3. 2015年9月30日 12:44:30
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ニューロビジネス思考で炙り出せ!勝てない組織に根付く「黒い心理学」 渡部幹 【第34回】 2015年9月30日 渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授] VWのエリートたちを暴走させた“集団の狂気” 不正の規模は「個人では不可能」 世界トップシェア争いが組織を狂わせた 本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。 独フォルクスワーゲン(VW)の衝撃的なニュースが報じられて以降、様々なコラムやニュースで、その影響や原因が議論されている。 小さな心理学的失敗が積み重なり、組織が暴走する。タカタや東芝の不正にも共通する組織の危うさだ Photo:picture alliance/AFLO 事件の影響については、VW倒産説から賠償額、CEOは刑事責任を問われるか、等々が報じられるが、原因については、誰しもが「なぜ、自らの首を絞めるような大規模不正をVWが行ったのか」を皆、「謎」としている。
そのうえで、欧州における排ガス規制のダブルスタンダード(試験走行と現実の走行との隔たり)や、EU内でのチェックの厳しさ等を主な理由に挙げている。 そういった、政治経済的環境要因は他のドイツ車メーカーも同様である。もしかするとBMWやダイムラーが同様のことをしている可能性はなくはないが、少なくとも現時点ではBMWの1車種のみの不正疑惑が報じられただけで、VWのような大規模不正の可能性は少ない。 とすると、VWだけが持っていた不正の「病巣」がどこかにあるはずだ。今回はそれを心理学の視点から分析してみたい。 これまでのニュースやさまざまなソースを見る限り、VWの不正の陰には、少なくとも5つの社会心理学的現象が起こっている。それらは、@集団主義、Aフレーミング効果、B集団思考、C権威主義、D社会的手抜き――と呼ばれるものだ。順に解説する。 @集団主義 集団主義の正確な定義は、専門家の間でも意見が分かれるが、はっきりしているのは「個人の利益よりも集団の利益に価値を置く」という点だ。 集団主義は「社会のため、組織のために、皆が一丸となる」という良い側面がある一方で、「集団のためには個人を犠牲にする」という負の側面がある。今回、VWの不正について、わずか数人だけが知っていたというCEOの「言い訳」は、にわかには信じられないだろう。日産自動車のカルロス・ゴーン社長兼CEOも、「あれだけの規模の不正を個人ではできない」と話している。 そうならば、皆不正については感づいているのに、集団利益のためにそれに反することができない、という膠着状態にVWが陥っていたと見るのが妥当だろう。 そして重要なのは、そういった過度な集団主義が起こった理由だ。それはVWが世界トップシェアめぐってトヨタと熾烈な競争をしていたことが要因だろう。 社会心理学の古典的な研究に、アメリカの研究者ムザファー・シェリフの行った「泥棒洞窟実験」がある。これは、ボーイスカウトキャンプを使った野外実験で、シェリフは少年らをランダムに2つのグループに割り振り、キャンプ中のさまざまな部分でグループ同士が「競争」するように仕向けた。 その結果、もともとお互いに何の感情も持っていなかった2つのグループは互いに、いがみ合い、さまざまなもめ事も起こした。その一方で、グループ内での結束は高まり「集団主義」が芽生えたのである。そしてグループ間の対立と集団主義は、お互いに協力し合わないと解決しないような「大問題」が出てこない限り、解消されることはなかったのである。 「ちょっとだけ…」がエスカレート 人はなぜモラルを失うか この実験が示すのは、強力なライバルや競争相手のグループが存在するとき、人は自分の集団に対する協力度があがり、集団主義になりやすくなるということだ。VWはハイブリッドではトヨタをはじめとする日本メーカーに後れを取っていた。その有力対抗馬として開発したのがいわゆる「クリーンディーゼル」だった。 トヨタらに勝つためには、クリーンディーゼルは最後の切り札といってよかったのだろう。こういった状況では、いくら不正だとわかっていても、自らVWが負けるような選択をする社員はいないだろう。ライバルとの激しい競争が生んだ集団主義がVWを狂わせたといっていい。 Aフレーミング効果 しかし、それだけでは、あのような大規模な不正は起こらない。通常、企業やグループはそういった集団主義に基づく「集団のプレッシャー」の罠から逃れるように、さまざまな工夫をしているからだ。例えば、今回の事件を受けて「VWの苦境に乗じて火事場泥棒をするな」と言明した豊田章男・トヨタ自動車社長の言葉は、集団主義の暴走を抑える役目を果たすだろう。 VWが不正に手を染めることになった2つめの理由は、「少しならば基準値を超えても問題なし」という考えから、徐々にエスカレートしてしまったことにある。もともと、欧州の排気ガス基準は、実際の走行とテスト走行にかなり違いがあり、そのダブルスタンダードについては批判があった。つまり開発者には「テストさえ乗り切れれば問題なし」という意識が芽生えやすい環境があったと考えられる。 こういった場面では、どんなにモラルがある人でも「ちょっとならばいいか」という考えを持ちやすい。だが、いったんちょっとした違反を行うと、徐々にそれがエスカレートしていく。 これは、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンが提唱した「フレーミング」という現象だ。レベル1の違反を行ってうまくいくと、そのレベル1が「当たり前」になり、いつしか「レベル0」だと思い込む。そうすると「レベル2」の違反を行っても、本人はまだ「レベル1」の違反しか、主観的にはしていないことなる。 これが繰り返されると、とんでもないレベルの違反をしているのに、本人たちは「いや、これまでもそうだったのだから」という理由で、大したことをしているようには感じない。つまり、物事をみる「フレーム(枠組み)」が変化しているのだ。 少額の横領がやがて億単位になるケースや、いじめがエスカレートしているケースなども、フレーミング効果の例といえる。どこにでもありふれた現象なのである。VWの場合、これほどの大事だということに、当事者たちは発覚して初めて気づいたと思われる。当事者の「犯罪意識の欠落」は、もともとモラルが低いから起こるのではない。こういった小さなプロセスの積み重ねで起こるのである。 “善人”でも集まれば“悪人”化!? 人の良心を狂わせる「集団思考」の罠 B 集団思考 先に述べた通り、この事件は、個人または少人数グループが単独で起こしたとは考えにくい。常識的に考えれば「組織ぐるみ」の可能性が高いだろう。組織ぐるみだった場合、通常ならば、どこかで不正には歯止めがかかるはずだ。VWの役員やエクゼクティブ全員がモラルの低い悪人である可能性もまた、低いからだ。 しかし、不正を集団で処理するときに、往々にして陥りがちなのが「集団思考」という現象だ。これは集団で意思決定をするときには、個人で決定するよりも悪い決定を行いやすいという現象である。 社会心理学者のジャニスは、ケネディ政権がキューバ侵攻の際に犯した大失策を細かに検討した結果、集団での意思決定がその原因であることを突き止めた。集団の圧力をおそれ、集団の利益になることだけに目を向けて、大勢に逆らわない。そういった個人が集まると、とんでもなくリスキーな決定でも可決してしまうのである。 VWの役員らがこのことについて話したとしても、世界一のシェアを手放してまで、不正を正すかというジレンマに直面した個人は、集団になると、よりリスクの高い決定でも受け入れてしまいがちになる。 C 権威主義 いうまでもなくVWはドイツの会社だ。ドイツ人気質といえば、真面目で武骨、質実剛健といったイメージがある。だが、その一方で、第二次世界大戦後の研究結果で、ドイツは欧州の中でも特に権威主義的だ、という報告がある。 もともと、権威主義という概念は、アドルノを中心とする、フランクフルト学派とよばれる欧州系アメリカ人社会科学者によって生み出されたものだ。彼らは、ナチスドイツという「非常識」な社会現象がなぜ起こったかを説明しようとし、その主要因として「権威を重んじ、権威につき従うことを是とする考え方」、つまり権威主義に注目した。 それから70年経つが、文化は簡単に変わるものではない。権威主義的傾向が強いほど、上の決定に逆らえず、上の決定の是非を問わないということが起こりやすくなる。たとえ、不正を止めるべきと意見を持つ社員や役員がいても、上の決定には逆らえなくなるのだ。 日本や韓国、中国などの東アジア諸国も、相対的に権威主義の程度が高いことがわかっている。VWの事例は他人事ではない。東芝の不正会計の背後にも、ここで述べているそれぞれの要因は深く関わっていると、筆者は考えている。 タカタや東芝にも共通する 不祥事を引き起こす組織の病 D 社会的手抜き 現時点のVWやEUの状況を見る限り、関係者はなんとか自分の責任を逃れようとしているように思える。もちろん責任を認めれば、大変なことになるのだから、ある意味当然だが、この問題が発覚する以前から彼らは「自分に責任はない」と考えていたと思われる。 その理由は、おそらくこの不正にかかわった人々が相当な人数に上るからだ。社会心理学者のダーリーとラタネは、集団で実験を行う際に、わざとアクシデントを装って参加者の1人(実はサクラ)が、気分を悪くして倒れる、という状況を作った。実験の本当の目的は、そのときに、どれだけの人が自主的に助けようとするか、を調べることにあった。 結果は、集団の人数が多いほど、一人ひとりは助けようとはしなくなる、というものだった。彼らはこの現象を「社会的手抜き」と名付けた。 社会的手抜きは、「誰かがやってくれるだろう」「たくさん人がいるのだから、俺の責任は軽いし」といった「責任感の拡散」が主な原因で起こる。VWでも同じことが起こっていたことは、発覚後の当事者たちのコメントをみればよくわかるだろう。 ここまでお読みいただいてわかる通り、ひとつひとつの現象は、どこでも起こるものだ。つまり心理学的には非常に「ありふれた」失敗だ。そして、これらは一言でいえば「大企業病」ということになる。それはつまり、日本の企業も、少し油断すると、このようなことを起こしかねないということを意味する。 三菱自動車のリコール隠し、タカタのエアバッグ問題、東芝の不正会計等、日本企業も同じようなメカニズムで問題を起こしてきたと考えられる。日本とドイツは文化的にも似通ったところが多いという指摘もあり、それはすなわち権威主義や敵を作った場合の集団主義の高揚などについてもいえるだろう。 そして、上記のメカニズムが示す最も重要なのは、モラルある人々の組織でも、VWのような不祥事が起こる可能性は常にある、ということだ。その意味で、この事件は日本組織とって他山の石とすべき出来事なのである。 http://diamond.jp/articles/-/79178
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