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ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長〔photo〕gettyimages
日本のノーベル賞受賞者は、10年後には激減する! 〜データが示す「暗い未来」。論文の数があまりに足りない
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45793
2015年10月12日(月) 高橋 洋一「ニュースの深層」 現代ビジネス
研究への公的支援を根本的に見直せ
■世界の大学ランキングで東大が低迷している理由
先週は、日本中がノーベル賞受賞で沸いた。生理学・医学賞に大村智・北里大学特別栄誉教授が、物理学賞に梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長が輝いた。昨年に続く快挙である。
しかし、今回の受賞を日本の研究水準の高さを示すものとして素直に喜んでよいものだろうか。
というのも、先々週に発表された世界大学ランキングで、東大は昨年から大きく順位を落としたほか(23位→43位)、上位200校に入った日本の大学も2校(東大と京大)に減ったと報じられた。政府は2013年、「今後10年間で世界大学ランキングトップ200に10校以上を入れる」ことを目標としているが、この二つのニュースをどう考えたらいいのか。
実は、学問の世界では、論文を書いて評価されるが、発表される日本人学者の論文数が、この二つのニュースのカギになっている。
世界大学ランキングには有名なものだけでも十数種類あるが、今回報道されたのは、そのうちの一つで、イギリスの高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』が2004年から毎年秋に公表しているものだ(World University Rankings 2015-16)。
英米以外の国の大学にとって、ランキング入りはなかなか厳しい。今年のベスト100では、アメリカ39校、イギリス16校、ドイツ9校、オランダ8校、オーストラリア6校、カナダ4校、スウェーデン3校、日本2校、中国2校、香港2校、シンガポール2校、スイス2校、ベルギー1校、デンマーク1校、フィンランド1校、フランス1校、韓国1校という内訳だ。
評価基準は、教育、研究、論文被引用数、国際性、産業界からの収入の5項目で、各項目100点が満点で、それぞれ30%、30%、30%、7.5%、2.5%のウエイトが付けられており、総合点が算出される。
例えば、今年の東大は、教育81.4、研究83、論文被引用数60.9、国際性30.3、産業界からの収入50.8で、総合点71.1だ。昨年はそれぞれ81.4、85.1、74.7、32.4、51.2、76.1だった。順位を下げたのは、ウエイトの大きな論文被引用数が大きく減少したためである。
5項目について今年の東大のベスト100校における順位をいえば、教育13位、研究22位、論文被引用数96位、国際性98位、産業界からの収入53位だ。やはり、論文被引用数がふるわなかったことが大きい。
ちなみに、昨年の東大のベスト100校における順位は、教育14位、研究15位、論文被引用数78位、国際性96位、産業界からの収入53位だった。京大について見ても、論文被引用数が大きく減少したことが順位を下げた原因であった。
重要なのは、論文数のシェア
次に、ノーベル賞であるが、最近日本人の受賞者が多くなっている。2000年以降、日本のノーベル賞受賞者は自然科学では14人だ(米国籍になった元日本人を含めると16人)。これは米国に次いで多い。
トムソン・ロイター社は論文の被引用数などから、2002年から毎年、引用栄誉賞としてノーベル賞受賞者予想を発表している。これは結構あたっている。
生理学・医学賞はのべ74人受賞しそのうち12人、物理学賞はのべ65人が受賞しそのうち12人、化学賞はのべ55人が受賞しそのうち3人、経済学賞はのべ62人が受賞しそのうち11人、がそれぞれノーベル賞を受賞している。
やはり論文を書いて、引用されるほど評価が高まることが、ノーベル賞につながるのだ。この点をかなり明快に分析しているものとして、豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長のブログを取り上げよう(「はたして日本は今後もノーベル賞をとれるのか?」)。
このブログは、日本全体の論文数の世界シェアが、結果としてノーベル賞につながったことを示している。それは、以下の図で明快である。
研究成果の評価は論文被引用数であるが、論文を書かなければ被引用数も伸びないので、結局、論文数、それも世界シェアが重要なのだ。
それでは、先々週の世界ランキングにおける日本の大学の低迷と先週のノーベル賞連続受賞はどう考えたらいいのだろうか。
それは、論文シェアの現在と過去の違いである。
上図を見ても、日本は、2000年ごろまで論文数シェアを伸ばしていて、世界2位をキープしていたが、今ではこれらの国の中でも4位である。最近は論文数が伸びるどころか減少しており、そのうち韓国にも抜かれてしまうかもしれない。
ノーベル賞受賞対象の研究は、受賞した年から遡って10〜30年前くらいに行われていることが多い。
1985年以降、20年以上前の業績を評価されたのは、物理学賞で60%、化学賞で52%、生理学・医学賞で45%となっている。ノーベル賞は存命人物のみを対象としているので、優れた研究をして長生きした人へのご褒美ともいわれている。
いずれにしても、ノーベル賞研究は、過去の功績を十分精査され、研究時期と受賞時期にズレがある。2000年代以降、ノーベル賞受賞が増えたのは、1970年〜80年以降の研究が花開いたといえよう。
■ニュートリノの思い出
理系出身の筆者は、自然科学が脚光を浴びるのはうれしいが、今回の梶田氏の受賞対象であるニュートリノには官僚時代の思い出がある。
筆者が財務省(旧大蔵省)に入省した直後の1983年ごろ、面白い研究や企業を選んでどこでも出張していいといわれた。科学技術の変化がどのように社会に影響を与えるかを調べてこいという出張命令だった。
今から考えても、それが旧大蔵省の仕事とどう関係するのかよくわからないのだが、とにかくその当時建設中だったカミオカンデ(岐阜県神岡鉱山地下の観測施設)に光電管を納入する浜松ホトニクスを選んだ。
カミオカンデには残念ながら行けなかったが、カミオカンデ建設の目的が、陽子崩壊を観測することだったことは知っていた。
陽子崩壊は、物理学での究極理論である大統一理論(自然界の電磁気力や重力などを統一的に説明する理論)の構築に役立つだろうとの科学雑誌の記事を見て、それに協力する企業はどのようなところなのかと興味をもったのだ。
企業とは利益を追求するものなのに、利益追求とまったく無縁な基礎研究の典型である大統一理論に貢献するというアンバランスが面白かった。
実際、浜松ホトニクスに行った時には、実験に必要な光電管を作る技術が会社の製品にも生かせるというような一般論かと思っていたら、そうした商売の話ではなく、本格的な素粒子論が聞けて面白かった思い出がある。
もちろん、筆者の出張レポートには、理系青年らしく、基礎研究の重要性を書いた記憶がある。
■GDPと論文数の関係
まだ1980年代はよかった。経済成長しており、科学技術予算もそれなりにあった。
理系の人にはわかると思うが、自然科学はとにかく楽しいのだ。だから、研究といわれても遊びの延長であって、やるのは名誉のためではなく、単に楽しいからという理由が多いだろう。研究する人の多くの不安は、「遊んでいて」食っていけるかどうか、というものだ。
そこで、公的支援が必要になるが、かつての高成長時代であればよかったのだ。
ところが、経済成長しなくなると、じわじわと公的支援が伸びなくなった。そうなると、論文数が出なくなったわけだ。実際、2000年代の各国の研究開発費の増加率と論文数の増加率にはかなりの相関があり、それらは同じ程度といえる。
当然のことながら、各国の公的支援は、各国の経済力に応じている。このため、各国の論文シェアは、かなり各国のGDPシェアで説明できる。
ちなみに、各国のGDPシェアの推移は下図である。
アメリカ、中国、日本のGDPシェアと論文シェアの推移を見ると下図になる。
これを見るかぎり、日本の論文シェアはピークアウトしているので、あと10年もすると、ノーベル賞は激減していくだろう。そのころ、台頭するのが中国だろう。
もっとも、日本もアメリカも、GDPシェアの変化に対する論文シェアの変化は同じようなものだ(これは、上図の傾向線の傾きが同じ)。
しかし、中国は、GDPシェアの変化に対する論文シェアの変化は、日米の4〜5倍もある。これは、論文が粗製濫造であることを意味しているかもしれない。そうであれば、中国は研究の質が、日米より劣っているので、それほどノーベル受賞者が増えない可能性も十分にある。
■求められる「パトロン的な視点」
ただ、日本が今後10年くらいすると、苦境に陥ることは確実である。これは、公的支援を従来の「選択と集中」で実行するのは限界があることを示している。
これは民主党時代の事業仕分けで露見したことだが、官僚や仕分け人に、いい研究費と悪い研究費を識別できる能力がないからだ。
その典型例が、行政刷新会議、事業仕分け作業ワーキンググループが「スーパーカミオカンデによるニュートリノ研究」を含む経費を予算縮減と評定したことだ(http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html)。この仕分け人たちは、2002年の小柴氏のノーベル賞やニュートリノのことを知らなかったのだろうか。
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通常の公的支援では、税金で集めて官僚や事業仕分けで研究費を配分するので、「選択と集中」というできないことを目指してしまう。
今後の公的支援を考えるには、まず、経済成長である。と同時、従来の「選択と集中」に代わる原則が必要だ。
それは、その研究が役に立つのかどうかわからないが支援するという「パトロン的な視点」である。そのためには、儲かっている企業や個人が大学の基礎研究に寄付して、それを税額控除すればいい。
税金で集めて官僚や事業仕分けで研究費を配分するのではなく、税を稼ぐ企業や個人が官僚を中抜きして直接配分するわけだ。これも立派な公的支援である。
筆者は、かつて官僚時代にこの税制改正を予算要求したこともあるが、結果は残念ながら実現しなかった。実は、この仕組みは、筆者が企画した「ふるさと納税」と同じ仕組みである。
今のふるさと納税の仕組みを使っても、地元の地方大学へ自治体経由で「ふるさと納税」しても、同じ効果が上げられる。地方創生の具体策として政府としても後押ししてもいいだろう。
なお、ノーベル経済学賞は今日(12日)発表される。トムソン・ロイター社の引用栄誉賞における経済学賞はのべ62人、そのうち日本人はたった一人、プリンストン大の清滝信宏氏しかいない。他分野では日本人も多いにもかかわらず、経済学では苦戦している。
(追記)
先週の本コラム(東芝「粉飾決算」問題 メディアが報じない金融庁の「不正見逃し」疑惑と処分の行方〜なぜ、誰もが消極的なのか)は、マニアックな記事だが、関係者には読まれたようだ。その後、金融庁は有識者懇談会を作るという報道があった、ところが、お笑いなのが、金融庁のほかに公認会計士協会も見逃していたのに、懇談会メンバー(http://www.fsa.go.jp/singi/kaikeikansanoarikata/meibo.pdf)に入っていることだ。東芝事件は、監視委員会の検査が端緒なのに、なぜ第三委員会に投げたのかが問題だ。これを懇談会で議論できるのだろうか。
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