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GPIFのHPより
公的年金、「必ず劣る」ESG投資を強いる安倍政権の「ベンチのアホさ」
http://biz-journal.jp/2015/10/post_12007.html
2015.10.19 文=山崎元/楽天証券経済研究所客員研究員、マイベンチマーク代表 Business Journal
昔の話になるが、在阪人気プロ野球球団のエース・ピッチャーが、「ベンチがアホやから、野球がでけへん」と言い放って監督以下のマネジメントを批判したことがあった。同様の思いを持つサラリーマンなどの間で、これは大いに共感を呼び、流行した台詞となった。
130兆円を超す日本の公的年金(厚生年金と国民年金)の積立金を運用するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用スタッフは今、件のピッチャーと似た気分になっているのではないか。
報道によると安倍晋三首相は9月27日(日本時間28日)、国連サミットの全体会合における演説で、投資先を決める際に環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に配慮した企業を選ぶように求める国連の「責任投資原則」に署名したことを明らかにしたという。
俗に、これら3点に配慮して投資銘柄を選ぶ投資のことを「ESG投資」と呼ぶ。GPIFは公的年金積立金の運用に、どの程度の金額か現時点では不明だが、ESG投資を行う運用を採用することが求められることになりそうだという。
GPIFは昨年、安倍政権の意図を汲んで、株式と外貨資産の投資比率を大きく引き上げる運用計画を策定し、着々とリスク資産の投資を増やしてきた。この際、リスクへの考慮を行う以前に、いきなり目標とする投資収益率を決めるような、運用の常識から外れた厚生労働大臣の指示(実際には厚労省年金局が愚かだ)に従って、運用計画をつくることを余儀なくされた。
首相がオーナーで、厚労省年金局長が監督なのか、正しい比喩は難しいが、運用現場の専門家達にとって「ベンチがアホ」であることはまことにお気の毒だ。
国連は、ESG投資の原則を2006年から導入している。この点に関して国連はまったく賢くないが、ビジネスと社会運動を絡ませた連中が一枚上手だったということだろう。わが国の首相の考えは、ESG投資が「持続可能な開発の実現に貢献することになる」というもののようだ。
■「必ず劣る運用」
安倍首相の理解レベルを推測すると、日本の公的資金の投資が、E・S・Gを意識することは、海外から褒められるような麗しい話だと心から思ったのだろう。恐らく悪意、たとえばESG投資を商売とする連中に協力するような意思はない。投資や運用業界に詳しいと自認する側近に、「海外ではESG投資が注目されています」というくらいのことをいわれて、真に受けたのだろう。
現実のESG投資の実行方法には、個々に細かな差があるが、概ね環境に負荷を掛けるようにビジネスを営む企業、社会的に望ましくないことをビジネスにする企業、ガバナンスが悪いとされる企業などの株式や社債に対する投資が、除外ないし抑制されるような資金運用が行われる。
大雑把にいうなら、「社会的に望ましくない企業」に投資しないのだ。たとえば、現在話題になっている企業でいうと、ディーゼル・エンジンの排気に関する規制を意図的にごまかしたドイツのフォルクスワーゲン(VW)や、不正な会計操作を組織ぐるみで行った東芝のような会社には、投資されないことになる。
VWについては不正の実態と影響の全貌がまだ明らかになっていないが、問題が表面化して「VW=悪」というイメージができれば、ESG投資の資金にあっては、この情報を反映してすでに大きく下落している同社の株式を売却しなければならない。
その売却が今後の追加的な損失を防ぐことはあり得るが、ESG投資の運用ルールとしては、仮にVWの株価が不祥事の影響を十分織り込んだ水準のはるか下にまで下落したとしても、同社の株式を買う事ができない。運用のあり方として、これはかなり不自由・不都合な制約だ。
もちろん、こうした不自由が「結果的に」プラスに働くことがあり得ないわけではないのだが、運用判断に対して手数料を払って運用サービスを買っている側からすると、運用判断を制約するESG投資は、「純粋に運用効率において、ベストの運用(として意図しているもの)」と比較すると、(判断レベルでは)「必ず劣る運用」であることは、論理的に間違いない。
■論理的に不適切な年金運用
問題は、公的年金の積立金は、その積立金の所有者を年金加入者・政府のいずれと考えるとしても、「他人のお金」であることだ。
年金運用の世界では、運用を委託された者は、資金の委託者に対してベストであることのみに専念することが求められることだ。日本風には「受託者責任」、米国風には「プルーデントマン・ルール」などと呼ばれる。
ESG投資は、運用として最高の効率をなにがしか捨てて、投資資金による社会的影響力の行使を意図するものだが、これは百歩譲って自分のお金でやるならいいとしても、他人のお金をこのような方法で扱うことには問題がある。
たとえば、読者が投資顧問会社に自分自身のお金の運用を任せた時に、「儲けの一部を慈善団体に寄付しておきました」といった事後報告をファンドマネジャーから受けたら、これは変だと思うのではないか。当然のことながら、寄付はお金を持っている人が自分の意思でやればいい。運用は最善の効率で行い、稼いだお金の使い方は持ち主が決める、と整理するのがわかりやすい。
公的年金の積立金は、そもそも国が大規模にリスクを取って運用するという制度設計からして良くないのだが、百歩譲ってGPIFによる運用の効率性向上が重要だとするなら、この資金を「ESG投資」のような、国際世間向けに格好はつくかもしれないが、運用そのものとして論理的に不適切なものに振り向けるべきではない。
巨額の資金を運用するGPIFにあって、現実の資金運用の利回りへの影響は微々たるものであるかもしれないが、それでも、全体の中の比率は小さくても、投資される金額自体を小さいということができる運用者はいまい。論理的におかしくて非効率的な運用に資金を振り向けることは耐えがたいと思う人物がいてもおかしくない。
アベノミクスの金融緩和政策はいいのだが、これに年金資金を利用したり、運用の常識を曲げたりするような、資金運用に関する安倍政権の「ベンチのアホさ」は修正しなければならない。
(文=山崎元/楽天証券経済研究所客員研究員、マイベンチマーク代表)
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