1. 2015年12月02日 08:57:27
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ハーバードの知性に学ぶ「日本論」 佐藤智恵【第23回】 2015年12月2日 佐藤智恵 [作家/コンサルタント] 江戸時代、日本は金融立国だった!再評価される世界初の先物市場“堂島米市場” デビッド・モス教授に聞く(2) 世界初の先物取引市場は、日本で生まれたことをご存知だろうか。デビッド・モス教授は「近代的金融システムの形成」という選択科目で、18世紀、世界に先駆けて大坂で生まれた「堂島米市場」の事例を取り上げている。授業で使われる教材には、徳川吉宗、淀屋(江戸時代の豪商)等が登場し、先物取引市場が誕生するまでの過程が描かれている。日本の金融史の話は珍しいこともあって、学生に最も人気のある事例の1つだそうだ。 江戸時代の日本人はなぜ先端的な先物取引市場を設立し、運営することができたのか。堂島米市場が生まれた背景を解説していただく。(聞き手/佐藤智恵?インタビューは2015年7月26日) 世界初の先物市場は 江戸時代に生まれた大坂・堂島米市場 デビッド・モス?David Moss ハーバードビジネススクール教授。専門は経営管理(特に金融史、政策史)。同校のBGIE(ビジネス・政府・国際経済)部門に所属。MBAプログラムでは選択科目「近代的金融システムの形成」、「アメリカ民主主義の歴史」、ハーバード大学の学部生プログラムでは「アメリカ民主主義の歴史」を教えている。アメリカ国内はもとより世界各国のエグゼクティブ講座でも教鞭をとる。日本では野村マネジメント・スクールの教授も務めている。ハーバードビジネススクールを代表する人気教授であり、学生が選ぶ「最高の教授賞」を過去8回受賞。近編著に“Preventing Regulatory Capture: Special Interest Influence and How to Limit It”(ダニエル・カーペンター編、デビッド・モス編、Cambridge University Press, 2013).
佐藤?MBAプログラムの選択科目「近代的金融システムの形成」では、日本の堂島米市場(大坂堂島にあった江戸時代最大の米市場=世界最初の先物取引市場)について学びますね。なぜこの事例を教材にしようと思ったのですか。
モス?堂島米市場のケースは、複雑な要素がからみあっていて理解するのが難しいケースなのですが、なぜか学生からはとても人気があります。毎年、期末試験のレポートで、最も引用されることが多い事例です。 「近代的金融システムの形成」の授業は、学生に財政・金融システムの成り立ちについて深く理解してもらうことを目的としています。金融システムの確立には次の3つの“I”が不可欠です。Instrument(金融商品)、Intermediaries(金融仲介機関/販売代理人)、そして Institutions(金融制度)です。授業ではこの3つがそれぞれどのように形成されてきたかを学びます。 ?実はこれらは、「その時代、その場所にニーズがあったから自然にできた」というケースが多いのですが、金融商品、仲介機関、金融制度がそれぞれどのような背景で出現したのかを学べば、金融システムの本質を知ることができます。つまり何のために存在していて、どのように機能するか、ということです。金融というものは、一見非常に複雑に見えますが、成り立ちを知れば根本から理解することができるのです。 佐藤?堂島米市場は世界最初の先物市場です。堂島米市場が生まれた背景を見てみれば、先物市場の本質が見えてくる、ということでしょうか。 モス?堂島米市場のケースは少し例外ですね。先ほど、これは難解なケースだと言ったのは、市場の成立した背景を簡単に説明できないからです。江戸時代の日本の社会構造も複雑ですし、米市場が形成されるまでの過程も複雑です。なぜ大坂の堂島でこの時代に先物市場が形成されたのかについては、様々な背景を理解しなければなりません。 ?そうはいっても、この事例が世界初の先物市場がどのように形成され、機能したか、というのを学ぶのに、非常に有効なケースであることは間違いありません。 さとう・ちえ 1970年兵庫県生まれ。1992年東京大学教養学部卒業後、NHK入局。報道番組や音楽番組のディレクターとして7年間勤務した後、2000年退局。 2001年米コロンビア大学経営大学院卒業(MBA)。ボストンコンサルティンググループ、外資系テレビ局などを経て、2012年、作家/コンサルタント として独立。2004年よりコロンビア大学経営大学院の入学面接官。近年はテレビ番組のコメンテーターも務めている。主な著書に『世界最高MBAの授業』(東洋経済新報社)、『世界のエリートの「失敗力」』(PHPビジネス新書)、『ハーバードはなぜ仕事術を教えないのか』(日経BP社)。 佐藤智恵オフィシャルサイト
佐藤?なぜ江戸時代の商人は世界に先駆けて、先物市場という先端的な金融市場を生み出すことができたのでしょうか。当時、日本は鎖国状態で、海外からの情報もほとんど入ってこなかったはずです。
モス?“必要は発明の母”という言葉があるように、最も大きな理由は、「そこにニーズがあったから」だと思います。日本の主要産物である米は、市民にとって大切な食糧でしたが、幕府にとっては貨幣の代替物でもありました。武士は俸禄を米でもらっていましたから、米の価格や収穫量の動向を常に気にしていました。 ?そのうち、武士は、「米をもっと効率よく取引したい」「米を売買して儲けたい」と考えるようになりました。ところが、武士にはどうやったらそれが実現できるのか、さっぱり分かりません。「算術などは身分の低い者が学ぶもの」と考えていたからです。そのため、武士は国の財政をあずかっていたにもかかわらず、簡単な計算さえできませんでした。経済の仕組みを理解しない層がリーダーとして国や領地を司る。世界でもこのような例はほとんどありません。日本独特で面白い現象だと思います。 佐藤?米の取引方法が分からない武士が、どうやって取引をはじめるようになるのですか。 モス?まず武士は商人を雇って、米の売買をさせることにしました。商人は算術を身につけると、どんどん儲けるようになり、武士よりも裕福になってしまいました。そこで武士は「自分たちも米を取引しなければ」と考えたのです。 ?当時の武士が価格メカニズムについて完全に理解していたとは思えませんが、「米が不足すれば、値段が上がる」という基本的な仕組みは分かっていました。米取引の仕組みを知るにつれ、「これは自分たちが金儲けをするのにも役に立つものだ」と考えるようになったのです。こうした武士からのニーズが発端となり、17世紀半ば、大坂の豪商、淀屋の門前に米商人が集まり、米の売買が始まりました。それが堂島米市場に発展していったわけです。 ?江戸時代の商人は非常に頭がよかったと思います。世界で最初に複雑な先物市場をとてもうまく運営する方法を考え出しました。その賢さには感心するばかりです。 佐藤?当時の商人は、ヨーロッパで株式取引や現物取引がすでに行われていることを知っていたのでしょうか。 モス?そうは思いません。堂島米市場よりも前に先物取引市場は存在しなかったと思います。オランダ人が似たような取引をはじめていた可能性もありますが、それが鎖国状態の日本にまで伝わったとは思えません。堂島米市場は自然発生的に日本で出現した、と私は推測しています。 佐藤?堂島米市場は世界の先物市場の形成にどのような影響を与えましたか。 モス?ヨーロッパ人が日本の堂島米市場の話を聞いて参考にした、という可能性も完全には否定できませんが、ヨーロッパの先物市場もまた、日本と同じようにニーズに応じて自然に発生し、個別に発展してきたのではないか、と思います。 ?ただし、堂島米市場が日本の経済発展に、とてつもなく大きな影響を与えたことは確かです。これは私の推測ですが、もしこのような先進的な市場が、洗練された米市場が誕生していなかったら、より多くの市民が飢えに苦しんでいたのではないでしょうか。 ?たとえば、日本のある地域で米が不足していたとしましょう。米を取引するシステムがなければ、その地域に住んでいる人々は飢えに苦しむことになります。しかし、健全に機能している市場があれば、他の豊作地域で生産された米を、米不足の地域にまわすことができます。(筆者注:ある地域で米不足が生じる→米の値段が上がる→他の地域の米が市場で高く売れる→農家は余分に生産する→その米が米不足の地域へ、という仕組み)。世界初の先物市場である堂島米市場は、非常に健全な市場であり、近代日本の経済発展に大きく貢献したと思います。 ビジネススクールの学生が 堂島米市場から学ぶ2つのこと 「トップのための経営戦略講座」(野村マネジメント・スクール)で教鞭をとるデビッド・モス教授 (c)野村マネジメント・スクール 佐藤?日本の堂島米市場のケースから学生に何を学んでほしいですか。
モス?授業では2つの点を強調するようにしています。 ?1つめは、財政・金融問題を考えるとき、取引だけではなく、金融制度の視点からも見ることです。ビジネススクールの学生は、ディール、取引、契約等に注目しなさい、と教えられています。たとえば、学生が授業で何かを売買する訓練をしたとしましょう。そこで主に学ぶのは、「私はこのディールで得をしたか」「私の交渉術はあなたにくらべて上手だったか」といった点です。しかし、実際のところ、すべての取引にはルールがあり、そのルールを決めている機関があります。 ?堂島米市場のケースでは、金融制度というのはどういうもので、なぜそれが重要なのかを学んでもらいます。個別の取引やディールだけではなく、金融システムそのものに焦点をあてていくのです。 佐藤?堂島米市場の事例では、徳川吉宗が米市場の出現にどのように対応したか、という点についても詳述していますね。 モス?そうです。とても重要なのは堂島米市場が形成されるまでの過程です。そこに至るまでに幕府はどんな順番で、どんなことをしたのか、という点です。 ?徳川吉宗は1728年に帳合米取引(延売買・投機取引)を公認しますが、取引を公認するだけでは市場は生まれませんでした。先物市場が生まれたのは、1730年、堂島米会所が徳川幕府公認の取引所として設立されてからです。そこでようやく市場として機能していくわけです。 ?このケースから、「政府が取引を公認するだけでは、市場は成立しない」ということが分かります。金融システムを形成するには、取引を行う機関、取引ルール、信用機関、手形交換所、が必要なのです。金融制度なくして取引しても、そこに価値はありません。繰り返しになりますが、金融システムを理解するには、取引だけではなく、その背景にある金融制度についても理解しなくてはならないのです。堂島米市場が形成されるまでの過程をみれば、それがよく分かります。 佐藤?堂島米市場のケースから主に2つのことを学ぶとのことでしたが、もう1つは何でしょうか。 モス?もう1つは、金融マーケットというのは政治に大きく影響される、ということです。1720年代の吉宗の時代の米市場もそうですし、同じことが現在の日本やアメリカのマーケットにもあてはまります。その理由は、どの時代でも、どの国でも、一般市民は金融セクターをとても懐疑的な目で見ているからです。江戸時代の先物取引に対しても、庶民だけではなく、武士でさえも疑いの目で見ていました。 佐藤?なぜ、市民は「金融セクターは何だか疑わしいものだ」と思ってしまうのでしょうか。 モス?1つめの理由は、金融セクターは、物理的に何も生み出さないことです。金融家は農民や職人のようにモノをつくっているわけではありません。そこで人々は、「金融家というのは何もつくっていないし、さしたる労働もしていないようだ。一体何をやっているんだ」とあやしい目でみるわけです。 ?2つめの理由は、リスクマネジメントとギャンブルを区別することは難しいことです。先物取引のような取引は1720年代後半までずっと禁じられてきました。なぜなら先物取引が博打と同じようなものだ、と考えられていたからです。 ?3つめの理由は、金融家が得てして裕福になるケースが多いことです。なぜ急にお金持ちになったのか。何か悪いことでもやっているんじゃないか、と人々が思うのも当然です。18世紀初頭、日本の商人が米取引であまりにも豊かになったので、武士は「他人のお金でもかすめとっているのではないか」と思い、商人そのものを疑いの目で見ていました。 ?こうした理由から金融家そのものが市民から信用されていないので、米不足や価格急騰など何か悪いことが起こると、金融セクターが批判の的になります。それは今も昔も変わりません。 佐藤?だから“政治に大きく影響される”ということですね。 モス?そうです。政治家は、市民が金融セクターに対して懐疑的であることを知っているからこそ、そこに関わろうとするわけです。金融市場というのは政府から独立した純粋なマーケットだ、と見られていますが、歴史を見てみれば、政府の介入が避けられないことが分かります。 >>続編『技術と美的センスを兼ね備えた日本人がなぜiPhone を生み出せなかったのか』は12月3日(木)公開予定です。 http://diamond.jp/articles/-/82261 |