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ココイチ創業者、株売却で220億円の利益 孤児院、極貧生活から異端経営者への軌跡(Business Journal)
http://www.asyura2.com/15/hasan102/msg/651.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 11 月 17 日 22:57:10: igsppGRN/E9PQ
 

                     「カレーハウスCoCo壱番屋」の店舗(「Wikipedia」より)


ココイチ創業者、株売却で220億円の利益 孤児院、極貧生活から異端経営者への軌跡
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151117-00010002-bjournal-bus_all
Business Journal 11月17日(火)22時31分配信


 「ココイチ」の愛称で知られる「カレーハウスCoCo壱番屋」を運営する壱番屋は、食品大手のハウス食品グループ本社の子会社になる。壱番屋創業者は宗次徳二氏と妻・直美氏。TOB(株式公開買い付け)に応じる宗次夫妻は単純計算で220億円のキャッシュを手にすることなる。

 宗次氏は、「ベンチャー通信」(イシン/2006年4月号)で自身の壮絶な人生を回想している。戸籍上は1948年10月14日、石川県生まれとされるが、両親が誰なのかわからない。兵庫県尼崎市の孤児院に預けられ、3歳の時に宗次福松・清子夫妻の養子となる。養父は競輪やパチンコのギャンブルが好きで働かず、15歳まで生活保護を受ける生活だった。家賃を払えないため廃屋を転々とした。

 愛想をつかして養母は失踪。養父と2人、ろうそくの明かりで雑草を抜いて食べて飢えをしのいだ。近所の暖かな食卓がうらやましくて、食卓を覗く日々だった。煮干しがご馳走だったという。千円札は見たこともなかった。パチンコ店でこぼれ玉やシケモク(煙草の吸殻)を集めて生計を助けた。吸殻を拾わなかったりすると、養父から全裸にされ箒で殴られる虐待を受けた。

 15歳の時、養父が胃がんで亡くなり、養母と同居するようになる。こうした少年時代について、宗次氏はベンチャー通信の中で「15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした」と回想している。

 宗次少年は朝5時半の始発電車に乗り、登校前に同級生の父が経営する豆腐屋でアルバイトをして、学費や生活費を稼いだ。1967年3月、愛知県立小牧高校商業科を卒業し、不動産会社の八洲開発に就職した。70年に大和ハウス工業名古屋支店に転職、同僚の直美氏と知り合う。この出会いが宗次氏の人生を決定づけた。

 直美氏も家族に恵まれない境遇だった。50年4月18日、愛知県に生まれた。10歳の時に父親が亡くなり、それから家族離れ離れの生活を送った。高校卒業後に大和ハウス工業に入社。そこで出会った宗次氏と結婚した。

●ココイチ誕生

 2人は結婚を機に独立。73年、自宅に不動産仲介の岩倉沿線土地の看板を掲げた。しかし、不動産仲介ではメシが食えない。現金収入を得るため、直美氏と相談し74年に喫茶店「バッカス」を開業した。オープン初日に、喫茶店が天職であると直感。不動産仲介の仕事はやめた。バッカスの一番人気メニューは、直美の手作りのカレーだったことから、カレー専門店を開くことを思いつく。78年、愛知県西枇杷町(現清須市)に「CoCo壱番屋」1号店を開いた。

 宗次氏は前出「ベンチャー通信」のインタビューで、こう語っている。

「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味をもってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというより、人に喜んでもらいたかった。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった」

 お客に認められたい一心で夫婦で励まし合いながら、店に立ち続けた。宗次氏は経営の第一線で働いていた頃は、趣味を持たず、友人もつくらなかった。飲み屋に行ったこともなかった。睡眠時間は3、4時間で働き続けた。こうしないと、お客に見離されるという恐怖感だったかもしれない。着実にココイチのファンを増やし、82年7月、株式会社壱番屋を設立。宗次氏が社長になった。

●創業者利益を社会貢献に投下

 90年代以降は、独自ののれん分け制度「ブルームシステム」によるフランチャイズチェーン(FC)展開で出店を急拡大した。ココイチのFCは夫婦専業が基本だ。ロイヤリティーを取らない代わりに、夫婦が店で修行して、夫婦でやっていけると認められた者だけにのれん分けをした。

 ココイチがこれまでやってこられたのは夫婦で励まし合ってきたからだ。一時の成功よりも、継続することのほうが大事。どんなに失敗しても、めけずに続けていく。それには夫婦が手を取り合っていくことが、なによりも大事という信念が宗次氏にはある。

 2002年5月、宗次氏は53歳の若さで経営から退く。19歳の時にアルバイトとして入社した浜島俊哉副社長を社長に昇格させ、自身は創業者特別顧問、直美氏が会長に就いた。

 宗次氏は独特な金銭観の持ち主である。雑草を食べて飢えをしのぐという辛酸をなめた。貧乏の反動から、「カネ儲けのためならなんでもやるぞ」となるのが人間である。起業した会社が上場を果たし、創業者利得を手にしたのだから、胸を張って当然である。だが、宗次氏はそうしなかった。

 宗次は「お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」と語っている。時計は9800円、シャツは980円。自宅は接待用に少し大きなものを建てたが、「それも恥ずかしいことだ」となる。余人には理解できない無欲ぶりなのである。

 宗次氏は株式公開で得たキャピタルゲインを、クラシック音楽に使うことにした。極貧の高校生の時、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いて感動した。レコードは高嶺の花で手が出せなかったが、長じてラジオで聴くクラシック音楽の大ファンとなった。

 07年3月、私財27億円を投じて名古屋市中心部の中区にクラシック音楽専門のコンサートホール「宗次ホール」を建設した。作曲家の三枝成彰が監修した。ヴァイオリニストの五嶋龍や葉加瀬太郎にストラディバリウスを、宮本笑里にはドメニコ・モンタニャーナを貸与しており、ヴァイオリニストのパトロンでもある。壱番屋の株式売却で手にした220億円を基金として財団をつくる。

 宗次氏は日本では類例をみない異色の起業家なのである。

文=編集部

 

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コメント
 
1. 2015年11月18日 03:43:15 : 7qvR5NNHws
ふ〜ん、偉いね!

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