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三菱自動車工業本社(「Wikipedia」より/Aimaimyi)
復活・三菱自動車、汚れた過去の後遺症 リコール隠蔽、利益供与、経営陣逮捕で破綻寸前…
http://biz-journal.jp/2015/09/post_11444.html
2015.09.08 文=福井晋/フリーライター Business Journal
三菱自動車工業は7月27日、今年11月末をもって米国での自動車生産から撤退すると発表した。12月以降、米生産子会社のミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ・インクがイリノイ州で行っている多目的スポーツ車(SUV)「アウトランダー・スポーツ」の生産は岡崎工場(愛知県岡崎市)へ移転する予定。
同日記者会見した相川哲郎社長は、米国での生産撤退について「工場を維持するだけの生産規模ではなく、経済合理性に適うものではないと判断した」と説明した。イリノイ州工場ではピークの2000年に年間22万台を生産していたが、14年には6万9000台まで減少。「選択と集中の観点から決定した」とも述べた。
三菱自動車は08年に豪州生産から撤退、12年にはオランダ生産子会社を現地企業に売却し、欧州生産からも撤退していた。その一方でタイに現地生産工場を建設し、インドネシアでも新工場建設を進めるなど東南アジアに積極的に投資し、選択と集中を進めている。
三菱自動車にとって、米国での生産撤退は2000年のリコール隠し発覚後、10年来の課題だった。中国市場に抜かれたとはいえ、北米市場は世界有数の自動車市場。「継続か撤退か」で役員の意見が分かれ、なかなか決着がつかなかった。しかし、世界販売が100万台規模とトヨタ自動車の10分の1ほどの同社にとって、先進国と新興国に車種を両面展開できる経営資源はない。その認識が、相川社長に撤退を決断させたといわれている。
今後は東南アジア3国を主要生産拠点に世界各地に輸出する「アジアモーター」として、生き残る体制を整えると見られているが、果たして同社はその戦略で生き残れるのか。
■「益子再生」
三菱自動車が誕生したのは、三菱重工業の自動車事業部門が分離独立した1970年のこと。60年代半ばからの自動車資本自由化の流れを受け、70年に米クライスラーと資本提携すると共に、三菱重工から独立して三菱自動車と三菱自動車販売の2社が誕生した。三菱商事の強力な海外販売網を背景に、90年代前半まで順風満帆の成長を見せていた。だが、96年に米イリノイ州工場で起きたセクハラ事件をきっかけに凋落の道をたどり始める。
97年になると総会屋への利益供与が発覚、2000年には長年秘匿していたリコール隠しが発覚、同社の社会的信用が一気に失墜、業績が急降下した。それでも懲りずに続けていたリコール隠しが03年、04年と立て続けに再発覚し、この隠蔽体質はついに人身事故を引き起こして河添克彦社長(当時)が引責辞任に追い込まれ、河添社長ら元役員6人が逮捕される業務上過失致死傷事件に発展した。その結果、当時筆頭株主だったダイムラー・クライスラー(98年に独ダイムラーベンツとクライスラーが合併)から資本提携を打ち切られ、05年に経営危機に陥った。
そして「倒産はもう時間の問題」と騒がれた瀬戸際に三菱グループが救済に乗り出し、三菱商事、東京三菱銀行、三菱重工の三菱グループ主力3社が総額6000億円の優先株を引き受けるかたちで経営を支援。これで三菱自動車は窮地から脱出できた。この時、三菱商事から再建請負人として送りこまれたのが、三菱商事自動車事業本部長を務めていた益子修社長(現会長)だった。
それからおよそ10年。益子氏は中大型セダンの「ギャラン」「ディアマンテ」、軽乗用車セダンの「ミニカ」などからの撤退で自社モデル数のスリム化を進める一方、タイをはじめとする東南アジアでの生産・販売を強化する事業構造改革断行で経営再建を軌道に乗せ、14年3月期連結決算で営業利益1234億円、純利益1047億円を叩き出すなど2期連続で過去最高益を確保(15年3月期は営業利益1359億円、純利益1182億円で過去最高益更新)。この「益子再生」で14年3月末に総額6000億円の優先株を処理し、15年3月決算では16年ぶりの復配も達成した。
優先株処理以降、株式市場では「これで負の遺産も解消した。これからは成長戦略だ」との評価が固まり、三菱自動車は市場での信用を回復したかに見える。財務体質が健全になり、業績も好調だ。
■3つの構造的問題
しかし、それでも証券アナリストの間では「三菱自の株は買いとの太鼓判を押せない」との声が多い。その理由について自動車業界筋は「同社が肝心の3つの構造的問題を解決していないからだ」と、次のように説明する。
(1)米国での生産撤退を決断させた「止血」問題
三菱自動車の販売は、主力市場の日米で依然低迷が続いている。成長戦略どころではなく、いまだ「止血」に汲々としているのが実情だ。国内市場ではディーラー一店当たりの販売効率が業界最低のままだといわれる。他の国内自動車メーカーが円安の追い風も受けて国内市場で稼げる営業体力を回復している中、同社1社がそれから取り残されている格好だ。国内販売立て直しが急務になっているが、同社が13年11月に発表した16年度までの新中期経営計画において具体的な言及はない。
米国市場も同様で、アジアをはじめとする新興国市場向けの商品開発を優先しているためか、米国向け商品開発は棚上げ状態だ。このため、米国市場では、過去の乱売で浸透した安売りイメージが今も定着したままといわれている。
「選択と集中と体裁を繕っているが、米国生産撤退の真因は、中国・韓国製より低いブランド力にある」(前出・業界筋)
(2)三菱自動車救済を主導した三菱商事とのしがらみ
具体的には海外販売独立性の問題だ。三菱自動車がこれからの成長戦略展開の場に位置付けている新興国市場と欧州での販売は、三菱商事の販路に頼っている。自前の販売チャネルがないため、車のメンテナンスをはじめとするアフターサービスの「おいしい部分」をすべて三菱商事に吸い取られている。海外戦略も独自では展開できず、何をやるにしても三菱商事との事前調整、すなわち「お伺い」が必要になり、迅速な行動や大胆な独自行動ができない。これについてはトヨタ自動車関係者も「海外市場では、どう見ても『三菱商事海外自動車部』としかいいようがない」と同情する。
(3)提携戦略の不安定さ
現在、自動車メーカーは大小を問わずどこかと提携しなければ生き残りができない時代。このため、三菱自動車も経営再建中の過去10年間、軽自動車やピックアップトラックのOEM(相手先ブランド供給)拡大で工場の稼働率を確保し、OEM車販売の拡大で売り上げ確保も図ってきた。
その一方で、日産自動車、スズキ、仏ルノー、仏プジョー・シトロエングループ、欧米フィアット・クライスラー・オートモービルズなどとの事業提携を積極的に推進してきた。
「三菱自動車はいずれも足元を見られ、不利な条件を呑まされている。要するに事業提携の名のもとに、技術力や商品開発力のおいしいところを提携先にうまく利用されている。利用価値がなくなったら、相手から提携解消を言い渡されるのは目に見えている」(前出・業界筋)
つまり三菱自動車にはマツダの「スカイアクティブ」のような断トツ技術がないため、マツダとトヨタ自動車のような長期的展望のある互恵提携がどの大手ともできない。したがって、生き残りを保証する長期戦略が描けないと言うわけだ。
■プリンス登板
三菱自動車再建請負の任を果たした益子氏は昨年6月、トップの座を相川社長に譲り、会長に退いた。同社生え抜きの相川氏は開発畑出身で、役員就任後は国内営業も経験するなど、早くから「社長候補」と目されていたプリンス。
その相川氏は社長就任挨拶で「台数を追わず、利益重視の経営を追求する」と断言。さらに「プラグインハイブリッド車や電気自動車の次世代技術開発に経営資源を重点的に投入してこれら技術の進化を図る一方、その成果をSUVに横展開し、『三菱自動車らしい』と言われるクルマづくりに励む。それで値引き販売に依存しないブランド力を再構築する」と述べ、技術者上がりの社長らしい意気込みを見せた。
3つの構造的問題云々はさておき、米国生産撤退で余力が生まれた経営資源を、これからの成長の場とするアジアでいかに生かしていくのか、相川新社長の経営手腕が注目される。
(文=福井晋/フリーライター)
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