2. 2015年11月04日 07:31:52
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【第400回】 2015年11月4日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員] 公的年金は大丈夫なのか? あらためて問う運用方針“7つの論点” 世間の注目集まる公的年金運用 株価が下落すれば巨額の損失だが… 公的年金の運用は、国民生活に直結する重大事だ 最近、公的年金の運用に関わる取材を受けることが多い。いわゆるチャイナショック後の内外の株価下落を受けて「年金積立金は大丈夫なのか?」という趣旨の質問が最も多かったように思うが、それ以外に、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が今後始めるという海外の低格付け債券への投資は適当なのか、あるいは株式市場や金融政策との関係で「公的年金の積立金は、経済政策に利用されたのか?」といった質問もあった。
今回は、公的年金の運用に関して存在する様々な論点に関して、筆者の意見をあらためてまとめておきたい。なお、筆者は、国家公務員の共済年金を運用する国家公務員共済組合連合会(通称「KKR」または「国共済」)の運用委員会の委員を務めているが、本稿の意見は筆者個人のものであって、KKRの見解ではないことをお断りしておく。 さて、世間の注目が集まること自体は、公的年金の運用を改善していく上での後押しになる場合もあるので悪い面ばかりではない。しかし、厚生年金と国民年金の141兆(6月末時点)に及ぶ積立金を運用するGPIFをはじめ、地方公務員共済組合連合会、国家公務員共済組合連合会といった公務員の年金を運用する運用機関の運用担当者は、ここしばらくの世間の視線に対して、いささかやりにくいという思いをお持ちだろう。運用業務の現場には大いに同情する。 例えば、6月末時点で内外の株式を合わせると既に45%強の株式に投資しているGPIFは、内外の株価が1割下落すると、これらの部分で約6兆3000億円強の損失が発生する計算になる(実現損でなくても経済的な現実は「損失」だ)。これだけを取り上げられて、「大変だ」と言われることが多い。 事実、損失自体は無い方がいいが、仮に、現実に発生した損がその額だったとして、これはGPIFの運用責任者なり担当者なりの運用が拙いのかというと、全くそうではない(しかし、しばしば誤解されている場合がある)。 GPIFに与えられた「モデルポートフォリオ」は「国内株式25%、外国株式25%、外国債券15%、国内債券35%」だ。このポートフォリオから計算される内外の株式の損失は7兆500億円だから、6兆3000億円で損失が済むなら、運用評価的には「よくやった」、専門的には「内外株式のアンダーウェイトが適切だった」ということなのだ。 一時的な運用損の絶対額だけを理由にGPIFその他の運用主体を批判するのは、全く適切ではない。 市場変動に基づく大きな損得の発生原因は、厚生年金に対応する部分(いわゆる1階部分と2階部分の合計)について、GPIFおよび三共済(地共済、国共済、私学共済)が共通に「モデルポートフォリオ」として参照しているポートフォリオと、このポートフォリオを策定させた厚労省の方針の適否にある。 問題(1):公的年金の運用リスクは不必要に大きい さて、内外の株式だけで50%、さらに外国債券を15%ほど持つ状態が「標準状態」となるような運用方針は、公的年金の積立金にとって適切なものなのだろうか。 筆者は、不適切だと考えている。理由は3つある。 第1に、国と年金加入者の年金を通じたお金のやりとりに、無用な不確実性を持ち込むことが適当ではないからだ。 仮にGPIFが10兆円なり20兆円なりの運用損を出したとして、それが直ちに翌年からの年金支給額に影響を与えることは当面ない。しかし、将来の年金給付なり、保険料なりには必ず影響が出る(影響が出ないと言うなら、積立金の運用自体が無駄だ)。運用も不確実だし、失敗があった場合の影響の出方にも不確実性がある。公的年金は、国民にとってもっと確実に計算できるものである方がいいのではないか。 公的年金運用に株式投資が「無用」だというのはなぜか。個人の運用なら、「リスクはあるがリターンが高いとして株式投資を勧めているのではないか」という反論がありそうだ。 しかし、個々の国民は、株式のリターンがリスクに対して有利だと思えば、自分の意思で株式に投資することができる。国民には、公的年金積立金を通じて、年金加入者あるいは納税者として間接的に株式投資を行う必要がない。 第2に、これは後で論じる点でもあるが、公的年金が(日銀もだが)特に国内の民間企業の大株主になることが望ましくないからだ。 第3に、それでは、公的年金が国民のためにリスク資産でまとめて運用するのと、国民がばらばらに運用するのとでは、どちらがいいかという制度設計の選択があるが、情報の管理の点でも、多様な投資家による価格形成の点でも、民間がリスク資産運用を行う方がずっといい、と筆者は思う。 公的年金は、過大な積立金の大部分を国民に返して、リスクを縮小した上で、堅実に運営されるようになることが本当は望ましい。あるいは、公的年金制度はつまるところ国と国民のお金のやり取りなのだから、積立金全額を米国のように非市場性国債で運用する選択肢もあるだろう。 小泉純一郎元首相がかつて唱えた印象的なキャッチフレーズに「民間でできることは、民間で」というものがあった。株式投資をはじめとするリスク資産での運用は、民間でできることであり、民間の方がより良くできることだ。 なお、政府が株式投資への奨励、市場の振興に気を遣ってくれるつもりなら、確定拠出年金やNISAのような税制優遇された運用の枠を拡げるなり、法人税が課された後の利益に対する一種の二重課税である株式投資収益への課税をやめたらいい。政府自身が投資家になって(しかし、結局国民のお金を使って)、一時的に株価を上げてくれる必要はない。 問題(2):公的年金の運用計画は作り方がおかしい さて、モデルポートフォリオは、GPIFの基本ポートフォリオを追認する形となった。GPIFが圧倒的に多額の資金を運用しているので、これが現実的な選択肢の一つだった。 それでは、GPIFが策定した内外の株式が合わせて50%という運用計画は、どう作られたのか。言うまでもないが、株式は0%でも100%でもない。50%という数字は常識的には期待リターンとリスクとのバランスから決まったはずだ。 ところが、厚生年金と国民年金の管轄主務省である厚労省は、「名目賃金上昇率+1.7%」という目標運用利回りを、リスクを明示せずに与えた。 GPIFの運用計画を検討する有識者による運用委員会は、政府の中長期財政見通し(今年に入ってから2度改定された)を前提として、国内債券100%の運用よりも目標利回りを下回る確率が小さなポートフォリオの中で、おおむねリスクが小さいポートフォリオを、基本ポートフォリオとして定めた。その際、25年という小回りのききにくいGPIFとしてもいかにも長すぎる期間が前提とされている。 そもそも国内債券100%のポートフォリオでは目標とする利回りが達成される可能性は乏しく、この基準ではかなり大きな比率でリスク資産に投資する必要がもともとあった。 運用計画の作り方として考えると、想定期間、経済前提の置き方、リスクの考え方など方々に問題を含む。「名目賃金上昇率+1.7%の運用利回り」という目標と、おそらくは「少なくとも国内株式ベースで20%以上のリスク資産運用」という安倍政権サイドの期待値を意識しつつ、苦しい辻褄を合わせて作ったポートフォリオだと推察する。 運用計画策定プロセスのあれこれを批判する以前に、おおもとはリスクとリターンとの関係を明示的に考慮せずにいきなり「名目賃金上昇率+1.7%」という運用目標を与えた厚労大臣(つまりは厚労省年金局)のやり方に最大の問題があったと考える。 このため、金融の世界で通常「最悪」として想定する「マイナス2標準偏差」の事態が起こった場合(平均的には40年に1度くらいはこれより悪い事態が起こる)、単年度で二十数兆円の損失が起こり得るレベルのリスクを取る、基本ポートフォリオができ上がった(もちろん逆に大儲けする場合もあり得ること考慮するのがフェアだが)。 また、これは主として政治の問題だが、このレベルのリスクについて、国民に対して十分な説明がなされて、かつ合意が形成されたとは到底思えない。 ここまでは、「公的年金の買いのおかげで株価が上がった」と市場関係者を中心に歓迎されているように見えるが、市場環境が悪化した場合に問題視されるのではないかと心配だ。 問題(3):公的年金は民間企業の大株主にならない方がいい 国民が“完全情報の下にあって超合理的”なら、公的年金に関連して負担する株式投資のリスク・リターン(年金加入者としても、納税者としても関わっている)を勘案して、自分の株式投資額を調整するはずだ。現実の国民は、そこまで超合理的ではないが、当面国内に話を限定するとして、日本企業の株式の小さからぬ一部を公的年金が持つ方がいいか、民間が持つ方がいいか、という問題を考える必要がある。 これは換言すると、日本の株式時価総額をどのような株主が持つと企業のパフォーマンスがより高まるかという問題だ。 筆者は、公的年金資金よりも、民間の個人・法人が株主になる方が、はるかにいいと思う。 理由は2つある。1つには、政府は民間企業を監督する立場でもあり同時に株主の立場に立つことに、利益相反の問題がある。もう1つは、公的年金が公的機関として民間企業の経営には介入しないという建前を持つことによって、株主による企業ガバナンスが中途半端になる。 前者については、例えば厚労省が製薬会社の監督官庁であると同時に公的年金の管轄官庁であることの利益相反を考えると分かりやすい。 後者に関しては、議決権行使等を通じて個別企業の経営に介入せずに、運用会社に議決権行使を任せ、議決権行使の適切性を委託者である公的年金がチェックするという形でごまかしてきたが、次項で見るように、日本版スチュワードシップ・コードの制定と公的年金運用機関による支持・参加表明で、もともとの矛盾が明確に露呈してしまった。 また、もっぱら運用上の問題だが、公的年金の運用資産サイズが巨大になると、公的年金の運用行動が市場の材料化して、一部の投資家に利用されたり、投資家間の情報に不平等が生じたりしやすくなる点も不都合だ。 そもそも一般論として資金サイズが大きいことは運用として好条件ではない。加えて、公的年金の場合、計画にも、結果報告にも情報公開と説明の責任が伴うので、民間投資家よりも行動が予想されやすく、他の市場参加者に利用されやすいと言える。 現実は、GPIFだけで既に30兆円を超える国内株式を保有しており、東証一部の時価総額のざっと6%を占める日本株の圧倒的筆頭株主だ。市場でも「クジラ買い」などと呼ばれて大いに注目を集めている(「池の中のクジラ」という市場の世界に古くからある比喩にちなんだものだ)。 問題(4):公的年金のスチュワードシップ・コード参加に矛盾あり 昨年「日本版スチュワードシップ・コード」が策定され、GPIF、国共済などの公的年金スポンサーは相次いで、その支持と参加を表明した。同コードは、機関投資家が投資先企業との対話や議決権行使を通じて、「投資先企業の持続的成長を促し、顧客・受益者の中長期的な投資リターンの拡大を図る」ことを基本的な精神とするもので、7項目の規定から成り立っている。 実効性はともかくとして、特に長期的に株式を保有しようとする投資家が、企業との対話を通じて企業のパフォーマンスを向上させる術を探るのは、一つの考え方として納得できる。 しかし、公的年金資金は、特に個別企業の経営には干渉しない建前だ。 ところが、日本版スチュワードシップ・コードの第4、第5項目を見ると、 「4.機関投資家は、投資先企業との建設的な『目的を持った対話』を通じて、投資先企業と認識の共有を図るとともに、問題の改善に努めるべきである」、「5.機関投資家は、議決権の行使と行使結果の公表について明確な方針を持つとともに、議決権行使の方針については、単に形式的な判断基準にとどまるのではなく、投資先企業の持続的成長に資するものとなるよう工夫すべきである」とあって、明確に個別企業の経営に対する関与する責任をうたっている(対話と議決権行使は経営への「深い関与」だ)。 もともと、民間企業の株式を公的資金が大量に持つような制度の建て付けの悪さに問題があるのだが、機関投資家に任せていることになっている対話と議決権行使を、公的年金スポンサーが個別にチェックしないのなら責任の放棄かつ議決権の空洞化だし、個別にチェックして関与するなら民間企業への影響力の行使になる。 常識的には、公的年金が株式に投資し、さらにそれが拡大することには不都合が伴うのだが、公的年金の制度設計者たちは、むしろ公的年金が大株主となって投資先企業に睨みをきかすことが望ましい考えているかのごとくだ。 問題(5):JPX日経400への速攻投資は不適切だった 近年のROE重視の風潮に合わせて、銘柄選択基準にROEを取り込んだ「JPX日経インデックス400」という株価指数が2013年8月末を起点に算出・公開されるようになった。運用会社各社は、その後ほどなく同指数をターゲットとするインデックス運用のプロダクトを立ち上げたが、GPIF、国共済をはじめとする公的年金は、指数がスタートしてから半年もたたないうちに、同指数のインデックス運用への投資を開始した。 「ROE向上運動」への責任感(?)から投資を開始したのかもしれないが、これは年金スポンサーにあるまじき短慮だったと思う。 JPX日経400は、GPIF等が日本株運用のベンチマークとして運用計画段階から使用しているTOPIXとは異なる銘柄構成とウェイトを持つ、立派な「アクティブファンド」だ。 アクティブファンドに対して、過去の実績も確かめず、さらにこの新しい株価指数の銘柄入れ替えの様子を一度も確かめることなく、いきなり資金投入するのは常識的ではない。 世間の(「政府の」というべきかもしれないが)ROE重視の動きに迎合して、年金運用のプロセスを踏み外した行動だった。 問題(6):ESG投資は年金運用になじまない ESG投資とは、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に十分配慮する企業に投資し、これらの点で問題のある企業に対しては投資を控えたり、株式を売却したりする、といった投資の考え方だ。一昔前に話題になった「SRI」(社会的責任投資)を衣替えしたものだと思えばいい。 先頃、安倍首相は、国連サミットの全体会合の演説で、投資先を決める際に企業を選ぶように求める国連の「責任投資原則」に署名したことを明らかにした。 報道によると、GPIFは、どの程度の金額かは不明だが、ESG投資を行う運用を採用することになりそうだという。 さて、現実のESG投資の実行方法には、個々に細かな差があるが、おおむね、環境に負荷をかけるようにビジネスを営む企業、社会的に望ましくないことをビジネスにする企業、ガバナンスが悪いとされる企業などの株式や社債に対する投資が、除外ないし、抑制されるような、資金運用が行われる。大まかに言うと、「社会的に望ましくない企業」に投資しない運用だ。 ところで、ある投資候補銘柄群(運用用語で「ユニバース」。例えば東証一部上場銘柄)と、そこから何らかの銘柄群を除外した部分集合のユニバースがあるとしよう。 運用の仕事は、ユニバースの個々の銘柄に対して投資評価(「期待リターン」と考えていい)を与えて、リスクを勘案しつつ、最適な期待リターンとリスクを持つポートフォリオを作る事だと定式化できるが、投資候補銘柄を制約したユニバースで作ったポートフォリオが、銘柄制約無しに作ったポートフォリオに対して、「最適化段階での」効用(ポートフォリオの評価)で上回ることはあり得ない。 ポートフォリオに制約を加えるESG投資は、「純粋に運用効率において、ベストの運用(として意図しているもの)」と比較すると、(判断レベルでは)「必ず劣る運用」なのだ。 ESG投資は、運用として最高の効率をなにがしか捨てて、投資資金による社会的影響力の行使を意図するものだと言える。現実の運用では、運用者の判断が正しいとは限らないので、「たまたま」制約のある運用が勝つことはあるかもしれないが、大事なのは、それが運用者の判断レベルではベストではない運用だということだ。 仮に、ESG的な視点が投資評価上有効なのだとすれば、制約のないユニバースに対して、その有効性を使うといい。 問題は、公的年金の積立金の運用は、その積立金の所有者を年金加入者・政府のいずれと考えるとしても、「他人のお金」であることだ。百歩譲って自分のお金でやるならいいとしても、他人のお金をESG投資に巻き込むことには問題がある。 例えば、読者が投資顧問会社に自分自身のお金の運用を任せた時に、「環境に負荷をかけているのでタバコ関連の会社を除外して運用したため、ベンチマークに負けました」といった事後報告をファンドマネジャーから受けたら、これは変だと思うのではないか。 寄付は、お金を持っている人が自分の意思でやればいい。年金運用は最善の効率で行うことに徹するべきだろう。ESG投資は年金運用に不適切だ。 問題(7):「新しい運用」は公的年金にはなじまない 2013年11月に報告書が発表された「公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議」(伊藤隆敏座長)で敷かれた路線だと思われるが、公的年金資金の運用でいわゆるオルタナティブ(代替資産)運用などをはじめとする各種の「新しい運用」を開始・拡大すべきだとする意見がある。 新興国株式への投資や、低格付け債券への分散投資など、ある程度世間に理解され、リスク推定が可能で、大きな資金の運用にもなじむ(利益相反がない点では、国内株への投資よりもスジがいい)運用はいいとしても、一般論として、公的年金資金は、歴史の浅い「先進的」な運用、手数料の大きな運用、ベンチャー投資などにはなじまないと考える。 仮に、新しい運用の幾つかが有望なものだとしても、それには民間の投資家が取り組めばいい。新しい投資商品やテクノロジーに魅力を感じる個人・法人等の投資家は、公的年金を通じてそれに参加することを望むのではなく、自分で投資すればいい。 公的年金は、幅広い対象の加入者に対して説明責任を負っている。その運用は、計画・実行・報告のそれぞれの段階において、加入者に広く理解され、納得され得るものの方がいい。 公的年金の運用には、ある種の「保守性」が必要であり、加入者・国民の側でも、そこに新奇性や先進性、まして「特別な運用パフォーマンス」を望むべきではないと考える。 以上、公的年金の運用に関して7点ほど、個人的な意見を申し上げた。年金関係者、あるいは運用業界関係者をはじめとして、異なる意見をお持ちの方も多々おられるだろう。 筆者・編集部共に、文章での反論・批判・議論を大いに歓迎する。 http://diamond.jp/articles/-/81006 |