2. 2015年10月27日 04:06:32
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「悪者」なき不正会計、東芝とカネボウの類似性第12回 経営共創基盤 冨山和彦・代表取締役CEO (1) 2015年10月26日(月)慶応ビジネス・スクール 慶応義塾大学大学院経営管理研究科(慶応ビジネス・スクール)は今年4月、日本で初めてエグゼクティブに特化した学位プログラム「Executive MBA」を開設した。 今回は経営者の能力と魅力の原点を突き詰めて自身のリーダーシップと経営哲学を確立する力を養う「経営者討論科目」の中から、冨山和彦・経営共創基盤代表取締役CEO(最高経営責任者)が行った授業を掲載する。テーマは「挫折からすべてが始まる 〜乱世の時代のリーダーへの道」。東芝の不正会計問題を切り口に、企業のリーダーに求められる資質を明らかにしていく。 日本を代表する名門企業で長年にわたり、なぜ不正会計が続いたのか。背景を探ると、日本企業ならではの「共同体的性格」が浮き彫りになる。かつて冨山氏が再生にかかわったカネボウの不正会計とも、類似性があることを指摘する。 (取材・構成:小林佳代) 今日の講演のテーマは「挫折からすべてが始まる 〜乱世の時代のリーダーへの道」です。企業だけでなく国家も地方自治体も大学もリーダーは経営を担っていかなくてはなりません。 僕はコンサルタントとして、または再生請負人として、様々な局面に置かれたリーダーを見てきました。そういう生々しい経験の中から、リーダーがどんな資質や能力、スキルを備えていなくてはいけないのかということを、皆さんと一緒に議論していきたいと思います。 冨山和彦(とやま・かずひこ)氏 1985年東京大学法学部卒業。同年ボストンコンサルティンググループ入社。92年スタンフォード大学経営学修士及び公共経営課程修了。2001年コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年に産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。2007年に解散後、経営共創基盤を設立。現在、オムロン、ぴあの社外取締役、みちのりホールディングスの取締役を務める。経済同友会副代表幹事。近著に『IGPI流 経営分析のリアル・ノウハウ』(PHPビジネス新書)、『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』(どちらもPHP新書)、『稼ぐ力を取り戻せ!―日本のモノづくり復活の処方箋』(日本経済新聞出版社)、『ビッグチャンス』(PHP研究所)など。(写真=陶山勉、以下同) その切り口として、今年、経済界を揺るがせている東芝の不正会計問題について考えてみましょう。
東芝は9月、不正会計で遅れていた2015年3月期連結決算と2009年3月期から2014年4月〜12月期までの決算訂正を発表しました。同時に過去7年分の決算を訂正。利益の減額は当初の予想を上回る合計2248億円に達しました。組織ぐるみで不正な会計操作をしていた実態が明らかになり、歴代社長3人が辞任するという大変な不祥事となってしまいました。 10年前のことです。カネボウでも粉飾決算がありました。ちょうど今回の東芝と同程度の非常に規模の大きな粉飾です。この時には元社長ら経営陣、監査法人の担当者ら7人の逮捕者を出しています。その後、カネボウは上場廃止となり、実質破綻しました。 どちらも長年、不正をコツコツ積み上げる 粉飾が起きた経緯、構図など、今回の東芝のケースはカネボウと非常に良く似ています。どちらも社長ら限られた数人で「こういうふうに数字を仕立てよう」と陰謀を巡らせた形跡はありません。トップから出た「チャレンジ」とか「決算を何とかしろ」という指示に対し、現場があれこれ忖度して色々なことを起こしてしまったという形で、悪者が誰なのか、明確には分かりません。そのため、トップが代わっても、悪事が続いていきました。 東芝もカネボウも不正額は巨額なのですが、数百億円もするような大きな案件はありません。数千万円、数億円、せいぜい数十億円という不正が積もり積もって2000億円超になっています。変な表現ですが、長年にわたってコツコツと積み上げた不正会計です。何らかの形で不正会計にかかわった社員は何百人もいるはずです。 かつて米国で起きたエンロンやワールドコムなどの粉飾事件は非常に分かりやすく「ハリウッド映画型」です。最高権力者が悪者。その悪者の明確な意思に基づいてとんでもないことをやっています。日本企業と異なり、最高経営責任者(CEO)が多大な権力を握っている米国企業の権力構造が影響した不祥事といえます。
日本でも少し前にオリンパスで粉飾決算が起きています。これは東芝やカネボウとは異なり、限られた数人が陰謀を巡らせたパターンです。財テクの失敗で1000億円もの穴をあけてしまった。この巨額の損失を表に出すと会社の経営に響くということで口に出さずに一生懸命隠し続けたわけです。 私は産業再生機構のメンバーとしてカネボウの再生に携わりました。その時、「こんな形の不正会計が起きることはもう二度とないだろう」と思いました。立派な一部上場企業で何年にも渡りコツコツと不正が続くというのは、極めて特殊な環境でなくては起こり得ないと思ったからです。それが再び東芝で同様の不正が起きたのですから、本当に驚きます。 社員は「空気読め」の圧力に負けた? カネボウと東芝は不正会計以外にも似ているところがあります。 カネボウを代表とする繊維産業は、皆さんご存じの通り、20世紀前半の日本の基幹産業でした。国の代表的な輸出商品であり日本経済を牽引する存在。今日の自動車産業のような位置づけだったのです。中でもカネボウは業界の中で古い歴史と伝統を持つ超名門企業でした。 創業140年を迎える東芝も、カネボウ同様の名門企業です。高学歴のエリートたちが数多く勤める企業です。そういう企業で、これほどの巨額の不正が起きてしまいました。しかも、カネボウ事件をきっかけに、上場企業や連結子会社に対し会計監査制度の充実と内部統制強化を求める「日本版SOX法」が整備されていたにもかかわらずです。 東芝は「委員会等設置会社」になっていて、形式上はコーポレートガバナンスの優等生でもありました。 さて、ではここで皆さんに質問です。 東芝ではなぜ、今回のような不正会計が起きたのでしょうか。果たして、何が原因だったのでしょうか。 この問いに正解はありませんから、思うところを自由に言ってみてください。 受講者:元社長の西田厚聡さんは日本経団連の会長を目指していて、なんとしても会社の利益を出したかったのだと思います。ところが、その頃は西田さんの前任の岡村正さんが日本商工会議所の会頭です。 経済団体のトップ2人が同じ企業出身というわけにはいかず、結局、会長にはなれなかった。西田さんと確執のあった後任の佐々木則夫さんは、西田さんが射止められなかった「財界総理」の座を狙った。こういうところから負の連鎖が始まったのではないでしょうか。 若い社員はなぜ無視できなかったか メディアではそういう分析がされていますよね。でも、トップの人たちにはそういう動機があったのかもしれないけれど、現場は無視すれば良かったんじゃない? 若い社員からしたら、すごくダサイ動機ですよね。「財界総理」なんてもはや死語でしょう。自分の直接の人事権を持っている人たちではないし、どうして無視できなかったんだろう。 受講者:社長は取締役の人事権を持ち、取締役は本部長の人事権を持ち……という具合に連鎖的に力が働くから、「言うことを聞かないと部長になれないな」と思った。 「お前、ちょっと空気読めよ」という感じになっていたと。なるほど。そういうことはあるかもしれないですね。 共同体を支配しているルールが心を支配した
受講者:トップから「何とかしろ」と言われて、社員たちはその期待に応えたかった。やってはいけないことも正当化した部分があったのではないでしょうか。 やっていた人は、社会的に正しいことだと思っていたのかな。 受講者:もちろん、正しいこととは思っていなかったはずです。やっている人は気持ち良くなかったでしょう。仲間と飲んでいる時などには、そんな愚痴も出ていたかもしれません。 でしょうね。嫌悪感しかないよね。100円の価値しかないものを500円の価値に見立てて利益を水増ししていたわけでしょう。「もう、これ以上は無理だよな、決算対策」って思っていたはずだよね。 あんなに頭の良い人たちが集まる組織で、どうしてこんな負の連鎖が起きてしまうというのは不思議ですよね。 受講者:巨大な組織だからこそ起きた出来事ではないかと思います。現場では、前例主義の中でそれぞれの行動に正当性を見出して動いている。それが会社全体として正しいかどうかの判断は上の人間に委ねてしまっているのではないかと。 なるほど。会社の中ではああいう不正は黄色信号だった。ある時まではみんな止まっていたけれど、ある時から渡り始めた。会社の規範に染まっていると、黄色で渡る人が褒められる。だんだんエスカレートして、赤信号でもちょっと渡ってしまうようになったという感じですかね。 受講者:そういうことはあってもおかしくないし、東芝だけでなく、大企業は多かれ少なかれそういう面があるのではないかと思います。 そうですね。大企業の中には、何十万人という社員がいて、小さな国と同じぐらいの規模を誇る組織もあります。しかも、日本の企業というのは良くも悪くも共同体的になります。原則として新卒一括採用で入社して、40年ぐらい勤める前提になっていますからね。ある国の国民に近いわけです。 そうすると、共同体を支配している約束事やルール、何が褒められて何が褒められないのかといったものが、明示的なもの、黙示的なものを含めて、非常に重要になります。 1日の大部分を会社の中で生きているのですから、社会一般としての規律、ルールよりも、企業共同体の中の規律、ルールが心を支配するという現象が起きてもおかしくはないですね。これがさらに悪くなると、犯罪行為が出てくることもあります。環境汚染の問題とかね。 「ばれたら『財界総理』になれないから隠そうぜ」と言われた時に一人ひとりの会社員に何ができるのかというのは確かに難しい問題ですね。 東芝の事件も、カネボウの事件も、日本企業ならではの「共同体性」が大きく影響したと私は思います。 日本的経営の元祖だったカネボウ
実は、共同体的な組織の問題は、日本企業のそこここに見え隠れしています。 例えば機関投資家。世界的に見て、日本の機関投資家は劣等生と位置づけられますが、これは、共同体性から生まれる動機付けが影響しています。 日本の機関投資家の行動パターンは「遅れ順張り」。上昇トレンドの時に買い、下降トレンドの時に売るのが順張りですが、それが遅れる。がーっと上がり始めると後から追いかけて買い、下がり始めると追いかけて売る。これだと絶対に儲かりません。 投資は基本的に逆張りが正しい。安い時に買って高い時に売ってこそ儲けが出ます。 「中国リスクが表面化して株価が下がった」という時にバンと買いに出る。実際、米国の機関投資家はこうやって買っています。 なぜ、日本の機関投資家はこれができないか。共同体的な組織だからです。逆張りで投資をして成功すれば良いけれど、失敗するととても目立ってしまいます。共同体の中で致命傷を負ってしまうわけです。遅れ順張りで損をするならば、他社と同じ。あそこもここも損をしているから、「この環境で損をするなら仕方ないね」ということで済む。 こういう動機付けの中で生きていると、克己心を持って「日本の機関投資家の未来を拓くために頑張る」とやるのは不可能です。 他社の動向を気にするというのは、機関投資家の世界に限りません。一般の会社でも自分の会社が損をしていても、よその会社も損をしているなら、まあ、こんなもんだろうと思うわけです。そこでよその会社が儲かっていたらすごく焦ります。良くも悪くも共同体として動いているのですね。 実はカネボウは共同体的企業の元祖ともいえる存在です。 日本企業が共同体的色彩を持つようになったのは戦後のことで、戦前の日本企業ははるかにむき出しの資本主義に基づいていました。繊維業界にしろ、探鉱業界にしろ、かつての日本企業は、『ああ、野麦峠』という本に描かれたように、資本家が労働者から搾取して利潤を得る形だったのです。 こういう激烈な資本主義の仕組みに疑問を持ったのが1921年に社長に就任した武藤山治。工場を近代化し、工場内に女学校をつくり、基礎能力の高い女工さんを集めて育てることを始めました。 いつしか共同体の維持が目的に 搾取するモデルの場合、工員が長く働くと賃金が高くなってしまうので経営側としては早く辞めてもらった方が有り難いのですが、カネボウのように人に投資をしている場合はすぐに辞められては困ります。 人を大事にして、長く働いてもらうことを志向しました。そこで働く人たちの価値観や情緒に非常にマッチしたのでしょう。当時の言葉で家族主義経営、温情経営といわれたこのモデルは、大成功します。こうして、カネボウは日本的経営の原型をつくった会社の1つになったのです。 結果的に、カネボウは共同体的な意識の強い集団になりました。当初、武藤は経済合理性を考えて、こういう経営システムを採用したはずです。ところが、いつの間にか手段が目的化してしまった。出来上がった共同体を共同体として維持することが目的になってしまったのです。その果てに行き着いたのが巨額の粉飾決算でした。 このコラムについて 慶応ビジネス・スクール EXECUTIVE この連載では、慶応ビジネススクールで展開されているエグゼクティブ向けMBA課程のエッセンスを紹介。日々のビジネスに奮闘する読者の問題解決のヒントを提供します。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/280921/100800010/?ST=print
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