3. 2015年9月04日 10:11:16
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「2000万人の貧困」日本社会の「前提」が崩れ、貧困が生まれている首都大学東京・阿部彩教授に聞く2015年9月4日(金)中川 雅之 日経ビジネスでは2015年3月23日号で特集「2000万人の貧困」を掲載しました。日経ビジネスオンラインでは本誌特集に連動する形で連載記事を掲載しました(連載「2000万人の貧困」)。本誌とオンラインの記事に大幅な加筆をし、再構成した書籍『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』が発売されました。 日本社会に広く巣食う貧困の現状は、その対策も含めて日々変化しています。特集や連載では紹介できなかった視点やエピソードを、書籍の発売に合わせて掲載します。 最終回は、貧困問題に詳しい首都大学東京・阿部彩教授のインタビューです。 貧困問題に詳しい首都大学東京・阿部彩教授に話を聞いた 阿部先生は著書『子どもの貧困U』などで、人生の初期段階における貧困対策への投資が、社会的に大きなメリットをもたらすと指摘しています。 阿部教授(以下、阿部):乳幼児期のリスクが高いというのは、米国の労働経済学者、ジェームズ・J・ヘックマンなどが言っています。これは米国を念頭に置いて言っているので、そのまま日本に当てはめることはできません。米国には公的な保育制度がないため、乳幼児期に特にひどい状況が生まれやすいと考えられますから。 日本には保育園があるので、そこにプラスの投資をすることでどれぐらい効果があるかは別に考えなければいけません。日本の仕組みが十分だとは思いませんが、研究者としては慎重に発言しなくてはいけないところですね。 1人あたり1億円の便益も では乳幼児期に限らず、「貧困の連鎖」を断ち切るための投資がどのような効果をもたらすのでしょうか。 阿部:例えば誰かが貧困に陥れば、生活保護をはじめとするいろいろな社会的給付が必要になります。逆にその人が平均的な就労をすれば納税をする。ここが一番分かりやすいでしょう。 様々な仮定を前提にしていますが、私が厚生労働省の依頼で試算したものだと、職業訓練などの対策を一切取らず、仮に20歳から65歳まで生活保護を受給した場合、そのコストは5000万〜6000万円に達します。一方で、職業訓練などの支援プログラムを2年間実行したとすると、費用は約460万円かかりますが、非正規でも65歳まで働き続ければ、本人が納付する税金や社会保険料の合計額は、2400万〜2700万円ほどになります。差し引きで7000万円くらいのメリットが生まれることになります。 同様に、もし正規雇用で65歳まで勤めれば、税金などの納付額は4500万〜5100万円です。職業訓練の費用を差し引いても、7000万〜1億円ほどの便益が社会にもたらされることになります。1人でも多く「支えられる側」から「支える側」に回ってもらうことが重要になる。 この試算では含めていませんが、海外で子供の貧困の投資を考える場合、これ以上のメリットも織り込みます。貧困者の差別につながってはいけないので誤解のないようにすべきですが、貧困者の救済は犯罪率の低減につながるという指摘もあります。犯罪者を収監するには、正確な算出は難しい部分がありますが、捕まえる時も収監した後もお金がかかる。トータルでは生活保護よりもっとかかるんです。だから、犯罪を減らせれば経済的なメリットも生まれる可能性がある。 医療費の問題もあります。貧困者の健康状況が悪いのは研究で確実に分かっています。つまり貧困者が増えればそれだけ医療費がかかる。これも減らせれば、社会全体が便益を受けられます。 格差社会では、上層の人も不健康に 社会的なコストの増大が、新たな貧困者を生んでいるように思えます。 阿部:昔で言えば「エリートコース」だったものが、みんなが「下に落ちたくない」というプレッシャーから、いわゆる普通の人もエリートと同じような道を歩もうとする。貧困でない人のコスト負担も大きくなっているわけです。 東京では実際に起こりつつありますが、学校教育の質が悪くなることで、子供を私立に進学させるようになる。学校崩壊や学級崩壊などの諸問題が公立の学校で起こっていなければ、普通に公立小学校から公立中学校に進ませていた家庭が、「幼稚園から私立に入れないとダメ」とか「セキュリティーの高い地域に住まなければいけない」とか。そういったコストもかかります。 トマ・ピケティの著書によって格差問題がまた注目を集めましたが、ピケティの前にリチャード・ウィルキンソンという学者の書籍が英国でベストセラーになりました。日本でも実証されていますが、格差が大きい地域は人々の健康状況が悪くなる。下層の人が増えるから平均的に悪くなるのではなくて、上の方の人も悪くなるのがポイントです。 格差が大きい社会に住んでいると、上の方の人も下に落ちたら大変というストレスを感じますし、人々との信頼感やコミュニティの力が落ちるので、結局上の階層の人も健康状況が悪くなる。 格差が大きいと、下からのねたみも、上から落ちることの恐怖も大きくなる。それが余計に差別や偏見を増長し、金銭的にも心理的にもプレッシャーが高まる。それがデータで実証されたんです。つまり、誰にとっても住みにくい社会になる。 そういった意味で格差のコストもありますし、そこまですべてを金銭的に算出するのは非常に難しいので、実際に収入はどれぐらいあるかとか、税金はどれぐらい納めているかといったところで出している部分もありますけれど、実は貧困を放置しておくことによるデメリットは大きい。 「かわいそう論」と別のアプローチ 取材を通していろいろなところで言われたのは、「かわいそう論」で止まらないでほしいということです。「かわいそう論」を展開すると、結局それが社会的差別につながることがあると。 阿部:両方が必要だと思うんです。共感を呼ぶようなケーススタディーがなければ、社会的な関心は高まりません。そうした報道がないと、恐らく『日経ビジネス』でも特集を組もうと思わないんじゃないですか。まず入り口として、そういう手法も必要だと思います。 でも、「かわいそう論」だけで動かない部分があるのも事実です。例えばOECD(経済協力開発機構)も格差と成長という報告書を出していますが、貧困の放置がGDPの成長の足を引っ張るという研究はあるんです。「かわいそう論」で動かない人たちも、そう考えれば腰を上げてくれることもある。使い分けというか、いろいろなメディアがいろいろな形でアプローチすることが重要だと思います。 この問題に関わっていつももどかしいのは、「かわいそう論」を展開すると、当事者がそれによって辛くなってしまうことです。もっと堂々と、「こんな状態なんだから何とかしろよ」という怒りのエネルギーに変わっていく場面があってもいいと思うんです。当事者団体も、もっと怒ってほしいですね。非正規の若者の労働者がそこら辺をデモしたっていい。そうしないと変わらないこともある。 すぐに支援が必要な人には「これじゃ、あまりにもひどいのではないか」という「かわいそう論」は有効です。だからこれは、引き続き必要だと思います。 労働市場の改善も必要 同時に、社会的な構造を改革することも重要です。労働市場がこんな状況ですから、少し職業訓練したって、簡単に貧困から抜け出せるわけではない。頑張る人は報われるような労働市場があればいいですが、現実は貧困層のお子さんが頑張って働きながら高校を卒業したとしても、それだけで貧困から抜け出せるような正社員の道があるかと言えば、そうではない。こちらに対しても、別のアプローチが必要です。 多面的なアプローチが必要なのに、「自己責任論」が意識の中に根づいてしまい、いずれの支援も十分になされていない印象もあります。 阿部:そのさじ加減はすごく難しいです。例えば、何かの自立支援プログラムを実行したとして、それを受けた人が失敗したら「ここまで支援をしても失敗するなんて、あとは自己責任ね」となりかねません。 けれど、どんなメニューでも失敗する人は必ず出る。100%成功するものなんてありません。じゃあ、どこまで面倒を見るのかということになります。財政的な限界がある中で、世間の理解を得ながら支援を手厚くしていくのは、非常に難しい課題です。 政策は、政治とマスコミに左右される 阿部:普遍主義と選別主義という考え方があります。基本的にどんな人も利用できる制度設計をするのが「普遍主義」で、ある程度対象を絞るのが「選別主義」です。どちらも利点と欠点がありますが、どうしても普遍主義になると財政負担が大きくなり、「ばらまき」といった反発が大きくなります。 普遍主義に対する批判は、政治やマスコミであおられている部分があるように感じます。例えば民主党政権時代の「子ども手当」には、ばらまきという批判が強くあったわけですが、その後、自民党政権になって「児童手当」となっても、対象者は子供の9割です。所得制限はありますが、対象範囲はほとんど変わらない。 それにもかかわらず、ばらまきという批判はあまりない。これはもう政治的手腕といいますか、雰囲気を作るかどうかです。それにマスコミも乗って、流れが決まってしまう。 制度に対して批判しようと思ったら、いくらでもできる。ことに普遍主義的な主張は、世の中には多様な人がいるので、「全体の制度に不適格と思われる刺激的な事例」を探し出すだけで批判しやすくなる。現実の政策は、そういう中で滑り込ませていくしかありません。 ただ特に子供に関しては普遍主義的な話がなくてはならないのです。教育や保育をすべての子供が受けられるようにすべき、とは考えられると思います。全体的な流れは、そうなってきているとは思いますが、ことお金の話になるとアレルギーがあるのも確かですね。 高まる「教育費破綻」のリスク 子供に対する普遍的なサービスというと、公教育の問題が出てきます。公教育で必要なサービスが提供されていれば、親の経済力と子供の学力の比例関係は緩和すると思いますが、現代の公教育は社会が求める水準に対して、カバーできている範囲があまりに少なくなってしまったのではないでしょうか。 阿部:これは教育学者に聞かれた方がいいかと思いますが、実際問題として、大学全入時代に突入しつつあるので、その傾向はますます強まっていくと思います。結局は受験なんです。小学生の子供が、普通の学校に行くだけではとても受験できないということで塾に行くようになる。親も、よりいい大学に行かないと子供が非正規社員になるかもしれないという強迫観念があって、公教育以外の教育機会を与えようとする。結果的に公教育のカバー範囲が下がるという構造です。 この傾向が強まると、結局多くの家庭が「教育費破綻」をすることになります。投資しているのに、教育にそれだけのリターンがないんです。奨学金を返済できない人が増えているのは、まさにそれを示しています。 大学に行けば何百万円というお金がかかるわけですが、それに見合うスキルを学生に身に付けさせていない大学の教育の問題が1つ。一方で、大学卒業者を吸収しきれない労働市場の問題も1つ。この経済性のズレは解消しなければいけないと思います。 これは大きな教育改革の話になるので、難しいでしょうね。 それでも大卒の方が高卒よりも貧困のリスクは少ないし、同じ大卒でも、少しでもいい大学の方が期待できる給与は高い。現実の中では親としても、少しでも上の方にやらなければとなっていきます。それが悪い方にどんどん循環している感じがします。高卒の人たちが高い給与を得られない状況にあるのは、高校までの教育の問題もある。 長時間労働を是正せよ 教育の話をしましたが、企業側が考えなくてはならない課題もあるのではないでしょうか。 阿部:企業社会の問題では、私は長時間労働が一番問題だと思っています。女性活用の文脈で育児休暇を3年取れるようにするとか、男性の育休取得とか言っていますが、子育て中の男女の労働時間だけを抑制しても意味がありません。職場全員の長時間労働を減らさなければなりません。 職場で競争している以上は、「あなた、帰ってもいいよ」と言われても、帰れないですよね。それは昇進のトラックから降りましたと言っているようなものですから。 長時間労働をしている社員はそれだけ成果を出しやすい。世の中には仕事大好き人間が男性、女性に限らずいっぱいいて、僕たちは帰らなくていいんだから帰らなくていいじゃないという風潮があります。私も昔はそういう人間だったから、その気持ちも分からないことはないです(笑)。けれど、そこを突破できない限り、恐らくこの問題は解決しないと思います。 若い人も、「企業戦士にはなりたくない」という人と、貧困のリスクがあるから何としても正社員にしがみつかなきゃという人と、両方に心理が分かれていると思います。だから、公務員が人気なんです。特に地方で。 長時間労働が解決すれば、日本のたくさんの問題が少なくともいい方に向かうと思います。例えばNPOや地域のコミュニティも活発になるでしょうし、家庭に戻ることによって、恐らく少子化問題も大分解決する。 少し前に「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が流行りましたが、結局、企業社会の生活を、家庭よりも優位に置く意識は変わっていないように感じます。保育でも介護でも、あるいは日々の家事でも、家庭で必要とされる労働力は今も昔もあるのに、その評価が低いために、家庭セクターが企業セクターに比べて軽く見られている。 阿部:家庭内労働が低く見られるということはあると思います。それが、女性が社会進出することの難しさでもある。 例えば保育ママとか、地域の経験のある女性に就労機会をと言うと、いい話のように思いますが、通常の産業は人が足りないなら、給料を上げるのが一番手っ取り早い方法でしょう。しかし、なかなかうまくいかない。保育や介護の世界における労働の価値を、いかに評価し、対価を底上げするかが根本的な問題ではないかなと思います。 メガネチェーンのオンデーズの例(「奨学金を“肩代わり”します」)などは素晴らしいと思います。自分の社員に利益を還元して、社員を引きつけようとするわけですよね。昔の日本の「社員は家族です」という風潮が、もうちょっと戻ってきてくれないかなと思いますね。 日本の企業が考えるべきこと 昔の日本の企業は本当に従業員の面倒を見ていました。オン・ザ・ジョブ・トレーニングから、給料が右肩上がりに増えていくこと、それから終身雇用。批判もあると思いますが、日本社会はそれを前提に組み上げられています。でもそれが崩れてしまった。 非正規労働者は社員としてカウントすらされませんし、ましてやその人の生活がどうかなんて、企業からすれば全く知ったこっちゃない。これでは多くの家計が破綻するのも分かる気がします。会社の事業の一端を担う人に対する責任感といいますか、そういったものをもう少し見直すべきではないかと思います。 評価の手法を入れよ ゴールドマン・サックスや西友など、外資系はCSR(企業の社会的責任)として、日本企業よりも積極的に若年層の貧困問題に取り組んでいるようです。 阿部:手法的な部分では考えるべきところがあると思います。活動の成果をきちんと数値的に評価する仕組みを持ち、活動を意義あるものにする。こうした努力は、国の事業や制度に対しても、もっと力を入れていかなければいけない。 今の日本はこれに対していくらの財源をつぎ込みましたという「インプット」のデータはあるんです。職業訓練だったら、職業訓練に延べ300人が通いましたという指標はある。「やっていない時はゼロだけど、300人がこの事業に通ったから、それなりの成果でした」というのが彼らのロジックです。 でも、この300人という数字にはあまり意味がありません。本来はその300人が、その事業がなくて職業訓練を受けなかった場合の給料と、受けたことによる給料の上昇分を見なければ、厳密な成果は測定できません。でもそれは出していない。 時々、職業訓練でその後何人が職に就きましたというデータは出てきます。けれど何もしなくても職に就く人もいるわけです。だから本来、職業訓練を受けない場合の就労者と、受けた場合の就労者数を比べなければ意味がありません。 いったん就職しても、それがどれくらい続くかという問題もあります。就労したと言っても、正規社員なのか非正規社員なのか、給与水準はどうなのかといったデータも欲しいですよね。そういったところをより詳しく出す努力をしないといけないと思います。職業訓練に限らず、あらゆる場面で日本は評価のデータが足りない。 数字には信用しにくい部分もあるんです。都合よく取っていることだってないとは言えない。 でも、そういう数値で示していかないと、今は財務省も予算を通しませんからね。 貧困は撲滅すべきもの。「格差」とは違う 格差の問題と貧困の問題は、一緒の部分もあるけれど、分けて考えないといけないと阿部先生は指摘しています。貧困は撲滅すべきもの、ゼロにすべきものだが格差はそうではない、と。 阿部:誤解がないように断っておきますが、格差自体も悪いんです。けれど、格差の前に貧困を解消しなければいけないと私は思います。 格差はなくなりません。これが全くゼロになって平等な社会になることはあり得ない。しかし貧困は原則、あってはいけない。貧困0%は実現できないかもしれませんが、それでも貧困は削減すべきものと定義づけられる。どう測るべきかという指標については議論がありますが、貧困は少なくするのがいい。でも格差は、極端に言えば放っておいてもいいよという主張もあり得る。 かつてはよく、政治家から「適正ジニ係数というのはどれぐらいなんですか」と聞かれました。「ジニ係数」とは国の格差を測る指標のことで、これが本当にゼロになれば、悪い意味での共産主義的な状態になる。一方で米国の0.4とかになるといけない。じゃあ、どこが適正なんですか、と。そういう数字は出ていないんですけれども、そういった議論はあるということです。 例えばプロ野球選手が7億円の報酬をもらうことについて、それが悪いと言う人はいないと思うんです。格差の悪いところはありますが、飛び抜けた実力で上がっていった人が悪いという議論はない。そういう意味で、社会は所得に差があること自体はある程度許容しています。 ですが、貧困は人権だとか、憲法25条だとか、そういうものに照らし合わせて「このレベルで住んでいる人がいてはいけない」というものです。そこは何としても解消しなければいけません。 教育にだって格差はあっても仕方ない。子供をインターナショナルスクールに通わせて、家庭教師も付けて、と大きな投資をする人はいるわけです。だから格差は必ずある。けれどその問題と、中学校を出たのに九九ができないとか、分数の足し算ができないとか、そういう子供が存在することを同じ議論にしないでくださいと、私は言っているんです。 これは国の責務として許されないことだと思います。国の義務教育法では最低限の自立できるだけの学力を付けることが、国家の義務であると言っているのに、九九ができなかったら自立していけません。囚人だって、1日3回食べさせないといけないとか、お風呂に入らせないといけないとか、最低限のルールがあるわけです。貧困はそれと同じような議論だと思います。いたずらに格差論と一緒にすると誤った議論になると思います。 注:取材当時の阿部氏の肩書は国立社会保障・人口問題研究所の社会保障応用分析研究部長でした。 連載「2000万人の貧困」などを大幅加筆した書籍『ニッポンの貧困』が発売されました。是非、手に取ってお読みください。
このコラムについて 2000万人の貧困 日本を貧困が蝕んでいる。月に10.2万円未満で生活する人は日本に2000万人超と、後期高齢者よりも多い。これ以上見て見ぬふりを続ければ、国力の衰退を招き、ひいてはあなたの生活も脅かされる。 日経ビジネス3月23日号に掲載した特集には収められなかったエピソードやインタビューを通じて、複雑なこの問題を少しでも多面的に理解していただければ幸いだ。 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278874/082400006/
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