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浜田氏は、「多くの経済学者は、旧日銀流の「金融政策無効論」にとらわれている。そのことは、安倍政権の経済政策「アベノミクス」が成功したという事実により反証された」と説明しているが、黒田日銀の「異次元量的金融緩和」政策が、デフレ脱却や円安化という観点からみて成功したとは言えない。
まず、1ドル=80円前後の円高から円安傾向に転換した時期は、野田政権・白川日銀総裁時代の12年10月である。黒田日銀の「異次元量的金融緩和」政策は翌13年4月にスタートしている。株高も野田政権時代に始まった円安傾向の恩恵だから、安倍政権や黒田日銀が“自負”できるものではない。
(円安に転換したいちばんの要因は、12年9月にECBが南欧諸国分を含む国債の無制限買い取りを表明したこと。日銀の量的緩和は円売りの安心材料)
13年度から14年度にかけてのCPI上昇も、円安の“余波”と消費税増税に伴う価格引き上げ努力によるものである。(14年夏までの原油高も貢献)
それゆえ、円レートが一定水準で推移し、消費税税率も同じ水準、さらには1/2という驚異的な原油安になるとデフレ基調に逆戻りしたのである。(コアコアCPIを持ち出して言い訳をしているが、参考にはなるとしても、デフレ脱却の基準を勝手にチェンジするような姿勢は論外)
金融政策の有効性を否定するものではないが、日銀当座預金残高をひたすら積み上げるかたちでベースマネーを増大させるだけで、貸し出しの変化(これこそが金融緩和の成果)を表すマネーサプライがわずかしか増加していない現状は、デフレからの脱却とか成長軌道に復帰したとは言えるものではなく、「安倍政権の経済政策「アベノミクス」が成功したという事実により反証された」とはならない。
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プラザ合意30年
(上)金融政策の失敗、傷口拡大
浜田宏一 エール大学名誉教授
1985年9月22日、日米欧当局がドル高是正で合意した「プラザ合意」から、まもなく30年を迎える。
85年当時、高度成長を遂げた日本経済は米国にとってまさに学ぶべき対象だった。記録的な厳冬に、筆者もシカゴ大経済学部で日本経済の講義を1学期だけ依頼された。
インフレ退治に全力投球した米連邦準備理事会(FRB)のポール・ボルカー議長の金融緊縮政策と、レーガン大統領の金持ち優遇減税政策が功を奏しすぎていた。その結果、米国は高金利とドル高に見舞われ、シカゴの街の物価水準も当時の1ドル=約250円で換算すると、日本より割高だった。当然のことながら、米国は輸出不振で悩んでいた。
円高は、基本的には日米の金融政策のスタンスの差で生じるので、米国は自国の景気振興に十分なだけ金融緩和をすれば輸出の不振は解決できたはずだ。ところが、おそらく米国のリーダーシップのもとに、主要5カ国(G5)は為替相場を直接の目標にしてドル高を解消し、この事態を乗り切ろうとした。そのため必要な各国の通貨政策の国際的協調を実現しようとした。
この企ては秘密裏に計画された。85年9月、当時の竹下登蔵相はゴルフに出かける装いをしながら、車の中で背広に着替えてニューヨーク行きの航空機に乗った、と行天豊雄氏とボルカー氏は回顧録で振り返っている。
会議はニューヨークのセントラルパークに面するプラザホテルで開かれた。プラザ合意直前に1ドル=240円ほどの円安だったのが、1987年2月にドル安阻止で合意した「ルーブル合意」直前には140円台まで円高が進んだ。
図は名目実効為替レートと名目国内総生産(GDP)伸び率の推移を示したものだ。円高になると円の購買力は上がる。日本の輸入品価格は下がり、海外旅行者は豊かになる。しかし日本製品の世界価格は上がるので、輸出業者や、輸入品と競合関係にある業者は競争条件が悪化し、日本経済にとっては逆風となる。
この30年間のうち最初の20年間の円レートの推移と、金融財政政策、マクロ経済との関係を年代別、エピソード的にまとめた黒田東彦著「財政金融政策の成功と失敗」(2005年)が大変参考になる。
多くの経済学者は、旧日銀流の「金融政策無効論」にとらわれている。そのことは、安倍政権の経済政策「アベノミクス」が成功したという事実により反証された。現代マクロ経済学のエッセンスを学者以上に理解する、黒田総裁のもとに現在の日銀があるのは幸せなことである。
プラザ合意後、円ドルレートは200円台から100円へ、さらに90年代には2桁台の円高となった。他方、93年ごろまで高い成長を続けてきた日本のGDPも停滞する。日本経済の長期成長を支えてきた労働力や外国技術導入などのファンダメンタルズ(基礎的条件)は、日本がいずれ低成長国になることを予見していた。しかし大胆に言えば、米国主導のプラザ合意は、日本を高度成長国の座から降ろす時期を速めたといえよう。
時系列を追って説明すると以下のようになる。
まず、プラザ合意後の協調介入は直ちに効果を発揮しだしたが、あまりにも円高が進行した。そこでルーブル合意でこの傾向を止めようとしたが、市場のドル安期待には歯止めがかからなかった。
それは当然、日本経済の収縮効果を生み、この対策として財政は拡張され、金融も緩和された。澄田智日銀総裁の時代である。今度はそれが行き過ぎになり、日本の株式、土地バブルの時代が到来した。日経平均株価は89年末に史上最高値を記録した。
バブル対策として今度は日銀が金融を引き締め、大蔵省(現財務省)も不動産融資の総量規制に乗り出し、金融の引き締め基調が長く継続された。三重野康日銀総裁を世間は「平成の鬼平」と持ち上げた。しかし引き締めはあまりにも強く、長すぎた。「あつものに懲りてなますを吹く」類いであった。期待に対する効果も考えると、日本経済のデフレ体質はこの時に始まったといってよい。
そして注目すべきは、00年8月のゼロ金利政策の一時解除や06年の量的緩和政策の解除は、日本経済が快方に向かおうとしている時に実施され、成長の芽を摘んでしまったということである。安倍晋三氏は首相就任前、筆者の質問に答えて「金融緩和政策をアベノミクスの主軸に据えたのは、せっかく日本経済が息を吹き返そうとする時に、日銀の主張でそれが阻止された実例をそばでちゃんと観察していたからだ」と述べた。
結果的にアベノミクスは、円高の解消には介入政策でなく、金融緩和政策が有効であるという、国際金融論の常識を証明した。その効果は、100万人以上の新規雇用創出や、労働指標の劇的な改善に表れている。
さて変動相場制が採用されてすでに久しいが、政治家、政策当局者、メディア、そして学者の間にさえ国際金融論の基礎的理解が十分でなく、妥当な政策の採用を妨げているように思う。
例えば、為替レートは基本的に関係国の貨幣供給量で決まる。しかし国際経済学者ルディガー・ドーンブッシュが明らかにしたように、通貨協調が為替レートを安定させられなかったのは、賃金価格に硬直性のある現実では、予想されない貨幣政策の変更は為替レートをオーバーシュート(行き過ぎ)させることが多いためだ。これが、プラザ合意やルーブル合意以後、為替レートが漂流してしまった理由である。
また変動制下では、国内のマクロ目標を追求する独立した金融政策が最も世界にとって望ましい。各国が国内の雇用や物価を目標にするならば通貨戦争は起きない。このことは理論的にも(岡田靖、浜田宏一)、歴史的にも(ジェフリー・サックス、バリー・アイケングリーンなど)証明されている。各国がそれぞれ為替レートを目標にして介入を実施すると、それこそ悪い通貨戦争をもたらす。
そして、為替介入に伴う市場への供給資金を吸収する「不胎化した為替介入」はほとんど効かない。溝口善兵衛財務官による03〜04年の「大介入」も、一部が不胎化されなかったから有効だった。
以上のような観点からみると、人民元の現状に関する議論も理解しやすい。中国の選択は第1には、国際通貨基金(IMF)の準備資産であるSDR(特別引き出し権)に地位を確保しようというあまり意味のない目標にこだわって、人民元の価値を守ろうとするものだ。これは古い日銀の政策と同じような弊害を中国国民にもたらすだろう。
第2は人民元を引き下げていく政策である。これは、08年のリーマン危機に対する英国や米国の対応と等しく合理的な選択である。人民元切り下げで日本の外需に負のスピルオーバー(波及)をもたらす限り、日本は一層の金融緩和で対応するのがよい。それが変動制下の大枠のルールである。米国にとっては中国の不景気が自国の景気を下押しするようならば、利上げへの転換を先延ばしすればよい。
各国は中国の実質的な景気停滞の効果から逃れるわけにはいかないが、人民元引き下げ政策からくる金融的なマイナスの影響は自国の金融緩和で中和できるのである。
<ポイント>
○日銀の早すぎた緩和解除が成長の芽摘む
○国内政策目標追求なら通貨戦争は起きず
○中国がSDR入り目標こだわれば弊害も
はまだ・こういち 36年生まれ。エール大博士。12年から内閣官房参与
[日経新聞9月9日朝刊P.26]
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