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何がVWを悪質な犯行に走らせた?無理な「トヨタ超え」で歪んだ拡大路線の罠(Business Journal)
http://www.asyura2.com/15/hasan101/msg/197.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 10 月 02 日 00:36:00: igsppGRN/E9PQ
 

                      フォルクスワーゲン本社工場(「Wikipedia」より/AndreasPraefcke)


何がVWを悪質な犯行に走らせた?無理な「トヨタ超え」で歪んだ拡大路線の罠
http://biz-journal.jp/2015/10/post_11774.html
2015.10.02 文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家 Business Journal


 独フォルクスワーゲン(VW)の排ガス規制逃れの波紋が全世界に広がっている。VWだけでなくドイツの自動車業界、さらにはEU(欧州連合)までが長期的に不正隠しに加担していた疑惑が浮上している。さらに、前CEO(最高経営責任者)のマルティン・ヴィンターコーン氏が詐欺容疑で捜査されると報じられるなど、大スキャンダルの様相を帯びてきた。影響はどこまで広がるのか。責任の範囲は拡大し、問題の深刻性は増すばかりだ。

 すでに報道されているように、VWが搭載した違法ソフトの開発を行ったのは、独自動車部品大手のボッシュである。ボッシュは2007年、VWに対してソフトはあくまでテスト走行用であり、市販車に搭載すれば違法であることを文書で警告していた。VWが不正ソフト搭載車販売を始めたのは、翌08年だ。さらに11年にはVW社内の技術者が、ソフト搭載は違法であると指摘していたという。

 驚いたことに、EUもまた13年に違法ソフトの問題を把握していたにもかかわらず、問題を放置していたようだ。

 今回の不正発覚の発端は、13年にNPOのICCT(国際クリーン交通委員会)が米ウェストバージニア大学で研究者を雇って行った排ガス検査だった。VWはこの検査結果を受けて14年12月に50万台をリコールし、「問題は解決した」とした。しかし、ICCTが修理後のVW車を再検査したところ、ほとんど状況は変わっていなかった。

 VWはその後、調査妨害や言い訳を続けたとされるが、ソフトウェアに疑惑が向けられると観念したようにVWの技術者が“白状”し、ICCTの連絡を受けてEPA(米環境保護局)が調査を行った。その結果が9月18日に発表され、不正が明らかになったのだ。

■悪質な犯行

 今回の不正は、一般的な試験を行っただけでは見抜けなかったといわれている。米カリフォルニア州の環境規制は、世界でもっとも厳しいといわれる。その当局が見抜けないように仕込まれていたのだから、周到に用意された犯行だったといっていいだろう。悪質といわざるを得ない。

 実際、問題のソフトウェアはECU(電子制御ユニット)に組み込まれており、きわめて巧妙につくられていた。走行時に一定時間ハンドルが動かないなど、検査特有の条件を検知して、検査モードと実際に走行するときのモードを切り替える仕様になっていたのだ。

 指摘するまでもなく、燃費性能と排ガスクリーンは、いわばトレードオフの関係にある。一方を追求すれば、他方を犠牲にせざるを得ない関係だ。したがってVWは検査モードではNOx(窒素酸化物)を抑える装置をフル稼働させて排ガスをクリーンにし、実際の走行モードではその装置の働きを弱めていた。つまり、走行時は、排ガスクリーンを犠牲にして燃費を重視するモードに変化させていたというわけだ。

 VWは、世界1100万台に同ソフトが搭載されていると発表した。対象車種は、「ゴルフ」「ビートル」「パサート」「ジェッタ」などVWを代表する車種のほか、アウディの「A3」も含まれ、米国では48万2000台がリコールの対象となった。

 さらに、欧州でも不正を認めた。米国に続きカナダ、ドイツ、フランス、イタリア、インド、韓国などが、VW車両の排ガス調査開始を発表した。ドイツだけで280万台が検査対象となる。VWは、ただちに対処費用として引当金65億ユーロ(約8700億円)の計上を発表した。

■マネジメントの失敗

 では、VWを不正に走らせた原因はどこにあるのか。
 
 一つは、完全に「マネジメントの失敗」である。すなわち、拡大路線の失敗だ。振り返ってみれば、急成長を続けていたVWの経営には危うさがあった。

 VWの抱えるブランドは、拡大路線を走るなかで12ブランドにも増えていた。マルチ・ブランド化が躍進の秘密の一つといわれてきたが、15年内にはじつに50車種の新型車(年次改良を含む)を投入する計画だった。信じがたい数字である。

 VWは今年4月に辞任した元CEOのフェルディナント・ピエヒ氏と前CEOのヴィンターコーン氏が、二人三脚で拡大戦略をひた走ってきた。ヴィンターコーン氏が07年に社長に就任した当時、販売台数は約570万台だった。それを、大胆にも18年までに1000万台にするという高い目標を掲げたのだ。

 目標達成に向けて、M&A戦略を積極的に進めた。そして向かった先は、年間販売台数が2000万台を超え、米国を抜いて世界一の中国市場だった。現在、中国での販売台数は300万台を超え、中国市場でトップ。結果、4年前倒しで14年に目標の1000万台を実現した。この間、売上高は2倍近くに増えている。VWは18年までに3兆円の投資をして、生産能力を500万台に引き上げるとしている。

 さらにVWは、トヨタを抜き去り、世界一の地位を盤石のものにするために、市場規模1600万台で世界第2位の米国市場攻略を進めた。米国での拡大は、VWの悲願であり、最重要課題だった。

 というのは、VWは1978年に米国生産を開始したものの販売が振るわず、88年にいったん現地生産から撤退した。その後、「米国で100万台」を掲げ、11年に23年ぶりに現地生産に踏み切った。米国専用モデル「パサート」の生産を開始したのだ。

 ところが、米国市場の販売台数はVWの思惑通りに運ばなかった。15年の販売台数は約55万台で、トヨタの273万台に比べると、その差は歴然としていた。

 VWはトヨタに追いつくためにも、米国市場での販売を一気に加速する必要があった。その起爆剤がクリーン・ディーゼルだった。失敗は許されないという圧力が、今回のディーゼル・エンジンの不正につながったことは容易に想像できる。

■進行していた深刻な事態

 こうした拡大路線のウラでは、深刻な事態が進行していたのだ。VWの営業利益率は、トヨタの約10%に比べて約6%と低迷していた。利益率の高い高級車ブランドを除き、中核ブランドである小型車中心のVW単体の利益率に至っては2%台にすぎなかった。

 これは、「成長」というより「拡大」のための「拡大」に陥った証しである。実はVWが09年にスズキと包括提携を締結したのは、スズキの小型車の生産ノウハウが欲しかったからだといわれた。一方、スズキはVWの環境技術に期待したといわれた。ところが、拡大路線を走るVWは、スズキを傘下におさめようとするばかりで、スズキが期待した環境技術の提供は得られず、それが提携ご破算の原因といわれた。今振り返ってみると、VWはスズキに環境技術を提供しようにも、そもそも技術を持っていなかったのではないかという厳しい見方もできるのだ。

 思い起こしてみれば、VWは90年代にはホンダと同規模の会社だった。環境技術に巨額な費用がかかることから、自動車業界では2000年前後に国際再編が叫ばれ、当時トヨタが買収相手として考えているのはVWではないかと、冗談半分で語られたものだ。

 それが、あれよあれよという間に販売台数を伸ばし、トヨタに拮抗するようになった。それは、常識的に考えても相当ムリな成長軌道だったといえる。なにしろ、このままいけば15年はトヨタを抜いて世界販売台数1位、20年以降は独走態勢に入るのではないかと見られていたのだから。

■数字のワナ

 私は、VWは典型的な“数字のワナ”に陥ったと思う。

 断るまでもなく500万台と1000万台では、開発、調達、生産、販売などあらゆる場面において、オペレーションやマネジメントがまったく変わってくる。ましてや、自動車産業にとって1000万台は未知の数字だ。それを短期間で実現しようとすれば、経験やノウハウの不足を補うため、組織に無理が生じる。それが今回の不正事件につながったのではないかと思われる。

 トヨタは04年以降、米国のバブル景気を背景に拡大路線をひたすら走った。07年には、「09年に1040万台」という目標を掲げた。ところが、翌08年にリーマン・ショックに襲われる。在庫の山をつくったうえ、巨額赤字に陥る。1000万台を目前にして逃しただけでなく、その後10年末以降はブレーキ不具合による大規模リコールが発生し、ブランドイメージを大きく損なう結果となった。ホンダも伊東孝紳社長時代に600万台を掲げた末、「フィット」のリコールで痛い目を見た。

 トヨタ社長の豊田章男氏は現在、「台数を追わない」としているが、これには過去の拡大路線への反省がある。いったいVWはこのときのトヨタの失敗を、どう分析したのだろうか。

(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)

 

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コメント
 
1. 2015年10月03日 01:22:58 : gjSWR86AiA
西ドイツのウォルフスブルグで、かぶと虫をつくっていた自動車工場が、こんなにも大きくなるとは、誰も思わなかったに違いない。第二次世界大戦で負けたドイツに連合国が乗り込んできて、アメリカのフォードが接取する話が進んでいた。ところがフォードは、「こんな変な自動車、何の役にも立たない。」と、この話を蹴ったのである。

そりゃそうだ。自動車と言うもの。エンジンは前にあるべきなのに、こいつは後ろにある。おまけにへんてこりんな車体。これじゃ、売り物にならないと思ったのだろう。アメリカの自動車は、前にエンジンがあって、後輪を駆動していた。

アメリカが接取の話を蹴ったことにより、地元のノルトホフ氏が経営の舵取りをすることになった。そのかぶと虫、1960年頃にはアメリカで大いに売れ、ビッグスリーは対抗上、コンパクトカーを出すことになった。中でも後ろにエンジンを載せたGMのシボレー・コルベアは、異色を放っていた。

フォルクスワーゲンはブラジルにも進出した。アメリカのGM、フォード、クライスラーより売れたのである。

しかし、1960年代後半には、かぶと虫のマンネリ化が進み、大きな壁にぶつかった。これを打破するために、アウディ・アウトウニオンをダイムラーから買い取り、同社の前輪駆動技術をベースにパッサート、ゴルフ、シロッコ、ポロ、ダービィなどを開発。これによりフォルクスワーゲンは、欧州六大メーカーの一角を占めるに至った。

フォルクスワーゲン(アウディは高級車部門)
プジョー・シトロエン
国営ルノー工場
フィアット(ランチアは高級車部門)
フォード
GM(オペル、ボグゾール)

しかし東西冷戦が終わると、急拡大路線をとるようになる。これによりチェコのシュコダの買収合戦に勝利し、スペインのセアトも手に入れた。イギリスのロールスロイス自動車も、同じドイツのBMWと買収合戦を繰り広げ、ベントレーを手に入れた。またフランスの歴史上の名門、ブガッティも復活させた。
(註 同社は戦後、フランス政府の大排気量車に対する禁止税的課税により、自動車から撤退し、イスパノ・スイザと合併して、スネクマの下請けになっていた。)
フォルクスワーゲンは、ランボルギーニにトラックのスカニアまで手に入れた。まるで自動車の第三帝国そのものである。

●第三帝国は、ポーランドにはじまり、東欧や西欧に侵略を行ない、一時期は欧州大陸のほとんどを手に入れたも同然だった。

そのフォルクスワーゲンが、致命的な打撃を受けた。これは、スターリングラードにおける敗退と同じである。この先、フォルクスワーゲンは敗走を繰り返すだろう。これからブランドの切り売りが始まるかも知れない。

この巨大なフォルクスワーゲン第三帝国を築き上げたのは、あのカー・オブ・ザ・センチュリーで、世紀の経営者賞を受けた、フェルディナント・ピエヒ氏である。彼の拡大路線は、異常とも言えるペースで進められた。

祖父、父と三代続く自動車一家の出身であるフェルディナント・ピエヒ氏。技術者としても、世界最速のレーシングカーであるポルシェ917を開発し、アウディでは5気筒エンジンや四輪駆動システムを開発し、自動車技術者としてカリスマであった。このことから、経営者になっても世界各国の自動車雑誌は、彼のことをこぞって賞賛。当方みたいに批判している者は、反体制派として本を書く仕事がこなかったものである。

まるで言論統制のナチスだね。そのナチスも、いよいよ年貢の納め時が来たか。でも、彼らは、他社では味わえなかった「黄金時代」を過ごしたのだ。もう、思い残すことはあるまい。これからフォルクスワーゲンは、劇的に小さくなるだろう。とは言うものの、昔の規模に戻るだけなのだが。


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