http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/830.html
Tweet |
(回答先: ETV特集「帰還への遠い道〜福島・楢葉町 一年の記録〜」 投稿者 gataro 日時 2015 年 9 月 20 日 09:15:35)
カルデラ噴火が起きたなら、原発以外の地域も壊滅するから想定しない、といった議論が川内原発再稼働時になされたが。実際に壊滅的な震災に在った東北では復興の進む地域と、汚染の為復興できない地域が明らかにある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用此処から)
震災4年半:とうほくの今 全村避難が続く葛尾村 思い出詰まった家よ 「半壊以上」解体が始まる /福島
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20150919ddlk07040278000c.html
毎日新聞 2015年09月19日 地方版
*取り外したふすまを玄関先に積む作業員(右)。約50年暮らした松本俊子さん(左)は静かに見守った=葛尾村葛尾で
写真略
◇作業見つめる住民
全村避難が続く葛尾村で、環境省は18日、「半壊以上」と認定された家屋の解体作業を始めた。この日、最初に着手した家屋に約50年暮らした松本俊子さん(68)は「いろんな思い出がいっぱい詰まった家。壊すとなると名残惜しい」と作業員が次々とふすまを取り外しては運び出す様子を見守った。【岡田英】
阿武隈高原の山あいにある下葛尾地区の農家。慣れ親しんだ土間のいろり端に腰掛けた松本さんは「ここで寒いときは鍋したなあ」と目を細めた。
この家に、松本さんが隣の田村市から嫁いだのは1964年。タバコ栽培や稲作、和牛繁殖を営み、4人の子どもを育て上げた。
夫の利之さんは10年前に亡くなり、震災時は長男の清一さん(46)夫妻と3人の孫の3世代6人で暮らしていた。一家は原発事故で福島市や会津坂下町を転々と避難し、2011年夏に三春町の仮設住宅に入った。避難により、6頭いた牛はすべて手放し、田んぼも除染で出た汚染土の仮置き場になった。「家の手入れぐらいしかやることがなくなった」。松本さんは月1回、車で約1時間かけて自宅に通い草むしりなどをしていた。
それでも自宅はネズミのふんなどで荒廃。床は朽ち、土間もこけが生えて「住める状態じゃなくなってしまった」。一家は自宅を取り壊し、敷地内に新たな家を再建することを決めた。近く着工し、来年4月には完成する予定だ。長距離トラックの運転手をしている清一さんは「先祖代々続いた土地で暮らしたい」と職を変え、地元で除染の仕事に就くという。
「忘れ物ですよ」。解体作業にあたっていた作業員が、土間にかけたままになっていた麦わら帽子を松本さんに手渡した。「これかぶって農作業してたんだ」。松本さんは懐かしそうに受け取ると「今でも時々、この家で暮らしていた時のことを夢で見るんだ」とがらんとした我が家をじっと眺めた。
「いろんな思い出が詰まってるからね」。取り壊した後の大黒柱は新しい家でテーブルにして使うつもりだ。
◇
避難指示区域での被災家屋の解体は、南相馬市、浪江町、富岡町、楢葉町、川内村、田村市に続いて7市町村目。環境省は葛尾村内に10カ所の廃棄物の仮置き場を確保し、昨年12月から解体申請の受け付けを開始。178件の申し込みがあった。うち先着50件分の215棟(倉庫や牛舎など含む)について、環境省は来年1月末までに解体を完了させる方針。残りの128件は来年度中の解体完了を目指すという。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(引用ここまで)
原発災害が自然災害と全く異なる事を改めて考えるべき。
- がん検診態勢拡充 県内の双葉郡避難者向け 来年から県(事故との関係は?) 戦争とはこういう物 2015/9/20 10:02:52
(0)
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素43掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。