http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/774.html
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「キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している」
(Gigazine 2015/8/2)
http://gigazine.net/news/20150802-marie-curie-paper-still-radioactive/
歴史上の人物について調べるには、その人物が残した作品や文献にあたる必要がありますが、現存する資料が少なかったり原典の入手が難しかったりなど、調査が困難を極めることもあります。その中でも、ポロニウムとラジウムの発見で知られるマリ・キュリー(キュリー夫人)の残した研究資料は、100年以上経った現在でも放射線を出し続けているため、安易に手にすることはできない状態になっています。
Marie Curie's century-old radioactive notebook still requires lead box
http://factually.gizmodo.com/marie-curies-100-year-old-notebook-is-still-too-radioac-1615847891
Marie Curie's Research Papers Are Still Radioactive 100+ Years Later | Open Culture
http://www.openculture.com/2015/07/marie-curies-research-papers-are-still-radioactive-100-years-later.html
マリ・キュリーとピエール・キュリー夫妻は「どのような物質がなぜ放射能を持っているのか」について研究し、キュリー夫人は1903年と1911年にノー ベル賞を合計2度受賞しています。しかし、夫妻は放射性物質の危険性については理解しておらず、自宅の研究室にはトリウムやウランなどが裸のままで置かれ ていたそうです。これらの放射性物質は暗いところでぼんやりと発光するため、キュリー夫人の手記には「研究の楽しみのひとつは、夜中に研究室に入ることで した。試料の詰まった試験管が淡い妖精の光のように美しく輝いていました」と書かれています。
また、キュリー夫人は研究のためにポロニウムとラジウムを小瓶に入れて常に持ち歩いていたのですが、研究用の標準服以外に放射線から身を守るような服は何も着ていなかったそうです。キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で再生不良性貧血を患って、1934年に66歳で亡くなっています。
キュリー夫人の死後、彼女の自宅はパリ原子物理学研究機関とキュリー財団が1978年まで使用していました。しかし家の中に残った放射性物質の危険性が明 らかになった後、家全体が政府の監視下に置かれることとなり、しばらくの間は誰も家に入ることができなかったそうです。1991年にようやく自宅と研究室 の除染作業が行われ、研究資料やノートが家の外へと持ち出されました。
キュリー夫人の出身地であるポーランドのワルシャワには「マリ・キュリー博物館」があり、館内ではキュリー夫人の研究室を再現した展示物を見ることができます。
現在、キュリー夫人の手書きノートはフランス国立図書館で保管されているのですが、キュリー夫人が持ち歩いていた放射性物質の半減期は1601年のため、 ノートを始めとした研究資料や衣服、家具、料理本に至るまで、キュリー夫人の持ち物はいまだに放射能を持っており、今後何世紀にもわたって鉛の箱に入れて 保管しなければ危険な状態です。フランス国立図書館では下記の写真に写っているキュリー夫人のノートを見ることができるのですが、免責同意書にサインした 上で、防護服を着て慎重に取り扱う必要があるとのことです。
-----(引用ここまで)-----
当時は、放射性物質の危険性が全く知られておらず、研究者も全く無防備であった。
夫のピエール・キュリーは、悪化するリウマチに苦しみ、46歳のとき馬車に轢かれて即死。
被ばくによるめまい・昏倒が原因ではないかと言われている。
(現在、駅や電車内で多数見られるとおり)
キュリー夫人も流産、腎臓病、うつ病などに悩み、66歳で再生不良性貧血で死亡。
キュリー夫人の長女イレーヌとその夫フレデリック・ジョリオ=キュリーも、放射能の研究で
ノーベル化学賞を受賞するも、二人とも白血病で50代で死亡。
次女のエーヴ・キュリーは科学者にならず、芸術家・作家として活躍、母親の伝記を執筆した。
「わたしは一家のなかでただひとり、ノーベル賞を受賞していないんですよ」と語った彼女は、
102歳まで生きた。
また、東京帝国大学助教授・山田延男は、1923年、日本政府によりフランスに派遣され、
キュリー夫人の元でポロニウムなどの研究をしたが、2年半の研究で放射線障害により
ひどく健康を損ない、帰国後わずか31歳の若さで死去。
1925年1月には別の元研究員が再生不良性貧血で死亡。さらにマリーの個人助手も
白血病で亡くなっている。
すさまじい被ばく被害である。
キュリー夫人が扱ったラジウム226の半減期は1600年。100年、200年ではほとんど減衰しない。
おそらく1000年後でも厳重な管理が必要だろう。
(関連情報)
「キュリー夫人の遺品のノートは鉛の箱に収納されている」 (GIZMODO 2014/8/20)
http://www.gizmodo.jp/2014/08/post_15251.html
「マリー・キュリー」 (Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC
「山田延男」 (Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%BB%B6%E7%94%B7
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