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東芝、なぜ「優等生」社員はこぞって幼稚な不正に走った?増幅した「悪い癖」(Business Journal)
http://www.asyura2.com/15/hasan102/msg/682.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 11 月 18 日 22:59:10: igsppGRN/E9PQ
 

                      東芝本社ビル(「Wikipedia」より)


東芝、なぜ「優等生」社員はこぞって幼稚な不正に走った?増幅した「悪い癖」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151118-00010001-bjournal-bus_all
Business Journal 11月18日(水)22時32分配信


 不正会計問題に揺れる東芝は7日、2015年4〜9月期連結決算の営業損益が904億円の赤字になると発表した。同社の上期が営業赤字となるのは6年振り。さらに同日、同社は西田厚聡氏、佐々木則夫氏、田中久雄氏の歴代3社長とCFO(最高財務責任者)2人に対し、計3億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。

 本稿では本連載の前回記事に引き続き、「天下の東芝」がなぜかくも子供じみた不正経理を行ったのか、その理由を合理的に類推してみたい。

●思いの共有化

 出自の良い大企業である東芝の社風は、穏やかで紳士的・公家的と形容され、その社員は優等生であるといわれている。今回の企業ぐるみの不正会計の背景には、経営サイド(親)からの理不尽なプレッシャーの中で、成績の良い子(社員)はカンニングをしてでも良い成績を取らねばならないという企業風土があったのではないか。これを、優等生といわれる東芝社員の宿命と片づけることは簡単であるが、それでは事の本質を見誤る。

 実際、今回の不正会計は、第三者委員会の報告書でも指摘されているが、全社的であるだけに11年に発覚したオリンパス粉飾会計事件よりも深刻である。これは、内部の不都合を皆で隠す日本企業の特質の表われともいえる。言い換えれば、経営者のみならず組織(社員)も内部しか見ていない、いや見えていない典型的な日本企業である。「会社のためであれば善行」という意識も働いたのではないか。「みんなでやれば怖くない」、いや「異論は封殺し、全社でやれば怖くない」という日本特有の「思いの共有化」がありそうだ。日本特有の組織に対する帰属意識がある。

●衆議一決

 日本的組織における議論の特徴としては、対話(ダイアローグ)の集積ではなく、独白(モノローグ)の連鎖の展開がある。会議において、相手の発言を受けて行われるはずの次の発言が、相手を特定しない独白であるという経験は誰しもあるはずである。独白の連鎖の結果、各自の「思い」(意見や考えともいえなくはないが)は、「自ず」とあるしかるべき点に収斂してくるのが日本における議論の特徴である。その前提として、日本人は「衆議一決」という予定調和的結果としての全会一致を暗黙の原則としている。

 日本的な独白の連鎖が意見の分布状態を示し、そのなかで各自は自分の位置をはかり、自分の「思い」を皆の顔色を伺いながら微修正し、何回か話し合いを行う過程で、その「思い」はしかるべき点に収斂してくる。言い換えれば、「私」が「我々」になるブラックボックスの過程である。繰り返しになるが、それを日本人は衆議一決と言ってきたわけである。

 「衆議一決」を国語辞典で引くと、その意味は「おおぜいの議論、相談の結果、意見が一致し結論が出ること」とあり、 用例として「会議で衆議一決、進むべき方向が定まった」とある。議論と相談を同列で語ることや「進むべき方向は定まった」という主語不在の表現が、まさに曖昧に「私」が「我々」に転換することを示してはいないか。

 日本でいう全会一致は、欧米のように「意見の対立がある状態が、自然な状態である」という認識を前提に置いていない。「私」が「我々」に転じる「斉一性の原理」を考えるには当たっては、外部から「自発的に見える」ことに、その糸口があるのではないか。

 そして「私」を「我々」へと変容させる「力」とは、流れに抗えないその「場」の雰囲気、つまり「空気」である。この「空気」とは、日本人が多用し意思決定プロセスにおいて最も重要視される言葉かもしれない。東芝の不正会計問題で注目された「チャレンジ」が蔓延した要因は、まさにこの「空気」であろう。

●「我々、東芝社員」

 この「場」「空気」を突き詰めると、「間主観性(intersubjectivity)」に対する個人の捉え方の問題に行きつく。間主観性とは、簡単にいえば複数の個の主観の共同化・相互主体性を意味する。過度に「相互協調的自己構造」が優位な日本人にとって、この間主観性は裏庭のように、部外者にはその存在やルールが捉えられない「個別化ができない私的な間主観性」として存在する。そしてそれが根源的な自発性、つまり一人称性を持つかのように認識される。

 日本人は、これを「場」とか「空気」と表現するのである。そして、この「個別化ができない私的な間主観性」に従うことにまるで抵抗がない。それを「思いの共有化」と表現して正の意味で理解し、あたかも自分と同列の主体であるかのようにその自発性を認める傾向が強い。この「個別化ができない私的な間主観性」が根源的自発性を形成する過程で、個人が流れに反論できない状況が訪れた時が、「私」から「我々」への不可逆な転換点である。

 この「私」から「我々」へのプロセスに慣れ親しんでいる日本人は、「我々」という言葉を多用する。まさに、「我々、東芝社員」である。ここに、日本人の悪い癖といわれる

「黙る=面倒だ」
「考えない=考えたくない」
「目をつむる=わかったと思う、思いこむ」

 という行為が蔓延する背景にも、この「私」から「我々」への不可逆の転換があるのではないか。また、日本人特有といわれる「本音(私)」と「建前(我々)」が存在する理由でもある。

 今回の東芝のケースもまさにこれであろう。まさに、異論を封殺し、建設的で自由な議論を阻む情緒的な負の側面が、前面に出たケースであろう。不幸にもこの日本的な組織特徴が、大規模組織で増幅された結果といえる。

 内向きの体質を変えるには、この傾向を強く自覚することが第一歩であるが、日本的な組織に属する個人にとって組織体質を変えることは容易なことではない。特に、サラリーマン社長を頂く日本的な大企業にとって、今回の東芝の事件は他人事ではないことを心する必要があろう。

 次稿では、東芝が今回の不正会計問題を受け、組織の立て直しに向けて取った組織的な内部的対応についてみていきたい。

文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授

 

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コメント
 
1. 2015年11月19日 08:49:01 : 9HFRDF5cwU
やはり、日本に科学は根付かないものなのか。衆を頼んで客観的な事実の解釈を拒否する風土が、至るところに見受けられるようなのだから。

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