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通貨攻防 プラザ合意30年
(1)為替相場の操作難しく 元FRB議長 ポール・ボルカー氏
日米欧5カ国(G5)がドル高の是正で協調した1985年9月22日のプラザ合意(総合・経済面きょうのことば)からまもなく30年。円急騰の起点となった政策協調は世界経済をどう変えたのか。中国を交えた今の通貨攻防にどんな教訓をもたらすのか。当時の高官や識者に聞いた。
――プラザ合意をどう振り返りますか。
「ドル高で米経済が競争力を失うという懸念が引き金になった。米国内の保護主義圧力が強く、とりわけドルの対円相場を押し下げる必要があった。国際的な経常収支の不均衡が拡大し、日本や欧州も政策協調の重要性を理解していた」
「プラザ合意の効果には疑問も残る。だがドルが大幅に下落し、主要通貨の調整が進んだのは確かだ。国際不均衡の是正には至らなかったものの、さらなる拡大を食い止めることはできた」
――ドルの下落は日米欧の想定を超えました。
「主要通貨の調整が行き過ぎたため、87年2月のルーブル合意で為替相場安定の必要性を確認した。我々が過去の経験から学べるのは、為替相場を操作するのは難しいという教訓だ。不均衡の是正を目指すなら、財政・金融政策の調整が極めて重要になる」
――日本はプラザ合意後にバブルの膨張と崩壊に直面し「失われた20年」に突入しました。
「プラザ合意との直接的な因果関係はない。日本は世界が驚嘆するような急成長を遂げた。『おごれる者久しからず』ということわざの通り、自らの成功に満足しきって失敗したのではないか。不動産や株式のバブルがはじけてしまった」
――今は中国の人民元が割安で、他国との不均衡が拡大しています。
「大きな不均衡が存在し、国際的な政策対応が求められているのに、各国の政治・経済両面の制約があって簡単に動けない。我々は今も同じ問題と苦闘している」
「中国は投資主導型の経済構造を消費主導型に転換しようとしている。この改革は建設的だが、船の向きを大きく変えるのは容易ではない」
――中国経済の変調が世界の金融市場を揺さぶっています。
「株式市場がかなり不安定で、多くの懸念がある。米国について言えば、2008年9月の金融危機を乗り越えて株価が大幅に上昇してきた。中国の問題をきっかけに、ある程度の調整が起きてもおかしくはない」
「中国がバブルの調整を迫られているかどうかはわからないが、困難な問題に直面しているのは事実だ。ほかの新興国にも似たような問題があるだろう。世界経済が抱え込んだ負債の規模は大きい。市場の動向をなお注視する必要がある」
――中国が人民元を切り下げ「通貨戦争」を誘発していませんか。
「私は今の状況を通貨戦争とは呼ばない。ただ通貨戦争を回避する主要国の協力は重要だ」
――国際協調の軸は、日米欧に新興国を加えた主要20カ国・地域(G20)に変わりました。
「米国にもG5にも、かつてのような優位性はない。中国をはじめとする新興国が役者として加わり、重要性を増している。だがG20は意思決定の場としては大きすぎる。もう少し小規模の集団が指導力を発揮した方がいいように思う」
(聞き手はワシントン支局長 小竹洋之)
Paul Volcker 1979〜87年に米連邦準備理事会(FRB)議長を務め、米国のインフレ退治に手腕を発揮した。88歳
[日経新聞9月13日朝刊P.1]
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(2)米国主導、欧州とズレ 元独連銀総裁 ヘルムート・シュレジンガー氏
――ドイツ連邦銀行はプラザ合意の効果に最初から懐疑的でした。
「ドイツは対ドル相場だけではなく、欧州の通貨全体に及ぼす影響を見ないといけなかった。この点が日本とは違う。日本にとっては米国との関係だけが焦点だった」
「欧州では(通貨統合の第一歩である)欧州通貨制度(EMS)が発足しており、西独マルクに連動してほかの欧州通貨も動く。上昇に耐えられない通貨もある。ドルと欧州通貨に対する介入を同時にやり遂げるのは非常に難しいと考えていた。だからドイツはプラザ合意で拘束力を設けることに最も消極的だった」
――日本は円相場の上昇に神経質ですが、ドイツは早い段階から通貨高を容認しました。
「ドイツでは行政機関の役割が大きかった。ひとつは経済省。1963年まで経済相だったエアハルト氏(後に西独首相)は市場経済の信奉者で通貨切り上げに賛成だった。こうした考えを財務省も共有し、政府に経済政策を指南する学識経験者も通貨上昇を促した。この流れに独連銀も強く影響されたと思う」
――通貨高がインフレを抑える効果にも注目したのでしょうか。
「そういう面もある」
――いまは主要7カ国(G7)や主要20カ国(G20)の枠組みでの政策協調が難しくなりました。なぜでしょうか。
「プラザ合意も特段、うまく機能しなかった。だからこそ米国はルーブル合意で政策協調の枠組みを作ろうとしたわけだが、実現しなかった」
「プラザとルーブルという2つの合意で米国は(自らが主導してきた戦後の通貨体制である)ブレトンウッズ体制を再構築しようとしたと私には見える。財政赤字も経常赤字も外国のお金で賄えるというのは米国にとっては素晴らしい仕組みだったからだ」
――欧州内でも足並みの乱れが目立ちます。どこに問題がありますか。
「単一通貨であるのに、参加国が主権を持っている。つまりユーロ圏は資金繰りが行き詰まるまで財政赤字を膨らませるかもしれない19カ国の政府を抱えている」
「独連銀総裁に内定した際にコール独首相は『通貨統合には政治統合が必要だ』と語っていた。実際に99年に通貨ユーロが生まれた際は政治統合どころか財政政策の一本化もできていなかった」
――改善の方策は。
「参加国のあいだで国際競争力に大きな格差があることも懸案だ。欧州の中銀間で資金を融通する仕組みにも支えられて(南欧などの)借り手は借金に頼り、身の丈を超えた生活をしているという実感がない。通貨統合を維持したいならば、財政統合を進めるしかない」
(聞き手はベルリン支局長 赤川省吾)
Helmut Schlesinger 85年のプラザ合意時には独連銀副総裁。91〜93年に総裁。通貨統合にも携わった。91歳
[日経新聞9月15日朝刊P.3]
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(3)円高への対応 間違えた 元財務官 行天豊雄氏
――30年前のプラザ合意をどう評価しますか。
「米国の覇権的地位が衰えていくなかで、国際的な経常収支の不均衡を為替相場で修正しようとした。日米英独仏の5カ国(G5)が協調するはっきりとした、そして最後の例だった。日本にとってはその後の円高や、バブル経済、1990年代以降の長期デフレにつながる転機となった」
――失敗だったのでしょうか。
「今から思うと準備が足りなかった。ドル高是正の協調介入は効果がありすぎた。目標は何か、目標を達成したらどうするのかなど詰めがはっきりしていなかった。ドル高の勢いは非常に強いと思っていたがそうでもなかった。坂道に置いてあるボールを下に向けて蹴飛ばしたようなもの。放っておいても転がっていったかもしれない」
――米国の圧力に負けたということですか。
「それは違う。日米貿易摩擦がありG5の中でも日本が一番(米国に)協力的だった。あくまで日本独自の判断だ。米国の過剰消費が問題だったが、当時の世界経済は米消費に依存しており、ほかの国が文句を言える状況ではなかった」
「円高自体が問題というよりも、円高への対応を間違えたということだろう。もっと早く本格的な構造改革に努力すべきだった。いまでいうアベノミクスの第3の矢は当時から課題だった。前川リポートなどの提言はあったが、やろうとする意欲が政治にも一般の国民にもなかった」
――構造改革が後手に回り金融緩和に頼る構図はいまと変わりませんね。
「あの頃は日銀法は(政府が総裁の解任権を持つ)旧法だったから大蔵省(現在の財務省)も同罪だ。構造改革はやりたくないし財政は赤字が大きいからこれ以上、悪くはできない。内需を増やすには金融緩和しかなかった。87年にはバブルの要素が出てきたが株価が暴落したブラックマンデーがあり引き締めなんてとんでもないとなった。この時に締め遅れ、後に締めすぎてしまった」
――中国もいま構造改革が問われています。
「習近平政権は現在、賞味期限が切れた国家資本主義の弊害を除こうとしている。汚職を撲滅し、国有企業の役割を減らし、地方の政府の赤字体質を改善する。ただ、ある中国人から『我々には危機管理の経験がない』という話を聞いた。中国がどう変わっていくかは非常に大事で、日本は関わっていくべきだ。課題先進国として知恵を出していくことができる」
――プラザ合意以降、主要国の政策協調は見られなくなった。
「プラザ合意までのG5は完全非公開で小人数でひっそり話し合うことにそれなりの意味があった。それが衆人環視の下での開催となり、G7になった。いまであれば、米国、ユーロの代表、英国、日本、中国。秘密会議は難しいかもしれないが、主要通貨国が話し合いの場を持つことは決して無意味ではないと思う」
(聞き手は石川潤)
ぎょうてん・とよお プラザ合意のあった85年は大蔵省(現財務省)国際金融局長、86年から財務官。84歳
[日経新聞9月16日朝刊P.4]
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(4)米中協調、可能性低く 上海社会科学院国際金融貨幣研究中心主任 周宇氏
――中国はプラザ合意からどういった教訓を得ましたか?
「プラザ合意により急速な円高に進んだ。日銀は円高対応のため大規模な金融緩和を行い不動産バブルを生んだ」
「人民元の対ドルでの上昇を抑えるため、元売り・ドル買いの為替介入を行うと市中の流動性が増える。日本のような流動性バブルを生みかねない。このため中国政府は思い切った元売り・ドル買い介入がしづらく、2005年の為替改革以降、昨年まで基本的に人民元の上昇が続く要因となってきた」
――中国はなぜ人民元を切り下げたのでしょう。
「ひとつは輸出てこ入れだ。人民元は米ドルの上昇と足並みをそろえるかたちで、14年6月から8月まで実質実効為替レートが約2割上昇していた。このために最大の輸出先である欧州向け輸出が低迷していた」
「アジア通貨危機の教訓は、固定相場制度は(金融市場のゆがみがたまり)危機につながりやすいということ。中国の8月11日の切り下げは人民元の市場化・自由化の意味がある。為替レートを柔軟にすることで、通貨危機を防ぎやすくなる」
――人民元の今後の見通しは?
「中国経済の大きな問題は賃金と人民元の上昇速度が速すぎ、国際競争力が落ちている点だ。安い労働力の供給が一巡する『ルイスの転換点』をむかえており、今後は賃金と人民元の調整が必要となる。人民元が一方向に下落を続けるとは思わないが、上昇速度は相当鈍るだろう」
――中国は通貨政策で米国と協調すべきでは?
「中国と米国の関係は日米ほど深くない。中国の政策当局者は米国と為替政策で協力する必要を感じておらず、協調する可能性は低い。もちろんグローバルな金融危機のときには、協調して対応するだろう」
「通貨政策については、中国はむしろ経済関係の深い東南アジアなど周辺国との協力を重視している。代表例が通貨スワップの締結だ。アジア通貨危機を教訓にお互いに通貨スワップ協定を結び危機対応を進めている」
――人民元が基軸通貨になる可能性は?
「中国は経済規模では米国をいずれ上回るだろう。だが米国が英国の経済規模を上回ってから、米ドルが英ポンドに代わる基軸通貨になるまで約70〜80年かかった」
「人民元は売買規制が厳しいという問題もある。人民元建ての株式や債券などの売買といった資本項目が完全に自由化されるまでまだ10年以上かかるだろう。さらにこうした改革のペースは今夏の金融市場の混乱によって遅れる可能性が高い。基軸通貨になるには長い時間がかかる」
(聞き手は上海支局 土居倫之)
=おわり
シュウ・ウ(Zhou Yu)大阪市立大学への留学などを経て2000年から上海社会科学院に。55歳
[日経新聞9月17日朝刊P.3]
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