1. 2015年10月02日 09:03:58
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内需企業こそ「グローバル思考」が必要2015年10月2日(金)琴坂 将広 近年、インターネットを通じた業務委託を円滑にするクラウンドソーシングサービスが成長しています。この分野の先端を走るUpworkではすでに10億ドル(約1200億円)の契約が行われており、こうしたプラットフォームを活用することで国内にいながらにして海外の業者やフリーランスの事業者に業務を発注することが可能です。
これまで小規模な企業にとっては海外に業務を委託することは現実的な選択肢とは言えませんでした。しかし次第に小規模な事業者を対象としたサービスも登場しつつあり、またそうしたサービスが提供する業務の幅も少しずつ大きくなろうとしています。こうした新興サービスを活用することで、国内を対象とした小規模な企業であっても、広義の国際化の利点を享受することができるのです。 例えば、あるインターネットサービスの会社は、日本国内を対象に事業を展開していましたが、自社の事業を紹介するアニメーション動画の作成を東欧の事業者に依頼しました。通常であれば一本数十万円かかる制作費を一本あたり10万円以下に抑え、複数のバージョンを用意することで広告キャンペーンの効果を引き上げることに成功したといいます。 ある調査会社では、クラウドソーシングサービスを活用して世界20カ国の代表的な小売りチェーンの店頭プロモーションの内容を現地の会社や個人に実地調査させ、その写真や内容に関する報告書をわずか2週間で作成したそうです。日本の調査員が現地に向かえば数千万円単位の費用がかかる作業を、短期間にもかかわらず数百万円で実施することができたといいます。 国際化は今や気軽に始められる 一つ一つの業務から、国内の日々の業務の品質向上に直接的に貢献できる国際化を気軽に始めることができる時代が到来しようとしています。 国際化戦略というと、海外の市場に挑戦する、異国で商品やサービスを売り込むといったイメージが一般的です。しかし現在では、欧米を中心に必ずしも海外で事業展開をしない企業が、国内の事業の競争力を高めるために国際展開を進める事例が増加しています。 これは大企業よりも、むしろ規模の小さな企業のほうが得意なのかもしれません。国内に大きな既存資産や人員を持たない分、より機動的に海外を活用した事業構造に転換できるのです。 昔にさかのぼれば、海外展開は夢であり、十分に成長したあとの企業が、国内市場で培った経営資源や競争優位を用いて海外市場で戦っていくことでした。しかし、時代は変化しています。今や国際化は気軽に開始できる取り組みであり、国内の顧客しか視野にない企業にとっても、重要な取り組みとなりつつあります。 今回は、こうした「内向きのための国際化」ともいえる、母国市場のための国際化について歴史的な経緯を踏まえて考えてみたいと思います。 国際化といえば、昔は海外市場への進出だった 国際化といえば、「海外市場に挑戦する」という時代が長らく続きました。1970年代にソニーやキッコーマンなどの一部の企業が米国での現地生産を開始するまで、海外戦略とは日本で製造したものを海外に輸出することとほぼ同義でした。日本国内を向いて海外に漕ぎ出す企業は、商社を中心とした一部の内需向け企業に限られていたのです。 しかし、1971年のニクソンショックによる米ドルの金兌換停止、その後の変動相場制への移行を契機に、それまで1ドル360円に固定されていた日本円相場は一進一退を繰り返しながらも260円前後まで円高に進みます。それが1985年のプラザ合意によってさらに加速されると、円高抑制を合意した1997年のルーブル合意にもかかわらず、バブル経済による円安を除けば一貫して円高の傾向が続きました。これはもちろん、「日本で作って海外で売る」という事業モデルの競争力低下に直結します。 これにより、1978年以降、1980年代に積極的な改革開放政策を推し進めていた中国や、経済成長を始めつつあった東南アジア諸国に生産拠点を移転させる動きが活発化します。これは日本で製品を企画設計し、それを低コスト国で生産し、それを先進国に輸出するという考え方でした。当時の中国や東南アジアは依然として市場としては未成熟でした。しかし生産国としての魅力から、数多くの企業が国際化を果たし、現地に進出していったのです。 さらには日米間を中心とした貿易摩擦も「日本で作って海外で売る」という国際化の形を困難にします。デトロイトの自動車産業に勤める労働者たちが、「アメリカで売るなら、アメリカで作れ」という標語を掲げて日本車をハンマーで叩き壊していた時代を今でも覚えている方がいらっしゃるかもしれません。こうした現象に対応するためにも、販売国で作るということも時に政治的な配慮から必要と考えられるようになりました。 こうした要因、貿易摩擦、継続的な円高、輸出自主規制、さらには関税や非関税障壁などを背景として、生産の現地化が全世界で徐々に進みます。そして世界中に展開する企業の多くは、各地域で提供する商品をその地域に地理的に近い場所で生産するようになりました。これはいわゆる「地産地消」という言葉を代名詞にした事業モデルです。 経済産業省の調査(注1)によれば、海外に進出している製造業の現地生産比率は、1983年にはわずか6.8%(国内全法人では2.2%)であったものが、2014年7月の調査では35.6%(国内全法人では22.9%)にまで上昇しています。日本企業の代表格と言われるトヨタ自動車も、2014年の生産台数900万台(ダイハツ・日野自動車を除く)のうち、国内生産は326万台に過ぎません。そのうち国内向けを除いた輸出台数は 178万台に過ぎないのです。 現代に至り、大規模な多国籍企業は、世界を舞台に生産と販売の複雑なネットワークを構築しています。日本の代表的な世界的企業も、確かに日本に本社があるかもしれませんが、世界で作り、世界で売るように体制を転換させています。 こうした変化を背景に、日本は次第に輸出国としてよりも、輸入国としての性格を強めつつあります。部品や素材では依然として輸出に力が残ります。しかし多くの完成品市場では、「海外で作って日本で売る」ことも常識となりました。 こうした競争環境では、多くの企業にとって逆に国際化の敷居は高くなります。 大手競合は既に現地生産も開始しており、世界中に拠点を持って事業展開をしている状況です。こうした状況で自社も海外に進出し、そして既存市場での競争に打ち勝つにはそれなりの規模の投資とノウハウの蓄積が必要とされるでしょう。 このような状況では、企業買収により海外進出を加速させるという手段の魅力が高まります。新しくゼロから作るのではその成長のプロセスで既存企業に対抗することができず、多少以上ののれん代や赤字が発生するとしても、すでに存在する事業インフラを修正する方が逆に近道となり得ます。ただこれも、ある程度以上の資金的余力をもった企業にのみ許された手段です。 確かに小さな規模であっても、競合の少ない革新的な製品やサービスであれば海外市場で戦うことができるかもしれません。例えばネット家電メーカーのCerevoのように、小資本であっても世界中に少しずつ熱狂的な顧客を開拓することで、グローバルに展開することは確かに可能です。しかし多くの企業にとって、世界市場で競争力を持てるような革新的な製品やサービスを開発することは困難でしょう。 結果、まだ国際化を果たしていない企業にとっては、国際化が常識となった現代だからこそ、逆にそれが程遠い世界のように見えているのではないでしょうか。 事業支援機能だけを国際化することも可能になった 確かに、海外市場で競争に打ち勝ち、そして充分な売り上げを立てることは依然として困難です。競合の少ない各国のニッチ市場から少しずつ売り上げを得るような戦略であれば現実的な可能性もあります。それでもその手間暇を考えると「海外の市場に進出する」というのは依然として大きな冒険です。 しかし、少し視野を広げて考えてみれば、何も売り上げだけが国際化ではないのです。海外市場ではなく、母国市場で打ち勝つために海外を活用することも、重要な国際化といえるはずです。 1980年代まで、企業が海外に進出する地域は、販売か生産のいずれかをほぼ必ず行い、それを支援する各種事業機能、例えば人事、経理、総務、システムは販売か生産に付随して国際化していました。 しかし、こうした支援機能のみだけを国際化させることも行われる時代になりました。インターネットに代表される情報通信技術の急速な進化と、多国籍企業の選択と集中を契機として急成長したオフショアリングサービスの登場がそれを加速させました。その国で生産や販売せずとも、世界で展開する事業を支援するために、その国に進出することが現実的な選択肢になったのです。 その結果、2000年代に入ると大企業を中心に事業機能を世界中に分散して配置することが一般的となります。米国の金融機関のように顧客支援機能はインドやメキシコにおき、帳票の確認や入力作業はフィリピンを用いて、システムの運営や構築には南米を活用するなどの全世界を活用した組織設計が競争力を持ち始めたのです。 一部の投資運用会社やコンサルティング会社では、時差を利用した事業支援も行われています。ドイツのある調査会社では、午後の休憩時間にアジアの調査チームから報告書を受け取り、そして退社前に米国西海岸のチームに調査の指示を出すような、24時間体制で自社のアウトプットのクオリティを高めることが恒常的に行われています。 英国の弁護士事務所では、exigentやIntegreonといったオフショアリングサービスを活用することで米国、インド、南アフリカに対して資料作成や特許・判例検索の業務を海外移転させることが一般的となりつつあります。 米国の金融機関も、ドイツの調査会社も、英国の法律事務所も、主要な顧客はほとんど母国内におり、母国内で大半の事業を展開する企業です。しかし国内市場での競争力を引き上げるために事業機能の多くを海外に移転しました。こうした企業は、国内市場で戦うために、自社の事業機能の一部を国際化させたのです。 こうした一部業務の海外移転の動きは、日本でも少しずつ進みつつあると言われています。例えば、オフショアリングで先行しているシステム開発の領域では、2007年の総務省の調査(注2)で36.8%の企業が海外への業務委託を実施していると回答しており、中国、インド、ベトナム、韓国、フィリピンなど多様な地域を活用した開発体制が構築されています。同様に2013年のガートナーの調査(注3)でも、システム開発では37.8%の開発会社が開発を海外に委託しており、それ以外の一般企業でも25%の企業が海外への業務委託を実施していると回答しています。 しかしながら、日本企業においてはシステム開発やバックオフィス以外の事業支援機能を海外に移転する動きはそれほど進んではいないようです。確かに、例えば中国の大連では、日本語能力を持つ人材を比較的採用しやすい環境も手伝ってデータ入力などの比較的単純な作業の委託だけではなく、人事情報管理、受発注処理、コールセンターなどの経営機能の移転も試みられています。しかし依然として、システム開発や大規模な事務処理が発生する一部の金融機関など以外では、海外への業務委託はそれほど拡大していません。 製造業では40年以上前から始まっていた国際化が、国内を主戦場とするサービス業でも避けられないものとなりつつあります。しかし、日本企業にとって、国内市場で戦うための海外の活用は、依然として未開拓の領域なのではないでしょうか。 国内で勝つために、海外のパートナーを活用する 国際化といえば、「海外市場に売り込む」という時代が長く続きました。しかしそれも時代の流れを経て、世界で作って、世界で売るという世界的な価値連鎖の世界に変貌しています。 さらに、単に「作る」、「売る」だけではなく、「作る」と「売る」を支援する事業機能を単独で国際化させることも一般的となりました。それにより、世界市場で戦わない国内の大企業も、海外の拠点を活用して母国での競争力を高めています。 それは単にシステム開発の一部を海外の企業に委託して、定式化された事務処理を委託するだけにとどまりません。調査業務の一部を海外のパートナー企業に委託することで、24時間の業務体制を構築することかもしれません。提案資料や法律文書の作成を知的労働者が比較的安価に雇用できる土地の企業に委託することも含まれます。 デザインや商品企画、プロモーションでも活用の可能性はあります。格安で商品のプロモーションビデオを作成し、ロゴやポスターを海外に発注することもできるでしょう。商品の企画や、サービスのアイディア出しを多様性の中から生み出すこともできるかもしれないのです。 現代は、これまで大規模な企業を中心に展開されていた国際経営が、より規模の小さい、創業間もない企業までをも巻き込んで展開する時代です。グローバル化というと、現業からは遠い世界のように聞こえるかもしれません。しかし身近な業務が実は、国際化によって簡単に変貌できる時代が既に訪れています。 海外市場なんて関係ない。国内が死活問題だ。であるからこそ、国際経営を考えるべき時代が、現代という時代なのではないでしょうか。 さて、今回はこのぐらいで、ご意見、ご感想、お待ちしております。 (注記) 注1:海外事業活動基本調査等を参照 注2:オフショアリンクの進展とその影響に関する調査研究報告書 注3:IT Leaders“オフショア実施企業は37.8%、現地の情勢まで踏まえたリスク対策を” このコラムについて ボーダーレス経営論〜情報過多時代の「未知先」案内
起業、コンサルティング、そしてアカデミア。ボーダーレスに知見を積み上げてきた著者が、先行き不透明な時代の経営を、経験や経営学、経済学、戦略コンサルティングのツールを駆使しながら読者に「未知先」案内します。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/268513/093000002/ |