2. 2015年10月21日 08:46:34
: jXbiWWJBCA
今年のノーベル経済学賞、ディートン教授のすごさとは消費行動実証モデルの革新から長期経済発展の分析へ2015年10月21日(水)黒崎 卓 2015年、ノーベル経済学賞を受賞したアンガス・ディートン米プリンストン大学教授(写真:ロイター/アフロ) スウェーデン王立科学アカデミーとスウェーデン中央銀行は、2015年のノーベル経済学賞にプリンストン大学(米ニュージャージー州)のアンガス・ディートンを選んだ。ディートンは、1945年10月にスコットランドのエジンバラで生まれ、現在も英国と米国の両方の国籍を持っている。
1975年に英ケンブリッジ大学で博士号を取得後、英ブリストル大学の経済学教授に就任し、1983年に米プリンストン大学に異動。アメリカ経済学会会長や世界銀行のアドバイザーなどを歴任し、今回のノーベル賞受賞となった。 以下本稿では、彼の経済学への貢献に関し、開発途上国の貧困問題における実証分析を専門としてきた筆者の目から、解説したい。 ピケティとは対照的な不平等研究 授賞理由は、「消費、貧困と厚生に関する分析」である。要は、人々の生活水準を決定する根本的な構成要素である消費のさまざまな側面について、我々の理解を深め、現代のミクロ経済学、マクロ経済学、そして開発経済学の刷新に貢献したことである。 フリッシュ・メダル(エコノメトリック・ソサイアティが過去5年間の最優秀論文に与える賞)の授賞から40年近くたち、今回評価された業績も基本的に1990年代までの仕事であることを考えると、ディートンのノーベル賞受賞は遅かったように思われる。ピケティの不平等研究が大いなる関心を呼んでいることが、このタイミングで受賞が決まることの追い風になったという説もあるが、筆者にはその真偽は分からない。 同じ不平等研究でも、ピケティの手法が所得分配の最上位層に焦点を当てたものであるのに対し、ディートンの手法は所得分配全体をバランスよく捉えた上で、分配の最下層(貧困層)に焦点を当てる点で対照的である。貧困家計や途上国への深いシンパシーに支えられているのが、ディートンの経済学である。 消費需要関数を用いた実証分析の革新 1978年に創設されたフリッシュ・メダルを、最初に受賞したのがディートンだった。授賞対象論文に代表されるディートンの初期の研究は、John Muellbauerとの共同研究として、「A.I.D.S.」という新しい消費需要関数のモデルに結実した。これをまとめた著作が『Economics and Consumer Behavior 』(Cambridge: Cambridge University Press, 1980)だ。 A.I.D.S.とはAlmost Ideal Demand Systemの略である。「エィ・アイ・ディー・エス」と呼ぶ人もいれば、「エイズ」と呼ぶ人もいた。世界にまだエイズ(AIDS: Acquired Immune Deficiency Syndrome)が広まる前の話である。HIV/AIDSの蔓延を予見していれば、ディートンは別の名前を付けていたかもしれない。 A.I.D.S.は画期的な消費のモデルであった。なぜなら、それ以前の消費分析においては、理論分析と計量分析との間には顕著な乖離が存在した。具体的には、理論分析では明示的な関数形を決めず、消費財価格と所得の一般的な関数として、数理解析的な分析だけをするのが主であった。一方計量分析では、政策上重要な財に関して関数形を便宜的に定め、データの当てはまりとコンピュータの能力の中で推定可能なことを重視した。 そこでディートンは、消費者理論から導出された需要システムでありながら、柔軟な所得や価格の弾性値のパターンを許し、データから実際の消費行動を明らかにできる実証モデルとして、A.I.D.S.を提示した。 理論的には需要パラメータの高度に非線形な関数となる価格指数を、便宜的に近似することによって線形関数に変換し、当時の限られたコンピュータの能力でも簡単に推定できるような工夫を凝らしていたのもA.I.D.S.の特徴であった。当時の研究環境においてはまさに、「ほとんど理想的な」(almost ideal)消費需要関数のモデルだったといえよう。 A.I.D.S.は、さまざまな国で消費需要関数の推定と政策分析に用いられ、この分野の実証分析を革新した。しかし近年は、あまり使われることがなくなった。A.I.D.S.よりもさらに柔軟に各種弾性値を推定できるシステムが理論的に考察され、コンピュータ能力の向上のおかげで、高度に非線形なシステムの実証モデルをそのまま連立方程式推定することが容易になったためである。 しかしこのことは、ディートンの貢献の意義を薄めるものではない。彼のA.I.D.S.が世に現れたが故に、その後、このような柔軟な需要システムを理論的に導出し、現実のデータに当てはめる実証研究が花開いたのである。まさにこの意味でディートンの研究は革新的かつ先駆的だった。 開発途上国の家計消費に関する理論・実証研究 続くディートンの研究は、開発途上国の家計消費に向けられた。平均で所得が低く、かつ金融や保険など多くの市場が十分に発達していない途上国家計の消費は、先進国の家計の消費とどのように異なるのであろうか。 ディートンによる一連の理論的な研究は、所得が農業の豊不作などの理由で大きく変動するという不確実性、信用市場が未発達であるが故に、所得の思いがけない落ち込みを借金によってしのぐことが難しいという信用制約ないし流動性制約を指摘し、これらに対応するために穀物などを貯蔵することがどのくらい有効なのかなどを明らかにした。 これらの成果は、ディートンによる著作『Understanding Consumption』 (Oxford: Clarendon Press, 1990)に集約されている。ただしこの本は、以上の問題を主に理論的に示し、必ずしも途上国に限った説明をしているわけではないことから、幅広く消費の研究者に用いられることになった。 同時にディートンは、途上国家計の消費に関して、以上のような理論モデルがどれほど有効かを実証的に明らかにするための研究にも取りかかった。しかし、利用可能なデータを用いての実証作業はすぐに限界に達した。 途上国の家計については、そもそも各種の財・サービスごとの詳細な消費データは限られているうえに、流動性制約や不確実性の問題に対応することができるパネルデータ(同じ家計の消費を複数年度について調査したデータ)が、ほとんど存在しなかったためである。 そこでディートンが着目したのが、1979年に開始された世界銀行のLSMS(生活水準指標調査:Living Standard Measurement Study)プロジェクトだった。このプロジェクトは、生活水準、貧困、不平等問題に関する総括的な家計調査で、国民所得勘定にも対応した国際比較可能なミクロデータが収集され、パネルデータ作成も可能な限り試みられていた。 ディートンは、LSMSプロジェクトのホームページに多くの報告書や論文を寄稿し、いかにして途上国家計の厚生を正確に把握すればよいかについて、現在も頻繁に引用される研究成果を残した。 LSMSの成果もあって、ある程度正確・詳細で標本数も大きいミクロデータが、途上国家計に関しても利用可能になってきた。そしてこのようなデータを用いた厚生分析の標準化という意味で、画期的なディートンの著作が1997年、世界銀行から刊行された。『The Analysis of Household Surveys: A Microeconometric Approach to Development Policy』(Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1997)である。 本書ではまず、家計調査の設計とサンプリングについて詳しく解説した上で、家計レベルの厚生や貧困の分布、栄養と子どもの健康と家計内資源配分、価格や税制変更のインパクト、そして貯蓄と消費平滑化という4つのテーマに関する分析手法を示している。 本書は、すべての解説が統計学とミクロ経済学の理論に基づいていることと、途上国のデータを用いてどのように家計データを分析し、有意義な政策含意を出すことができるかに関して統計分析ソフトウェアSTATAのプログラム例とともに丁寧に示していることの2つに特徴がある。本書により、途上国家計の貧困分析における、いわば「ディートン・スタンダード」が確立された。 健康状態の長期変化、経済発展と幸福度に関する探究 その後ディートンの関心は、長期的な生活水準の変化という経済発展の大きな問題に移り、生活水準の指標も、消費支出から健康面や主観的幸福度などに広げられた。現在もなお、驚くべきペースで研究論文を発表し続けている。 この分野での代表的研究成果として、『The Great Escape: Health, Wealth, and the Origins of Inequality』(松本裕訳『大脱出;健康、お金、格差の起源』みすず書房、2014年)が挙げられる。ディートンの著作のうち翻訳されている数少ないものであり、書評でも多く取り上げられたので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。 本著の重要なメッセージは、所得の成長が健康改善の主たる要因だったわけではなく、制度の質の違いとそれが生み出す知識の差が重要だ、ということである。このことは、現代社会における厚生の改善を低所得途上国の最貧困層にまで届ける上で、経済成長推進以外に工夫する余地が大きいことを意味する。 途上国への開発援助はそのような工夫を考えるのにうってつけであるから、ディートンもまた、途上国への援助戦略とそれを支えるエビデンスに関し、数多く発言してきた。例えば2008年の大英学士院(British Academy)ケインズ講演では、ディートンは、政策介入のインパクトを測る際の代表的な2つの手法それぞれを辛辣に批判している。 マクロの援助効果分析では、そもそも経済状況の悪い国に対して援助が向けられる傾向がある中で、援助がその国のマクロ経済を改善したかどうかを明らかにする必要がある。そのため、援助額の変化のみに影響を与え、マクロ経済指標には直接影響を与えないような操作変数を用いた計量分析が、伝統的に使われてきた。 ディートンは、操作変数によって影響を受けるような局所的な効果を測るというそもそもの発想自体に疑問を投げかけ、経済学的メカニズムをより考慮に入れた、誘導型分析の重要性を指摘している。 ランダム化比較実験には疑問呈す 他方、ミクロの援助プロジェクトの評価で近年頻繁に用いられるようになったのが、ランダム化比較試験(randomized controlled trial: RCT)である(編集部注:ランダムに研究対象を2つに分け、一方に評価する必要のある施策を施し、もう一方には違う施策を施す実験)。 RCTに対してディートンは、「そもそも人間を対象にきちんとランダム化が達成されているのか」に対する疑問を呈した上で、仮に適切にランダム化されていたとしても、平均の効果が分かればよしとし、効果の分布に十分配慮せず、ミクロ経済学的構造に関心が薄いRCT研究の傾向を嘆いている。 彼はその初期の研究から一貫して、データとミクロ経済理論のバランスを強調してきた。言い換えると、データに語らせることを重視つつも、理論なき計測・統計的検証には徹底して批判的だった点こそ、われわれがディートンの経済学から学ぶべきことであるように感じられてならない。 このコラムについて ニュースを斬る 日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/101900111/
[32削除理由]:削除人:関連が薄い長文 |