3. 2015年12月01日 16:20:11
: jXbiWWJBCA
: zikAgAsyVVk
テロリズムとディスインフレ形骸化する中銀の「インフレ・ターゲット」2015年12月1日(火)倉都 康行 フランスにとって「魔の13日の金曜日」となった先月パリでの同時多発テロを受けて、資本市場には2001年を連想した警戒感が漂い、その翌週明けの東京市場は株安・ドル安・債券高で始まり、上海株も下落した。だが欧米市場は徐々に落ち着きを取り戻し、リスクオフのムードは予想以上に短時間で消失することになった。痛ましい事件が人々に与える心の傷はなかなか癒えないが、資本市場の心理転換は無情なほど早いものである。
上向いてきたフランス経済冷却化も 2001年9月11日に世界に衝撃をもたらしたテロ事件の際には、NYSE(ニューヨーク証券取引所)とNASDAQが早々に株式市場の閉鎖を決定し、その日から金曜までの4日間は取引停止状態となった。当時の為替市場ではドル円が122円台から118円台まで急落、金融機関が一斉にドル調達に走ったことから短期金利が約2%も急上昇した。国債決済への不安感から債券市場では流動性が大きく低下し、ニューヨーク市場は事実上の麻痺状態に陥ったのである。 だが今回は、市場機能に対する信頼感が損なわれることはなかった。2001年はドルの総本山であるニューヨークが狙われたことで市場不安が増幅されたのに対し、今回はパリが攻撃対象になったことでユーロは下落しているが、金融システムに対する目立った懸念はない。 無差別テロは確かに個人レベルでの恐怖感を増長するが、経済全体を構造的に委縮させるかどうかは、その攻撃対象に拠る。電気やガス、水道などの社会インフラや金融システム或いは大規模な工場施設の破壊といった行為でなければ、テロリストが狙う西欧社会への攻撃は、それほどの経済効果はないのだ。急速に回復を見せた先進国の株式市場の認識は、そんなところであろう。 とはいえ、欧州を代表する都市がテロ攻撃にあったことの影響は小さくないかもしれない。ECBのコンスタンシオ副総裁は「投資家の欧州への信頼を損ねる可能性がある」と指摘、プラート理事も家計や企業の心理が冷え込んで景況感が悪化する恐れがある、と警戒感を示している。 欧州は、ギリシア財政、難民受け容れ、ポルトガル政局といった難問続きの状況にある。景気回復の足取りが進まない中で、中国経済減速という逆風にも直面している。その中で起きたパリ同時多発テロは、7-9月期にGDPが前期比0.3%増と折角上向いてきたフランスの経済を再び冷却化させる可能性がある。季節柄、クリスマス商戦に影響が出ることは避けられないだろう。米国も2001年には、ITバブル崩壊の後遺症があったにせよ、一時的な景気後退に陥ったことが思い出される。 報復姿勢を前面に押し出すオランド大統領は「これは戦争である」として対シリアの空爆強化を宣言している。2012年の就任以来、殆ど見せ場のなかった同大統領にとっては支持率回復の絶好の機会でもあろうが、欧州内ではテロ再発への懸念が高まる一方であり、フランス以外に消費や投資の意欲低下が波及することも想定される。 ロシアや英米との共同歩調による対IS空爆強化は、ISの支配する石油開発施設の破壊を通じてその資金源を断つ効果がある、と評価する向きもあるが、一方では空爆に拠る武装勢力の根絶には限界があり、窮鼠猫を噛むが如く、ISがイラクなどの同施設への報復攻撃に出るリスクもないとは言えまい。フランス国内の原発や英米の金融インフラがターゲットになる可能性すらある。オランド大統領が、同じように強硬姿勢に出た2001年のブッシュ大統領の二の舞を演じないとも限らない。 テロ事件が実体経済に与える影響の経路は様々だ。消費心理低下は商業取引を減少させ、企業の出張が減り観光客が減ればホテルなどは苦戦する。企業の投資意欲が減退すれば、鉱工業生産や資本財受注は減少しよう。そして難民対策やテロ対策で国境警備が強化されれば、運送に支障が生じてグローバルなサプライ・チェーンの配送コストも上昇する。 中東やトルコでは既に輸送コストが上昇しているが、先月のパリの事件で欧州でもその傾向が強まってきた。ドイツ企業の輸送コストは既に10%程度上昇した、との試算も出ている。欧州大陸では、難民問題を契機にハンガリーはセルビアとクロアチアの国境を封鎖し、スロベニアも国境の防御壁構築に着手しているが、テロ事件を背景として欧州諸国の国境は益々越えにくいハードルになるかもしれない。 市場の視線は利上げのペースに こうした欧州経済への懸念は、中国をはじめとする新興国経済の不調や2期連続のマイナス成長に陥った日本経済への失望感とともに、来年の世界経済における不安要因に挙げられることになりそうだが、FRBは「米国経済だけは例外」とばかりに利上げに邁進する姿勢を崩していない。 12月FOMCで利上げする方向はもはや既定路線であり、市場の視線は既に2016年の利上げペースに注がれている。FRBの主流派は、来年3月、6月、9月、12月と段階的に25BPの利上げを行うことをメイン・シナリオに置いている。 だが経済は気まぐれな生き物であり、予定調和とは無縁の存在だ。雇用や物価の動向、また中国など世界経済動向次第では、利上げペースが鈍化することも加速されることも有り得るだろう。そして、リスク・シナリオが後者であることは論をまたない。 来年のFOMCで投票権を持つ地区連銀のメンバーにも、クリーブランド連銀のメスター総裁、セントルイス連銀のブラート総裁、カンザスシティ連銀のジョージ総裁とタカ派の面々が名を連ねる。唯一のハト派はボストン連銀のローゼングレン総裁だ。 そのローゼングレン総裁ですら、先月には「米国が利上げ時期に近付いている」と認めた上で、商業用不動産市場とシンジケート・ローン(銀行の協調融資)の動向次第では利上げを加速する必要が出てくるかもしれない、と懸念を示している。 米国不動産市場では住宅市況の堅調さが目立っているが、商業用不動産市場もまた長引くゼロ金利政策に支えられて活況が続いている。バブルというほどではないが、グリーン・ストリート・アドバイザーズが公表している価格指数は年初来8%上昇しており、昨年と同様に年間10%前後の上昇率を記録するのはほぼ確実だ。機関投資家のCMBS(商業用不動産担保証券)への投資意欲にもやや過熱感が出ている、という。大型M&Aに伴う銀行融資姿勢の甘さも目立ってきた。 イエレン議長らは繰り返し「緩慢なペースでの利上げ」という表現を使い、市場の懸念を抑え込もうとしているが、11月の雇用統計のような「想定外の数字」が出てくるごとに、投資家は間違いなく不安に苛まれる。短期金融市場における来年の利上げ頻度予想はせいぜい2回程度に過ぎないが、ゴールドマン・サックスは来年の経済見通しの中で「金利上昇ペースは市場予想以上に速まる可能性がある」と警告している。 一方で、ここ1年間迷走を続けたFRBのコミュニケーション失敗の代償も小さくない。それが、別のリスクを生むことも想定しておきたい。やや能天気な株式市場と違って、神経質な債券市場はいまやFRBだけでなく世界の中央銀行に不信感を抱いている。その根底にあるのが「物価目標はどこへ行ってしまったのか」という基本的な疑念である。 目立つ各国中央銀行の迷走 金融危機の直後、FRBを筆頭とする主要国中央銀行の積極的な対応で大恐慌の再来を回避したことは高く評価されている。だがここ数年間は、FRBに限らず中央銀行の迷走が目立つ場面がしばしば見られる。 先行きを見据えた金融政策の施行を目指して各国中銀が高々と謳い上げた「フォワード・ルッキング」なるお題目はいまや誰も口にしなくなり、バブルを抑え込むための「マクロ・プルーデンス」は信頼性を欠き始め、金融政策の要に据えられた「インフレ・ターゲット」さえも、とうとうその役割が怪しくなってきた。 バーナンキ前FRB議長が2012年に悲願のインフレ目標を導入したことで、日本でも「追随すべき」との動きが高まって、これに抵抗する白川前総裁を安倍政権が追い詰め、黒田日銀が誕生したことは記憶に新しい。 だが昨今の経済事情を見れば、その時点はまさにインフレを懸念する時代が終わりを告げ、世界的なディスインフレ時代へと転換する変曲点にあったようにも思える。いま、先進国のどの中銀も、インフレ目標達成に成功していない。 現代の中銀は、インフレなき時代にインフレを目標とした間違った戦いで敗北しつつある、と元モルガン・スタンレーのステファン・ローチ氏は指摘し「まるで日本軍が攻めてくる方向を読み切れずに兵力を無駄にして敗戦した1942年のシンガポールにおける英国軍のようだ」と述べている。 強まるディスインフレの風 前述したように利上げペースの加速が懸念される米国だが、ややチグハグなことに、ディスインフレの風が強まる傾向が出てきた。10月の小売売上高は前月比0.1%増と市場予想を大きく下回る結果となり、9月も横ばいへと下方修正されている。企業決算ではノルドストームやメーシーズなど小売大手の業績が低調で、年末商戦に警戒感も出始めた。ガソリン安による恩恵は、昨今の家賃上昇で吹き飛んでしまったようにも見える。 物価動向自体にも、やや変化が起きている。10月の卸売物価指数は前月比0.4%低下し、9月の0.5%低下に続いて2カ月連続でのマイナスとなっている。エネルギー価格は横ばいだったが、食品が0.8%低下と大幅な値下がりを示しており、エネルギー・食品を除くコア指数でも0.3%低下した。卸売物価指数の弱さはタイムラグを伴って、過去2年間にわたって横ばいを続けるコアPCEデフレータを押し下げてしまう可能性がある。利上げ継続ムードに伴うドル高が生む物価下押し圧力も変わらない。 FRBは、雇用改善による賃金上昇がいずれ物価に反映されてくる、と見ているが、賃金は物価の先行指標であるという常識にチャレンジするような報告が出てきた。サンフランシスコ連銀のエコノミストであるライス・ビダー氏は、1980年以降のデータ分析から「現在の賃金情報には他の情報よりも優れた物価への予見力があるとは言えない」と指摘している。フィリップス曲線として知られている失業率と物価の相関が崩れてしまったことも、多くのエコノミストが指摘している通りだ。 蜃気楼のように遠ざかるインフレ目標を御旗に掲げたまま兵力を注ぎ込む戦略は、利上げに向かうFRBですら成功したとは言い難い。まして、巨額の量的緩和を以てしてもインフレ率がゼロ近辺に張り付く日本やユーロ圏の金融政策に、逆転の大ホームランを望むのも酷なものであろう。だが日本では、株式市場を中心に追加緩和への思惑は根強く残っており、その淡い期待は来年にも持ち越されることになりそうだ。 黒田総裁は、量的緩和の効果は上がっているとの強気の姿勢を崩さず、市場に燻る追加緩和の観測を否定するのに躍起となっている。だが物価目標達成見通しは再びずれ込むことになり、もはや日銀の物価目標は形骸化していると批判されても仕方がない。世界経済への不安が募る中で、来年の春闘で企業が賃上げを容認するシナリオも描きにくい。 量的緩和に疑念を呈するエコノミストが増殖 株式市場と違って、政府や経済界からは黒田総裁に何かを望む声は殆ど出てこない。「悪い円安」を加速させかねない追加緩和に官邸はいまや否定的ですらある。日銀は自身の主張を正当化すべく新しい物価指数を開発中と報じられているが、海外では「変節したクルーグマン教授」をはじめとして、量的緩和の効果に疑念を呈するエコノミストは増殖中である。 市場の一部には、総裁が豹変する「黒田ショック」のリスクを意識する人もいるようだが、仮に日銀内に物価目標から後退するような動きが生じるようなことがあれば、ドル円は一気に100円に向かって急落し、長期金利は急騰、株価も暴落するだろう。 それが解っているからこそ、日銀は物価目標を手放す訳にはいかない。黒田総裁も任期中は2%という呪文を唱え続け、残された2年数カ月の任期中に恐らくあと1回あるかないかの追加緩和のタイミングを計ることに、全神経を集中することになるのだろう。 インフレ・ターゲットに関しては、FRBも表面上は「物価はいつか上昇する」という建前を崩しておらず、2%目標を捨ててはいない。ECBも英中銀も基本姿勢は同じである。だが、仮にFRBの金融政策姿勢に市場が多少でも変化を感じ始めれば、それが米国外に飛び火するリスクはある。 FRBは12月の利上げの理由を「雇用の改善で賃金・物価が上昇する確信を得た」と説明することが出来るだろうが、来年以降の利上げには数値的な裏付けが必要だ。それがないままの利上げ継続は、市場のインフレ・ターゲットへの不信感を一層強めることになる。 確かに原油市場の影響はいずれ消失し、インフレ率は上昇気配を示すかもしれないが、賃金が上昇せず生産や消費に勢いが戻らなければ、物価上昇には全く意味がない。因みにゴールドマンやバークレーズなどは、来年以降原油価格が一段と下落するシナリオを描いている。 来年の世界経済がディスインフレを伴う低成長という軌道を辿ることになれば、FRBの利上げシナリオも崩れて金融市場が予想するように利上げ回数も限定的となり、世界の株式市場も救われるかもしれない。 だが仮に、イエレン議長らが見切り発車的な継続利上げを通じて厳格な物価目標からの離脱を模索し始めるのであれば、中銀の福音書とも言えるインフレ・ターゲットの路線修正に怯える資本市場が、多大な影響を受けない筈はない。 このコラムについて 倉都康行の世界金融時評 日本、そして世界の金融を読み解くコラム。筆者はいわゆる金融商品の先駆けであるデリバティブズの日本導入と、世界での市場作りにいどんだ最初の世代の日本人。2008年7月に出版した『投資銀行バブルの終焉 サブプライム問題のメカニズム』で、サブプライムローン問題を予言した。理屈だけでない、現場を見た筆者ならではの金融時評。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/230160/112500007/?ST=print
|