっているか、その子の学力、意欲、経済的環境について調査した。結果、学力も意欲も高く、経済的にも比較的恵まれている子どもたちが島から離れてしまっていることが分かった。そこで生まれた発想が、学校だけではなく、公立の塾を設けることで島内で大学進学の後押しをし、流出を防ぐというプランだ。
隠岐國学習センター
その公立塾は「隠岐國学習センター」と呼ばれ、現在、島前高校の生徒160名のうち、140名が通っている。教えるのは、ベネッセやリクルート、Z会など大手企業を退職して移住してきた人たちで、学力向上だけではなく「夢ゼミ」と呼ばれるキャリア教育についても重視している。
夢ゼミでは、地域の担い手の育成や、地域の課題解決に挑戦する起業家マインドの醸成を行っているという。
夢ゼミをリードする、隠岐國学習センター長、豊田庄吾さんに話を聞いた。豊田さんはかつて、大手情報出版会社を経て人材育成会社に入り、大手企業の研修講師をしたり、全国の公立学校をまわりながら起業家教育・キャリア教育の講師をしていた人物だ。豊田さんはそこで、衝撃的な光景を目にしたという。偏差値の高い大学に入ることがゴールという教育を受けてきた若者たちが、自分はよい大学出身だから大企業入社後は大きい仕事をしたいと無邪気に語る様を目の当たりにし、違和感を持ったのだという。
そうした経験から、社会人としての基礎力をもっと若いうちに身につけておくべきではないかと考えるようになったという。
そういった問題意識に加え、豊田さんは、島の人口減少が進む中、将来の島の担い手育成をしていく必要があることも考えるようになった。子どもたちが自分の興味がある分野に関する地域の課題を考えることで、島の未来について考える機会を作る。地域の担い手を育成するという文脈でプログラムをつくることが必要で、学力以外の部分も向上させることが重要と話す。
■なぜプロジェクト学習に力を入れるのか?
そうした考えから、夢ゼミ開発のために声をかけたのが東京でプロジェクト学習(Project Based Learning)の教材・教育手法の開発、PBLを通じて推薦・AO入試対策を教えている藤岡慎二さん。これは、推薦・AO入試に合格させることが目的ではなく、大学でいうゼミ形式の授業を作って、PBLの手法を通じて興味があること、将来の夢を発表してもらい、その場に大人や地域のスタッフが加わることで深掘りしていくのが狙いだ。
豊田さんは、育てたい人材は「グローカル人材」、つまりグローバルとローカル文脈の両方がわかるハイブリットだと話す。
「高校1年生では物事の考え方にグローカルという切り口のOSを入れます。グローバル化が進むと異質な文化との遭遇が多くなるので、その繋ぎになれる人を育てたいと考えています。そこで行われることは、ディベートというよりも、対話や落としどころを見つけて行く議論。グループワークと、社会に出て重要になる学びのブリッジを徹底的に行います」(豊田さん)
生徒たちはとても楽しそうだという。それは、日々体感していることから学びに紐づけられていて、腹落ち感があるからだろう。
2年生になると、「地域に浸す」活動になる。例えば、農業ならこの人、観光ならこの人という具合に大人たちに現場の課題について話をしてもらい、それらの課題を生徒が自分事として考えてもらう活動が始まる。
確かに、世界の遥か彼方で飢餓が発生していると言われてもそれに意識を及ばせることは物理的に遠く難しいが、自身が住んでいる町で「後継者がいなくて困っている」ということであれば、当事者として、自分事として考えやすい。
「地域という視点から考え始めると、では日本全体ではどうなっているんだろう、世界では?と具体的に考えやすくなり、より高次の社会的課題についても関わっていきたいという気持ちが出てくると考えています」と豊田さんは話す。
高校の総合学習の中では、「夢探究」という単元がある。今春から豊田さんは高校の中に席を作ってもらい、1年生と2年生の夢探究の内容を作成したり、ファシリテーションを行っている。
「将来的には、高校での知見と夢ゼミで得た知見を上手く融合することを考えています。学校でも塾でも、頭で考えて自分の言葉で話せる、ディスカッションの場を徹底的に作ることが大事だと思っています」(豊田さん)。
今年度からはスーパーグローバルハイスクール(SGH)にも指定され、その取り組みも加速している。
昨年は、生徒がグローバルに触れる機会を増やすという目的で、2年生全員がシンガポールを訪問。シンガポール国立大学の学生に地域課題解決策について英語でプレゼンするという研修を行った。世界最先端の島といっても過言でないシンガポールと、「最後端」の島・海士町。生徒たちは英語が話せなかったり、シンガポールとの環境の差などを感じ、悔しい思いをしたというが、それもまたいい機会になったと島前高校の常松徹校長は話す。
現在は、2013年から始まっている「新魅力化構想」に沿って、高校存続という当初の目的から、島前地域を持続可能なものにしていくためにはどうしたらよいか、産業面や医療、福祉、観光など様々な分野の地域の担い手を作るにはといった人材の育成に着手し始めている。
■離島のデメリットをどう乗り越えるか
だが、高校がいくら魅力的になったとしても、やはり離島であるデメリットは存在する。
隠岐島前高校魅力化コーディネーター・大野佳祐さんはこう話す。
「離島であることのデメリットは沢山あります。例えば、部活動は遠征がつきものですが、離島であるためにとてもコストがかかるんです。それは金額的にも時間的にも。シンガポールへの研修の際には、2泊4日の旅になりました。現地の滞在時間よりも移動している時間の方が長いこともあります。また、隠岐國学習センターができるまでは、塾や予備校と言われるものもなく、生徒は自分自身で勉強する必要がありました。都会ならいくつもあって、自分にあったものを選べますよね」
しかし、そのデメリットを埋めようとする努力も進んでいる。
隠岐國学習センター・副長で、教育ICTディレクターを務める大辻雄介さんは、ITによって地理的教育格差を埋められる面もあり、「かゆいところに手が届く授業」が展開できているという。
隠岐國学習センター2階にあるこの部屋から遠隔授業も行っている
大辻さんはベネッセを退職して移住してきたIターン組だ。彼は今、中ノ島、知夫里、西ノ島3島のほか、兵庫県の離島である沼島(ぬしま)に住む中学3年生向けの遠隔授業を週2回、ギガキャストという遠隔授業システムを使って配信している。
教科の勉強は積み重ねが重要だが、大辻さんは子どもたちが苦手意識を持ちやすい英語と数学を強化しているという。具体的には、英語は群馬県にいる先生が担当し、大辻さんは数学を担当する。子どもたちは自宅のパソコンやiPadを用いて勉強する。遠隔授業は、どこに住んでいても参加できるということだけでなく、どこからでも教えられる時代になっているのだ。
大辻さんは、次のように話す。
「海士町の子どもたちは島前高校に入ろうと思った時、比較的簡単に入学できてしまうため、受験勉強の意義を感じる機会が少ないです。これは全国どこの離島でもあることですが、島前高校の場合は県外から入学してくる子どもたちが2倍を越える難関を乗り越えて入って来ています。そのため、入学時に島前の子どもと県外の子どもとでは、それまでの学習環境に大きな差が出てしまいます。しかし、遠隔授業を用いれば、それを補完できると考えています」
「ある子どもは、それまで夏休みの度に松江にあるおばあちゃんの家まで行き、そこから塾に通っていました。しかし、今は子どもたちは家のパソコンやiPadで授業を受講することができます。受講料も回数に応じて月2000円や4000円などと割安です。
また、遠隔授業を行ってみてよかったことは、1学年10人程度と非常に閉鎖的な環境にある中で、遠隔授業で各離島の子どもたちを繋ぐことによって硬質化した環境に刺激を与えられるということです。切磋琢磨できるんですね。
ただ、遠隔授業の場合、対面と比べるとコミュニケーションの質が異なり、ドライになりやすいというデメリットがあります。そのため、月1回は島前三島をまわり、対面学習会を実施しています。現時点で、遠隔授業を行ううえで不足しているものは、常設のスタジオがないことくらいです。インフフラ的には、光回線が通っていて、iPadも受講希望者には無償で貸与できています。生徒たちにとってiPadは遠隔授業のツールということに留まらず、まさに”世界に繋がる窓”でそこから外の世界を見ることができています」
■スカイプで島外の専門家とつながる
また、豊田さんは、離島にいると多様な職業人と直接話ができないことがデメリットだと話す。そこで、事前に子どもたちが何に興味を持っているかを把握しておき、島外にいる専門家とスカイプで繋ぐことをしているという。
例えば、知夫出身で実家が畜産農家をしている子どもが畜産の現状に疑問を持てば、豊田さんが懇意にしている高知県のJAのことをよく知る職員とスカイプで繋ぎ、議論したこともある。
豊田さん自身も遠隔での指導を進めている。来春には、島根大学と一緒に魅力化コーディネーターを育てる講座を設置する予定とのことで、その内の1講座「グローカル人材育成論」を豊田さんが担当する。年15回開催される予定だが、その度に人を松江に集められないので、数コマ以外はオンラインで指導することを考えているという。
海士町では、島前高校に入学するために家族一緒に移住してきている子どももいるという。現在、島前高校の一学年の定員は80人。その内、県外生徒の枠は24人であるため、中には子どもが中学生の頃から家族で移住してきている人もいるという。親は、海士町の自然に惹かれたということだけではなく、子どもの独立心を養いたい、質の高い島前高校の授業を受けさせたい、全国から集まっている豊富な人材が提供するキャリア教育に関心があるようだ。
どうして、海士町でそれができるのか。豊田さんは、プログラムを提供できる人がどこまで地域に根を張って行うか、どれくらいの人がそれを応援してくれるのかによると話す。
■人のつながり、熱気が島を変える
前述したように、海士町はかつて後鳥羽上皇を受け容れたという自負があり、そのことを原点として外の人を受け入れようとする懐の深さがあるという。また、島は人口減少、少子高齢化といった課題を抱える地域だが、そうしたことを逆に、教育リソース先進地だと考える大人が多く存在するのだそうだ。
実際、海士町は多くの人が携わり、教育面など様々な面での人的リソースが豊富になってきている。大手企業を退職して移住してきた人だけではなく、例えば、石破地方創生担当大臣が海士町を訪れた際には、高校生たちと車座になって少人数で海士町の活性化について話す機会があるなど、都会ではめったに考えられないことが海士町では頻繁にある。
常松校長は、こう話す。「海士町に来たら急に人が変わるなんてことはないので、主体的に動ける子、好奇心旺盛な子に来て欲しいですね。また、島留学をするにはある程度の「覚悟」も必要です。いくら魅力的な高校、地域や人がそこにあるからといっても、やはり都会から遠く離れた不便な離島です。「自分からここで学びたい」と思うくらいの覚悟がないと、3年間暮らすのは大変だと思います」
何もなかった町から、急速に発展した海士町。これから先は何を目指すのか。
「巡の環」の阿部さんが面白いことを言っていた。
「世界一の都市型モデルの島がシンガポールだとしたら、海士町を世界一のどいなかモデルの島にしたい」(阿部さん)。
そこにはきっと、目に見えない価値が沢山あり、心身ともに豊かに暮らしていける土壌がある。安心して子育てができ、自分らしく最後まで生きられる環境。それが海士町にはある。そうしたことが今後も海士町に人を呼びこみ、発展させていくような気がする。
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