8. 2015年8月30日 10:52:47
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2015年08月30日(日) 週刊現代 身につまされる老後破産?「こんなはずでは」と嘆く前に読みたいルポ 【書評】NHKスペシャル取材班『老後破産』/評者 野村進(ノンフィクション作家)〔PHOTO〕gettyimages 大学の学食で390円の定食を前に、この原稿の下書きをしている。 あえてこんなことをしているのは、本書に、近所の学食の400円ランチが月一度の、唯一の「自分に許している贅沢」だという老人の話が出てくるからだ。「温かいお味噌汁がついて、おしんこもついてくる」と「本当に嬉しそう」に言う八十すぎのお年寄りの顔を思い浮かべていたら、何やら涙がこみあげてきた。 お金がなくて病院に行くのを我慢する。食事は1日1回、しかも一食100円以内。実に300万人近くもの独居高齢者が、120万円未満の年収で、ぎりぎりの暮らしを余儀なくされている……。 元気なころはごく当たり前の生活をしていた人びとが、年を取るにつれ、いかにじわじわと経済的に追い詰められて、「老後破産」と呼ぶしかない窮状に陥るか。本書は、身につまされる実例をいくつもあげながら報告していく。「NHKスペシャル」での取材を元にした迫真のルポである。 「預金が少しずつ減っていくのはとっても怖いことなのよ。いつも何かに追われている気がして、夜も寝ることができないんです」(80代女性) こうした経済面での不安から、お年寄りの多くが、物入りな冠婚葬祭を敬遠し、友人からのカラオケや旅行への誘いにも応じなくなる。もとより子どもやきょうだいの重荷にはなりたくない。かくして急速に社会とのつながりが失われていく。本当に怖いのは、この「つながりの貧困」なのだ。 ある調査では、正月三が日をひとりぼっちですごす独居高齢者は3人にひとりを数える。私自身、老人養護施設や重度認知症病棟で、誰も見舞いに来ない正月を送るお年寄りに何人出会ったことか。 むろん即効性の対策はない。ただし、現状に対応した社会保障制度の見直しは急務であろう。本書の登場人物たちのように、「こんな老後を予想できなかった」と嘆く前に、年を取り、体の自由がきかなくなった自分の姿をリアルに想像して、できうるかぎりの備えを物心両面でしておくしか当面の方策はあるまい。 のむら・すすむ/拓殖大教授。'97年『コリアン世界の旅』で大宅賞、講談社ノンフィクション賞受賞。『解放老人』他 『週刊現代』2015年8月29日号より 『老後破産?長寿という悪夢』 著・NHKスペシャル取材班?新潮社/1300円(税別)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44886 2015年08月30日(日) 週刊現代 急増中! 妻に先立たれて「家計崩壊」?年金は半分に! でも、出て行くカネはむしろ増える 〔PHOTO〕gettyimages 巷では「夫が逝くと妻は元気になるが、妻を亡くした夫は早く逝く」とも言う。うるさい、小憎らしいと思いながらも、長年ともに生きてきた妻。夫にとって、その死は驚くほど致命的なものになる。 妻の後を追った演出家 「まさか、アイツが先に逝っちまうとは、思わなかったですよ。私は酒もタバコもやめられない口だけど、女房は一切、やらなかったしね……。 妻なんてのは空気みたいなもんだと言いますね。しかし、空気が突然なくなったと思ってごらんなさい。そりゃ、大変なことですよ」 東京・板橋区在住の高木信一さん(73歳・仮名)は、こう言って、一昨年に亡くなった妻の位牌を見やった。 長年連れ添った夫婦と言えど、寿命は人それぞれ。妻の生前は「口うるさいやつ」、「もう飽きた」などと言っていた夫でも、いざ妻を喪ってみると、ショックは大きいものだ。 その衝撃の深刻さを物語る事件が、7月29日に起きている。同日午前3時、ミュージカルなどの舞台演出や台本の翻訳で高い評価を受けていた、演出家の吉川徹氏(54歳)が自宅で首を吊って亡くなったのだ。 この日は、吉川氏の54回目の誕生日。そして午前3時は、今年1月3日に心不全のため急逝した、妻はるみさんの亡くなった時刻だった。 吉川氏が手掛けた舞台で、スタッフをまとめる舞台監督を務めた男性は、こう明かす。 「舞台の演出家には、気性が激しく、スタッフや出演者に怒鳴り散らすような人も多いのですが、吉川さんはとても物静かでした。ミュージカルの楽曲の歌詞を翻訳するときなどは、曲にぴったりの日本語を見つける。内向的で文学肌の人でした。 奥さんもとても控えめな人で、劇場に来ることがあっても、あまり目立たない印象でしたね。吉川さんより10歳くらい年下だったと思います」 芸能界では、仕事もプライベートも区別せず、家族ぐるみの付き合いをするような役者、スタッフも多い。だが、吉川氏は一線を引き、プライベートの話を避けるタイプだったという。 「お子さんもいなかったと思います。プライベートは奥さんと二人きりの時間が多かったでしょうね。1月に突然、奥さんが亡くなった後は、1ヵ月ほど仕事を休んでいました。復帰後、私が『ご愁傷様でした』と挨拶をしたら、『いやいや……』と苦笑いしただけで、自分は大丈夫だと見せようとしていたようでした。 吉川さんは奥さんに捧げる詞を書き、知り合いのミュージシャンに歌わせてオリジナルCDを作成し、私たち知人、友人に配っていました。いま、それを聴くと、何て繊細な人だろうと改めて思います。きっと傷つきやすかったんだろうなと……」(前出・舞台監督) 吉川氏は複数の遺書を残していた。実兄には密葬にしてほしい旨などを書き残したほか、仕事の関係者には「1月から整理をしてきて、いまはすがすがしい気持ちです」などと綴っていたという。 妻に先立たれることで夫の負う精神的ダメージは、かくも深い。夫の多くは、心のどこかで、「男の自分は妻より先に死ぬ」とイメージしていることも、衝撃をより大きなものにしているだろう。 男性も長寿を謳歌するようになった現代、妻に先立たれる男性も増えている。そんななか、実際に妻を亡くした夫たちからは、心理的な傷を負っただけでなく、「生活ができなくなった」「もう老後破産するしかない」と、家計崩壊目前だという悲鳴があがっている。いったい、何が起こっているのか。 年金の救済策は専業主婦向け 練馬区在住で長年、都内の菓子卸会社に勤務していた中里正実さん(76歳・仮名)は、こう話す。 「うちの女房は、がんだとか、寝たきりになったとか、そういう長患いをしないで、2年前に突然、脳梗塞でぽっくりと逝ったもんですから、私はびっくりしてしまってね。 現実感がなくて、ぼうっとしているうちに、葬儀も済み、納骨も済み……。自分で買い物をしないと冷蔵庫が空のままだと気づいたのが、妻が亡くなってから2週間ほど後でしたかね……。スーパーで『牛乳の値段というのは近頃こういうものか』なんて思ったりしていたところに、年金の支給日が来たんですよ」 銀行で記帳した中里さん。その段になってようやく、もう妻の年金が入らないことに思い至った。 「家に帰って、妻のつけていた家計簿でかつての収入を確認してみてギョッとしました。月額計算では夫婦で28万円あった年金が、月15万円強に減ってしまったと分かったんです」(中里さん) なぜ、そんなことになったのか。中里さんの妻は看護師の資格を持ち、二人の子供が乳幼児だった時期を除いて私立病院で勤務していた。 妻の生前、中里家の年金収入は月額換算で、夫婦各人の基礎年金が約5万5000円。厚生年金は中里さんが約10万円、妻が約7万円。月額収入は計28万円だった。 ところが、妻の死亡にともない、基礎年金と厚生年金の計12万5000円がごっそり減ってしまったのだ。老後の家計に詳しいファイナンシャル・プランナーの横川由理氏は、こう指摘する。 「厚生年金を受給している配偶者が亡くなっても、遺された妻や夫が遺族厚生年金を受け取ることができない場合があります。 ただ、厚生年金の制度は『夫が働いて専業主婦の妻を養う』という家族を前提に設計されている側面が強く、夫、妻ともに厚生年金を受け取っている共働きだった夫婦の場合、救済の効果は限定的なことが多いのです」 遺族厚生年金は、遺された配偶者の厚生年金が、死亡した夫や妻の厚生年金の4分の3に満たない場合に発生する年金だ。 複雑なので、中里家の実例で見てみよう。妻の厚生年金は7万円。夫の厚生年金は10万円だ。 中里さんの厚生年金のほうが多いので、妻が死亡しても、中里さんには何の救済措置もない。 一方、仮に夫の中里さんが先に死亡したとする。妻の厚生年金は、夫の厚生年金10万円の4分の3=7万5000円に満たない。すると妻には妻自身の厚生年金との差額5000円が加算される。 さらに、もし妻が専業主婦だった場合を考えれば、妻自身の厚生年金はゼロなので、妻は7万5000円の差額をまるまる受け取る計算になる。遺族厚生年金はまさに、「専業主婦向けの救済策」なのだ。 年金収入が激減した中里さんの生活。独りになったのだから生活費も2分の1になるかと思いきや、そうはならないと中里さんは次第に気付いた。 「まずはアパートの家賃が4万5000円。これは独り暮らしでも夫婦でも、変わりはしません。 水道・光熱費も、半分にはなりません。会社勤めをしていた頃ならいざしらず、リタイア後のいま、家で電気やエアコンをつけている時間は独りになっても変わらない。
風呂だって二人暮らしだったら2回溜めるというわけじゃない。少しでも出費を削れないかと、水道の蛇口に節水ゴマを入れたり、シャワーヘッドを節水にしたりと考えを巡らせましたが、そんな工夫は女房がとっくにやっていた。 それに、独りだと夜なんかは家が静かすぎてね……。気が付けばテレビをつけっぱなしにしている時間が、むしろ増えていた。電気代がかさむのが怖いので、近頃は『3・11』のとき買った、防災用の手回し発電のラジオを引っ張り出して聞いています」(中里さん) さらに、こんな例もある。中野区で表具店を営んでいた太田順吉さん(74歳・仮名)の妻は、化粧品メーカーの事務職だった。太田さんは言う。 「私は親から店を継いだんですが、自営業ですから年金は月5万円の基礎年金だけでした。妻のほうは会社の厚生年金が月4万円、基礎年金と合わせて9万円くらいもらっていた。その妻が一昨年、大腸がんで逝きまして。月14万円だった収入が、妻の遺族年金3万円と合わせても8万円になった。ほんとに毎日の生活が苦しいですよ」 商店街に面した自宅兼店舗は、築50年近い建物の固定資産税こそタダ同然だが、土地は借地で月2万円の地代がかかる。 夫婦がコツコツ貯めてきた預貯金は、妻の闘病を経て300万円まで減っていた。この蓄えを食い潰さないためにも、月4万円で生活しようと太田さんは目標を立てた。 「しかし、これがなかなかうまくいかない。一番もどかしかったのは食費ですよ。贅沢しているつもりはないのに、独りになって半分になるどころか、むしろ増えてしまった。最初は料理なんてどうしていいかわからないから、近くのファミレスに通ったんです。ところがファミレスで一人前食べると800円はする。朝晩2食で生活しても1日1600円。毎日食べたら月4万8000円で、とてもじゃないが続けられない」(太田さん) これは自炊するしかないと考えた太田さんだったが、そこからも困難の連続だった。 「妻のパート代」のありがたみ 「スーパーで買う食材なんかは、二人でも独りでも結局、合計金額は大して変わりません。青物は食べきれないと腐ってしまうので、ピーマンや玉ねぎをバラで買ったり、大根もカットしたものを買ってしまう。生の肉や魚も食べきれないので、便利な加工食品を選んでしまう。でもバラ売りや加工食品は、当然ながら単価が高い。おまけに1リットルの醤油のパックが流しの下にあるのに気付かず、小分けで売っている卓上用を買ったりとドジを踏むので、節約なんかできやしない」(太田さん) 何もかも面倒になり、トマトときゅうりと目玉焼きばかり食べていた時期もあった。 「でもご近所さんに、『あんた最近、幽霊みたいだけど大丈夫か』と言われて、初めて娘に泣きついた。いまは週に一度、娘に来てもらって料理指南を受けています。娘が買い出しのときカネを足してくれているのは分かっているけれども、お互い口にはしません。私の最後の自尊心を守ってくれている。武士の情けですよ……」(太田さん) こんな証言もある。記事冒頭に登場した73歳の高木さんは、都内の機械部品メーカーで営業職を務めていた。一昨年亡くなった2歳年下の妻は専業主婦だったが、20年ほど前から、近所のスーパーで、パートタイムで働いていた。 「私が現役だった間は、『ありゃ女房の小遣い稼ぎだ』と軽んじるようなところもあったね。だけどアイツが逝ってみて、パートがほんとうに日々の家計を助けてくれていたのがよく分かった」 高木さんの妻が、狭心症が悪化して体調を崩すまでパートで得ていた収入は平均月6万円ほど。亡くなったいまは、5万円の基礎年金も入らなくなった。高木さんの年金は、基礎年金が月6万円、厚生年金が月11万円だ。 「生涯現役の時代だなんて言うけど、私みたいに、特別なスキルもない70過ぎたジイさんができる仕事なんて、滅多にない。アイツは長いことパート先でうまくやっていたから、70近くまで使ってもらえた。私がこれから頑張ったって、そう収入が増える見込みはないね」 だが、高木さんもまた独りになって、むしろ支出が増えたと話す。 「アイツがいなくなって、毎日口喧嘩する相手もいやしない。こちとら会社通いに慣れているのに、毎日することもない。特別、楽しいなんて思わなくても、パチンコ行ったり、居酒屋行ったり、何だかんだで、手持ちのカネは消えちまう。結局、あんなうるさい女房でも、いてくれたほうがありがたかったんだなぁ……」 妻を亡くし、家計崩壊の瀬戸際に追い込まれる夫たち。後篇ではさらに、その切実な生活事情を見ていこう。 後篇はこちら→ 「週刊現代」2015年8月29日号より 2015年08月30日(日) 週刊現代 妻を喪って、途方に暮れる夫たち ?待っていたのは「完全なる孤独」だった 〔PHOTO〕gettyimages 完全なる孤独が待っていた 「こうやって、家のなかで新聞を読んだりして、じっとしているでしょう。そうすると、庭先でガサゴソと音がする。ネコが雑草のなかを歩く音です。 夜中になると、遠くのほうから鉄道の枕木が鳴る、ゴトンゴトンという音がかすかに聞こえる。JRの中央線を走る貨物列車だと思いますが、うちからは3km近く離れていても、何かの加減で響いてくるんですねぇ。 そういう、昔は気が付かなかった音を聞くたびに思うんです。……ああ、妻がいないんだなぁ、と」 昨年夏に、同い年の妻を胆嚢がんで亡くした、練馬区在住の元小学校教員・関口光男さん(72歳・仮名)は、こう話す。 自宅前を子供たちが歓声を上げながら走っていく。近所の犬が吠えやまないこともある。どこかから夫婦喧嘩の声が漏れ聞こえることも。 だが、家のなかでは、誰の声もしない。 「テレビをつけても騒がしいばかり。たまに音楽はかけますが、やはり人間の話す声とはちがいますね。たまに『おおい』と声を出してみるんです。誰も答えないのはわかっているが、そうでもしないと、私は声を発することさえなく一日を終えることになる。現役時代は、こんな老後が来るとは想像もしませんでした。 お茶を淹れたとき、つい湯呑を二つ出してしまったり、風呂から上がるときに、『まだあいつが入るからお湯は抜かなくていいな』と思っていたり……。作家の城山三郎さんが奥さんを亡くされたあとに、『そうか、もう君はいないのか』という本を書かれましたね。私などは、この題名だけで泣けてしまう。そうか、もう君はいないのか、と……」(関口さん) 妻に先立たれた夫たちの生活。それは想像以上にわびしいものだ。とくに、70代以上のリタイア世代の夫は、妻を亡くした瞬間に訪れる生活の急変ぶりに戸惑っている。 思えば長年、職場では常に他人と接してきた。家に帰れば妻や子がいた。だが子供が独立し、職場を離れたリタイア後は、妻を喪った瞬間に、人とのつながりがすべて断ち切られてしまうという人も少なくない。 完全なる孤独。それでも日々の生活は続く。世田谷区在住で、都内の家具販売店で定年まで勤めた北林健二さん(76歳・仮名)は、こう証言する。 「家内はがんと診断されてから、半年で逝ったんです。私にとってはあっという間のことで、満足な治療もしてやれなかったような気がするんですが、友人に言わせれば、多少なりとも気持ちの準備ができただけよかっただろうと。 家内が死んでから気が付いたんですが、アイツも死を意識して、いろいろ用意してくれていた。家計簿や通帳、銀行の印鑑なんかは、ひとまとめにして、洋菓子の缶に入れてくれていた。電気やガスの引き落としは、この口座、このクレジットカードはこの口座とか、メモもつけて……。それがなかったら、私は、どこの銀行に行って何をすればいいかも分からなかったでしょう」 だが、妻のいない生活はすぐに困難に突き当たってしまった。 「私はほんとうに、家のことは何もしない夫だったんですよ。だから、家のどこに何があるかも知らなかった。宅配便が来ても、三文判がどこにあるか分からない。靴下に穴があいても、買い置きがあるのかも分からない。納骨が済んだあと、喪服をクリーニングに出そうとして、昔から頼んでいる近所の古いクリーニング屋で使っている、預かりを記録する小さなノートが見つからなかったときは3時間かけて探して、心身ともにくたびれ果てましたよ」(北林さん) 新宿区在住の樫原悦夫さん(72歳・仮名)は、現役時代、オフィス向けの文房具を主に扱う商社で営業を担当してきた。 「地味な仕事と思われるかもしれないが、全国を飛び回って、結構、忙しく働いていたんですよ。家事も育児も、女房に任せきりでね。幸い再雇用もされて、サラリーマンとしては幸福な会社人生を68歳で終えたんですが、翌年の冬に突然、女房が逝ったんです」 もう夫婦ゲンカもできない 買い物から帰宅した樫原さんの妻は、玄関先で卒倒。解離性大動脈瘤破裂で、帰らぬ人となった。樫原さんは言う。 「女房とはいつも喧嘩ばかりで、私も家を空けることが多かったし、バブルの頃は浮かれて、取引先の女性といい仲になったこともあった。女房にはすぐにバレて、生きるの死ぬのと大騒ぎになりました。『うるせえ、たまには息抜きさせろ』なんて怒鳴ったこともある。バカでしたねえ。
独りになって、最初にがっくりきたのはゴミ出しです。分別しなきゃならんのだが、まずそれが分からない。燃えるゴミの日に出しておいたものが、回収されないと思ったら、100円ライターが入っていた。『金属・陶器・ガラス』という日に出せという。そんなの分からんよね。しかもその分別の回収は隔週で、私の出し直したゴミ袋は、また残ってしまっていた。 うちの辺りはまだ下町気質があるというか、おせっかいなバアさんがいて、『あんたんとこのゴミがまた残ってる』とアパートの部屋まで届けに来た。そこでめんどくせえなという顔をしたのがよくなかったんですね。『樫原のジイさんは問題だ』という話が広がったらしくて、民生委員が『お独りで大丈夫ですか』と様子を見に来たりした。 イライラして、最初は『ほっといてくれ』なんて言ったけれども、よくよく聞けばその人は女房のパート仲間で、ずいぶん世話になったらしい。もう、平身低頭ですよ。情けない夫で、女房の友人なんか一人も知らなかったんだ。そう考えたら、女房が葬式に呼んでほしい人がもっといたんじゃないかとか、後悔ばかりが湧いてきてね……」 妻を喪って初めて、その存在の大きさに気づき、途方に暮れる夫たち。憎らしいと思えるのも、相手が生きていればこそ。気恥ずかしくとも、伴侶がいかに自分を支えてくれているか、いまのうちに見直してみて損はない。 「週刊現代」2015年8月29日号より http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44887
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