http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/311.html
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”この日の薩摩川内市議会にも、反対派約60人が集まった。人数制限で、別室での傍聴を命じられた約30人は、市職員に罵声を浴びせ、委員会室のドアや壁を叩き続けるなど、傍若無人の振る舞いを続けた。
「地元の人は賛成の人ばかりなのに、反対の活動家が押し寄せ『市民の声を聞け』と拡声器で怒鳴り立てる。こっちの方言ではないので、県外から来ているのでしょう。地元のマスコミは県外の活動家の声ばかり報道して、私たち市民の声は報じないんですよ」”
産経から
http://www.sankei.com/west/news/150811/wst1508110053-n1.html
【川内原発再稼働】
「やっと日常が戻った」 地元住民、再稼働に安堵の声
「原子炉が起動しました」。予定通りの午前10時30分ちょうど。核分裂反応を抑える制御棒が引き抜かれ、止まっていた原発がついに動き出した。11日に再稼働した九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)。東京電力福島第1原発事故を経験した日本の原子力政策の大きな節目となったこの日を、地元住民らは期待感を持って迎え、原発関係者らは「二度と事故は許されない」と気を引き締めた。
「ようやく日常が戻った」。川内原発がある薩摩川内市の中心部で、民宿を営む永井康太郎さん(66)はそんな気持ちで再稼働の朝を迎えた。
13カ月ごとにある川内1、2号機の定期検査の際は、約1200人の原発関係者が市内のホテルや民宿を拠点に原発に通う。永井さんの民宿でも客の7割は原発関係者。検査時の稼働率は9割を超えていたという。
しかし東京電力福島第1原発事故後に1、2号機の運転が停止し、経営は一気に傾いた。稼働率が1割に満たない日も珍しくなく、土地と車を売って何とか廃業を逃れた。
原発立地で活性化した街の経済は、ひとたび原発が停止すれば大きな打撃を受ける。市は1、2号機の運転停止後の平成24〜26年度、緊急経済対策として計約1億2千万円の予算を組んで商業振興を図ったが、街に活気が戻ったのは再稼働に向けた安全対策工事が始まってからだった。
永井さんは「街は原発中心の産業構造でやっていくと決めた。地域経済のことを考えれば再稼働の時期は遅いくらいだ」と訴えた。
地元のタクシー運転手の男性(68)も、再稼働に「ほっとした」と安堵(あんど)の表情を見せた。
原発の運転停止後、乗客が激減。売り上げは月15万円減った。「地元は原発と共存関係にある。電力が不足する九州以外の地域にとっても、再稼働は歓迎すべきことだ」と話す。
一方、川内原発のゲート前では、早朝から全国各地の再稼働反対派が集結し、抗議の声を上げた。警備にあたる警察官とにらみ合いになり、緊迫した雰囲気に包まれたが、そうした喧噪(けんそう)を冷めた目で見る地元住民もいた。
原発から約7キロ離れた県道沿いで雑貨店を経営する神崎候至(こうし)さん(62)は「原発が動こうが止まろうが、われわれは原発があることを受け入れて生活していくだけだ」と語った。
<参考リンク>
■脱原発の前に人間終わってる!地震、津波、原発で被災した福島県民に対する悪質なデマを拡散する人々に怒り心頭!
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/862.html
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