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東京大学宇宙線研究所(「Wikipedia」より/AkiraOkumura)
日本のノーベル賞受賞、5〜10年後に激減の兆候
http://biz-journal.jp/2015/10/post_11940.html
2015.10.14 文=町田徹/経済ジャーナリスト Business Journal
今年も、日本中が相次ぐ日本人のノーベル賞に沸いた。先週、微生物の力を使った熱帯病治療薬の開発に寄与した大村智・北里大学特別栄誉教授が「生理学・医学賞」、素粒子ニュートリノに質量があることを初めて実証した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長が「物理学賞」の栄冠に輝いたのだ。
2人受賞の快挙は、2014年の赤崎勇氏ら物理学賞の3人受賞に続くもの。これで2000年以降の日本人のノーベル賞受賞者数は16人(米国籍を取得した南部陽一郎、中村修二の両氏を含む)となり、米国に次ぐ受賞大国となった。自然科学分野の3賞に限れば、1901年の同賞創設からの累計でも、米、英、独、仏に次ぐ世界5位に躍り出た。
原動力は、バブル経済が華やかだった80年代に、潤沢な資金に後押しされて、画期的な基礎研究を成し遂げた日本人研究者が多かったことだ。往々にして、研究に対する評価が世界的に定着するまでにはタイムラグがあるので、2000年以降に受賞者が急増したとされる。
だが、手放しで喜んではいられない。受賞ラッシュはあと5年か10年ぐらいしか続かないとの悲観的な見方があるからだ。過去の栄光とは裏腹に、日本の研究開発能力は近年、急速に弱体化しているという。
■大村氏の異色の経歴
「微生物の力を借りて、仕事をしてきた。私がこの賞をもらっていいのかなという感じだ」――。新聞報道によると、ノーベル生理・医学賞の受賞が決まった大村氏は5日、北里大学で記者会見に臨み、ユーモアたっぷりにこう語った。
北里大学発表の経歴をみると、大村氏は70年代、静岡県内の土壌に生息する細菌がつくり出すさまざまな物質の中に、有益な抗生物質が含まれていることを発見。米製薬大手のメルク社と共同で、家畜用の抗寄生虫薬イベルメクチンを開発した。イベルメクチンは世界の食糧増産に道を開いた。
その後、イベルメクチンは、寄生虫が引き起こす人間の感染症にも高い効果を持つことが判明。ヒト用製剤のメクチザンが、オンコセルカ症(河川盲目症)やリンパ系フィラリア症の感染予防だけでなく、治療薬としても使われるようになった。世界保健機関(WHO)はメルクと北里研究所から無償供与を受けて、80年代後半から同薬の途上国での配布を始めた。毎年3億人が服用しており、多くの人々が失明の危機から救われたという。
大村氏の業績は、イベルメクチンの開発だけではない。85年に世界で最初の遺伝子操作による新しい抗生物質の創製に成功したほか、500種に及ぶ天然有機化合物を発見した。
学問的な業績に加えて、異色の経歴の持ち主でもある。高校時代は山梨県代表に選ばれるほどのスキー選手で、当時得た「人の真似をしていては、その人を超えられない」という教訓は、大村氏の信念になっているという。後進を指導する際に、「人と同じ事をやってもダメ」と励ますそうだ。地元の山梨大学を出て定時制高校の教諭をしながら、大学院の修士課程を修了したのが、研究者人生のスタートだった。早くからエリートコースを駆け抜けたわけではなく、一歩一歩地道に努力を重ねて、ノーベル賞の高みに到達した人物なのである。
研究者としての数々の業績の傍らで、経営にも取り組んだ。「日本の細菌学の父」として知られる北里柴三郎氏が創立した名門ながら、破たん寸前だった北里研究所の経営を立て直したのだ。
■素粒子物理学は日本の“お家芸”
一方の梶田氏は、日本人として11人(米国籍を取得した南部陽一郎、中村修二の両氏を含む)目のノーベル物理学賞受賞者になる。このうち同氏を含む7人は、「素粒子物理学」研究で受賞の栄誉に輝いた。この分野は、宇宙の成り立ちの解明に不可欠な学問だ。49年に日本人として初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹氏や、朝永振一郎氏を輩出して、日本が世界をリードしてきた分野で、今や日本の“お家芸”と呼ばれている。
その系譜で異彩を放つのが、02年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊・東大名誉教授である。日本の素粒子物理学は、戦後の黎明期に資金が乏しく実験装置が不足していたこともあり、長らく理論研究が主流を占めてきた。ところが、小柴氏は神岡鉱山(岐阜県)の地下に築いた巨大観測装置「カミオカンデ」を使って、超新星の爆発で地球に到達したニュートリノの観測に成功した。これにより、実証研究の道を切り開き、実証を理論と並ぶ日本の素粒子物理学の両輪に育て上げた功績がある。
今回、受賞した梶田氏は、その小柴氏の“孫弟子”だ。梶田氏の師匠にあたる戸塚洋二氏のチームは、98年に「カミオカンデ」の規模をより大きくした「スーパーカミオカンデ」を開発し、「ニュートリノ」に質量があることを示すニュートリノ振動を発見した。戸塚氏は早逝し、受賞の機を逸したものの、戸塚チームの中心メンバーだった梶田氏が今回の栄誉に輝いた。6日の記者会見で、梶田氏が「戸塚氏の功績が大きい」と話した背景には、そういう子弟の絆があったのだ。
■日本の基礎研究が息切れの気配
過去16年間のようなノーベル賞の受賞ラッシュは、今後も5年か10年程度続くかもしれない。素粒子物理学では、小柴氏がニュートリノを発見し、梶田氏が質量(重さ)を持つことを実証したが、それだけでは宇宙の質量の現状を説明できない。いわゆるダークマターの解明に、日本の“お家芸”が力を発揮する可能性は大きい。
「生理学・医学賞」の分野でも、今回、大村氏が受賞した微生物・寄生虫は、有望な分野だ。また、12年に受賞した山中伸弥・京都大学教授の万能細胞iPS細胞の実用化や、立体培養などでも日本の研究者が力を発揮している。
さらに、今年は大本命といわれながら受賞を逃した「化学賞」では、日本の研究者が世界に先駆けて大きな業績を残しているリチウムイオン電池の開発や人工光合成の分野がある。
ただ、気掛かりなのは、そうした日本の基礎研究が息切れの気配をみせていることだ。10年後には、また99年以前のように受賞ペースが落ち、受賞者は「数年ぶりの快挙」「数10年ぶりの快挙」と持て囃される時代に逆戻りしかねないという。
背景にあるのは、日本の経済力の低下だ。国単位でみると、研究開発は、経済力の勃興・拡大を追いかけるように進歩し、先進国の模倣に始まって次第に独自の基礎研究分野を広げながら、ノーベル賞の受賞につながるような大きな業績に至るパターンがある。そして、経済成長力が鈍るに従って、受賞者が減っていくのだ。
旧科学技術庁の資料をみると、日本は2000年当時、ノーベル賞の自然科学分野3賞の受賞者が6人と世界13位だった。が、昨年まで14年間で16人増えて、累計で米国(52人増の250人)、英国(9人増の78人)、ドイツ(6人増の69人)、フランス(5人増の31人)に次ぐ第5位に浮上した。2000年当時は、日本より上位にスウェーデン、スイス、オランダ、ロシア(旧ソ連を含む)など8カ国があったが、それらの国々は14年間の受賞が0〜3人にとどまり、日本が追い越したのである。
しかし、日本経済は失われた20年を経験し、研究支援は他国のようなペースで増えなくなった。しかも、すぐおカネ儲けにつながる応用研究が重視され、ノーベル賞に値するような人類のためになる基礎研究には縁遠いテーマに取り組む研究者が増えている。日本の研究者の論文発表数が減少する傾向もみられるという。
さらに、公的な研究機関や大学の研究者のポストは終身雇用や長期雇用が前提でなくなり、数年単位に雇用期間を区切ったポストが増えている。短期間で大きな成果をあげることが、研究者の生き残りに重要な要件となっており、独自の道を時間をかけて追及するような余裕がなくなっているというのである。極端な例だが、STAP細胞をめぐる不正騒ぎの底流に、こうした余裕のなさがあったことは否定できないだろう。
今回、中国中医科学院の終身研究員が、大村氏と同じ「生理学・医学賞」を受賞し、中国人として初めて自然科学分野のノーベル賞の栄誉に輝いたことは、経済に続いて研究開発の分野でも中国が大きな飛躍を見せる兆しなのかもしれない。
研究者の能力や業績に対する厳格な評価は必要だが、あまり拙速を求めては研究者の将来の芽を摘むリスクがある。民間企業の研究所では容易ではないだろうが、少なくとも国費や公費を投入する研究所では、十分な時間をかけて基礎研究に取り組む環境を確保するなど、日本として抜本策を講じる時期を迎えている。
(文=町田徹/経済ジャーナリスト)
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