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ソニー創業家の没落 創業者の長男、事業の失敗連続で盛田家の資産枯渇
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151125-00010005-bjournal-soci
Business Journal 11月25日(水)22時31分配信
ソニー創業者、故・盛田昭夫氏の長男・英夫氏(63歳)がいよいよ絶体絶命の窮地に追い込まれた。愛知県・知多半島で江戸時代から続いてきた名家・盛田家は、世界企業「SONY」を生み育てた栄光から一転、半世紀足らずで没落の縁に立たされたようだ。
英夫氏にまつわる不祥事が公表されたのは11月6日。同氏が2005年から会長を務める東証2部企業、ジャパン・フード&リカー・アライアンス(JFLA、旧マルキン忠勇)が決算発表延期とともに開示した会計監査人からの通知・報告や独立調査委員会の報告書においてだった。それは“特別背任疑惑”とも呼べるような深刻な内容だ。
●刑事事件に発展の可能性も
報告書などによれば、概要はこうだ。JFLAは「モリタフードサービス」(名古屋市)という飲食会社に貸し付けを行っており、12年9月末でその残高は約2億5000万円に上っていた。モリタフードサービスは10年9月までJFLAの子会社だったが、その後は英夫氏が全額出資する米国ハワイの不動産会社「モリタ&サンズ」の傘下に移っていた。
問題の取引が行われたのは12年10月のことだ。モリタフードサービスは一部事業を第三者に売却して代金3億3000万円を得た。その6日後、同社は受け取った代金の大半に当たる2億6000万円を、英夫氏が代表取締役を務める資産管理会社「盛田アセットマネジメント」(名古屋市)に貸し付けたのである。当時、盛田アセットには見るべき資産も収入もなく、貸付金が返済される見込みはないに等しかった(実際その後に返済はされていない)。これら一連の資金移動は英夫氏の意向によるものだった。
JFLAのモリタフードサービスに対する貸し付け条件は不明で、かつ盛田アセットへの貸し付け目的も未解明だが、本来なら事業売却代金はJFLAへの返済に充てられてしかるべきだった。直近でもモリタフードサービスに対する貸付金は約2億3000万円が未回収のままだ。
英夫氏から見れば、JFLAを筆頭にモリタフードサービスも盛田アセットもすべて自分の財布みたいなものだったのかもしれないが、外部株主の負託を受けて経営を執行しているJFLAの会長という立場に照らせば忠実義務違反・善管注意義務違反の誹りは免れない重大な行為である。
一連の経緯がJFLA社内で大きな問題となったのは会計監査人による指摘が発端だった。今年8月、JFLAは弁護士からなる独立調査委員会を設置、10月中旬には報告書がまとめられた。その過程ではほかにも英夫氏の親密先に対する不透明なレコードマネジメント契約や業務委託契約なども問題事案として発覚していた。それに伴い過年度決算訂正の必要性も浮上。事ここに至った11月6日になり、JFLAは15年9月期決算の発表延期とともに8月以降の経過を洗いざらいオープンにしたというわけだ。
調査委設置から3カ月もたって不祥事が公表されたのは、適時開示違反の疑いさえあるずさんな対応といえる。その間、社内では英夫氏を庇い問題を表沙汰にしないような動きがあったのだろう。報告書は不祥事の発生原因のひとつに「“当主”意識」を挙げている。盛田家当主である英夫氏の意向がすべてに優先し、周りもそれを慮る傾向が強かったという。一連の責任をとり英夫氏は12月末には取締役を退任する方向だが、今回の問題はこの先、民事による責任追及はもちろん、刑事に発展する可能性も決して小さくはない。
●失敗が続いた大型ビジネス
じつは今回の事態は、ある程度予想されたものだったともいえる。すでに世間でも多くが知られているところだが、ここ20年の間、英夫氏が手掛ける大型ビジネスは失敗続きでソニー株をはじめとする盛田家の潤沢な資産の多くが失われてきたからである。
盛田家は伊勢湾を望む常滑市小鈴谷で尾張藩の下、味噌や醤油、清酒づくりに励んできた名家だ。発祥は寛文5年(1665年)。当主は代々、久左エ門を襲名し、昭夫氏は15代、英夫氏は16代目の当主にあたる。もっとも昭夫氏は戦後に復員すると、地元の家業はそっちのけで上京し、故・井深大氏とともに東京通信工業(現ソニー)の立ち上げに邁進する。それを後押ししたのは盛田家の財力にほかならなかった。やがてトランジスタラジオなどで成功したソニーは、1970年にニューヨーク上場も果たし、誰もが知る世界企業へと羽ばたいていくこととなる。
そうしたなか、英夫氏は一時、ソニーの社長候補とも目された。高校時代は英国に留学、その後、米カリフォルニア大デービス校に進み、帰国すると芦屋大学に入学、同大学院も修了し、25歳でまずは系列レコード会社のCBSソニーに入った。82年暮れにはソニー本体に転じ、周囲は当然、次代のリーダーとして期待した。
ところが英夫氏は2年ほどでソニーを退社してしまう。転じた先は盛田家の家業だった。中核の「盛田株式会社」と資産管理会社「レイケイ」の副社長に就任したのである。15代目当主が不在の間、家業を守り育てていたのは昭夫氏の長弟・和昭氏で、いわば出戻った形の英夫氏はその下で16代目当主としてのイロハを学ぶことになったわけである。
しかし、英夫氏がのめり込んだのは家業とは縁遠い大規模スキー場開発だった。新潟県新井市(現・妙高市)に本場の欧州を真似た贅沢な施設を整えたスキー場を建設し、93年冬に開業した。しかしバブル崩壊で赤字が続き、想定以上に建設費がかかったこともあり、経営はたちまち危機的状況に陥る。負債整理のため前出のレイケイは230億円相当のソニー株を放出せざるを得なくなった。
英夫氏が次に巨費を投じたのはF1ビジネスである。足がかりとしてオランダ法人を買い取ったのは99年のことだ。折しもITバブル到来でソニー株は急騰、ピーク時、レイケイ保有株の価値は2000億円を超えた。それで気持ちが大きくなったようだ。F1参戦には業界の重鎮、バーニー・エクレストン氏のお墨付きがあったし、欧州のプライベートバンカーがアドバイザーに付いていた。
00年3月、ルクセンブルクに統括会社「アジア・モーター・テクノロジー・ホールディングス」を設立。当初は「ミナルディ」や「ザウバー」をチーム丸ごと買収することが模索されたが頓挫。同年12月になり、仏プジョーのF1エンジン部門を5000万ユーロで買収することに成功した。ゆくゆくは英国でシャシーまで自社開発し、フル参戦を目指す遠大な計画が描かれた。レイケイは保有するソニー株を担保に入れ、欧米の大手銀行から230億円を借り入れ、軍資金とした。
F1参戦は秘密裏に行われた。スポンサーを明かさない謎のエンジン・サプライヤー「アジアテック」はミナルディと組んで01年シーズンに颯爽とデビューを果たした。が、その運営計画はあまりにずさん。広告収入を上げる方策がないまま、エンジンの無償提供を続けたのである。そうこうするうち、同年11月に仏のエンジン開発会社は現地の商事裁判所に倒産手続きを申し立ててしまう。
そんな折も折、ITバブルは弾け、ソニーの株価が急落。レイケイは01年夏以降、銀行に追加担保の差し入れを求められるようになる。やがて担保株は容赦なく市場で売却処分されていった。結局、資金が続かなくなったアジアテックはわずか2シーズンで姿を消した。その間、新潟県のスキー場は赤字経営が続き、新たに買収した米国の大規模スキー場も足を引っ張った。自家用ジェット機や商業施設などハワイに保有する資産の売却でなんとか資金繰りをつけるしかなく、ほどなく虎の子のソニー株も底をついた。
●距離を置く一族
最後の砦となったのが01年に買収し、家業を引き継がせていた調味料メーカー、旧マルキン忠勇(現JFLA)である。しかし不運は重なった。レイケイはF1ビジネスの損失処理をめぐり国税当局から多額の申告漏れを指摘された。英夫氏にそれを納める余力はもはやない。11年10月、英夫氏が箱根に所有する別荘は国税当局により競売にかけられてしまう。5カ月後、それを救ったのは実母の故良子氏。裏では盛田家の美術品コレクションが売り払われていた。官報公告によれば、10年9月に良子氏は絵画3点を5億8000万円で東京国立近代美術館に売却、12年9月にも2億1000万円で売り払っている。
金策に詰まる英夫氏は08年頃から昭夫氏が肝いりで設立した財団法人の基本財産にも手を付けていた。「鈴渓学術財団」からは3億8900万円、「盛田国際教育振興財団」からは5億3200万円が貸付金の名目で前出の盛田アセットに融通された(両財団は13年末に解散)。その盛田アセットはJFLAの筆頭株主にあったものの、資金繰りが厳しかったに違いない、保有するJFLA株を次々と売却していった。
英夫氏個人の懐事情も厳しくなる一方だった。とはいえ、金遣いの良さは相変わらずで、14年春にはクレジットカード会社に対し約1100万円が未払いになってしまう。また昭夫氏死後に相続した名古屋市内の豪邸とは別に、英夫氏は東京・永田町の高層マンションを借りていたが、その家賃約600万円も滞納。いずれも裁判沙汰となり、英夫氏は反論すらせず敗訴。同年9月以降はクレジットカード会社にJFLAからの役員報酬を差し押さえられてしまう有り様だった。今年3月には前出の豪邸も手放している。
そんな窮状の英夫氏に対し実母・良子氏以外、一族は冷淡だった。スキー場開発に始まる英夫氏の散財ぶりを見て、故昭夫氏不在の間に家業を守った和昭氏は長男・宏氏とともに英夫氏から距離をとった。そして盛田グループから酒類卸会社「イズミック」とコンビニチェーン「ココストア」を引き取り、新たに「LICKグループ」(現MICSグループ)を立ち上げた。当然、和昭・宏両氏は英夫氏に救いの手を一切差し伸べなかった。大手チェーンに押され、ココストアは今年9月、ファミリーマートに身売りしており、和昭氏らにも余裕はなかったといえる。盛田一族の遠縁が経営する会社には敷島製パン(名古屋市)もあるが、同社も英夫氏の救済に動いた気配はまったくない。
今年3月には実母の良子氏が死去し、英夫氏はもはや孤立無援。お家再興は夢のまた夢で、今や不名誉にまみれたままの完全なる没落が現実味を増している。
文=高橋篤史/ジャーナリスト
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