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2019年の国債暴落までを描く『日本国債暴落』第1章(1)
http://diamond.jp/articles/-/80557
2015年10月26日 桐谷新也 ダイヤモンド・オンライン
近年の日本国債をめぐる危機的状況を伝え、国債価格暴落のタイミングを2019年と予測するリアルノベル、『日本国債暴落』が金融関係者の間で早くも話題になっている。ここでは数回に分けて同書の冒頭部分を紹介する。発売前に公開した著者インタビューと併せてお読みいただきたい。
早春の冷たく透き通った風が、ひっそりと春を待つ桜のつぼみを刺激するように吹き抜けていく。東横線都立大学駅からJR目黒駅方面に向かうと、400メートルほど続く権之助坂があり、道の両側に商店街が立ち並ぶ。午前5時半、辺りはまだ暗く、夜の賑わいが嘘のように閑散としている。店の前には、ゴミ袋が大量に積み上げられ、カラスが大きな嘴を器用に使いながら、残飯を漁っている。ときおり通り掛かるタクシーのヘッドライトだけが点々と煌き、1日の始まりを告げていた。山城達也は、上質に糊付けされたワイシャツに紺のネクタイを締め、ピンストライプの洒落たスーツを見事に着こなし、颯爽とタクシーの後部座席に乗り込んだ。
タクシーは目黒通りを直進して、広く大きな道をゆっくりと走り、白金台駅方面に向かった。行き先はクリムゾン・マイヤーズ日本支店が位置する丸の内パークタワーであった。山城は、車の窓から悠然と建ち並ぶ高級マンション群に目を遣った。日本支店の幹部クラスやエクスパットと呼ばれた本社に所属しているが、一時的に日本に派遣された外国人職員の多くが住まい、落ち着いた景観が一層豪華さを際立たせている。将来自分もここに居住できるだろうか。それを思うと、山城の目に強い活気が漲ってくる。身長178センチ、体重75キロ、サッカー部で鍛え上げた筋肉質な胸板、小麦色に焼けた艶々しい顔は、26歳とは思えない存在感があった。そして太い手首にフランクミューラーの時計を巻いた姿は、気品と逞しさに満ちていた。
頭の中で山城は、直近の市場動向を思い返していた。クリムゾン・マイヤーズは、米国に拠点を置く投資銀行で、債券市場を揺るがすほどの巨額のリスクを取る最も影響力のあるファームだ。世間では、証券取引免許を持つ金融機関の通称として、また主に外資系証券会社を示す名称として「投資銀行」が使われる。一般に債券市場は、金融機関や機関投資家など、主にプロが参加する場所であり、クリムゾン・マイヤーズは市場のリーダーとして、膨大な量の顧客取引を成立させながら、収益を生み出さなければならない。
2007年3月、山城は債券トレーディング部に所属して3年あまりが経過しており、日本国債トレーダーとして、市場で注目を浴び始めていた。今年の山城の成績は、チームで群を抜いており、すでに年間目標収益の20億円を超過し、30億円を稼ぎ出していた。自分の判断で取引を執行できる権限を有してもうすぐ2年。おれはこの世界でやっていけるかもしれない。
昨日午後の取引時間が開始された直後、大手都市銀行の首都中央銀行から数千億円規模の買い注文が入り、嫌な予感がした。これをまともに受けたらやられる——。そう思った瞬間だった。山城はブローカー端末を見遣り、オファーサイド(売りに出す)の気配値を見定めて価格提示をした。このレベルだったら決まらないはずだ。そういうぎりぎりの価格を伝えた。思惑どおり、取引は不成立になった。数十分後、一気に市場で金利が低下した。あれが決まっていたら、おれのキャリアは終わっていた。山城は背中から汗が吹き出し、一気に冷えていくのを感じた。
債券の世界は、利回りが上がると価格が下がるという特殊性と取引所を介さずに売買の当事者間で合意された取引価格で売買が成立する相対取引という性質がある。マーケットメイカーと呼ばれる証券会社のトレーダーは、投資家に対して、売買に応じる価格を常時提示することが義務付けられているため、執行したくない取引であっても、市場実勢に適うような価格提示を行なわなければならない。これは市場での流動性を確保するための相対取引ならではの定めである。
これまで顧客からの注文を受けた後、市場が逆方向に動き、何度も煮え湯を飲まされてきた。いまでも忘れることができない——あれは昨年の夏のことだった。生命保険会社から500億円の売り注文を受けて、価格を提示した。「馬鹿! それじゃあ甘い! 持ってかれるぞ、何やってんだ!」先輩トレーダーの片貝拓馬が叫んだ瞬間、市場が急落した。必死に売り先を見つけて損失を最小限に収めようとしたが、結局たった1日で2億円の損失を出してしまった。
まさにこうした経験が生きた瞬間であった。顧客は隙を見せると、猛烈にそこをつき、トレーダーに市場から退出を迫る。山城は、いっそのことポジションを減らし、そのまま成績が確定される年末を迎えたい感情が湧きあがった。そんなことが果たしてできるだろうか。いやセールスチームが黙っているわけがない。
丸の内に近づく車の中で、山城は目を閉じて、足を組み替えた。いつだってトレーダーは孤独だ。針で刺されるような不安が体の隅々を支配した。市場が開くまであと3時間。注目すべき材料はなかったが、市場はどんな様相を見せるだろうか。毎日のことながら、自分の運用資産の規模を考えると、電流が走るような緊張感におそわれる。野球で言えば、トレーダーはピッチャーと同じだ。はっきりと「負け」が記録される。バッターは3回に1回打てば褒められるが、トレーダーは大きな失敗を1回すれば、その場で失職する可能性だってある。市場は生き物だ。一瞬たりとも油断してはならない。山城は自分に言い聞かせるように胸の内で呟いた。
タクシーが丸の内仲通りに入り、丸の内パークタワーに向かい始める頃、冷静さを取り戻すように、山城はブラックベリーを取り出して無造作に動かした。膨大な量のメールを削除するなか、1通の受信メールに目を留めた。債券業務部長の安藤恵子からであった。「4月からトレーディングアシスタントとして、新卒社員が入ります。名前は神田冴子です。ご面倒をお掛けすることになるかと思いますが、よろしくお願いいたします」そうか、来月から新人のアシスタントが入社するのか。1年はあっという間だと思った。ここで結構です——そう言ってタクシーを降りた。
赤いレンガ色の丸の内パークタワーは、伝統と文化を重んじるクリムゾン・マイヤーズの社風と見事に調和していた。40階建ての建物の15階から18階部分を専有し、入口には会社専用のゲートが用意されている。
山城は、受付嬢に一礼して、早足でゲートをくぐると、エレベーターに乗り込み、15のボタンを押した。その顔は、すでに市場を意識した緊張感に溢れていた。
国債現物は、相対取引であるため、特に取引時間は定まっていないが、証券会社の債券売買を仲介することを目的として設立された大手ブローカーの売買が開始される午前8時40分以降が多く、さらに東証の債券先物取引が開始される午前9時以降に集中する。その時間まで充分余裕はあったが、山城は気持ちを引き締めていた。
日々市場を動かすような情報をいち早くキャッチし、場合によっては市場そのものを一時的に歪ませるほどの大きな取引を執行して経済に影響を与える——、20代という若さでそれを実行できる職種は、投資銀行マンだけであり、それゆえに社員は常に向上心を持って学習し、日系企業に勤めるベテラン社員、百戦錬磨の顧客、そして海外投資家と対等に渡りあえる優秀な人材であらねばならないというのが、山城が自らに課した責務であった。
日中けたたましいまでの騒音に包まれる15階のフロアは、人気がなく、火の消えたように静まり返っていた。トレーディングフロアと呼ばれる仕切り1つない大きなスペースに、証券市場部門である株式部、債券部、調査部、デリバティブ市場部が位置し、部門ごとに分かれて、繋がりあった長デスクが一面に配置され、社員が6つから8つものパソコンモニターに囲まれながら肘をつき合わせて座っている。デスクの列と列の間隔は、2人の人間が横向きですれ違えないほど狭く、パソコン機器から発せられる熱によって冬でも蒸れた空気がまとわりつく。
午前6時を過ぎると、各部門の新人が慌しく前日の市場データや調査部が作成したレポートをまとめて、各デスクに配付していく。総勢40名の債券部門は半数以上、空席だが、時間の経過とともに、日経新聞、社内レポートなどを片手に持った社員が、7時半から開始される朝会に向けてすべるように席につき、フロア全体に緊張がみなぎる。
山城はエレベーターから出て、自分の席に向かった。席につくと、座席に取り付けてある専用ハンガーにジャケットをかけ、習慣化した作業に取り掛かった。まずブルームバーグ端末にログインし、ヘッドラインニュースを見ながら、海外市況に目を通した。ブルームバーグ端末とは、ブルームバーグ社が提供するシステムで、あらゆる市場データを閲覧することができるだけでなく、チャット機能があり、ほぼすべての市場関係者に利用され、電話を掛けながら、社内、社外を問わずやり取りができるため、その瞬間に得た情報を交換する際に一役買っている。
山城は米国債市場に大きな動きがなかったことを見定めると、机の上の国債引値表、各種統計表を手に取った。20数ページにわたる資料には、株式、日本国債、為替、債券先物など、2週間の相場の上がり下がりをグラフ化した罫線が描かれ、各取引所における相関度合いなどが細かく分析されてある。
山城は、コーヒーを持って席に戻ると、前日までのポジションを確認するため、スプレッドシートに目を光らせて、集中力を高めていた。ポジションとは、トレーダーが、どのような運用資産を買い越し、売り越しをしているかを識別するためのもので、持ち高状況を把握するために、エクセル、専用システムを使って管理されている。正面にはパソコンスクリーンに挟まれるように置かれたカラフルな専用モニター画面、右側にはブローカーやセールスとの対話に使うマイクロフォン、左側には特別な電話システムが配置され、液晶画面に等間隔で無数に並ぶボタンは、取引相手との直通電話を即座にかけられるように、あらかじめ登録してあるものだ。山城は、おもむろにディーラーフォンと呼ばれる黒い受話器を取り上げ、目の前にある端末機器のボタンの中から、天井のスピーカーに繋がるものを押した。
「Morning, Everyone. I will run the meeting in the morning as usual.(おはようございます。時間になりましたので、いつもどおり進めさせていただきます)」
山城が流暢な英語で言うと、フロア中に声が響き渡った。クリムゾン・マイヤーズは、債券ハウスの名門として名を馳せており、日本国債トレーダーが朝会の司会役を担うことが慣行となっていた。調査部、外国債券トレーダー、デリバティブトレーダーが、5分刻みでコメントを残し、いよいよ山城の番になった。
「昨日は米債安となった地合いを反映する形で先物は反落しました。需給面での不安には乏しく、日銀がオペを通告したことで相場は下支えとなり、134円の65銭から89銭の値動きでした。本日は20年債の入札がありますが、客からは今日の入札にさほど積極的な注文は入っておらず、利回りからいっても特に魅力的なレベルではないため、注意深く見守る必要がありそうです。相場の高値警戒感を背景に、利益確定売りや戻り売りが多少出てくるでしょう。入札を控えたヘッジ売りも影響しそうです。ただし積極的な売りニーズが引き続き乏しいので、金利反発余地は限られると思います」
山城は話し終えると、受話器の先端を使って目の前のボタンを押して電話を切った。それから同業他社のトレーダーと情報交換のために電話をかけ、受話器を耳にかけながら、海外支店で働くセールスに顧客動向を確認するため、ブルームバーグチャットでメッセージを送った。
午前9時、東証で国債先物(債券先物)の売買が開始されると、クリムゾン・マイヤーズのトレーディングフロアは熱気と喧騒の渦に包まれ、戦場さながらの張り詰めた空気が流れた。山城は、各ブローカーの取引用端末、債券先物、ブルームバーグ画面など、あらゆる所に絶えず視線を走らせる一方、セールスからの注文に応えていく。市場取引に関わる業務は、フロントオフィスと呼ばれるトレーダー、セールスがしのぎを削って市場と対峙している。債券取引では、トレーダーが会社を代表して市場と直接取引する一方で、セールスは、トレーダーのポジション状況を把握して、外部の情報を取りにいく。セールスは、年金機構、銀行、保険会社といった顧客と密接に関わり合い、社内のトレーダーと顧客双方の要望をつなぐ橋渡し役を担うのである。トレーダーが在庫を抱えている債券を処分したいときには、まずセールスマンに状況を説明してから顧客に売りつけなければならず、その逆もまた同様である。優秀なセールスマンには、顧客は資産運用状況をあえて開示するため、絶妙なバランスで自社のトレーダー、顧客の運用益を最大化するために奔走するのだ。
セールスは席を立ったり、座ったりしながら、顧客との対応に追われている。電話の音が絶え間なく鳴り続け、ワイシャツの袖をまくりあげた米国債券を担当する屈強な外国人トレーダーの発する英語が、日本国債セールスとトレーダーの価格提示の引合いに交じって聞こえてくる。
市場の動きは比較的堅調で、株式市場と逆相関する形で債券市場が作られていく。予想どおりの値動きに合わせるように、山城はセールスから飛び込んでくる注文に淀みなくプライシングしていき、必死に専用システムに取引の詳細を入力していく。山城は、運用資産の組み合わせであるポートフォリオが、顧客の取引によって歪んでくると、即座に席の前に置かれるブローカー端末のスピーカーに向かって叫ぶように大声を出し、取引を発注する。
債券トレーダーは、主に2つの選択肢を使ってポジションを作り上げていく。証券会社間の売買を仲立ちするブローカーと機関投資家と称する銀行や生命保険会社などの顧客である。トレーダーは最悪顧客がいなくても商売はでき、対ブローカーとの取引を専門としたトレーディングデスクもあるが、日本国債市場は、顧客の一挙手一投足が大きく市場に反応するため、さまざまな情報を入手する意味でも、トレーダーはその時々の状況に合わせて巧みに使い分けている。
午後3時に近づくと、売買が活況を迎え、市場で引値合戦が始まる。債券は取引所取引ではないため、終値が存在しない。引値は、午後3時時点の気配値を参照して、各社の提示価格をもとに決定される。そして、その基準となるのがミッドプライスと呼ばれるビッドサイド(買い気配)・オファーサイド(売り気配)の真ん中の値段であるが、本来の市場実勢よりも意図的に安い、または高い注文指図を出せば、“見た目”のミッドプライスを有利な方向に傾けることができる。トレーダーは、債券ブローカー最大手が発表する引値の気配値を動かして、少しでも自分の損益をよく見せようとする。多くの証券会社では、ブローカーの引値を使って日々の損益を計算しているため、こうしたことが起こるのである。山城は、発表されたブローカーの引値を見ながら、自分の損益表を作成し、債券本部長の橋爪隆に、市場概観も含めてメールを送った。
丸の内の空にうっすらと夕陽が差し、トレーディングフロアは落ち着きを取り戻していた。山城は、同業他社のトレーダーに電話をかけ、今後の市場予測や世間話をしている。左手で受話器を持ちながら、右手の肘を椅子の背もたれにかけて、ときおり大きな笑顔を見せていた。
ロンドン市場が開けると、セールスを通して海外投資家から注文が入り、電話を中断して応えていく。山城は、頭がぼーっとするのを感じた。100件を超える注文にミスプライシングをしないように神経を研ぎ澄ましていたため、倦怠感が募っていた。ふと携帯電話を見ると、大学時代の友人から飲みの誘いのメールが入っていたが、とてもそんな気分にはなれなかった。
山城は激しい疲労感を覚え、自室で独りクラシックでも聴きながら眠ろうとタクシーに乗り込んだ。研ぎ澄まされた集中と緊張が一気にほぐれていくのを感じ、その瞬間意識が遠のいていった。どれくらいの時間が経ったであろうか。外に目を向けると、白金台の駅前を走っていた。街の明かりが消耗した体を労わるように静かに車内を照らした。山城はタクシーの後部座席に深く身を埋め、ブラックベリーを脇に置き、市場の重圧からの解放感からか、再び眠気を催し、瞼の重みにまかせるようにゆっくりと目を閉じた。
※次回は明日公開予定です。
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