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(書評)海渡雄一(著)「反原発へのいやがらせ全記録――原子力ムラの品性を嗤う 」
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%81%84%E3%82%84%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%9B%E5%85%A8%E8%A8%98%E9%8C%B2%E2%80%95%E2%80%95%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%93%81%E6%80%A7%E3%82%92%E5%97%A4%E3%81%86-%E6%B5%B7%E6%B8%A1-%E9%9B%84%E4%B8%80/dp/4750339490/ref=cm_cr-mr-title
5つ星のうち 5.0
原子力ムラの住民は、この本を読むべきである。,
2015/10/26
初めに、これを読んで欲しい。これは、2011年3月、福島第一原発事故が起きた際、日本が置かれた状況である。
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ここで食い止めなければ事故の規模はどのくらいになったのか、と私が最初に質問すると、吉田さんは「チェルノブイリの10倍です」と、答えた。
「福島第一には、六基の原子炉があります。ひとつの原子炉が暴走を始めたら、もうこれを制御する人間が近づくことはできません。そのために次々と原子炉が暴発して、当然、(10キロ南にある)福島第二原発にもいられなくなります。ここにも四基の原子炉がありますから、これもやられて十基の原子炉がすべて暴走を始めたでしょう。(想定される事態は)チェルノブイリ事故の10倍と見てもらえばいいと思います」
もちろんチェルノブイリは黒鉛炉で、福島は軽水炉だから原子炉の型が違う。しかし、十基の原子炉がすべて暴走する事態を想像したら、誰もが背筋が寒くなるだろう。
石油などの化石燃料はいつか燃え尽きるが、原子力はそうはいかない。ひとたび原子炉が暴走を始めれば、原子炉を制御する人が「近づくこと」もできなくなり、次々と原子炉が暴発し、さらに燃え尽きることもなく、エネルギーを出し続ける。放射能汚染は限りなく広がっていくのである。それが「悪魔の連鎖」だ。
当然、東京にも住めなくなるわけで、事故の拡大を防げなかったら、日本の首都は「大阪」になっていたことになる。吉田さんのその言葉で、吉田さんを含め現場の人間がどういう被害規模を想定して闘ったのかが、私にはわかった。
のちに原子力安全委員会の斑目(まだらめ)春樹委員長(当時)は、筆者にこう答えている。
「あの時、もし事故の拡大を止められなかったら、福島第一と第二だけでなく、茨城にある東海第二発電所もやられますから、(被害規模は)吉田さんの言う“チェルノブイリの十倍”よりももっと大きくなったと思います。私は、日本は無事な北海道と西日本、そして汚染によって住めなくなった“東日本”の三つに“分割”されていた、と思います」
それは、日本が“三分割”されるか否かの闘いだったのである。
(門田隆将「日本を救った男『吉田昌郎』の遺言」(月刊Will(ウィル) 2013年 9月号30~39ページ )同誌同号33~34ページ)
http://www.amazon.co.jp/WiLL-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB-2013%E5%B9%B4-09%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B00DVMU83I/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1445935412&sr=8-1&keywords=WiLL++2013+9
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あの時、日本は、まさに存亡の淵に立たされて居たのである。それにも関はらず、いまだに、原子力発電を捨てるべきではないと考える人たちは、故・吉田所長のこの言葉に何と答えるのだろうか?
「原子力ムラ」と言ふ言葉が有る。
この言葉だけを聞くと、何やら牧歌的な印象を持つ人が多いかも知れない。しかし、その「原子力ムラ」と呼ばれる社会の住民が過去に行なって来た行為の中には、およそ「牧歌的」とは呼べない様な物が含まれて居る。
彼ら(原子力ムラ住民)の全てがこの様な人々ではないと信じるが、彼らの一部は、反原発派の人々に対して、例えば次の様な行為を行なって来た。
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尾行していることを誇示するような写真を印刷した葉書もたくさん送りつけられている。その中には、活動家の子どもが遊んでいる公園の写真や尾行していることを示す写真などが含まれている。これらの送りつけの目的は、明らかに「お前の行動は監視されているぞ」「このまま活動を続ければ、本人や子どもなどに危害を加えるぞ」ということをほのめかした強迫であろう。
このような写真を送りつけるためには、原発反対運動を行っている者の自宅がどこにあるかを知り、これらの活動家を追跡する時間と技術を持っている集団が関与していなければ不可能である。
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更には、彼らは、この様な事まで行なったと言ふ。
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市民団体の女性スタッフの氏名を詐称してトイレに落書きをしていやらしい電話をかけさせるなどの性的ないやがらせも発生した。このケースは特に悪質である。
郵便物をどこかの家から抜き取り、それらをたばにして送りつける。依頼していない商品を送りつけるなどは実害を生じさせた違法行為である。
趣旨のわからない、非常に気持ちの悪いいやがらせも多かった。生理用品や汚物、枯れ草、鈴虫などの意味不明なものを封入した封書を送りつける行為は、いやがらせ活動の行為者たちの最も嫌悪すべき品性の下劣さを示している。
これらの行為は、とにかく気持ちが悪いという感情から、原発反対運動にかかわること自体への消耗感と嫌悪感、さらには恐怖感を催させるためだったと考えられる。実際にこのような行為に恐怖して、人知れず活動から離れていった人たちはかなりの数に上ったのではないかと想像される。
違法に入手された公的機関の内部文書、信書、JRの切符など、通常では絶対に手に入らないような物件を詰めて郵送してくる行為から考えられるのは、いやがらせを敢行している集団が、違法な行為をしていることを見せつけることが狙いだったのではないかということだ。彼らが法の取り締まりも受けない、超法規的存在であることを示し、原発反対運動を行っている者に、底知れぬ恐怖感を与えようとしたものと考えるしかないだろう。
これらのいやがらせ手紙の大きな特徴は、どこかに中心がある統一的な活動であることは明らかであるのに、手紙の消印から世界各地・日本全国から手紙を一斉に送りつけるなどの手の込んだ手口を使っていることである。
この点も、送りつけられた側には大きな驚きであった。大変な費用と物量を要するオペレーションであるが、いやがらせを敢行している集団が世界的な広がりを持つ、巨大な集団であり、これに刃向かっても無駄であると思い知らせ、恐怖感を植え付け、運動からの離脱を狙ったものであろう。
この一連のいやがらせは1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、1988年頃から日本で急速に原発反対運動が盛り上がり、これに対して原発推進勢力が危機感を募らせ、とりわけ新しく運動に参加した人々と古くから運動に取り組んでいる人々とを離反させようとして行ったものだろう。
このような問題意識は、西尾(西岡注:西尾莫氏)さんの文章の中でも分析されているように、科学技術庁(当時)と電力会社の内部文書にほとんどそっくりの表現で、掲載されており、国と電力が一体となって行った組織的キャンペーンであったことが明らかである。
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暇な人たちである。だが、こんな事をする暇が有ったのならば、彼らは、福島第一原発に津波が押し寄せたらどうするべきか?を考えるべきであった。
だが、この国の深刻さは、この様な恥知らず達がうごめいて居る事だけではない。こんな彼らに媚びるマスコミも共犯だったのである。
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メディアを「味方にする」最大の武器が、広告だ。
「原子力発電は将来の国民生活に必要なものとの社の方針が決まっている」朝日新聞に電気事業連合会が働きかけ、同連合会ではなく日本原子力文化振興財団の名で1974年から原発の広告を載せはじめた。すると、読売新聞があわてて飛んできた。
「原子力は、私どもの社長が導入したもの。そのPRをライバル紙にとられては面目が立たない」。75年から読売新聞にも広告が載るようになって、こんどは毎日新聞も広告を出してほしいと言ってくる。そこで電気事業連合会は答えた。
「御社ではいま、原発の反対キャンペーンを張っている。反対が天下のためになると思うのなら、広告なんてケチなことを言わずに反対に徹すればいい」
徹しきれない毎日新聞としては編集幹部までくり出して頼み込んだ。答はこうだ。
「消費者運動を煽って企業を潰すような紙面づくりをやっていたのでは、広告だってだんだん出なくなりますよ。キャンペーンはそのうちやめることになると思うから、そのうえでの話にしたらいいのではないですか」
しばらくして毎日新聞の連載「出直せ原子力発電」は終了し、76年から毎日新聞にも原子力PRの広告が載るようになった。--と、以上は電気事業連合会の鈴木建元広報部長が、その著『電力産業の新しい挑戦』(日刊工業新聞社、1983年)で述べていた自慢話である。
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これを読んで、私は、福島第一原発事故は、起こるべきして起こったのだ、と思った。こんな人間たちの為に、罪の無い子供たちが被曝し、美しい国土の一部が、住めなく成ったのである。
原子力ムラの住民は、この本を読むべきである。
(西岡昌紀・内科医/原子力の日(10月26日)に)
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