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東海村臨界事故(1999年9月30日)から16年が経ちました。
犠牲と成った作業員の方の御冥福を心からお祈り申し上げます。
福島第一原発事故(2011年3月11日)後の今、この事故を想起すると、東海村臨界事故(1999年9月30日)は、何と多くの事を警告して居たのだろう?と思はずには居られません。
例えば、ここに一冊の本が有ります。そこには、こんな事が書かれて居ます。
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事故当時の午後2時から開かれた原子力安全委員会(以下、安全委員会)の会議では、「臨界は最初だけで終わった」という理解が支配的でした。しかし、実際には臨界が続いていました。現場に放射能測定器、とくに中性子線測定器があれば、臨界の継続を確認するのはたやすいことです。情報がなかったために国の対応が遅れてしまったのです。
東海村の村上達也村長は、国の指示をまたず、自主的な判断で、周辺住民への避難要請をはじめました。国の対応が遅れるなか、地元自治体の判断によって避難が進められたことは、原子力災害についての教訓を残すものでしょう。
(原子力資料情報室『臨界事故隠されてきた深層』(岩波ブックレットNo.632/2004年)8ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E6%8F%BA%E3%82%89%E3%81%90%E3%80%8C%E5%9B%BD%E7%AD%96%E3%80%8D%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%99-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E8%B3%87%E6%96%99%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AE%A4/dp/4000093320/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1443591462&sr=8-1&keywords=%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F
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これを読んで、福島第一原発事故の際の住民の避難の状況を思ふ起こすのは、私だけでしょうか?一体、国は、この臨界事故(1999年9月30日)から何を学んで居たのか?と思はずには居られません。
又、この本に書かれた次の指摘にも、福島第一原発事故を想起せずには居られません。
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科学技術庁(当時。旧科技庁)は、「200ミリシーベルト以下なら影響ない」と言って、住民を説得にかかりました。しかしこの数字は必ずしも根拠のあるものではありません。中性子による被曝は、これよりはるかに低い線量でも慎重に対応しなければなりません。
臨界事故は、原子力開発初期には多発しましたが、20世紀も末になってから起きたこの事故は世界の注目を浴びました。多くの周辺住民が被曝するような事態は異例です。臨界の規模も小さくありませんでした。日本の原子力事業の底の浅い実態を世界に知らしめたともいえます。
(原子力資料情報室『臨界事故隠されてきた深層』(岩波ブックレットNo.632/2004年)9ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85-%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E2%80%95%E6%8F%BA%E3%82%89%E3%81%90%E3%80%8C%E5%9B%BD%E7%AD%96%E3%80%8D%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%99-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E8%B3%87%E6%96%99%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%AE%A4/dp/4000093320/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1443591462&sr=8-1&keywords=%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F
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この事故については、非常に厳しい情報管制が敷かれたと聞いて居ます。特に、被曝した作業員の診療に当たった医療関係者に対する発言の規制は、尋常の物ではなかったと、或る筋から聞いて居ます。
亡くなられた大内氏の熱傷は、極めて特異な熱傷であったと聞きます。前例の無い、極めて特異な熱傷だったそうですが、この熱傷については、日本熱傷学会関東地方会、全米熱傷学会での2度の発表の他には、公式の医学情報の発表は無かった模様です。これには、週刊現代が学会会場でスライドを盗撮した事から、被曝した作業員の御家族が激怒され、情報公開が更に進んだと、聞いて居ます。これについては、週刊現代の猛省を求めますが、いずれにしても、この際の医学情報が十分に公開される事は、福島第一原発事故後の今、更に必要な事であると私は考えます。
一方、東海村臨界事故については、信頼すべき筋から、非常に気に成る情報に接して居ます。
それは、事故当時(1999年9月30日)、被曝し、健康被害を受けた人が、発表された人々以外にも居たと言ふ情報です。そして、その一人が、後遺症に悩んでおられると言ふ確度の高い情報が有ります。
又、保守派の脱原発派である西尾幹二氏は、2011年の著作の中で、次の様な事を書いておられます。
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また、私が信頼している人から直接聞いた話であるが、東京のがんセンターにある子供の病棟に茨城出身者が多く、東海村事故のせいとの観測が関係者の間で囁かれている。ドイツでは政府が公表し、日本では隠匿されている。今後、こうした問題は公開の場で討議されるべきである。
(西尾幹二「平和主義ではない『脱原発』」(文芸春秋・2011年) 110ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8C%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%8D%E2%80%95%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%96%87%E6%98%8E%E8%AB%96-%E8%A5%BF%E5%B0%BE-%E5%B9%B9%E4%BA%8C/dp/4163748903/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1343349602&sr=1-1
西尾幹二(にしおかんじ)1935年生まれ。東京大学文学部独文科卒業。同大学院文学修士。文学博士。電気通信大学毎夜教授。評論家。「2011・3・11東日本大震災」以降、保守言論人の中にあって数少ない「脱原発」論を展開し、左右の論壇から注目されている。著書『真贋の洞察』『江戸のダイナミズム』『決定版 国民の歴史上下』(文藝春秋)、『GHQ焚書図書開封』(徳間書店)他多数・図書刊行会より『西尾幹二全集』(全22巻)が刊行中。著者公式アドレスwww.nishiokanji.jp/blog/(「平和主義ではない『脱原発』」(文藝春秋・2011年)に掲載された著者略歴)
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西尾氏のこの記述は、次の事実を想起すると、非常に重要な意味を持つ様に思はれます。
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JCO臨界事故では多数の周辺住民が被曝したにもかかわらず、体内ナトリウム24の放射能から被曝線量が推定されている者は7名しかいない。科学技術庁は当初、住民の被爆者は7名であるかのごとき発表をしていた。新聞なども科学技術庁の発表をそのまま鵜呑みにして報道していた。そのため住民の被曝は7人であると未だに思い込んでいる人がいるが、多数の住民が被曝していることを見落としてはならない。
(舘野淳・野口邦和・青柳長紀(著)『徹底解明・東海村臨界事故』(新日本出版社・2000年)83〜84ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%B9%E5%BA%95%E8%A7%A3%E6%98%8E-%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85-%E8%88%98%E9%87%8E-%E6%B7%B3/dp/4406027254/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1443603593&sr=8-4&keywords=%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85
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東海村事故が引き起こした医学的影響は、闇の中です。心ある医療関係者、ジャーナリスト、学者、他の方たちが、この闇の解明に立ち向かはれる事を願はずには居られません。
私自身、自分に出来る事は無いか?思案して居ます。
2015年9月30日(火)
東海村事故から16年目の日に
西岡昌紀(内科医)
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JCO事故のひとつの特徴は、臨界現場から漏れ出た中性子線が周辺環境の元素の原子核と核反応を起こして、放射化生成物が新たに生成されたことである。
原発事故でも核分裂生成物に加えてコバルト60(半減期5.27年)やマンガン54(同312.1日)などの放射化生成物が排出されることがあるが、これらの放射化生成物は、すべてが原子炉内の核反応で生成されたものである。原子力施設から漏れ出た中性子線によって周辺環境で核反応が起こり放射化生成物が生成するような事態は、わが国ではじめての経験ではないだろうか。
よもや人間が放射化してナトリウム24が体内に生成するような事故が起ころうとは、だれも思っていなかったに違いない。国民にとって非常に衝撃的な出来事だったと思う。
(舘野淳・野口邦和・青柳長紀(著)『徹底解明・東海村臨界事故』(新日本出版社・2000年)119ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E5%BE%B9%E5%BA%95%E8%A7%A3%E6%98%8E-%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85-%E8%88%98%E9%87%8E-%E6%B7%B3/dp/4406027254/ref=sr_1_4?ie=UTF8&qid=1443603593&sr=8-4&keywords=%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85
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