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FRB「年内利上げ」はコレでうまくいく!~過去の失敗から米国「出口政策」成功の条件を考える
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46694
2015年12月03日(木) 安達 誠司「講座:ビジネスに役立つ世界経済」 現代ビジネス
■12月の利上げは時期尚早なのか
12月15-16日に開催予定のFOMCでFRBが利上げを決断する可能性が高まっている。現時点では株価、景気指標ともに堅調であり、9月の利上げ見送りの原因となった中国株式市場の混乱も収まっているためだ。
特に経済面では、イエレンFRB議長らが注目していた雇用環境の改善が進んでいる。2015年10月の雇用者数は14,912万人で、すでにリーマンショック直前のピークを越えている。
今回、もし利上げが実施されるとすれば、それは「雇用環境の改善は、米国経済がリーマンショックによる負の影響を克服した証拠である」という根拠に基づいてのことと推測される。
だが、一方で、ローレンス・サマーズ元米財務長官やプリンストン大学教授でノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏らは、「利上げは時期尚早である」という立場をとっている。
また、最近の米国の景気指標のうち、ISM製造業景況観指数をはじめ、製造業に関連する指標は減速感を強めている。FRBが利上げを実施することによってドル高が進行すれば、米製造業の景況観は一段と悪化する懸念もある。
さらに、下落傾向が続く原油価格を要因として、インフレ率は低位安定が続いており、焦って利上げを実施するタイミングではない、という見方をとる慎重派も多い。
■1936-37年の米国と2006年の日本
ところで、「利上げ時期尚早論者」の中には、過去における日米の「出口政策の失敗事例」を引き合いに出す者が多い(僭越ながら筆者もその1人であった)。そこで、今回は、過去における2つの事例から、出口政策成功の条件を考えてみたい。
ただし、現時点で筆者は、米国の出口政策は、マネタリーベースの削減を焦って進めない限り、マーケットや経済に大きな影響を与える確率は低下してきていると考えている。
歴史上、今回の米国のようなゼロ金利・量的緩和政策からの出口政策(最終的には利上げの実施)を試みた事例は、1)1936-37年の米国と、2) 2006年の日本、の2回だけである。
前者は、結局、利上げ実現までには至らず、急激な景気悪化(再デフレ)により、量的緩和政策への回帰を余儀なくされた。後者は、リーマンショックによって、結局、量的緩和政策へ回帰することになったが、それまでは、経済や株価に影響を与えることなく利上げを実現させたと考えられる。
そこで、1936-37年の米国を明確な失敗例、2006年の日本を成功例とする。
ここで議論が分かれそうなのは、2006年の日本のケースの解釈であろう。筆者も当時からつい最近まで、2006年の日本の出口政策は失敗事例であると考えてきたが、ここへきて考えを改めつつある。その理由は、当時の「潜在政策金利」の動きと当時の株価や経済指標の悪化のタイミングである。
日本の場合、むしろ問題なのは、リーマンショック直後の対応であったと考える。すなわち、リーマンショック直後、先進各国、及び中国が協調して金融緩和を実施したが、日本は、リーマンショックの経済への影響を軽視し(蚊が刺した程度)、金融緩和が遅れた。
その結果、急激な円高を招き、これが再デフレのきっかけになったと考える(この点については、機会をあらためて取り上げたい)。よって、ここでは、筆者の現時点の独断で、2006年の日本のケースは、出口政策の成功例として取り上げる。
ところで、2006年の日本で出口政策が成功したのは、「潜在政策金利」がすでにプラスになっていた点が大きいと思われる。「潜在政策金利」とは、「ゼロ金利制約(政策金利はマイナスにはならない)」を考慮しない場合の、マクロ経済の状況と整合的な(例えば、「テイラールール」のように、インフレ率と経済の需給ギャップを元に算出した)政策金利である。
この「潜在政策金利」がマイナスであれば、たとえ政策金利が「ゼロ」であっても、引き締め気味の金融政策運営ということになる。そして、それは、量的緩和が必要となる経済環境であることを意味する。
逆に、「潜在政策金利」がプラスであれば、「ゼロ金利」はマクロ経済環境から考えて、緩和気味の金融政策スタンスということになり、利上げをして、実際の政策金利を「潜在政策金利」と同水準にした場合には、経済への影響は中立的であるという解釈になろう。
そこで、2006年前後の日本の「潜在政策金利」をみてみると、2006年5月よりプラスに転じていたことがわかる(図表1)。そして、その後、リーマンショック前まではプラス圏内で推移していた。
日銀がゼロ金利解除を実施した2006年7月時点での「潜在政策金利」は約0.2%であり、「潜在政策金利」との比較では、0.25%の利上げは経済にとっては「中立的」であったとの解釈が可能であると考えている。
現に当時の経済指標をみても(図表2)、量的緩和解除(2006年3月)、及びゼロ金利政策解除(2006年7月)によって株価やマクロ経済に深刻な影響が生じたとは言い難い。むしろ、株価や景気の減速は、米国のそれと連動していた。
以上より、2006年の日本の出口政策の経験からは、「潜在政策金利」がプラス圏内で推移していることが今回の米国の利上げが成功する条件の一つであると考えられる。
■マネタリーベースの削減には要注意
ところで、現時点(11月末)の米国の「潜在政策金利」は約-0.02%で、ゼロ近傍で推移している(再び図表1参照)。これは、2006年当時の日本の「潜在政策金利」の水準とほぼ等しい。
一方、1936-37年の米国の「出口政策の失敗」の要因は、「マネタリーベースの削減」であったと考えられる。
当時のFRBは、1936年半ばから、段階的に出口政策を実施していた(当時の政策は「法定準備率の引き上げ」であった)。そして、この「法定準備引き上げ」の期間、マネタリーベース残高は多少の変動があったものの、ほぼ横ばいで推移していた。
これは、現在の米国の金融政策で解釈すれば、「テーパリング」の実施に等しかったと考えられる。そして、当時も、この「テーパリング」の局面では、経済指標の改善や株価上昇は続いていた。
米国経済の悪化や株価の急落が発現したのは、1937年の半ばからであった。この局面で特徴的だったのは、マネタリーベースの減少であった。そして、まるでマネタリーベース減少の後を追うように、経済指標の悪化や株価の下落が累積的に進行した(図3)。
細かい事情は省略するが、当時のFRBは、「テーパリング」が成功したことを受けて、利上げに向けた次のステップとして、マネタリーベースの削減を開始したと考えられる。そして、このマネタリーベースの減少が引き金となって、米国経済や株式市場の状況は一変した。
また、この局面で、低格付け社債のクレジットスプレッドも急拡大した。FRBによるマネタリーベースの削減は「流動性の収縮」を通じて、経済や市場に大きな負の影響をもたらした可能性が高い。
■マネタリーベースの動向に注目
12月中に利上げが実施されるとすれば、それは、「潜在政策金利」がゼロ近傍で推移する中で実施される可能性が高い。
これは、米国の実体経済にはやや引き締め要因となる懸念があるが、金融政策が実体経済に影響を与えるまでには通常半年程度のタイムラグがあることや、2回目以降の利上げを極めて緩慢なペースで実施することをうまくアナウンスすれば、大きなマイナスの影響は避けられる状況であろう。
むしろ注目すべきは、やはりマネタリーベースの動向ではないかと考える。
現在、米国のマネタリーベースはほぼ横ばいで推移している。12月に利上げを実施したとしても、マネタリーベース残高の横ばいトレンドを維持しつつ、潜在政策金利が安定的にプラス領域で推移するまで追加の利上げを待てば、米国の出口政策は成功する可能性が出てくるのではないか。
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