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※原子力発電所過酷事故防止検討会報告書
「原子力発電所過酷事故防止対策の提言 二度と原子力発電所過酷事故を起さないために」
http://www.jates.or.jp/dcms-download-file/index/path/uploadMediaPath/image/douyuukai_teigen_kakokujiko.pdf
「 原子力発電所が二度と過酷事故を起こさないために ― 国、原子力界は何をなすべきか ― 」
http://www.jates.or.jp/dcms_media/other/douyuukai_teigenn_kakokujiko2.pdf
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[大震災から5年]再建への道程(6)フクシマは「想定外」か
東京電力・福島第1原子力発電所は、津波による浸水で電源を失い原子炉を冷却できなくなって核燃料が溶けた。事故は本当に「想定外」だったのか。東電が用心深く判断し発電所に備えがあれば、事故の拡大を防げた可能性がある。
■リスクに備えた女川・東海
「想定外には二種類ある。安全対策を考える上で想定しないと決めた想定外と、本当に想定していなかった想定外だ」。1月21日に東京都内で開いた「原子力発電所過酷事故防止検討会」の報告会で、東京都市大学の村松健・客員教授は話した。
同検討会は、政府や国会の事故調査委員会の報告では飽き足りないと感じた科学者や技術者らが集まり、事故防止への処方箋づくりに取り組んできた。村松教授はメンバーの一人だ。
福島第1原発事故後に「想定外」という言葉が連発されたが、その多くは村松教授が言う前者の想定外だ。リスクをきちんと想定できた人や組織はあった。しかし、東京電力や原子力安全・保安院(当時)は想定の外に置いてしまった。
最大のものが津波の高さだ。他の原発と比べてみるとわかる。東北電力・女川原発(宮城県)は海面から高さ14.8メートルの場所に発電所があった。建設当時に同社の社内委員会で「高いところにつくるよう決めたからだ」(八重樫武良所長)。歴史的に津波被害が多い地域に根付いた企業の知恵だった。
東日本大震災では高さ約13メートルの津波が襲来した。地震で約1メートル地盤が沈下していたが、海水は敷地に届かなかった。潮位計の配管を海水が逆流し、非常用ディーゼル発電機8台中2台を止めたが、大事には至らなかった。高台を海抜10メートルまで掘り下げて建てた福島第1との違いは明白だった。
日本原子力発電の東海第2原発(茨城県)は海岸近くに置いたポンプ3台のうち1台に浸水し、非常用ディーゼル発電機が1つ止まった。
「ちょうどポンプを囲う津波防護壁を高くする工事中だった」。3.11当時の所長の剣田裕史常務は話す。4.9メートルから6.1メートルへ。津波の高さは約5.4メートル。かさ上げしていなかったら、非常用ディーゼルがすべて止まり全交流電源喪失になっていた。
3月末に完工予定で、電源ケーブルを通す穴が1つ空いていた。そこから一部区画に海水が入った。
茨城県が防災計画の津波想定を高く見直したのを受けての工事だった。太平洋岸を襲った過去の津波に関する研究の最新動向をみて改定した。県も電力会社も自然災害のリスクに対し感度が高かった。
「東北電も原電も、東電に比べて組織が小さく風通しがよい点が好判断につながった」と原子力安全規制の専門家はみる。
■重大事故、自主的備えに穴
米原子力規制委員会(NRC)は2001年の同時テロの後、全電源喪失事故への特別対策を米電力業界に指示した。通称「B5b」と呼ばれる。テロ対策のため具体的な内容は一般に公開されなかったが、NRCは日本の保安院には伝えた。しかし、保安院は電力業界には周知しなかった。
B5bは、可搬型発電機や消防車を使って炉や燃料プールを応急的に冷やす内容で、福島事故後に保安院が電力各社に指示した緊急対策とほぼ同じだ。「B5bに準じた備えがあれば、福島事故の様相は変わっていた」と多くの専門家はみる。
原発の安全では「深層防護」という考え方がある。第一に異常の発生防止、第二に異常を事故に拡大させないなど5層の対策を考え、最終的には周辺住民に危害を及ぶことを防ぐ。国際原子力機関(IAEA)が決めた世界標準の考え方だが、「日本では3層までしか用意していなかった」と民間事故調は指摘した。
B5bは第4層にあたる。日本でも旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を受けて、炉心溶融など重大事故時の収束策(シビアアクシデント対策)をまとめ、電力各社が自主的に備えることになっていた。しかし、自主的な備えに「穴」があったことが事故で露呈した。
日本原子力研究開発機構の元技術者、田辺文也氏は「福島第1では緊急時にとられるべき標準的な手順がおろそかにされた」と指摘する。政府事故調の聞き取りに対し、福島第1の吉田昌郎所長(故人)が重大事故時のマニュアル(手順書)など「私の頭の中では飛んでいますね」と証言、参照もしなかったからだ。
手順書通りの対策を講じていれば、炉心溶融まで時間的余裕があった2、3号機は救える可能性があったと、田辺氏はみる。機器・設備だけでなく、人間的な側面でも備えを欠いていたと指摘する。
保安院は03年、各原発が炉心損傷事故に至る確率を公表した。一覧表をみると沸騰水型軽水炉(BWR)で事故確率が高いワースト5位に福島第1の1〜4号機がすべて入っている。
事故を起こした炉が他に比べて弱いことは、規制当局や電力業界ではよく知られていたことだった。
■「臨機応変な対応」で明暗
吉田所長への田辺氏の批判に対しては反論もある。安全問題に詳しい北村正晴・東北大名誉教授は「停電で計器も読めず炉の状況がわからない中で手順書を見て動けというのは無理だ。吉田所長がとにかく炉の注水を急いだのは適切だ」と話す。反証は福島第1の5、6号機だ。
5、6号機は隣で水素爆発が続いて起きる中、10日間で冷温停止に持ち込んだ。セオリー通り、原子炉を減圧し水を注ぎ込んだのだ。5号機は定期点検中で圧力容器の安全弁が開かないよう留め具がついていた。核燃料が炉内にあるため崩壊熱で温度、圧力が上昇しており、減圧ができない。手順書にない事態だが、運転員が格納容器内に入って人力で留め具をはずした。
臨機応変な動きは、政府事故調の調査に応じた5、6号機の当直長2人の証言からわかる。「人員を1〜4号機に割かれていたが、1〜4号機の対応に負担を
かけないようほぼ独立して対処した」と当時の状況に詳しい東電関係者は話す。
重大事故に至った福島第1の1〜4号機と、女川や東海第2、福島第1の5、6号機の間にあえて一線を引けば、その違いは計器が読めたかどうかだろう。1〜4号機では炉の状態がわからずまったくの手探り。対処がより困難であったのは確かだ。しかし、仕方がなかったではすまされない。
過酷事故防止検討会の宮野広・法政大学客員教授は3つの失敗をあげる。
(1)自然災害に対応する設計基準が低かった。
(2)重大事故時の対応力が不十分だった。
(3)影響が敷地外に及んだ時の防災計画が機能しなかった。
これらは原発再稼働にあたっての課題でもある。
編集委員 滝順一が担当しました。
[日経新聞2月7日朝刊P.11]
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