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(書評)原子力資料情報室(著 )「臨界事故 隠されてきた深層―揺らぐ「国策」を問いなおす (岩波ブックレット) 」(岩波書店・2004年)
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E6%8F%BA%E3%82%89%E3%81%90%E3%80%8C%E5%9B%BD%E7%AD%96%E3%80%8D%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%99-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E8%B3%87%E6%96%99%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AE%A4/dp/4000093320/ref=cm_cr-mr-title
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5つ星のうち 5.0
日本の原子力行政は、あの事故から何を学んだのか?,
2015/9/30
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科学技術庁(当時。旧科技庁)は、「200ミリシーベルト以下なら影響ない」と言って、住民を説得にかかりました。しかしこの数字は必ずしも根拠のあるものではありません。中性子による被曝は、これよりはるかに低い線量でも慎重に対応しなければなりません。
臨界事故は、原子力開発初期には多発しましたが、20世紀も末になってから起きたこの事故は世界の注目を浴びました。多くの周辺住民が被曝するような事態は異例です。臨界の規模も小さくありませんでした。日本の原子力事業の底の浅い実態を世界に知らしめたともいえます。
(本書9ページ)
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1999年9月30日、茨城県東海村の株式会社JCO敷地内で起きた臨界事故は、世界を震撼させる大事故でした。この事故の結果、複数の作業員が急性放射線障害で命を落とし、多くの住民が被曝した事の意味は余りにも重大です。
この本は、その東海村臨界事故を総括したブックレットですが、極めて分かりやすい言葉で書かれた良書です。例えば、これをお読み下さい。
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事故当時の午後2時から開かれた原子力安全委員会(以下、安全委員会)の会議では、「臨界は最初だけで終わった」という理解が支配的でした。しかし、実際には臨界が続いていました。現場に放射能測定器、とくに中性子線測定器があれば、臨界の継続を確認するのはたやすいことです。情報がなかったために国の対応が遅れてしまったのです。
東海村の村上達也村長は、国の指示をまたず、自主的な判断で、周辺住民への避難要請をはじめました。国の対応が遅れるなか、地元自治体の判断によって避難が進められたことは、原子力災害についての教訓を残すものでしょう。
(本書8ページ)
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福島第一原発事故(2011年3且11日)の後、この本を読むと、1999年のこの臨界事故から、日本の原子力産業は何を学んで居たのか?と思はずに居られません。
今こそ、この本が読まれるべき時であると思ひます。
(西岡昌紀・内科医/東海村臨界事故から16年目の夜に)
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