2. 2015年11月10日 14:03:58
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「三世代同居」は最高の子育て・介護支援策?血縁より大事な「助け合える」関係 2015年11月10日(火)河合 薫 学生時代、“独身キャリアウーマン”に憧れていた私の友人は、社会人2年目に結婚。 「DINKSだよ。だって、子どもできたら、仕事続けられないもん」 “不覚”にも結婚してしまったと苦笑いする彼女は、“DINKS”を宣言していた。
そんな彼女が、幸せ満タンの笑みで赤ちゃんを抱く写真を送ってきたのは、DINKS宣伝からわずか3年後。その翌年には、 「来月から仕事に復帰します! これまでとは違う部署で、心機一転。仕事も育児も、全力でがんばる!」とのメールがあった。 ある日、彼女から珍しく電話があった。いつもはメールなのに、「なんじゃ?」と慌てて出たところ、「は…い…」とすすり泣く声。 「ヒック…○○がね(子どもの名前)、熱で苦しんでる時にね、ヒック……、私、営業先の接待してたの……ビェ〜〜ン」 と泣き出したのである。 彼女の説明によれば、高熱に驚いたベビーシッターさんが、会社に電話。 「△△さんをお願いします」 と電話口で伝えたところ 「△△ですか……、どこの部署の△△でしょうか?」 「□□です」 「□□には、△△はおりませんけど……」 という事態が起きてしまったのだ。 不幸な事件が起きてしまった理由は、4つ。 1.育休復帰時、新しい部署に異動になったこと。 2.会社では旧姓を使っていたこと。 3.結婚していることを知らない同僚たちがいたこと。 4.「育児を言い訳にしたくない」と、自分から子どものことを話すことを極力避けていたこと。 あれから20年。さすがにここ数年は言わなくなったけど、彼女は「私はなんやかんやいって、自分のことしか考えていない」と、自責の念に苦しんでいた。 先日、「選択的夫婦別姓」という、姓の意味、家族のカタチへの判断が、最高裁の手に委ねられることになり、賛否は二分した。 「まぁ、相手の男の姓にもよるよね〜」 「私も、結婚ためらったの旦那の姓のせいだよ! 絶対に“あの頃は〜ハァッ”とか言われるでしょ(笑)」 「私なんて、今の姓、昔の旦那のだもんね。仕事の関係もあったけど、あっという間に離婚したから、さすがに親に申し訳なくて。自分で責任を持ちたかったの」 「研究者は死活問題。結婚前の論文、業績として認めてもらえなかった〜〜」 「うちは養子。なんか申し訳なくて。家系が途切れるって、わけが分からん」 たかが姓、されど姓。同じ女性でも、姓の選択基準はさまざまだ。 「選択的」と言っているのだから、賛成も反対もない、と思うのだが、反対する人たちは、「家族の一体感が薄れる。バラバラになる」、「子どもが可哀想」と口を揃える。 同じ姓を名乗っていても、バラバラになるときはバラバラになる。社会的コミュニティーの最小単位は家族ではない。会話だ。会話のない家庭の子どもほど可哀想なことはない。 そもそも家族って何なのだろう。明治時代の家族のカタチを守り続ける意味は、どこにあるのだろうか。 家族のカタチは、仕事を続ける女性だけじゃなく、「私は専業主婦だから」と言ってる女性にも、「オレには関係ない〜」と思っている男性にも、大きな問題である。 そこで、今回は「家族のカタチ」について、あれこれ考えてみようと思う。 まずは、夫婦別姓、再婚禁止期間廃止などのニュースが駆け巡った一週間ほど前に、「な、なんじゃこりゃ!」と一斉に女性たちから攻撃を受けた、ニュースを紹介する。 「三世代同居」ですべて解決? 「3世代同居で所得税など優遇 子育て支援で政府検討」という見出しで、産経新聞が報じた(以下抜粋)。 「政府は、『新三本の矢』の『第2の矢』である子育て支援の一環として、親世代との同居を目的とした改修工事の費用について、所得税や相続税を軽減する方向で検討を始めた。世代間の助け合いで子育て負担を緩和、出生率低下に歯止めをかけるのが狙い」 “子育て”という時代のキーワードに、同居、負担緩和、出生率低下がくっついたとなれば、「な、ナニ〜〜!」っと、騒ぎの1つ2つ起きて当然である。ネットではかなりの盛り上がりをみせた。女性たちが一斉に「ふざけるな!」と怒った。 ところが、メディアは興味がないのか、あまり大きく報じなかった。しかも、合点がいかないのが、11月7日には「保育の受け皿『50万人分整備』」(朝日新聞)という見出しで、「保育の受け皿の確保、新婚夫婦や子育て世帯の公的賃貸住宅への優先的な入居や家賃負担の軽減、介護施設の増加」といった政府の「緊急対策」の一つとして、「三世代同居案」を報じたのだ。 不気味だ。 なぜなら、「そんなことより保育所を増やせ!」「同居できない人はどうすりゃいいんだ!」「介護施設を増やせ!」と、2週間前にネットに上げられていた不平不満が、「受皿確保、新婚夫婦、介護施設」とすべて網羅。 まさか、まずは小さく花火を上げて、反応見て決めたとか? そういえば、一億総活躍社会のホームページに、「平成27年10月21日(水)から平成27年11月6日(金)まで。皆さまからのご意見をお寄せください」なんてのもありましたね? いずれにしても、受け皿「50万人整備」ならそれはそれで結構なことだが、だからといって三世代同居案が変わるわけじゃない。 この“案”の根底には、なんでやねん、とぽか〜んと口があく、わけの分かんない論理が潜んでいるのである。 「平成 28 年度税制改正要望事項」には、 少子化社会対策大綱、女性活躍推進本部提言などで、「家族間の助け合い」が必要とされてるため、この制度が必要と書かれている。 また、 20.6%が三世代同居を理想 78.7%が祖父母の育児や家事の手助けが望ましい 出産や育児に関する最も重要な支援提供者は親(=祖父母) との結果が、内閣府や国立社会保障・人口問題研究所の調査で明らかになっていて、「ジジババの力」は必要不可欠。 で、この制度が実行されれば、 結婚、妊娠、出産、育児に対する子育て層の不安や負担が軽減 少子化対策につながる 子育て層を担い手とした親世代の介護が自助で行われ、介護費が抑制される 高齢社会対策にもつながる 若者の経済的不安も、子育ての経済的不安も解消 など、さまざまな問題が解消され、さらに、 「世代間交流がもたらす子の人格形成における好影響や、女性の就労促進による税収増及び世帯収入増による経済効果が見込まれる」のだという。 ふむ。これは…ある意味、すごい。 「これで少子化も、女性活用も、在宅介護も、非正規の低賃金も、待機児童も、空き家対策も、ぜ〜んぶ解決できちゃうじゃん。共働き世帯が1000万を突破して増え続けてるし、みんなのためになるよ!」ってこと。 「俺たち超イケテル〜。三世代同居って、キーワード、思いついちゃったもんね〜」 と、“ドヤ顔“で、これを提案した。そんな姿が目に浮かぶ内容だったのである。 この国の、いや、これを提案した人たちは、「家族」と一緒に住みさえすれば、何でもできる! と、考えているのだ。 三世代同居――。確かに、それで解決されることもあるかもしれない。私も、三世代同居をうらやましく思うことはある。 うっかり、ホントにうっかり、子どもを産むのを忘れ、自分のことだけ考え、生きてきたが(私のことです)、そのことを一回だけ後悔したことがある。 父に“変化”が起きて、実家に通う日々が続いたときだ。「連れて行く孫がいれば、もっと父は笑ってくれるのに」。そんなふうに思うことがあった。自分勝手に生きてきたことを、正直、悔いた。 四六時中「大丈夫かな」と父のことが頭から離れないし、母は限界に達していて母のことも心配で。「一緒に住んでいた方が楽かも」と思うこともあった。 だが、リアル同居はそんなに甘いもんじゃないと思う。「育児負担をほにゃららら〜」って言うけど、ただでさえ出産年齢が高くなった世の中だ。育児と介護の両方が、現役世代にのしかかる可能性は高い。 介護や子育てを家族に押し付ける 「子育て支援」という耳障りのいい言葉を使い、ただただ、 「女性のみなさん! しっかり働いて、子ども産んで、親の介護もよろしくね!」っと言ってるようなもんだ。「介護離職ゼロ目指して、休業中の賃金上げるように企業には頼んでおいたし、非正規の賃金も上げてね、って言っておいたから。あとは頼むよ!」 と言ってるだけ。 「介護。子育て。福祉はみなさんの家でよろしく!と、家族に押し付けた。日本では、戦後一貫して社会保障に大きな支出をせず、企業内福利厚生が公的福祉を補完してきたけど、福祉政策までをも、家族に押し付けた。 家族イデオロギーに基づいた政策は、子育て、介護など、他者の助けを借りる必要のある問題を、社会問題ではなく、個人の問題という、自己責任にすり替える。婚姻関係は、異性間だけで結ばれなきゃダメ。妻は子どもを産まなきゃダメ。高齢になった親の世話は子どもがしなきゃダメ。つまり、外に頼るな、と。 時代とともに、企業のカタチも、家族のカタチも、変わってきたというのに、なぜ、都合のいいときだけ、家族かくあるべしという、家族イデオロギーを持ち出す? 「会社に迷惑をかけてまで、なぜ女性は会社を辞めたがらないのか。共働きをしないと生活が苦しくなるからだろうけど、私たちが子育てをした頃は、みんな貧乏暮らしだった。保育所の待機児童の問題も異常。子どもは、自分の家で育てるもの。だから昔は、みんな親と同居していた。いまの若い人は親と同居したくないし、収入が減るのも嫌だから、保育所に子どもを預けて働くのが当然という。迷惑千万。出産したら女性は会社をお辞めなさい」 2年前の、作家の曾野綾子さんの、「出産したら女性は会社をお辞めなさい」発言と一緒だ。 もちろん、ただ「税を優遇しますよ〜」って言ってるだけなのかもしれない。だが、時代にそぐわない家族イデオロギーの先に待ち構えているのは、「孤立」と「貧困」。 「GDP(国内総生産)600兆円」、「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」を目指す国にとって、人は単なる「労働力」。つべこべ言わずに働いてほしい。生身の人間の心など、一切関係ないのである。 人生を左右するのは「血縁」より「人と人」の関係性 そもそも家族=血縁関係と当たり前のように考えているようだが、心理調査をやるときに、「家族」をどう問うかは極めて難しい。「配偶者」ではなく「同居人」、「既婚」ではなく「パートナー」、といった具合に、血のつながりではなく、関係性をベースにした問いをたてる。 理由は簡単。人間の心、人の持つ生きる力、人生の満足度などを左右するのは、「血縁」ではなく、「人と人」の関係性だからだ。 先日、プライベートの研究会で、「家族のカタチ」を改めて考えさせれたプレゼンがあった。 プレゼンテーターの女性は、地方在住の2人の子どもを持つワーキングマザー。多くのワーキングマザーたちがそうであるように、妻として、母として、そして、仕事を持つ1人の人間として、両立に悩んできた女性だ。 彼女が勤める会社には、ワーキングマザーのためのフルタイムの就業制度があったが、手のかかる就学前の子どもたちと仕事の両立には、いくつもの壁があった。 そんな彼女を救ったのが、「持続可能な自律的コミュニティーで、資産価値向上を目指す新しい日本型テラスハウス」だった。 そこで暮らしている住民たちは、年齢もバラバラ、職業もバラバラ、出身地もバラバラ、世帯の家族構成もバラバラ、住居の契約形態も賃貸、分譲とバラバラだらけ。 ライフスタイルもさまざまで、ワーキングマザーもいれば、専業主婦もいる。子育てまっただ中の人もいれば、リタイヤした人たちもいる。 そんなバラバラの人たちが、まるで「家族」のようにつながっているのだそうだ。 会議のある大切な日の朝、子どもが熱を出しても大丈夫。 ラインにメッセージを流せば、「昼までならうちで」「じゃあ、その後はうちで」と手を挙げてくれる人たちがいる。 かつて血縁で繋がる大家族にあった「助け合い」が、互いにケアしあう日常が、強制ではなく自然に行われていた。 「このテラスハウスのおかげで、私は育児と仕事を両立できています」と、彼女は満足げに語っていた。 テラスハウスの開発者が目指したのは、「人間の絆を基本にそれぞれの居住者のつながりを大切にする住宅地」だ。 その思いの原型は、子どもの頃に住んでいた団地の“豊かさ”だったそうだ。 同じ団地に住む同級生たちと、外で毎日のように遊び回る 夕方になると母親たちが台所のベランダから「ご飯よ!」と声をかける 窓越しに見える、友達の部屋の明かり 「おかえり」と笑顔で迎えてくれる下の階のおばあさん 父親からこっぴどく怒られた次の日に、慰めてくれた団地内のおばさんたち 「昭和の時代には、どこにでもあった顔の見えるコミュニティーを、再現したい。経済大国でありながら、生活の豊かさを感じにくい現代社会だからこそ、開発する意味がある」ーー。 そんな開発者の思いが込められた、テラスハウスだったのである。 とはいえ、“思い”だけで実現できたわけじゃない。 テラスハウスの中央に作られた共有の庭に、子どもたちが集い、お花の世話をし、プールを持ち込んで水遊びする。ハロウィーンパーティーなどのファミリーイベントは、子育て世帯が一緒に催し、クリスマスにはみんなでリースを作り、テラスハウス中に飾り付けをし、イルミネーションを作り、みんな集まって点灯式を開催する。 人と人が結びつく場、機会、時間を、開発者たちが積極的に作り、一世帯、また一世帯と、参加する世帯が増えた。互いの顔が見える関係が、助け合い、見守り合い、互いにケアし合う日常を作ったのだ。 ソーシャルキャピタル。目に見えない、人と人のつながり。一つの住宅の中で「人間が持つ資源(キャピタル)」に投資し続けたことで、資産価値の高いコミュニティー(リターン)が生まれた。 家族を超えた家族を 健康社会学者のアーロン・アントノフスキーは、1980年代に書いた著書の中で、「日本人の困難を乗り越える力は高い」と記している。その理由の一つが、「親と子、親と地域、子と地域」の結びつきだった。 子どもたちの遊び声、雷オヤジの怒鳴り声、母親たちの井戸端会議ーー、そんな日常のたわいもない風景の中に、家族を超えた家族があったのである。 家族=血縁だけじゃない。たとえ血縁関係があっても、ケアし合わない“家族”もいる。互いにケアしあう関係性の中で作られた、家族のカタチ。そういったオトナ同士の関わりも、一つの家族なんじゃないだろうか。血縁関係ではない、心の関係、とでもいうのだろうか。 もし、心の関係も家族として認める社会になれば、夫婦別姓や再婚禁止期間だけじゃなく、LGBTの問題や、孤独、貧困なども含めた現代社会に蔓延するさまざまな問題にも、解決の糸口が見えてくるように思う。 “活躍”する社会より、「助けて」と言える社会の方がいい。……っと、家族を作り忘れたミドル女は願うわけです。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/110900020/?ST=print |